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天衣無縫(てんいむほう)

意味:詩歌文章が完璧なできばえであること。また人の性格が無邪気で純真なこと。

昔、郭翰(かくかん)という男がいた。 ある日庭にいるとき、ふいにさわやかな風が吹いたと思うと、 かすかに芳しい香りが漂ってきた。 その香りがだんだんと強くなる。 郭翰が不思議に思って空を見上げると、ゆっくりと人が舞い下りてくるのが見えた。 まっすぐ郭翰の前まで降りてきたのは、なんと若い女であった。 この世に二人といない艶っぽさで、そのうつくしいこと目に余るほどであった。 彼女は黒い薄い衣を身にまとい、白い薄絹の肩掛けを羽織っていた。 かわせみの羽をあしらった鳳凰の帽子をかぶり、瓊文九章の靴を履いている。 また従えている二人の侍女は共に驚くほどの美しさである。 郭翰は衣を整え跪き拝謁して言った。

「このような尊貴な仙女様においでいただけるとは思いもよりませんでした。 よきお言葉をいただければ幸いでございます」

女は微笑んでいった。

「わたくしは天上の織女です。 久しく夫と会うことができず、寂しい思いをしています。 上帝のお恵みで人間界を訪ねることをお許しいただきました。 あなたの清廉なお人柄をお慕いしておりました。身をお任せしたいと思います」

郭翰はいった。

「思いもよらぬお言葉に感激しております」

織女は侍女に命じて、部屋を清めさせ、白地に細かい朱をあしらった帳を広げ、 水晶の玉で作った敷きものを敷き、うちわで扇がせると、 まるでさわやかな秋のようであった。 二人は手を取り合って、部屋に入ると衣を解いて枕を共にした。 織女は薄紅色をした薄い衣を身にまとい、 まるで匂い袋のように芳しい香りが室内に満ちた。 丸い竜脳の枕、二本の糸で刺繍した鴛鴦模様の布団。 やわらかく滑らかな肌、親しげで愛情あふれるしぐさ、 どれも比類のない艶美をそなえていた。 夜が明け織女が帰ろうというときになっても、顔のおしろいは元のままである。 郭翰がこすってみると、それは素肌だった。 郭翰が外まで見送ると、彼女は空高くのぼって去っていった。

これより、織女は毎晩やってきた。よりいっそう親しくなっていった。 あるとき郭翰がふざけて、

「ご主人の牽牛はどちらにおいでなのですか。 お一人で出ていらしてかまわないのですか」

ときいた。すると、織女は

「男女のことがあの人と何の関わり合いがありましょう。 ましてや、遠く銀河に隔てられておりますもの、わかるはずがありませんわ。 知れたとしても気にするほどのことではありません」

彼女は郭翰の胸元をなぜながら、

「この世の人は見てもわからないでしょうけど」

という。郭翰がまたきいた。

「あなたは星々の世界の方です。星々のことについて教えてくださいませんか」

「人が天空を見上げても、ただ星が見えるだけですが、 その中には宮室や住まいがあり、たくさんの神仙たちが遊んでいます。 万物の精もあらわれは天上にあり、形枠は地上にあります。 下界の変化は必ず天上にも反映されます。今こうして見ても全てわかります」

そこで、郭翰に星ぼしの分布を指差しながら天上の決まりを詳しく教えた。 そのため当時の人々にはわからなかったことも郭翰にはすっかりわかった。 やがて、七月七日の晩になった。織女は姿を見せず、数日してからようやく現れた。 郭翰が、

「再会は楽しかったですか」

とたずねると、織女は、

「天上は人の世とは違いますもの。心を通いあわすだけで、他には何もありませんの。 嫉妬なさることはありませんわ」

と微笑んだ。郭翰が、

「どうして何日もいらっしゃらなかったのですか」

ときくと、

「人間界の五日が天上の一晩にあたります」

また織女は天上界の料理を郭翰に振舞った。 どれもこの世にはないものばかりであった。 郭翰が何気なく彼女の衣を見ると、全く縫い目がない。 どういうことかとたずねると、

「天上界の衣は元々針と糸で作るものではありませんから」

と答えた。毎回帰るときになると、彼女の衣はひとりでに身によってくる。
 一年が過ぎたある晩、織女は悲しげに涙を流し、郭翰の手を握って、

「天帝からいただいたお許しの期限が参りました。永遠にお別れでございます」

そういって泣き崩れた。郭翰が驚き惜しんで、

「あと何日あるのですか」

ときくと、

「今夜限りでございます」

という。彼らは悲しみにくれ、夜が明けるまで眠らなかった。 空が白むと織女は抱きしめて別れを告げた。 織女は七宝の碗を郭翰に贈り、来年のいついつの日にお手紙を差し上げますと告げた。 郭翰は玉の腕飾りを贈った。 織女は空へと昇り、振り向いて手を振っていたが、やがて消えてしまった。

郭翰は彼女を思うあまり病気になり、ひと時も忘れることができなかった。

 翌年、約束の日に織女は侍女に手紙を持たせてよこした。 これ以後連絡は途絶えた。

この年、宮廷の書記官が皇帝に織女星の光が失われていると報告している。

郭翰の思いは尽きず、この世のどんな美しい人を見ても心が動かされなかった。 のちに家督を残すために程家の娘をがまんして娶ったが、 意にかなわず、息子もできなかったことから仲が悪かった。 郭翰は侍御史の官職にまでついて亡くなった。

【太平広記・女仙】

※元の出典は『霊怪集』


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