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ほぼ週刊院長日誌
”MIYAZ@KI STYLE”

2005年8月29日 「スピリチュアリテイのことが気になって(その2)」

 わたしが医師として最初のトレーニングを開始した聖路加国際病院は、今から100年以上前の1902年にキリスト教の一宗派である米国聖公会が、「神の栄光と人類奉仕のために」(病院定礎の言葉)、東京築地に創立した病院です。初代院長のトイスラー先生はアメリカ人の医師ですが、同時に宣教師でもありました。この病院では昔も今も病院のなかにあるチャペルで毎日礼拝が行われていますし、チャプレンと呼ばれる病院付けの牧師さんも常勤しています。職員や患者さんにもクリスチャンのかたが多く、若いナースが患者さんの枕元で賛美歌を歌いながらケアをするなんていう風景は、聖路加では特にめずらしいものではありませんでした。わたしが宗教と医療の関係やスピリチュアリティについて関心を持つのは、敬虔なキリスト教文化がすみずみまで浸透している特別な病院で、若き日にレジデント(病院住み込みの見習い医師)として修行したことが影響しているかもしれません。

 それでは、宗教とスピリチュアリティは、どこがちがうのか?わが国のスピリチャアルケア研究の第一人者である窪寺俊之先生(元・淀川キリスト教病院チャプレン)は、次のように説明されております。「スピリチュアリティは、宗教のように組織・教義・礼典・教祖をもたないもので、非常に主観的、個人的で自由さをもっている。どちらも魂の必要に関わるものであるが、宗教に比べてスピリチュアリティは規制力をもたないので、現代人には好まれる傾向がある。スピリチュアリティも宗教性も魂の癒しに関わり、人間存在を支えるものであるが、スピリチュアリティが個人的体験にとどまるのに対して、宗教は社会制度の一部になる傾向をもっている。」(「スピリチュアルケア学序説」より)

 スピリチュアリティは既存の宗教と比べて「個人的」で「自由」なのものであるだけに、心理学や宗教学などの権威を利用したインチキな商売に利用されやすいという問題点があります。死や老いといった重大な危機にさらされなくても、「自分らしさ」や「人間らしさ」の枠組みが大きく揺さぶられるような出来事に遭遇する機会は、現代に生きるわたしたちならば誰にでも起こり得ること。自分の土台が崩壊するかもしれないといった不安や孤独な感情が高まれば、それを解消してくれるものを求めたくなるでしょう。これを「スピリチュアルニーズ」と呼びますが、あやしげなサイコセラピーや代替医療を看板に掲げた「癒し」ビジネスは、このニーズにつけこんでくるわけですね。ヨガ、気功、古式武術、占いなどのブームも、日本人のなかで潜在的なスピリチュアルニーズが高まっていることの、ひとつのあらわれだと思います。

 地下鉄サリン事件の実行犯のひとりで、優秀な外科医であった林郁夫は、人身事故をおこしたことがきっかけになって、オウム真理教に入信したことが知られています。事故の体験により林のスピリチュアリティが覚醒したのであろうと想像できますが、ベテランの臨床医でありながらカルト教団に帰依するという行動は「不可解」としかいえません。近代西洋医学の権威や信頼が失墜し、既存の宗教の影響力も低下すれば、不安な時代を生きる人々は神秘主義的な世界に吸いよせられていくということでしょうか。このあたりの事情を、医療現場でスピリチュアリティの問題をあつかうわたしたちは、よく考えるべきです。

 世界的な仏教学者であった鈴木大拙は、昭和19年に「日本的霊性」という本を出版しており、その内容はまさに今日で言うところのスピリチュアリティに関する考察なのであります。現在の日本人の霊性は、鎌倉時代に禅系と浄土系(法然と親鸞)の仏教思想にその根源があるというのが、この本における大拙の主張です。「死んだらどうなるの」という死後の世界と後世への希望のイメージは、スピリチュアルケアにおいて大切な要素ですが、わたしが診療している地域の住民は、大部分が浄土宗や浄土真宗のお寺の檀家ですから、その仏教思想が死生観に影響を及ぼしていることは間違いありません。ご先祖の魂の不滅を信じて、盆暮れに家に戻ってくるからと、お墓や仏壇の掃除に精を出すお年寄りたちは、「日本的霊性」のなかで生きているわけです。

