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 Orange life


中国成都と九寨溝・黄龍

 2010. 6.26〜 6.30


今年の旅行は中国の九寨溝と黄龍にした。
九寨溝・黄龍を選んだのには2つの理由がある。
一つは、3年ほど前にスイスへ行ったときに、添乗員の女性が「九寨溝などもいいところです。 ただ、行くなら荒れてしまわないうちに早く行かれたほうがいいと思います」と言っていたこと。
もう一つは、ここ数年ヨーロッパや南米など遠いところへの旅行が続き、懐もさみしくなってきたので 安近短の中国にしたということである。
さらに今回は山仲間の仁べえさんが一緒に行くことになったのでいっそう楽しい旅となり、また 相部屋利用で料金も安く済んで大助かりであった。

九寨溝に点在する湖は、コバルト色に透き通った水をたたえている。黄龍の棚田状をした独特の景観は 一昨年訪ねたトルコのパムッカレと同じように、石灰分を含んだ水が流れ込み、それが沈積してできた ものである。 九寨溝・黄龍とも期待通りのすばらしい景観を味わうことができた。
特に天気も良くて美しい湖や滝を見ることができた九寨溝から記すことにする。


≪九寨溝 Jiuzhaigou≫

九寨溝地図 昨夜は飛行機が2時間も遅れたためベッドに入ったのは1時を過ぎていた。 それにもかかわらずモーニングコールは5時半だった。
このツアーは、われわれが泊っている九寨溝中旅大酒店が基本だが、グレードアップしてシェラトン 九寨溝ホテルに泊まっている人たちもいる。 そのため一旦シェラトンホテルに立ち寄って合流し、専用バスで九寨溝を観光することになっていた。
しかし入場券を買ってくるといって途中でバスを降りたガイドの張さんがなかなかやってこない。 かれこれ30分以上も待たされてしまった。
九寨溝は中国人にも人気の観光地である。九寨溝入口の広いゲート前はたくさんの人たちであふれていた。

入場を済ませ再びバスに乗って景勝地をめざす。渓流沿いの道を行くとエメラルド色の湖が車窓に見え隠れ するようになる。それは大小100以上もあるという九寨溝の湖であり、このあたりでは海とも呼ぶそうだ。
バスが最初に向かったのは諾日朗(ノリラン)瀑布だった。チベット語で、諾日朗とは「雄の神様」の意があり、 滝は落差25m、幅320mにもおよぶそうだ。
灌木の間から流れ落ちるさまは趣のある滝でもある。
九寨溝入口 諾日朗(ノリラン)瀑布
観光客でいっぱいの九寨溝入口と、諾日朗(ノリラン)瀑布

次は、本来であれば鏡海に立ち寄り、そのまま奥に進んで箭竹海、熊猫海、五花海とミニハイクをしながら 戻って来るコースだったようだ。ところがこの日は政府高官がこのルートで視察に来ているといい、 公安のほか人民武装警察も加わってものものしい警戒態勢が敷かれ入場できないという。 中国ではこうしたことは徹底しているようだ。 やむなくわれわれは観光順を変更して長海、五彩池へ先に行くことになった。

長海 長海
フィヨルドを思わせるような長海と、いろいろな色が混じる五彩池

懸念していた空模様だったが長海に着くころには青空がかなり広がってきていた。
どこかフィヨルドを思わせるような長海。九寨溝で最も大きい湖で標高3100mに位置している。 周りの木々を湖面に移している。写真に撮って上下逆さにしてみても分からないだろう。 湖水はあくまでも透明でエメラルドグリーン。神秘的であり、ソーダ水のようにコップに救って 飲みたくなるような水だ。

次はどのパンフレットにも載っている五彩池だ。
エメラルド色、コバルト色、黄緑、群青色・・・・何と言えばいいのだろう。 一つの湖だがいろいろな色がまだら模様を描く、その名の通りの五彩池。 こんな湖を見るのは初めてだ。 みんなベストショットを求めて思い思いの角度からシャッターを切っていた。
チベット村村長の家 12連のマニ車
チベット村村長の家と、12連のマニ車

このあと、ガイドの張さんの勧めでチベット村に立ち寄ることになった。
九寨すなわち9つのチベット族の村があったという、その中の一つである。
チベット族の村には、赤、白、青、黄色などなど派手な色の布旗がたくさん空に伸びている。 これは経文を印刷した魔除けと祈りの旗「ルンタ」(別名「タルチョ」)だそうだ。 また、彼らはチベット仏教(ラマ教)の信者であり、くるくる回すことでご利益があるとされる 12連のマニ車もあった。
そして彼らの家はみな大きい。40歳になるという村長の話では、1階は土産物屋とし、2階は 旅館にして生計を立てているという。村長宅には大型の高級車が置いてあったことからすると なかなかいい生活をしているようである。
それも九寨溝という世界遺産の観光地ゆえのことであろう。もちろんそうした環境面だけでなく、 7年間独学で身につけたという村長の日本語も商売に役立っているのだろう。

