KTが直接観戦したプロ野球の名場面(試合・プレー等)15
 ・野球はおもしろい。一球一球の間に様々な事を考え、一瞬に状況が変転し、様々なドラマが生まれる。
  私が直接TVや球場で観戦してきた中で、印象に残るプロ野球の名場面等をあげてみます。
  自分の思い入れですので、あしからず。

1.江川(巨人)のオールスター戦8連続奪三振(1984年7月24日ナゴヤ球場):TV観戦
 ・江川の現役時代、特に全盛の1980〜1983年頃のピッチングには非常に魅せられた。1982年に肩を痛めた事から蔭りが
  みえ始め、1984年はオールスター迄、8勝2敗という数字ながら中味は物足りない投球内容だった事を覚えている。
  オールスター戦に江川がマウンドにあがった時、嬉しいものの豪快に打者をなでぎる期待はしていなかった。ところが、
  凄い凄い。全盛時を彷彿するストレートとカーブで福本・蓑田・ブーマー・栗橋・落合・石毛・伊東・クルーズと8連続三振
  を奪う快投!夕飯を、その間、一口も入れず熱狂していた。9人目も確実にいけるかと思いきや、大石にストライクゾーン
  に入ったカーブを当てられセカンドゴロ。いかにも期待をもたせてアレレという江川らしいが・・・でも8連続奪三振ショーを
  行える事自体、凄い事。余談だが、その数日後、場所は同じナゴヤ球場で投げて、中日に5回1/3;4失点で奪三振3・・・
2.松井(巨人)のオールスター戦160メートル弾(1998年7月22日ナゴヤドーム):ドーム観戦
 ・松井秀喜は現在の球界最高のアーチスト。2000年から巨人の4番打者に定着してくれて嬉しい限り。原辰徳以降、他チ
  ームから獲得した打者を4番に据えていたから、生え抜きの松井にはずっと頑張ってほしい。でも近々大リーグに行って
   しまうかな・・・その時は素直に応援するけどね。
  1998年のオールスター戦。SK君と早朝より並んでチケットを入手して、夫婦2組で観戦。場所は限りなくライトのポール際
  の内野5階席でグランドをはるか下方に見下ろす感じ。さて、ゲームが開始し、1回裏の松井の第1打席。近鉄の高村が
  投じた球を打った!え!凄い角度でボールが上がっているぞ!ロケット?嘘だろ!と思った一瞬の内に、我々の席の右
  方10数メートルのところにボールが飛び込んできた!凄いホームランをまのあたりにしてしまった。大体、練習前の打撃
  練習で、どんな強打者でも5階席迄、飛ばさない。こんなところにボールが飛び込むはずがない、と思う場所に飛んできた
  から私は興奮状態。十分満足して球場を後にしました・・・
3.原(巨人)の起死回生の同点2ラン!バットを放り投げるパフォーマンス
   (1992年7月5日神宮球場):TV観戦
 ・1981年〜1995年迄、巨人の中心打者(4番としては1982年〜1993年)として活躍した原辰徳。私は彼の新人時代から
  の大ファンであった。彼ほど罵倒・嘲笑された4番打者は他にいないのでなかろうか?(何を隠そう私も罵倒した事があ
  るが・・それは愛のムチ)彼はそんな嘲笑される打者ではない。確かに原の時代には周囲にバース・掛布・落合・山本浩
  ・門田等の凄い打者がいたから、現在の松井のような球界最高位に君臨する打者ではなかった。但し、巨人の4番打者
  が日本一の打者でなければならない、という法則はない。382本塁打、1,019打点、新人から12年連続20本以上の本塁
  打、彼の本塁打した試合の勝率.699、勝利打点制度があった時代の累積数は落合に次ぐ球界2位等々。十分君臨・貢
  献したではないか.ここ20年位で4番を10年以上、打ち続け、成績を積み残した日本人の打者って誰を挙げられます?
