青雲の声        平成17年4月〜平成18年5月まではこちらからどうぞ

このページは星野雅春が毎月発行する『ほしの雅春だより』に掲載されている300字コラムです。
友情その1 4月号から
 海援隊を率いた坂本竜馬は今なお人々の絶大な人気を誇っている。海援隊の主な任務は情報収集だった。今のように携帯電話などの通信手段を持たなかった時代、最も大切にしたのは仲間の友情だったそうだ。信頼できる仲間の情報こそが戦いの大きな武器になった。議論好きで仲間との論争で切り合い避けるために刀を離れたところに置いていた。その事が暗殺者の狂剣に倒れた一因でもあったとか・・。4年前の星野選対事務所のスローガンは『仲間を信じ最後まであきらめない』だった。友情や信頼に支えられた組織ほど強いものはない。信頼や仲間の存在が自らの政治活動の原動力でもある。あと2ヶ月、楽な選挙は一度もなかったが、今回はことさら厳しい。自信と信念を持って進むしかない。まじめにまっすくだ。
友情その2
 1984年秋。北京にいた。その年の前年、来日した中国共産党総書記、胡耀邦さんは講演で『青年は民族の希望であり、人類の未来である』と青年をたたえ、日中友好の精神を若者が引き継ぐ事を強調する演説をした。翌年日本の青年3000人を中国に招待する事を明らかにした。青年運動に関わっていた一人として震える感動を抑えきれない一瞬だった。その日本青年3000人訪中の指揮を執ったのが現在の主席である胡錦涛さんだった。2人とも共産主義青年団出身で、共通するのは青年に絶大な人気を誇っていることだ。ニート、ひきこもりなど若者バッシングの激しいこの国だが、彼らを励まし勇気付ける政治リーダーが見当たらないのが寂しい限りだ。熱烈歓迎、温家宝首相!
感動1(3月号)
 生徒が持つ小さな遺影が体育館の窓越しからこぼれる春の日差しにより一層の輝きを放っていた。本来なら一緒に卒業式を迎えるはずだったその子の名前が呼ばれたとき全員がハイと返事をした。仲間の死はとても悲しいけれど、命の大切さや生きる事の意味を学んだ。彼女の分も生き抜いていこう。仲間の暖かい思いがぎっしり詰まった感動的な卒業式だった。義務教育の9年間君たちは一生懸命勉強し運動に励んでくれた。この学校で学んだ生きる力や勇気は何物にも代えがたいとおじさんは信じる。今巣立っていく君たちの未来は明るいと確信する。いつもの卒業式より目頭に多くの涙がたまったのは、例年になく多く飛散する花粉のせいだけではないことは言うまでもない。祝、卒業!
感動2
 政治家は自らの病気は何があっても隠し通すのが常識だ。病名や症状が公表されれば再起不能だの重症だのと言ったウワサによって命でばかりか政治生命が奪われかねない。『大腸にポリープがあります。放っておくと3割の確立でガンになります』下された診断は耳を疑うものだった。1月下旬に健康診断し、再検査の結果こう宣告された。永年酷使され来た内臓は健診のたびにアチコチ要注意と警告されてきた。今回は一大事だ。だが日本の医療技術は素晴らしかった。内視鏡による摘出手術だがほとんどの人は日帰りだ。かく言う筆子もまるでニキビを取るかのような簡単なものだった。命拾いをした。3月議会も終了した。いよいよ選挙モードだ。オレはピンピンしてるぞぉ。エイエイオーてかっ。 
30石(2月号)
 映画『武士の一分』を見た。毒見役が仕事の下級武士の物語。その昔ほとんどの下級武士は30石ほどで今で言う課長さんクラスで50石位だったらしい。1石が10斗なので30石が300斗、1俵が4斗で??とにかく年収180万円くらいか。毒見中、貝に当たり失明した下級武士。武士の妻は行く末を案じ上司に相談。お定まりのように深い関係になってしまう。この上司に盲目となった下級武士が上司に復讐をするという単純なストーリーなのだが、山田洋次ファミリーの好演によって見ごたえのあるものだった。一分とは面目、メンツなどという意味のようだが、議員の一分とはなんだろうか、金をかけずに知恵と汗で市民とともに政策実現すること。ちとカッコつけすぎか。歳費?こちらは30石どころではないが・・。
3万人