昼食は九寨溝で唯一のレストランだという『諾日朗餐庁』でとることになった。ここは広い土産物センターを 併設している。
そして、大勢押しかける観光客に食事を提供するためすべてバイキング料理だった。
1人50元(約750円)の大食堂と、1人200元、1000元というレストランに 分かれている。もちろんわれわれも含めてほとんどの観光客は50元バイキングで、 値段の高いレストランはほとんど人が入っていなかった。
『諾日朗餐庁』 土産物売り場
50元均一のレストラン『諾日朗餐庁』と、広い土産物売り場

昼からは鏡海へ向かう。

名前の通り周りの山や木を鏡のように映す湖であろう。しかし行った時は風が出てきていたため、 湖面は鏡ではなくすりガラスだったというのが残念である。
政府高官に邪魔されなければ、鏡のような美しい光景を楽しめただろうと残念な思いもした。
鏡海のあとはバスで移動したり、ミニハイキングをしたりしながら、五花海、孔雀海、熊猫海、 箭竹海、珍樹灘海から珍樹灘瀑布をめぐる。
それぞれの湖ごとに水の色が異なる。五花海は湖中に沈む樹木を澄んだ水の下にはっきりと見ることが できる。すぐそばに見えるが湖は深いようだ。
箭竹海は黄緑色の水が他の湖とはかなり違う感じがする。
孔雀海というのは五花海と同じ湖なのだが、高いところを行く道路から見ると孔雀の形に見えることから の呼び名だそうだ。
五花海 孔雀海
湖中に沈む樹木が見える五花海と、その五花海を上から見ると孔雀に見えることから孔雀海ともいう(右上が頭) 珍樹灘海 珍樹灘瀑布
灌木が生える浅瀬いっぱいに広がって水が流れる珍樹灘海と、珍樹灘瀑布

珍樹灘海は灌木が生える浅瀬いっぱいに広がって水が流れ下るところで、その流れが一気に滝となって 落ち込むところが珍樹灘瀑布である。
日本の滝は幅は狭いが落差がある滝が多い。それに対してこの滝は川幅いっぱいに流れ落ちるので ナイアガラを思わせる滝である。

このあとさらに犀牛海、老虎海、樹正群海、樹正瀑布、芦葦海、盆景海などをめぐる。
途中、水車を利用して回るマニ車や製粉所もあった。
また各湖はそれぞれ独特の水の色を見せていて興味はつきない。しかし、朝からずっと たくさんの湖を見てくると、いくら日本では見られないすばらしいものでもいささか食傷気味になるのは やむを得ないことだろう。 はじめは皆が一様に驚きの声をあげていたが最後の方ではほとんど聞かれなくなっていた。
歩き疲れたせいもあるかもしれないが・・・・。
老虎海 樹正群海
パステルグリーンの老虎海と、樹正群海

劇場「蔵謎」 歌舞劇の一場面
劇場「蔵謎」と、歌舞劇の一場面

この夜はホテルで食事をすませたあと皆で近くの劇場へ民族歌舞劇を見に行くことになった。
料金は4000円とやや高い感じがする。バスでの送り迎えやガイド料も含めてなので本当の入場料は わからない。 それでも観光客に人気があるらしく、400人〜500人収容できると思われる劇場は超満員だった。
この歌舞劇は人海戦術的に大人数の出演者が体をいっぱいに使い歌い踊りまくるド迫力の演技だった。
話は、九寨溝に住みラマ教を信じる老母が五体倒地の祈りをささげながら遠くラサのポタラ宮をめざす。 しかし、ラサを目の前にして吹雪にあい死んでしまう。霊たちが集まって老母を天国に召すか地獄に 落とすか協議した結果、敬虔な信者であるということで天国に迎え入れるというものである。
もちろん言葉はわからないが、舞台わきに出る英語と中国語の解説を読み、ガイドの張さん の解説を後で聞いてわかったものである。
それにしても50人〜60人の若い男女が全身で歌い踊る迫力には圧倒されてしまった。 これも中国パワーなのかもしれない。

この日は朝早くから夜遅くまでの観光で疲れてしまった。
観光も体力勝負である。また苦労をしなければ絶景に出会い、その地の人たちのさまざまな価値感にも ふれることはできないものだ。
幸い夜はぐっすり眠れるので助かっている。

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≪黄龍 Huanglong≫

黄龍地図 黄龍はトルコのパムッカレに似た棚田状の池が連なったところである。 これは炭酸カルシウムを含んだ雪解け水が流れ込んでできたもので、それが山の上から下まで流れに沿って 様々な景観をつくり出している。

黄龍観光はなかなか大変だった。
前日宿泊した九寨溝から九寨溝・黄龍空港のある川主寺まで約1時間半。ここで宝石店に立ち寄ったのち 標高3960mの峠を越えて黄龍へ入る。この間も約2時間かかった。
この道は2008年の四川大地震で崩壊し、現在もなお復旧作業が続くでこぼこ道なのだ。 絶えず全身マッサージを受けているような感じだった。 道幅も狭いところが多く、工事車両とのすれ違いはちょっと間違えれば路肩から転落する危険がある。
何せ空港から黄龍へはこの道1本しかないそうだから耐えるより仕方がない。 帰りも同じ道を戻ることになるので覚悟しなければならない。

