大正12(1923)年
8月7日 大阪市に生まれる。本名福田定一。父は開業薬剤師。生まれてほど
なく乳児脚気のため、3歳まで北葛城郡の仲川氏方で養育された。
昭和13(1938)年 15歳
中学3年生。このころより御蔵跡町の市立図書館へ通い始める。
昭和15(1940)年 17歳
3月 中学4年修了で、旧制大阪高等学校を受験したが失敗。
昭和16(1941)年 18歳
3月 旧制弘前高等学校を受験、失敗。
4月 大阪外国語学校の蒙古語学に入学。
昭和18(1943)年 20歳
9月 学生の徴兵猶予停止となる。仮卒業で学徒出陣。兵庫県加古川の戦車第
19連隊に入営。
昭和20(1945)年 22歳
5月 内地に帰還、相馬ヶ原から栃木県佐野に移動。ここで終戦を迎える。
昭和21(1946)年 23歳
新日本新聞(京都本社)に入社。大学・宗教記者となる。
昭和23(1948)年 25歳
新日本新聞社倒産。
5月 産経新聞社京都支社に入社。
昭和30(1955)年 32歳
9月 「名言随筆・サラリーマン」(福田定一の名で発表・6月社刊)
昭和31(1956)年 33歳
5月 処女作「ペルシャの幻術師」で第8回講談社倶楽部賞を受賞。
ペンネームは「史記」の司馬遷に遼かにおよばぬという意味で司馬遼太郎と付けた。
昭和35(1960)年 37歳
1月 「梟の城」で第42回直木賞を受賞。
昭和36(1961)年 38歳
3月 産経新聞社を退社。
昭和37(1962)年 39歳
「竜馬がゆく」「燃えよ剣」連載開始。
昭和38(1963)年 40歳
「国盗り物語」連載開始。
昭和41(1966)年 43歳
9月 「竜馬がゆく」「国盗り物語」で第14回菊池寛賞を受賞。
昭和44(1969)年 46歳
竜馬生誕(暗殺)の日である11月15日、 「くま」が愛知県知立市に生まれる。
昭和47(1972)年 49歳
3月 「世に棲む日日」などの作家活動で第6回吉川英治文学賞を受賞。
その後も、昭和51年−日本芸術院恩賜賞、57年−「ひとびとの蛩音」で読売文学賞、59年−「街道をゆく”南蛮のみちT」
で日本文学大賞、62年−「ロシアについて」で読売文学賞、63年−「韃靼疾風録」で大佛次郎賞などを受賞。
平成5(1993)年 70歳
11月 文化勲章を受章。
平成7(1995)年 72歳
10月 「街道をゆく」の取材「濃尾参州記」を開始。
平成8(1996)年 72歳
2月10日未明 吐血。
2月12日午後8時50分 腹部大動脈瘤破裂のため入院先の国立大阪病院で死去。