今でこそ、月数冊の本を読むが、小・中学生の頃は活字本をほとんど読んでいない。「読書習慣は幼い
頃身につく」と言われる。しかし、少なくとも私にはあてはまらない。小学校の頃は漫画の方が断然好きで
あったし、読書感想文のためにせいぜい(それも相当無理をして)読むぐらいであった。小6の頃には、友
達の中で江戸川乱歩シリーズを競い合って読むことがあった。しかし、本当に読みたいからというよりも、
周りの雰囲気で読まされていたような気がする。自分から望んで、活字本を読むようになったのは、いつ
の頃からだろう。
中学校(1年?)の国語の教科書での星新一との出会いがひとつの契機となった。いわゆるショートショ
ートなので、ストーリーも分かりやすく、何よりも短く読みきれるのが良かった。私の読書は、「椅子に座っ
て姿勢を正して」というものではないので、例えば寝る前に読める程度の星作品が、ピッタリと肌にあった
のだろう。読書嫌いの人には特にお薦めである。
星作品をほぼ一通り読み終えてからは、井上ひさしへと傾いた。初めて読んだのが『ドン松五郎の生活』
である。井上の機智にとんだ作風が、何とも心地良かった。また、ある時期には阿刀田高にもはまった。
そして運命の出会いは、司馬遼太郎『竜馬がゆく』である。私に人生観を与えた作品であり、今なお心の
支えとなっている。高校時代後半から大学時代を通して、司馬一色だった。
本の魅力とは一体何なんだろう。例えば、1つの情報を得るのに2つの媒体があるとする。1つはテレビ、
そしてもう1つは新聞。テレビは視覚に訴えるので理解しやすい。反面、あまりにも印象的であるため情報
発信者の意図のまま入りやすい。一方、新聞であれば、字を掘り起こしていく過程の中で、必然的に創造
力が要求される。それは、受け手によっては解釈が違ってしまうかも知れない。しかし、そこが活字の魅力
なのである。長編の歴史小説であれば、読み終える頃には間違いなく主人公の人間像がリアルに形成さ
れている。結局、本を読むことが考える作業を要求するからこそ、人間の持つ知的好奇心をくすぐるので
はないだろうか。
私自身がそうであったように、我が子にも読書の強要はしたくない。読んで欲しいのはやまやまである。
しかし、本当に興味のあるものに出会わなければ、自分から進んで本を読むなんてことはできない。休み
日の夜は、子どもたちが「ふとんの中で本を読んで〜」とせがむ。3人に1冊ずつ読むのは骨が折れるが、
嬉しくもある。本を読み聞かせているときの子どもたちの表情は真剣だ。私が「読み」、彼女たちは「聞く」わ
けであるが、1つの世界を共有し、共感する貴重な時間でもある。
幸い、子どもたちは本を読むことにさほどの抵抗はないようだ。無理をせず、じっくり読んでくれればいい
と思う。親である私が、読書を楽しんでいれば、彼女たちにもその楽しさが伝わることを信じている。しかし、
唯一残念なのは、うちの子どもがすべて女なので、「歴史小説は読まんだろうな」ということである。男だっ
たら、『竜馬がゆく』を読ませて、一緒に語り合いたかったのに。