 宮崎医院でご高齢の患者さんとお話していると、死後の世界が話題になることは決してめずらしいことではありません。「お迎えが来て、あちらに行ったら、また大(おお)先生に会えるからうれしい」 大先生とは先代の院長、亡くなったわたしの父親のことです。それを聞いたなじみのナースは、「○○さんは、大先生のことがホントに好きだったからねぇ」とすかさずレスポンスを返します。わたしも、「そうだね。向こうで会ったらよろしく言っておいてくださいよ」なんて言いながら聴診器をあてたりしております。「大先生だけでなく、死んだ主人やわたしの両親もあっちで待っているから・・・」と、ひとしきり死後の予定を語りつづける患者さんに、わたしとナースは「まだまだお迎えなんて来ないんじゃない」と肩をたたいて診察室から送り出します。宮崎医院でのスピリチュアルケアでは、目の前にいる患者さんたちにとって、かつての主治医であった、わたしの祖父や父までも天国(?)から呼び出されて、ケアを円滑にすすめるために利用されているのです。古くから通院されている患者さんのこころのなかでは、祖父や父はすでに理屈を超越したスピリチュアルな存在となっているみたいですから、駆けだしの現院長としては、そのパワーを活用しない手はありません。おじいちゃん、おとうさん、いつまでも働かせてしまって、ゴメンナサイ。

 それにしても、スピリチュアリティの世界は深遠です。ばち当たりなほど無宗教である自分が、まさか法然や親鸞の思想に関心を持つようになるとは・・・ 窪寺先生の入門書には、スピリチュアルケアの実践者に必要な資質として、「優しいこと、誠実であること、勇気をもっていること」の三点があげられていますが、まだまだ援助者としては未熟なわたし。さらなる修行の道はつづきます。(← スピリチュアリティ関連本の読みすぎで、なんか宗教的求道者っぽくなってきたみたい・・・)

 

聖路加国際病院チャペル(1933年建造)の外観と内部
<「聖路加国際病院の100年」(非売品)より>

およそ20年前のこと・・・
できの悪い研修医1年生だったわたしは、
ヘマをするたびに、このチャペルの2階席に呼び出され
先輩のレジデントからお説教されておりました!

モダンな新病院が建ってからも
このチャペルだけは古いまま残されています

初心を忘れないために
時々ふらりと訪れたくなる
わたしにとっての「スピリチュアル」な場所です


2005年8月22日 「スピリチュアリテイのことが気になって(その1)」

 日頃は無宗教であるひとたちも、「お盆」という行事は無視できません。おかげで、宮崎医院も「お盆休み」という大義名分のもと、長期の夏季休業がいただけるわけです。これが、欧米のように「クリスマス休暇」という名目で、師走に長期の休診をしたら、地域のみなさんからは非難をあびること間違いなし。お盆の休暇や帰省を当然のこととして受け入れる日本人のこころのなかには、宗教的というのとはまた別の感覚がはたらいていると思います。お盆に備えてお墓のそうじをしたり、お供えをあつらえたりする行動も、仏教徒としての宗教活動いうよりは、天上から見守ってくれている「ご先祖さま」たちに対する敬意のあらわれという意味合いが強いでしょう。このことは、今回のテーマである「スピリチュアリティ」という考えと、大いに関係あるのです。そこで、お盆にスピリチュアリティについて考えてみました。

 「スピリチュアリティ spirituality」という概念を説明するのは簡単ではありません。この言葉が医療の世界で脚光をあびるようになったのは、WHO(世界保健機関)が掲げる健康に関する憲章において、身体的(physical)、社会的(social)、精神的(mental)な健康に次ぐ第4の概念として、「スピリチュアルな健康 spiritual well-being」の導入が検討されているからです。しかし、スピリチュアリティにはまだ適切な訳語がなく、厚労省は「霊性」なんて訳していますが、なんだか幽霊でも出てきそうな感じでしっくりしません。さらに言葉の意味するところも極めて多様であるという、やっかいなシロモノ。