  山本浩・田淵・落合・清原・原ぐらいじゃないですか?広沢や石井でも5年も4番を張っていない。
  非常に前置きが長かったけど、原の本塁打で一番しびれたのが1992年7月5日のヤクルト戦。この年の原の序盤戦は
  悲惨の極地。それゆえチームもひと時は最下位まで低迷。ところが6月から息を吹き返し、原の復活と共にチームも首
  位争いに参画する。この試合は9回表二死で2対4。敗色濃厚。ここでシナリオを頭に思い描いた・・・(岡崎が何とか塁に
  出て、最近好調の原に回せば本塁打で同点になるかも・・)。そうしたら現実にシナリオ通りの事が起こった。しかも原は
  打った瞬間に凄い形相でバットをポーンと放り投げた・・・。試合も延長でモノにした。興奮した私は、その日の晩のスポー
  ツニュースを4つくらい見てしまった。常にTV中継されるため、タメ息をつく事も多々あったが、原ほど感動を与えてくれた
  選手はいない。(選手時代はそうだが、解説者としてのコメントやコーチとしての評判をきくと??。監督はやめた方がい
  いと思う) 今の巨人の選手は皆、基本的には好きだが、選手・原に感じ入るような人は正直いません・・・
4.中日×巨人の最終戦優勝決定試合”10.8決戦”(1994年10月8日ナゴヤ球場):TV観戦
 ・(4〜6位については中日ファンの方にはすみません) 語るまでもない史上初の最終試合の同率優勝決定戦。
  この年は巨人は開幕からスタートダッシュをかけ独走態勢。ところが8月から足踏み状態。9月はもたつきまくり、2位の
  広島の影が・・・まだ中日は影もなかった。ところがじわじわと中日が勝ち続け、巨人がもたつく間に追いついてしまう。
  浮きあがった潜水艦のような感じであった。お互い粘りあい、129試合終了で共に69勝60敗の同一となり、10月8日ナゴ
  ヤ球場で優勝決定試合となった。
  この試合の開始前に解説者の達川が話した言葉が印象に残っている。「今回の決戦に至った過程は良い人生訓に
  なるでしょう。最初に順風に走っても、もたついてしまう事もあれば(巨人)、地道に積み重ねれば追いつく事ができる
  (中日)。要は人生はトントンという事です」
  正直、勢いも雰囲気も中日の優勢かと思った。結果的には中日の選手が非常に緊張していた事、落合や斎藤・桑田
  の気迫もあり、巨人が勝った・・・。欲をいえば落合でなく、原にホームランを打ってほしかったけど・・・
5.巨人の2000年優勝決定:9回裏の大逆転!!(2000年9月24日東京ドーム):TV観戦
 ・金権球団、勝って当然・・・非難相次ぐ補強策に私自身複雑な心境であった2000年。6月から地力を発揮し、首位に立
  つとそのまま安定的な戦いを行った。M2となった9月24日は東京ドームでの最終戦。9回表終了で0対4。完全に今日は
  負けだな。でも東京ドームで何とか長嶋監督の胴上げをみたかったのにな・・・という思いと、せめて少しは抵抗して
  くれる事を期待して、TVをつけていた。ところが・・・あっという間に無死満塁。打者はマルティネス。ここはマルがやるだ
  ろう。マルがやらんと駄目だろう、と勝手に思った。そしたら三振・・・一瞬落ち込んだら江藤がパカーンと同点満塁弾!
  興奮して?メートル飛び上がった。(9回裏開始から妻が友人と電話していたが「今、主人が野球で興奮しているもんで
  ・・・」と電話を置いてしまった覚えが・・・。ごめんごめん) よーし、これは延長でモノに出来るぞ!と思ったら二岡がサヨ
  ナラ本塁打!優勝!あまり飲めないくせにビールを結構飲んで、酔っ払って寝てしまった。
6.中日×巨人;9回裏の三重殺!(2001年5月12日ナゴヤドーム):TV観戦
 ・9回表終了で3対0。9回裏は岡島投入で、まあ大丈夫と思いきや、アレヨアレヨで無死満塁。条辺に変わって1点取られ、
  まだ無死満塁。井上が中飛を打った時、「これで1点取られて一死だから、今日は負けか?」と思ったら、とんでもない
  事が起こった。3塁走者の鈴木は本塁へ走っていず、2塁走者の大西が飛び出していた!松井からの返球を受けた仁
  志が大西を追いかけアウト。そしたら何故か鈴木が3塁を離れていて、アウト。ゲームセット!こんなトリプルプレー、
  野球観戦歴初めて遭遇した。大西と鈴木は突然、パニックとなって我を忘れてしまったのだろうか?
  私は新聞紙を振り回して喜んでおり、父親が座椅子で足で万歳したために、それを見た一姫が爆笑していた・・・