 自殺志願女性を助けようとして電車にはねられ死亡した警察官。ニュースなどで人となりを聞くたびに涙がこみ上げてくる。韓国青年がホームから落ちた人を助け事故に遭い亡くなった。日本と韓国との架け橋になりたいと来日した青年だった。命をかけて日本と韓国の架け橋となった。事故を見過ごしても決して非難される事はないのにだ。その場にいたら自分はどんな行動に出るだろうか。この国では年間3万人以上の人が自らの命を絶つ。やむにやまれぬ事情があったにせよ、助かった人はこれからしっかり生き抜いて欲しい。国は自殺者を25%減らすことを緊急の課題として総合的な対策をまとめたとか・・。自殺の原因を取り除くこと、政治の責任は大きい。合掌。
マイブーム
 我が家でゲームとて言えばトランプとバトミントンセットくらいしかなかったが、正月明けに○ンテンドーのDSと言うなかなか手に入らないといわれているゲーム機を購入した。我が家では画期的なことである。ゲーム機なんて・・。子供のおもちゃと思いきやなかなか優れものだ。今、はまっているのはクロスワードパズルだ。やりだすとなかなか止まらない。子供がゲームに夢中で『勉強しなさいっ』と叱られるのも理解できる。単なるゲームと馬鹿にしてはいけない。語学勉強や中年にお勧めの脳の活性化を促すトレーニングなどもあって手放せない。おかげで夫婦の会話に『あれ、なんて言ったっけ?ほら?』が増えた。だんだん物忘れがひどくなってきたこのごろ、今年からボケ対策に本腰だ。
『カミ さま〜』
 気のせいか頭の毛の伸びが以前より遅くなったように思う。床屋さんへ行く間隔も長くなったかな・・。頭のトップのへんの髪より耳の辺りの横の部分の伸びが速いように思う。床屋さんは『ぷっ』と噴出しながらも説明してくれた。曰く、頭の横の毛は実はひげで、トップが純粋な髪の毛とか・・。年とともに新しく生まれ変わる毛が産毛のように細かったり、生えなかったり・・。ゲーハーの人は○力が強いだの、ワカメや昆布がいいだのホントか嘘か分らないうわさが飛び交っている。納豆がダイエットに効くとのTV番組で紹介されて納豆が店先から消えた。と、話題になったらガセネタだった。ウワサやTVの情報に惑わされまい、振り回されるまい。まっ、薄くてもいいじゃないかっ、と自分に言い聞かせている。ごめんね。
まだ希望はある
 縁あって財団法人愛知県青年会館のお手伝いをさせてもらっている。青年会館の目的である青年団体と青年への支援と建物の再建が主な役割である。戦後まもなく県下15万人を要した青年団は青年教育の拠点として青年会館を建設した。今で言うNPOの先駆けだ。昭和33年の頃だ。当時の青年はコーヒー一杯飲むのを我慢して募金に協力した。建設された青年会館は名古屋市中区栄という好立地に建っている。だが現在は県下の団員が1000人ほどと言う。寂しくもあり残念でもある。県下の教育委員会の青年教育を調べてみると、青年の家も単なる貸し館であったりカルチャーセンター化している。会館もいつの間にか同様だったのも残念なことだ。これ以上の落ち込みは無い。ここから再出発だ。と、自分に言い聞かせている。希望はある。
来年こそ希望を・・。
 大晦日の夜、年越しそばを食べながら今年の我が家の重大ニュースを筆子が発表している。病気したとか旅行にいったとか些細なことだが、『今年も仲良かった』が普段は1位だ。だが今年は忙しさにかまけて、家のことを少々手抜きしたようで相方は少々ご立腹のようだ。年とともに健康診断で引っかかる種類が多くなっている昨今、今年も無事に生きてこられたこの上ない幸せなのだ。殺人だ、事故だ、天災だ、優勝だ金メダルだの多くの悲喜劇を生んだ06年もまもなく終わりを告げる。07年は1月18日から選挙一色になる。これまでの政治活動の真価が問われるときがまもなく来る。感謝の気持ちを込めながらペンを置くことに慰する。良いお年を・・。
ゴメンネ1
 次に共通するものは何か?コンタクトレンズ、カメラ、マスク、紙パンツ、カイロ・・政治家。答えは使い捨て。総理大臣だって使い捨て、政治家は使い捨てを覚悟しろとまで言った。郵政造反組みへの刺客として選挙を戦い当選したチルドレンも使い捨てにならないように頑張れとの激励かもしれないが、『それゃないよ〜』とのボヤキが聞こえそうだ。でも大丈夫。しっかり政治活動していれば国民は使い捨てにしませんから・・。たぶん・・、おそらく・・。むしろ小泉さんが助けてくれるとの甘えこそが大敵なのだから。百獣の王ライオンは子供を谷底に突き落とす。そこから這い上がって子さ本物だとか。さすが奥が深い、ライオン丸ムセキニン小泉さん。どうでもいいけど・・。