 「スピリット spirit」の語源は「息をすること」であり、呼吸は生命の本質であるところから、スピリチュアリティとは「人間が生きるための最も基本的な枠組みや土台」のようなものだと考えられています。わたしたちは、死、病い、老い、愛するものとの別離などの、危機的な状況に遭遇すると、人間として生きていくうえでの枠組みや土台が大きく揺れ動きます。末期癌に冒された患者さんが、死の近づいてくる床で、「これまで何のために生きてきたのかわからない」、「なぜ自分だけがこんなにつらいめにあうのか」と嘆くのは、「自分らしさ」や「人間らしさ」が脅かされたときに感じる苦痛、すなわち「スピリチュアルペイン(スピリチュアルな痛み)」の表出にほかなりません。このような危機的な状況の中でも、生きる力や希望を見出そうとして、自分の外の大きなものに新たなよりどころを求める機能や、危機のなかで失われた生きる意味や目的を、自分の内面に新たに見つけ出そうとする機能こそが、スピリチュアリティの本質であるそうです(窪寺俊之「スピリチュアルケア学序説」より)。うーん、だんだんとむずかしくなってきましたね。

 宮崎医院で高齢者のかたを診察していると、スピリチュアリティと無関係ではいられません。配偶者や友人たちに先立たれ、からだもだんだんと衰えてきて、子供や孫たちの世代とのコミュニケーションもうまくいってないお年寄りたちは、しばしばスピリチャルペインを訴えられます。「早くお迎えが来ればいいのに」、「嫁の世話になって、いつまでも生きているのがつらい」などの言葉の裏には、生きる目的や価値を失ったことによる不安、孤独、怒りなんかが隠されているわけです。スピリチュアルペインは、ホスピスのなかだけの問題ではないということに気がつき、その苦痛を緩和するための「スピリチュアルケア(スピリチュアルな配慮・援助)」について少しかじってみることにしました。ところが、「スピリチュアリティと宗教は、近い関係にあるが別なもの」ということは理解していても、スピリチュアリティをめぐる言説は、宗教学、哲学、倫理学、精神医学、心理学、文学、はてはオカルトなんかも出てくる混沌とした世界になっており、一介の内科医なんかには奥が深すぎるみたい・・・ (「その2」につづく)

  

夏休みは宮崎家の御用邸と御用牧場のある(ウソ!)
那須高原で温泉につかっておりました

渓流も流れる森のなかのリゾートで
朝シャン(朝から「シャンプー」ではありませんぞ)と
お昼寝の日々

行きの新幹線の待合室で
阪神タイガースの井川投手を発見!

「医者ムカ座談会」後編も出ましたよ
今回の写真は・・・


2005年8月11日 「健全な足は神さまの贈り物」

 ダチョウの足の指は2本しかない。しかも、そのうちの1本は小さくて添えものみたいだから、実質的には1本の指で走るんだって。先週の日曜日に初めて知りました。嘘だと思うひとは、こちらの写真でお確かめください。ウマの足も1本だけ。速く走るための進化の過程で、ほかの指は退化してしまって中指1本になっちゃった模様です。えっ?動物園に行ってきたのかって。いえいえ、「足と脚」の勉強会で、整形外科の大家である村地俊二先生(日本赤十字豊田看護大学学長)から教えてもらいました。なぜ人間は直立二足歩行ができるようになったのかというお話のなかで、人間の足との比較としてダチョウやウマが登場したのです。

 8月に入ってからというもの、あまりにも暑い日がつづくので、オフタイムには、乾いたからだにビールを流しこんで、あとはただボーッとしているだけという毎日。ネタはあるのに、この「日誌」の更新だって、「まっ、いいか」なんてさぼりまくってました。しかし根はマジメな院長です。これではイカンと、とろけそうな脳ミソに活を入れるべく、8月7日の日曜日、講演会に出かけてお勉強してまいりました。場所は栄の愛知県医師会館。タイトルは「足と脚のプライマリケア」。

 この講演会は、「足と脚の健康を考える会」というグループが主催したもので、最近注目されてきたフットケアの医学や、ウォーキングの科学などについて、専門家の医師が開業医を対象として教育してくれるというステキな企画です。冒頭にご紹介した村地先生の「ヒトのあし:その発達の歴史」を皮切りにして、「あしのかぶれと鑑別すべき疾患」、「下肢静脈瘤の臨床」、「歩行障害の鑑別診断」、「糖尿病性神経障害とフットケア」、「歩くことをいかに指導するか」なんて演題がつづくのです。ねっ、おもしろそうでしょ。

