愛知県碧南市 春の陽気を伝えに来る 川口町メインロードの桜並木は消滅した

思い出半ズボン

川口町の桜並木

川口町のメインロードにあった桜並木も今はなく 春の楽しみはいつ来る

取り除かれる直前の桜たち

<増幅工事のために消えた川口町の桜並木。全てが人工的な成り立ちで形成される川口町に安らぎを与えていた桜たちをもう見る事は出来ない。もう川口神社の桜に春を見るだけなのか> 「さあ、無くなるかわからんね」近所の人々に桜の行く末を尋ねるがあまり関心がないようだ。川口集会所を起点に集落の東西を走る川口町のメインロード。その道に沿うように続く桜並木。 だが、どこか様子がおかしい。僕が川口の町を訪ねたのは春。これから本咲きする桜は土中にあるべきはずの根を露呈している。 桜並木に並行して走る用水路が撤去されての事だった。どうやら道路を拡張するらしい。桜はどうなる?と道行く人に尋ねるが、みなうやむやな答え。 後日、川口町を訪れてみると桜並木は跡形もなくなっていた。

船小屋の向こうに火力発電所

<消えゆく水害の記憶。川口町に多く見られた屋上の船小屋も時代と共に少なくなる。堤防が決壊し泥の海と化した伊勢湾台風の被害を教訓に配備された船小屋。全滅した過去を忘れないために残しておいて欲しい> 巨大なコンクリの壁が周囲を囲んだ構造の川口町。元々が海という立地条件のため、海面と同等の高さ以下の土地が多くを占める。 昭和34年9月、この地方を襲った伊勢湾台風の被害は甚大だった。川口町(当時、干拓)を守る護岸堤防が次々決壊、ほぼ全ての家屋が浸水し、 農作物も全滅した。川口町は他の町と離れていたため救援は進まず、避難する事も出来ない住民は自分たちの家の屋根上でただ待つしかなかった。 その辛い経験を生かし、川口町の人たちは浸水した時でも困らないようにと、真っ平らな屋上に小屋を設けて、浸水時にも移動出来る船を用意した。 護岸の技術向上と共に年々、その船小屋も姿を消しつつあり、伊勢湾台風時の記憶も人々から薄れようとしている。

ヘボト自画像ヘボトの「胡馬北風(こばほくふう)」

1986年当時の松並木はスカスカ状態

「1986年の松並木」

川口町の松並木がある場所は、前浜が碧南市最南端だった当時の海岸線堤防である。 松並木がいつの時代に作られたかは不明だが、ここで私の撮影した写真作品を紹介しよう。 年代は1986年、約20年前の写真。当時既にカラーが主流だったが100年持つ白黒写真に憧れて写真をはじめた頃のもの。 現在の松並木と比べてくると、松の幹が随分と細い。剪定直後か、枝もスッキリとしている。堤防の路面も状態が悪く凸凹。 この頃、僕らは川口町とは呼ばず、「干拓」と呼んでいた。 産業道路も満足に整備されておらず、一本の道だけが頼りだった時代。川口町は陸の孤島だったのである。

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