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故事成語のお話

故事成語のエピソードを紹介します。
紙上に兵を談ず
(しじょうにへいをだんず)
机上の空論をもてあそぶこと。実践を伴わず、役に立たないこと。

 戦国時代、秦が左庶長王齕(おうこつ)に命じ、韓を攻めさせ、上党(じょうとう)の地を取った。 上党の民は、趙に逃げた。趙は長平に軍を出し上党の避難民を救済した。 4月、王齕はこれを理由に趙を攻めた。

 このとき趙には、すでに趙奢(ちょうしゃ)は亡く、藺相如(りんしょうじょ)も重い病の床にあった。 趙は廉頗(れんぱ)を将軍として秦と戦った。秦はたびたび趙を破った。 そのため、趙は守りを固めて防衛に徹した。 秦はしばしば挑発をしかけたが、廉頗はけっして乗らなかった。 そこで、秦は間諜を送り込み、
「秦は馬服君趙奢の息子趙括(ちょうかつ)が将軍になることを最も恐れている」
という言葉を趙王の耳に入れた。趙王はこれを信じ、廉頗に代え趙括を将軍とした。 これを知った藺相如が王に言った。
「王は名が知られていることで趙括をお使いになろうとしておられるが、 これは琴の弦を琴に貼り付けて弾くようなものです。 趙括は父の兵書を学んだに過ぎず、実戦で臨機応変に対応することはできません」
しかし、趙王は聞かず、結局趙括を将軍にした。
 秦は趙奢の子が将軍になった情報を得て、ひそかに武安君白起(はくき)を上将軍とした。
 趙括は幼いときから兵法を学び、兵術を語れば彼に勝てるものはなかった。 かつて、父の趙奢と兵法論を戦わせたとき、趙奢も言い負かされたが、決して息子をほめなかった。 趙括の母がその訳を夫に尋ねると、趙奢はこう答えた。
「戦とは命がけのものだ。だが、括はこれを軽々しく語る。 趙が括を将軍としなければよいが、もし将軍とすれば、 括は必ず趙軍を破滅させるであろう。」
趙括の出陣を前にその母が王に上書した。
「括を将軍となさるべきではございません」
王が
「如何なる訳だ」
と問うと、母は、
「私はその父の妻でございました。 括の父趙奢はかつて、将軍を拝命しておりました。 自ら酒食をすすめねぎらった者は数十人、また友は数百人ございました。 大王や宗室からいただいた恩賞は全て部下に分け与え、 出陣の命を受ければ、家の事は一切顧みませんでした。 ところが、今、括は将となりましたが、閲兵式の際も部下に対し傲慢な態度をとり、 軍吏は顔をあげることもできなかったとか。 王から賜った金品も全て持ち帰り、土地家屋を買いあさっております。 とても父には及ばぬと思われませんか。父と子はまるで違います。 なにとぞ、王にはご再考をお願いいたします」
けれど、王はすでに決めたことだとして取り合わなかった。 やむなく趙括の母は、
「どうしても括をお使いになるとおっしゃるのなら、 万一、括が任に耐えないような事がありましても、 我が家にはお咎めなきようお願いいたします」
と願い出た。王はこれを聞きいれた。
 廉頗と交代した趙括は作戦や人事を大きく変更した。 この情報を得た秦の将軍白起は奇襲の兵を放ち、敗走すると見せかけ、 すかさず趙軍の補給路を断ち、趙軍を二分させた。 四十日が過ぎ、趙軍は飢えに苦しんだ。 趙括は精鋭を率い自ら討って出たが、あえなく秦軍の矢に斃れた。 趙括の軍は敗れ、数十万人が捕虜となった。
しかし、趙王は、先に約束した通り、趙括の母を罰することはなかった。

 趙軍は四十万の兵が武安君(白起)のもとに降った。武安君は考えた。
「先に、秦が上党をおとしたとき、上党の民は秦の領民となるのを嫌い趙に走った。 趙の兵も背くにちがいない。皆殺しにしなければおそらく乱を起こすであろう」
そこで、だまして全て生き埋めにし、幼少の者二百四十人だけを趙に帰した。 この戦いで合わせて四十五万人が犠牲となった。趙の人々は大いに恐れおののいた。

【史記・廉頗藺相如列伝/白起王翦列伝】


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