 わたしのような「何でも屋」の町医者のところには、患者さんから足や脚に関する相談が持ちこまれることがとても多いのです。ウオノメ、タコ、巻き爪、爪の水虫、足のかぶれ、扁平足や外反母趾などによる足の変形、脚の静脈瘤などなど。患者さんの足や脚を診察しない日はないと言っても良いでしょう。しかし、このようなありふれた問題について、これまでまともな教育を受けるチャンスはありませんでした。医学部や大学病院というところでは、、むずかしい病気のことは熱心に教えてくれますが、命に別状のないウオノメやタコなんかについては、ほとんど何も教えてくれません。しかたがないので、自分で勉強するしかないのですが、参考になるような本や資料を探してみても、開業医のニーズに合ったものには、なかなかめぐり会えませんでした。

 そんな背景もあって、足と脚のありふれた病気について、その道のプロからまとまった話が聞きたいと、常々思っていましたから、愛知県医師会の会報の片隅に今回の講演会の案内が小さく出ているのを見逃すはずがありません。さっそく申し込んで、やるき満々で会場に乗りこんだわけですが、こちらの予想以上におもしろい話の連続で、暑さも忘れて各演者の先生がたのお話に聞き入ってしまいました。会の宣伝が行きわたらなかったためか、こんなすばらしいプログラムなのに、聴衆は200名程度収容の会場に40名ぐらいの入りなの。もったいないことですが、少人数の親密な雰囲気のなかでの講義となり、参加者としては大変得をした気分。わたしが皮膚科診療の師匠として崇拝している、松永佳世子先生(藤田保健衛生大学医学部皮膚科学教授)も講師のおひとりで、久しぶりにお会いできてお声をかけていただき感激でした。

 講演のなかで印象残ったフレーズ。「足の水虫がなかなか治らない場合は、水虫治療用の軟膏によるかぶれを疑え」 「イソジンやヒビテンなどの消毒薬でも、足のかぶれは発生する」 「下肢静脈瘤用の弾性ストッキングは、適切な圧迫圧(通常は30mmHg)のものを選ぶこと」 「糖尿病や動脈硬化の増加により、従来のガス壊疽とは別なタイプの下肢の壊死性筋膜炎が増えている」 「日本人の悪性黒色腫の約40%は足にできる」 「ウォーキングによる減量プログラムでは、1日8000歩に達しているかどうかで、減量度に差が出る」

 「健全な足は神さまの贈り物」というのは、ドイツの俚諺なんだそうです。たしかに、赤ちゃんの足は柔らかくて、ほんとに神さまからのプレゼントという感じですし、野良仕事のために、強く変形したお婆さんの足をみると、長年にわたる労働をきびしさが伝わってきます。患者さんの足や脚を、ひとりひとり丁寧に診察してみると、そのひとの人生が見えてくるようです。ウオノメを削ってあげながら、足にまつわる患者さんの物語りを拝聴するのも、町医者の醍醐味のひとつでしょうか。



講演会の昼食休憩を利用して、
スパイスの秘境」でカレーを食べた

愛知県医師会館の隣みたいなビルの1Fにあるこのお店は、
「新横濱カレーミュージアム」に出店したこともある

上の写真はチキンカレーですが、
わたしは名古屋コーチンが入った
「カシミール・カレー」辛口が好き


2005年7月27日 「JAPANESE GENTLEMEN STAND UP PLEASE !」

 「ED(イーディー)」とは”Erectic Dysfunction” の略で、「勃起機能の低下」という意味です。最近の調査では、40歳以上の男性の半数以上が、EDに関連する症状で悩んでいて、わが国における患者さんの数は1000万人以上にのぼると推定されています。しかし、男性にとっては自尊心に直結するセンシティブな問題だけに、治療を求めて医療機関を訪れるひとは少数派であり、ひとりで困っていらっしゃる患者さんが多数潜在しているものと思われます。

 宮崎医院は内科の診療所ですが、かかりつけの男性患者さんから、EDに関する相談を受ける頻度は、せいぜい年間1〜2名といったところでしょうか。やはり、顔見知りのナースやスタッフの前で、性的な悩みを語ることには大きな抵抗がありそうです。また、当院のように、個人のプライバシーに配慮のなかった時代に建てられた、古いオープンな診察室では、会話が回りに筒抜けになってしまうおそれがあり、おまけに院長が元気な大声で語りかけてくるので、とても深刻な問題を相談する気分になれないのかもしれません。