ゴメンネ2
 いじめ自殺の連鎖が続いていて歯止めがかからない。若い命が自らの手によって絶たれるのは辛くいたたましい。強く生きろは酷な励ましかもしれないがそうあって欲しい。家庭での十分な対話が大切だ。いじめ相談所にはいじめられている子ばかりでなく、いじめている子供からの相談も増えているという。かく言う筆子も子供の頃いじめたこともいじめられたこともあった。小学校の頃だ。ある日、いじめている子が友達にみんなの前で注意された。かっこ悪かったし恥ずかしかったのだろう以来いじめはなくなった。誰かが勇気を出し声を上げることで必ず救われる。いじめた記憶のある友達と話をすることがある。いつも気持ちの奥に罪悪感がある。ゴメンネの気持ちを伝えたい、もう40年も前の話なのに・・。
悲劇 1   10月号から
 10月9日、北朝鮮は地下核実験を強行した。実際の核爆発を伴う実験は1998年のインドパキスタンのそれ以来のことだそうだ。世界があれほど『実験するな』と警告したのに、あっさりとその期待は裏切られた。国内では核武装論議を容認する閣僚も出た。世界唯一の被爆国である日本は核兵器の悲惨さや人類滅亡の最終兵器であることを世界に知らしめる立場にある。核軍拡競争は無意味であることを知らせることを怠ってはなるまい。こちらの論議が先だ。日本には将軍様の暴挙を戒める先の副将軍水戸光圀公が世直ししたが、かの国には黄門様はいない。将軍様は『フーテンの寅』がお好きなようだが、水戸黄門様を見るよう進言したい。『じーんせい♪らくありゃ〜』いいと思うけどなぁ。
悲劇2
 週間日本教育新聞を購読している。教育にまつわる記事内容が豊かでまなぶことが多い。新聞にはいつも○○教育セミナー開催の案内や若い教師を励ます本の紹介などもある。子供たちの学びや育ちを保障するための先生たちの研修や全国の優れた実践が掲載されてていて先生の熱意が伝わってくる。だがその一方で『からかいやすかった』という理由だけでいじめを繰り返し、中学生を死に追いやった教師もいた。常軌を逸した殺人行為だ。若い頃、映画『聖職の碑』を見た。子供と引率する先生が山で遭難する物語だ。ふぶく山の中で鶴田浩二演じる校長先生が子供たちを抱きかかえ『この子らは私の命だ』と、叫ぶシーンがいまだに忘れないでいる。残念、悲劇だ。合掌。


7080 9月号から
 70×80cm、観客に与えられたスペースだ。このスペースを求めて全国から35000人が静岡県のつま恋に集結した。吉田拓郎、かぐや姫のコンサートが31年ぶりに復活した。7080の空間は伝説のフォークワールドの入り口でしかなかった。懐かしい曲から最近の歌まで8時間、興奮の連続だった。集まった観客の多くは団塊の世代と呼ばれる60前から4,50代ばかりだ。中年ばかり良く集まったものだ。このコンサートは古きよき青春時代を懐かしむと同時に、これまで日本を創り支えてきた中年族へのご褒美と、これからも頑張れという激励会のようなものだ。今最も人気のある60歳、吉田拓郎の魅力を堪能した。中年パワーも捨てたもんではない。
あの人の手紙
 フォークグループ、かぐや姫の歌に『あの人の手紙』という曲がある。恋人か夫であろうか、愛するものが戦場への招待券というただ一枚の紙切れで、戦地へ赴く。殺されるかもしれないとの不安の中で、ある日彼は帰ってくる。だが恋人だろうか妻なのか、すでに彼が死んでいることを知っている。なぜなら、昨日彼の戦死を告げる手紙が来ていた。という内容の歌だ。強烈な反戦歌であるがさりげなくメッセージとして伝えている名曲だ。歌い終わった後『今、平和か戦争か選択できる責任ある世代となった、平和な日本を創ろう』と呼びかけた。割れるような拍手だった。みんなが平和な日本、世界を作りたいと願っている。だが平和な日本を創る目標は一緒だが、手段や発想が違う。難しいのはそこにある。悲観してないけど・・。


聞いた話 1 8月号から
