地蔵和讃
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空也上人(900年頃)『西院河原地蔵和讃さいのかわらじぞうわさん)


帰命頂礼地蔵尊、これはこの世の事ならず、死出の山路の裾野なる、賽の河原の物語、聞くにつけても哀れなり」
という実に哀れな文句で、「地蔵和讚」は始まるわけであるが、可哀想に十にも足らぬ幼子が、賽の河原で苦しみを受けている。昔は父や母にあれほど大切にされたのに、いまは、河原に明け暮れ野宿して、雨の降る日は雨にぬれ、雪の降る夜は凍えて苦しんでいる。「哀れなるかな幼児が立ち回るにも拝むにも、ただ父恋し母恋し、恋し恋しと泣く声は、この世の声とは事変わり、悲しさ哀れさ骨も身も、砕けてとおるるばかりなり」
しかし、親は子の苦を知らずに、追善供養ばかりして、
「残せし着物見ては泣き、手遊び見ては思いだし、健全な子供を見るにつけ、なぜにわが子は死んだかと、嘆き悲しむ哀れさよ」
というわけである。
死んだ子供の方がはるかに分別があり、
「子は河原にてこの苦労、一重積んでは父の為、二重積んでは母様と、さもいとけなる手を合わし、礼拝廻向ぞしおらしや、三重積んでは古里の、兄弟我が身と廻向する。」ということになる。しかし夜になると地獄の鬼が来て、二重に子供を責める。
「やい、子供、汝らは何をする、娑婆と思いて甘えるか、娑婆に残りし父母は、追善供養いたせども、ただ明け暮れの嘆きには、酷や悲しや不憫やと、親の嘆きは汝らが、苦げんを受くる種となる」
と、むしろ鬼は子に向かって、その親のめめしさ情けなさを責めるのである。
子の親を責めるとともに、鬼は再び子を責める。
「汝ら罪なく思うかや、(母の乳が出ないとき、お前は泣く泣く無理を言い、また父が抱こうとしたとき、母の胸を離れようとしなかったではないか)」
と鬼は幼児の罪をせめる。いま幼児はこの愛情に対して、こたえなかった罪の報いを受けようとするのである。
「峰の嵐の吹くときは、父が呼びしと起き上がり、水の流れを聞くときは、母が呼ぶかとはせ下り、あたりを見れど母もなし、父を呼べども父も来ず、母を呼べども母とても、知らぬが死出の山路なり、この苦しみをいかにせん、こけつまろびつ憧れて、逢いたや見たや恋しやと、もだへ嘆くぞ哀れなり」
ここで地蔵が登場する。そして子供に、汝ら命短くして冥土の旅に来たけれど、今後はわれを冥土の父母とたのめと言って、幼きものを裳の内にかきいれて、抱きかかえるのである。
 

この「地蔵和讚」こそ、我が国で作られた和讚のうちの最高の傑作であり、文句もふしもその後の日本の浄瑠璃や小唄などに大きな影響を与えたものであろう。
子供のことが忘れられない親たちに、親の悲しみはエゴイズムに基づき、子供はかえってそんなに親が悲しむ限り成仏できないことを説いて親の悲しみの感情を否定するとともに、同時に親に対して、無罪であるかに見える子の死も、決して無罪ではなく、子は子としての罪があったことを教えて、無罪の子に対する親の不憫な心を静めるという二重の意味を持つのであろう。こうして、二重のあきらめを説きつつ、最後に地蔵菩薩という仏を登場せしめて、現世において子をはぐくむ役を、すべて地獄においては地蔵に委託することにより、この親は子供の不憫の思いから自由になって安心を得るというわけである。

この地蔵和讚の中には、子を失った父母の深い悲しみの心がにじんでいる。それとともにこの悲しみをあきらめようとする深い生の知恵がそこにこもっているのである。

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