 そんな事情もあって、当院では有名な「バイアグラ」や、その後に発売された「レビトラ」という、ED治療薬はおいてありません。これは、先代の院長であった亡父が決めたことですが、気軽にその類の薬を処方してもらえるという評判が立つと、実際のED患者さんではない人たちが紛れこんできて、薬をヤミで横流しして利益を得たり、催淫剤として乱用するような輩(やから)が出てくると困るという判断だったと思います。では、宮崎医院でEDのご相談を受けた場合は、実際にどうしているかと申しますと、EDの診断・治療に経験豊富な信頼できる泌尿器科医のクリニックにご紹介して、そこで治療薬を出していただくことにしています。もちろん、事情を記した当院からの紹介状を作って、先方に行ったらそれを渡すだけでOKという具合にしておくのです。

 先日、あるブログを覗いていたら、おもしろい情報を発見。ED治療薬レビトラを売っているバイエル薬品が、「ED啓発サポートレディ」なるものを大募集しているらしい。ホームページにある募集要項を見てみましょう。サポートレディとは、<バイエル薬品がED治療の大切さを広く一般の方に認知していただくためにED治療のイメージアップをサポートする女性を募集。ED治療の院内のポスターやホームページ・イベントなどにご出演、取材協力をいただくほか、俳優の草刈正雄さんとテレビCM・新聞・雑誌等の広告での共演をして頂きます。>という内容なのであります。先行するバイアグラに比べて、知名度がイマイチ低いレビトラ陣営による、PR大作戦のようですね。

 応募資格として「親しみのあるイメージと、健康的でさわやかな容姿を持つ、30才〜50才の女性」。う〜ん、「30才〜50才」という年齢の設定が、何だか素敵です。「応募方法」を熟読してみると、なぜか「靴のサイズ」を申告させたり、小論文まで課せられていますよ。小論文のテーマは、「女性の立場からセックスレスについて考えること」、「あなたのパートナーがEDだったら・・・」のどちらかを選択するんだって。オーディションの面接時には、このレポートを手にした審査員のオジたち(バイエル薬品のエライ人か?)から、根掘り葉掘り質問されるに決まってますわ。おっと、応募の締め切りは2005年7月31日と迫っているではありませんか。賞金100万円と草刈さんとのツー・ショットをゲットしたい貴女は、急いで応募すべし!

  

左の写真は草刈正雄氏のデビュー当時の写真

MG5など資生堂男性用化粧品のCMモデルとして
一世を風靡していたころね

今では、レビトラのCMキャラクターとして
「ED啓発サポートレディ」を募集中!

今回のタイトル
「JAPANESE GENTLEMEN STAND UP PLEASE」は
YMO/スネークマンショーの名盤「増殖」よりの引用です


2005年7月23日 「京都人だけが食べている」

 今回はネットで茄子(なす)を買うお話。書籍やCDは言うに及ばす、ミネラル・ウォーター、コーヒー豆、晩酌用バーボン・ウイスキーなんてものまで、ネット通販で調達している出不精(←「デブ症」にあらず!)の院長ですが、これまで生鮮食料品にだけは手を出しませんでした。だって、いつ届くかわからない食材を待っていたら、メニューを組み立てることなんてできないでしょ。野菜は八百屋さんやスーパーで買うしかありません。

 年をとって枯れてきた(?)せいか、肉や魚は近ごろ食傷気味。野菜を食べたい、からだが野菜を欲しているのです。特に蒸し暑い季節には、夏野菜をメインとした和食がうれしい。ところが、スーパーにならんでいる「工業製品」のような野菜をかじっても、本来の青臭さや苦みはあまり感じられません。どこかにホンモノの野菜を売っているところはないかしらと、アンテナを張っておりました。