 7月号、【禁】【協】の争い、意味不明との投書をいただいたので参考までに。1954年3月、ビキニ環礁で水爆実験が行われ日本のマグロ義戦が被爆をしました。この事件は日本国民の核兵器に対する怒りと恐怖を呼び起こし、翌年広島で第1回原水爆禁止世界大会が開催された。この年、原水爆禁止日本協議会(原水協)。この世界大会は63年まで続きました。しかし路線の違いから新たな組織原水爆禁止国民会議(原水禁)が設立され根以後13年間原水協(共産党系と言われている)と、原水禁(社会党系と言われている)とがそれぞれ分裂した形で世界大会を開催。77年に再び統一したが86年にまたも分裂。両者のつなぎ役となっていた市民団体も一戦から退いた。
聞いた話 2
 三権の長といえば、国なら総理大臣、国会議長、最高裁判所長官だ。地方では市長と市議会議長だ。議長は議会を代表し議会の秩序を保持し、議会を整理し、議会全体を統理する権限を持っている実力者である。だから人物的にも信頼され、一党一派に偏することなく耳を傾け、まじめな政治姿勢が求められるのは言うまでもない。それはあくまでも理想論。他に求められるのは年間20回以上ゴルフへいける財力と体力。芸姑さんと親交があってお座敷遊びで恥をかかない粋な性格。ちったあ友達を裏切ってもへこまない腹の座った根性.政治スタイルが変わっても、他人事のように考えられるおおやらかさ、強いものになびく特異な順応性。なに?本当かって?そんなやつぁ、おらんだろぉー。チッチキチィー。


合掌1 7月号から
 本紙、ほしの雅春だよりが100号という節目を迎えた。ほしの雅春後援会だより、クラブだよりを含めると130号ぐらいにはなる。配達されてくるのを楽しみにしてくれる人がいることを励みにペダルをこぐ。『旦那がね、今月号来たか?』って聞くの。と、励まされたときは目もウルルだった。再選後2期7年の中で1回だけ休刊した。大切な人の大切なお別れ会のためだった。その人の持ち物を整理していたら、黄色く変色して束になった『ほしの雅春だより』が出てきた。玄関先においていた『星野雅春だより』をそっと見ていたその人から『ほしの雅春だより』の話題が出ることはなかった。何を思って読んでいただろうか?まもなくその人、父の一周忌が来る。そっと仏壇に置いておこうと思う。合掌
合掌2
 26歳の頃、県青年団の新人役員。仲間と寝台列車ブルーとレインに乗って長崎へ行った。寝台列車に乗って長崎ちゃんぽんを食べるツアーとのふれこみだった。実は原水爆禁止世界大会に参加することが目的だった。初めて目にする世界大会の参加者の数と、平和でいたいと言う切実な願いを持つ世界の人々の熱気に感動した。被爆者の体験を耳にし、うつむいて泣いていた。知らないことが多すぎた。その後『原水禁』だ『原水協』だの不毛の争いが続いた。青年団や婦人会などの市民団体が一線から退いた。ミサイル発射だの、核開発だの物騒な記事が新聞紙上で踊る。核拡散や核攻撃などの恐怖は当事より高まっている。まもなく8月6日、9日、15日がやってくる合掌。



恐怖1   6月号から
 1982年、国連本部で開催された第2回国連軍縮特別総会の平和行動に参加するために日本青年団協議会の一員としてニューヨークにいた。恐怖の約10日くらいだった。ニューヨークについて空港からホテルまでの車中、現地ガイドから犯罪に巻き込まれないための注意事項ばかり聞かされた。治安の悪さはピカ一だったニューヨークでの犯罪例ばかり耳に残った。地下鉄で老婆のネックレスを奪おうとしたが、ネックレスで首が半分切れた。チンピラに囲まれた勇敢な人がギャングを撃退した。だが次の日、肉屋の冷蔵庫につるされていた。などなど。恐ろしいとしだと恐怖に震えた。だが今日の日本は当時のニューヨークと少しも変わらぬ犯罪国家となった。悲しいことだ、嗚呼。
恐怖2
 先月23日頃か、急な高熱に襲われ、点滴を受ける病にかかった。風邪との診断だったが血液検査の結果、よくあることだが白血球の数が異常だと解った。医師は念のため白血病や悪性リンパ腫も頭に入れといてと一言。軽い気持ちだったのかもしれないが驚いたしショックだった。『これで俺も一巻の終わりか』となんて真剣に悩んだ。インターネットや医学書を開けばどう見ても症状が似てるし『ひょっとしたら』という不安の日々が5日間続いた。やがて熱も下がり、診たてどおり風邪でよかったのだけれど、命拾いした思いだった。もう一度命を与えられたようでうれしかった。妻をいたわり、人には優しく、社会に対してまじめに生きて行こうと真剣に考えた。健康に生きてるってすばらしいなとつくづく感じた10日間だった。あーよかった。