愛知県碧南市 いつの日かヨットを楽しむ生活を送る夢を見る 「新川港」を訪ねて

碧南市新川西部地区へようこそ!

新川港 (しんかわこう)

かつては「大浜港」を凌ぐ物流を誇った「新川港」だが 今はヨットが停泊

清潔な船着き場に白亜のヨットたち

<商工港としての役割を終え、今は静かな港として。新たに出来た「新川埠頭地区」に富裕層のあつまるヨットハーバーの存在。さて、訪れたあなたはこの光景をみてどんな気持ちになる?> 昭和23年(1948)の碧南市市制施行後に大浜港は漁港として、新川港は商工港として位置づけられるようになった。 昭和32年(1957)から始まる衣浦港計画に従う埋め立て造成により、2港とも大きく様変わりしたが、大浜港は今日も漁港として存在している。 新川港はどうなったか?商工港としての役割は臨海地域の衣浦港に譲り、今は小型漁船の並ぶ静かな港となっている。 だが新川港は終わったわけではない。先に埋め立てられた「新川埠頭地区」にはヨットハーバーがある。 4つの桟橋に50隻近いヨット。高級車からはサングラスをした人々が気怠そうに降り立つ。 桟橋の錠は富裕層と庶民を隔てる証。「いつかは」と励むのか、「どうせ…」と妬むのか、それは訪れた人の心次第である。

長細い建物に不規則にある窓

<新川の河口右岸にある倉庫。今や堤防が築かれ、かつて商業港として栄えた歴史は知るよしもない。大浜から分離独立し飛躍的な発展を遂げた新川の明治時代を伝える貴重な遺産> 新川の河口右岸に大きな倉庫がある。今はガズ会社の所有となっているようだ。 私はこの倉庫に見覚えがあると思い、碧南市の歴史を伝える写真集を探った。確かにその倉庫の写る写真は掲載されており、撮影年は明治43年(1910)と記されていた。 新川港は万延元年(1860)に新川河口両岸に突堤が築かれ港の礎を築く。 明治29年(1896)3月28日には、岡本八右衛門が新川の河口から浅間神社地先までを埋め立て造成し、商工港として大浜港を凌ぐ程の物流量を誇った。 新川が飛躍的発展を遂げた明治時代の倉庫。今や静かな地となった新川の河口にひっそりと名残を留めている。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

燈台跡の向こうに碧南高校ヨット部の皆さん

「燈台のあった場所」

ヨットハーバーのある「新川埠頭地区」の南端に海に突き出た258センチ四方の空間がある。 正方の形を成し、波に洗われ丸みを帯びた階段が付随する。一見、何を目的にこの空間があるのかと悩むが、側面に塗られた白い塗料から燈台だと分かる。 現在、碧南海浜水族館の敷地に展示の燈台が、平成9年(1997)7月に移動するまであった場所。 ガードレールを越え、その燈台跡地へ渡る。あぐらを組み、海の方角へ目を閉じれば、まるで瞑想をする修行僧。 心地良い潮風と暖かな日に青い空。海に突き出た258センチ正方の空間が世界の全てと繋がっていると錯覚させる。 夢中へと漂う自分に波音が現実へと引き戻す。迫る満潮。訪れる際は安全に十分配慮し、危険な行動をとらぬ事。全て自己責任である。

< text • photo by heboto >


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