 きっかけは「水茄子(みずなす)」でした。初夏のころ、泉州名物「水茄子の漬物」をアテにして、ビールを飲みたいと考えたのです。しかし、地元の八百屋やスーパーには、水茄子なんて影も形もありません。そこで、「水茄子」をキーワードにして、楽天で検索してみました。もちろん、すでに漬物のかたちになったものがたくさんヒットしましたが、その中でナマの水茄子を販売している八百屋さんを発見。「京野菜 錦 川政」は、京都は錦市場にあるお店で、料亭や有名旅館なんかに高級な野菜を卸している老舗らしい。さっそく水茄子を注文してみました。午前中に楽天で注文すると、翌日の午前中には宅配便で届いてしまい、その対応の迅速さにびっくり。これじゃ、野菜のASKUL(アスクル)じゃないですか。さっそく、届いた水茄子を一夜漬けにして食べましたが、普通の茄子と比べて果肉が甘くジューシーで、大変けっこうでした。

 それで味をしめて、「賀茂茄子(かもなす)」や、「京のもぎ茄子」と呼ばれる小茄子を注文。茄子以外にも「万願寺とうがらし」や「黒枝豆」などの京野菜を続々と購入しました。焼くだけ、茹でるだけ、揚げるだけなどのシンプルな調理方法で、夏野菜本来の濃い味わいを楽しむことができます。これからも、季節ごとに旬の京野菜を取り寄せることにいたしましょう。しかし、京都のひとは幸せですね。近くの八百屋さんに行けば、こんな京野菜がフツーにならんでいるわけですから。

 わたしと同じ年に生まれた、生粋の京都人である入江敦彦氏が書いた、京都に関するエッセイを愛読しております。新書のベストセラーとなった「京都人だけが知っている」3部作もよいのですが、「京都人だけが食べている」、「京味深々:京都人だけが食べている2」におさめられている、京都の「食」文化に関する文章は、ネイティブにしか書けない鋭い洞察に満ちています。おばんさいや湯豆腐なんかが、京都の「食」の代表であると考えている、われわれ非・京都人(入江氏の言葉では「よそさん」)たちの幻想なんて、みごとに打ち砕いてくれますから。京都ならびに京都人に興味があるかたならば、入江氏の最新刊「イケズの構造」は必読ですぞ。そこで最後に「イケズの構造」に出てくるクイズを解いてみてください。

 【問題】京都の訪問先で相手からコーヒーをすすめられました。以下の4つのうちで、本当にコーヒーが出てくるのはどれでしょうか?
 A) 「コーヒー飲まはりますか」
 B) 「そない急がんでもコーヒーなと一杯あがっておいきやす」
 C) 「喉乾きましたなあ。コーヒーでもどないです」
 D) 「コーヒーでよろしか」
 答えとその理由につきましては、こちらをごらんくださいませ。

 <この京都語の性質を巷間で囁かれる「裏表があってやーねえ、もう」という京都人批判に直結させてしまうのは早計というもの。だいたい裏と表しかないような薄っぺらい言語ではありません。京都人の話し言葉には、すなわち《襞》《奥行》《陰翳》がたっぷりあるのです。でもって、その暗がり、影の部分になんだか得体の知れないものが蠢いているって、まあ、それだけのことです。あっ、そんな、京都人の言葉の襞にいきなり手を突っ込んじゃダメ。噛みますよ。痛いですよ。毒を持ってますよ。 >(入江敦彦「イケズの構造」より) 京野菜の味わいが複雑なのは、このような文化をもつ京都人に育まれたからですかね。いくら野菜がおいしくても、「よそさん」であるわたしはおそろしくて、とても京都に住もうなんて気にはなれません。せいぜい、ネットで野菜を取り寄せるぐらいの距離感でおつきあいするのが良いのです。



ネットで注文すると
こんな箱に入って
翌日に届きます



賀茂茄子

定番の田楽で食すべし



万願寺とうがらし

素焼きにして
しょう油とカツオブシをかけて
熱々をどうぞ


2005年7月12日 「出ました! 医者ムカ座談会」

 全国の「院長日誌」愛好家のみなさま、お待たせいたしました。4月の日誌で予告いたしました、「医者ムカ」座談会(前編)の掲載された雑誌「medicina(メディチーナ)」7月号が、ついに先週発売となりました。と申しましても、医学書を扱っている専門書店の店頭にならぶだけなので、残念ながらお近くのコンビニでは買えません。この記事のさわりを読みたいかたは、版元である医学書院のホームページをごらんくださいませ。「全部読みたい!」というマニアのかたは、版元のホームページから雑誌を購入することも可能です。買っていただければ、medicina編集部のT沢さんは、とても喜ばれることでしょう。

 この鼎談は、これまで医学界で全くとりあげられてこなかった、「感情と医師研修」というテーマについて、かなり本音のところで語りあった希有な企画です。<医師は成長過程でさまざまな「感情体験」に遭遇する。そのなかには、患者や同僚との間に生じるネガティブな感情も決して少なくない。「診療現場」という、張りつめた場所で、医師はみずからの「感情」とどう折り合いをつけていけばよいのだろうか?>というのが、編集部による冒頭のキャプション。なにやら、ホントに「しりあす」な「とーく」がはじまりそうな気配が、濃厚に立ちこめておりますな。しかし、中味は決して堅苦しい議論を闘わせたものではなく、「感情」というキーワードを用いて、現場で日頃から感じている様々な問題について見つめ直す、楽しい作業(ワーク)となりました。

 雑誌ジャーナリズムの世界では、現在のような「誌上座談会」という形式を考案して、大いに流行らせたのは、作家の菊池寛であるというのが、「定説」になっているみたいです。昭和2年に、菊池は自分が主宰する雑誌「文藝春秋」に、「徳富蘇峰氏座談会」を企画しました。当時の大物である、国民新聞社社長の徳富蘇峰を迎えて、芥川龍之介、山本有三、菊池寛の3人が聞き手(何と豪華かメンバーだ!)となり、速記者に速記をさせたものを、記事として掲載したのです。菊池のアイディアはヒットして、この座談会は大成功を収めました。それが引き金となって、関係者が何人か集まって対等に意見を交わす、今日の座談会形式が整えられて、興隆してゆくことになるわけです。したがって、「医者ムカ座談会」もルーツをたどれば、菊池寛に行きつくのであります。

 そんなわけで、昔も今も座談会につきものなのが、速記者とカメラマン。今回の座談会では、ベテランの風格を漂わせたエレガントな女性速記者と、「百戦錬磨」といった感じの男性カメラマンが同席されました。わたしたちが本題から逸脱した放談にうつつを抜かしていても、当然のことながら速記者は粛々と速記をつづけます。雑誌にはとても載せられないような下世話な話が佳境に入ると、その会話を速記しながらも、「クックックッ」と肩で笑っていらっしゃる様子をキャッチすることができました。カメラマンには、「得意な話をしゃべるときには、唇をツンととがらせる」という、わたしの悪癖を見破られてしまったようで、そんなご面相の写真ばかりが選ばれております。今号には座談会の前半部分(前編)が掲載されたましたが、8月号には残りの後編が掲載されます。写真もまったく別なものに変わるそうなので、乞うご期待!(って、いったい何を期待すればいいの?)



「medicina(メディチーナ)」7月号より

研修医のころから愛読してきた雑誌に、
齢四十をすぎて初登場!

しかし、そのネタが「医者ムカ」とは・・・
世の中何がおきるか、ホントにわかりません。


2005年7月5日 「インフルエンザは、カモに訊け」

 「アレバメントカントウ」というのは、さきごろ茨城県で発生した鳥インフルエンザ騒動の舞台となった養鶏場の名前です。このニュースをテレビで見ていて、「アレバメント」という言葉の意味がわかりません。中学生の息子に、愛用のカシオ電子辞書を使って、「養鶏場」を和英で調べてもらったところ、"chicken farm"という至極まっとうな英語が出てくるだけ。アレバメントは英語ではないのか。そこで、探偵ナイトスクープの局長よろしく、この調査をわが家の探偵(兼・息子の母親)に依頼しました。さすがネット調査には精通している探偵です。すぐに調査結果のレポートがメールで届きました。

 << allevamento [男][アッレヴァント] 養育、子育て、育種、養殖、飼育、栽培場、飼育場 → これはイタリア語でござる。>>

 それにしても、なぜ茨城の養鶏場が、イタリア語で会社の名前をつける必要があるのよ。まったく、北関東という土地は、どこまでも奥が深〜いですね。

 最近、インフルエンザに関するわかりやすいミニ百科とも呼ぶべき書物が刊行されました。「医療者のためのインフルエンザの知識」(泉孝英・長井苑子編集、医学書院)がそれなんですが、帯のコピーには<「スペイン風邪」から鳥インフルエンザまで、正しい知識があればこわくない!きたるべき大流行(パンデミック)にも備えた、医療者が「みずからを守る」1冊>なんて書いてありますから、これを買わないわけにはいきません。

 茨城での事件が報道されてから、その本をめくって鳥インフルエンザの基礎知識の項を読んでいたら、驚くべき事実の数々に出会いました。同書28ページからの引用をお読みください。

 【Question 9】鳥インフルエンザの特徴について教えてください
 鳥インフルエンザとは、オルソミクソウイルス科のA型インフルエンザウイルスによって起こる鳥類の伝染病です。A型インフルエンザウイルスはヒトを含む哺乳類と鳥類に広く分布します。なかでも、水禽、とくにカモからはすべてのヘマグルチニン(HA)とノイラミニダーゼ(NT)亜型のウイルスが分離されます。つまり、ヒト、家畜、家禽のA型インフルエンザ遺伝子の起源はカモの腸内ウイルスにあるのです。

 毎年イヤと言うほど診察している人間さまのインフルエンザも、もとを正せばカモの腸から出てきたものであることを、恥ずかしながら初めて知りました。カモの腸内で増殖しているインフルエンザウイルスは、一般に毒力のない非病原性ウイルスなんだって。だから、カモ自身には害を及ぼすことなく、ウイルスは代々受けつがれ、カモの渡りの経路や越冬地において、アヒルやウズラなどの家禽に感染・伝播されてゆく。その家禽の体内で増殖可能なウイルスに変わり、それがニワトリへと伝わる。ニワトリ集団に侵入したインフルエンザウイルスは、数ヶ月にわたってニワトリからニワトリに感染をくりかえしているうちに、死亡率の高い「高病原性ウイルス」が出現するというストーリーであることが理解できました。

 このストーリーを知ってからは、なぜ鳥インフルエンザが流行したら「渡り鳥」を調査する必要があるのかもわかりました。この「渡り鳥」とは、カモのことだったのですが、新聞紙上で「カモは腸の中に、あらゆるタイプのA型インフルエンザウイルスを持っている」なんて書いたら、鴨肉が売れなくなって社会問題となるので、あいまいな「渡り鳥」という表現にしてあるのでしょう。今回、茨城で見つかったウイルスは、H5N2という毒性の低いタイプで、ヒトへの感染はこれまで報告されていません。昨年、京都の浅田農産で問題になった鳥インフルエンザは、H5N1型であり、ベトナムや香港などでヒトへの感染が報告されているタイプです。ちなみに、ヒトからヒトへと感染するA型インフルエンザ亜型はH1N1、H2N2、H3N2の3種類が知られおり(これはブタさんもまったく同じパターンです!)、先ほども述べたように、これらのウイルスもカモに起源を持つものです。

 「医療者のためのインフルエンザの知識」を読むと、「これまでのインフルエンザの変化の歴史を見れば、現在はいつA型インフルエンザの不連続変異がおこり、新型インフルエンザが登場してもおかしくない状況にあります。しかしそれが、来年なのか、数年先なのかの予測は誰も正確な答えをもっていません」なんて書いてあります。そして、新型ウイルスの出現を仲介するのは、家禽や家畜などの動物たちであることもはっきりしており、1918年に世界的に大流行した「スペイン風邪」のウイルスも、トリ型であったと推定されています。わたしたちは来るべき新型ウイルスの流行を撃退するために、カモ、アヒル、ニワトリ、ブタなどのインフルエンザウイルスの状況に、目を光らせておく必要があるというわけです。カモ鍋や北京ダックを喜んで食べてばかりいたんじゃ、ダメですね。



カモで思いだすのは、
マルクス兄弟映画の最高傑作で、
世界喜劇映画史に燦然と輝く、
我輩はカモである」!

この映画の物語の中には、
カモは全く出てきません
(冒頭のタイトル・バックに
鍋に入ったカモが映るだけ)

原題の「Duck Soup」とは、
「楽にできる仕事」、「誰にでもできる仕事」
という意味の俗語らしい

グルーチョやハーポのギャグが、
自宅のDVDで簡単に観られるとは、
すばらしい世の中になりましたな




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