黄龍に行きつくまでが大変だったが、黄龍ハイキングもトラブルがあった。
日本からの添乗員なしの格安ツアー。中国人ガイドの張さんは一人で33名のめんどうを見てくれているので あまり悪く言いたくはないが、段取りや対応にもう少し気遣いがほしかったと思う。 例えば、要領が悪くロープウェイのチケットを買うのに1時間もかかったのである。
ロープウェイのチケット購入にはパスポートが必要だったらしい。それは60歳以上と未満で 料金が異なるためだという。 ガイドの張さんは買いに行ってそれを知り、一度戻ってきてパスポートを集めて再び買いに行った。 しかしパスポートが全員分でなかったらしく、もう一度戻ってきて残りの人のパスポートを集めて 買いに戻るという始末だったのだ。
酸素缶 事前に情報を得てバスの中でパスポートを集めていれば、この1時間のロスは生じなかったであろう。 一行はこの時間を利用して弁当を食べていたのですべての時間がむだだったという ことではないが、少なくとも30分はロスしたことになる。

黄龍は、まずロープウェイで3400m付近まで上がり、黄龍古寺下まで2km余りの道を約1時間歩く。 そこから黄龍一の景勝地である標高3650mにある五彩池を30分くらいで周回した後4kmほどの道を 約2時間半かけて出発点まで降りてくる行程である。
途中の黄龍古寺下で、ガイドの張さんに全員の通過をチェックしてもらうことにした。ところが33名も いると早い人と遅い人の差が大きくなる。 そのため、黄龍古寺下まで来た時、7・8人の女性たちが「ここまでこんなに時間がかかっていると 帰りの飛行機に間にあいませんよ。4時半までには必ず下の出口まで下りてください」といわれたそうである。
せっかく来たのに、黄龍で最も美しいといわれる五彩池をめぐることができず、あきらめて 下ってきたという。 もちろん五彩池以外にもハイキングの途中できれいなところがたくさん見られるのでいいのだが ロープウェイでのロスタイムがなければじゅうぶん五彩池も見てこられたのにと残念な気持ちになった。
また黄龍は標高が富士山並に高く高山病の症状が出た人もいて気の毒だった。
高山病対策として酸素缶が1本ずつ配布された。幸い私は高山への対応に問題はなく酸素缶のお世話に ならずにすんだ。
黄龍の木道 黄龍古寺
きれいに整備された黄龍の木道と、黄龍古寺

もちろん黄龍はいいところもたくさんある。
木道が整備されていて歩きやすいこと。トイレも途中にたくさんあることなど。
観光地では人が通るところの周りが荒れたりするものだが、地面より高い位置に木道があるので 木道以外には人が入り込むようなことはまずない。 また係員が各所にいてごみなどが落ちていればすぐに拾っている。トイレもほぼきれいに保たれている。 これなら世界遺産の自然も守られるであろう。 観光客を呼び込もうと、集中的にこうしたことをやるのは中国ならではのことかもしれない。
ただ、時に木道に残された樹木にぶつかる人もいる。木道わきに咲く花に見とれているためで、本人は 少々痛いかもしれないが見ていてつい笑ってしまう。

五彩池 争艶彩池
五彩池と、争艶彩池

標高3650mにある五彩池は美しい。この池の水の色は何と表現すればいいのだろうか。
そのほか棚田状の池でよかったのは争艶彩池、娑蘿映彩池だろう。
また、黄龍という名にふさわしいのは金沙舗地で炭酸カルシウムの堆積岩が黄色いうろこ状に川の流れを 形成している。洗身洞から娑夢彩池まで1500mメートルくらい続いていて、あたかも体をくねらせる 黄色い龍を思わせる。
娑蘿映彩池 金沙舗地
娑蘿映彩池と、黄色いうろこ状の流れを形成する金沙舗地

ロープウェイ山上駅から近い望龍坪からは黄龍全体を鳥瞰できるそうだが、この日は小雨模様の天気で 見られなかったのは残念である。
黄龍は山から下る流れなので滝もある。 洗身瀑布、連台飛瀑、飛瀑流輝が大きな滝で、いずれも黄色いもこもこした堆積岩を流れ落ちる滝であった。

連台飛瀑 飛瀑流輝
連台飛瀑と、飛瀑流輝

もう一つ黄龍の良かったところは高山植物の花がたくさん咲いていたことだ。
木道脇には黄色、赤、白、青などなど実にたくさんの花が咲いていた。日本の花と同じ仲間だろうが 少し違う感じの花が多い。 サクラソウ、キンポウゲ、シオガマ、イチゲ、アツモリソウ、プリムラシッキメンシス、ポピーなど。 つい立ち止まって眺め、写真を撮ることになる。
そんな道草をしているので思ったより時間がかかる。それでも指定された時間には全員が 出口に集合した。
サクラソウ キンポウゲ シオガマ イチゲ
左から:サクラソウ、キンポウゲ、シオガマ、イチゲ
アツモリソウ アツモリソウ ブルーポピー プリムラシッキメンシス
左から:アツモリソウ(黄系)、アツモリソウ、ブルーポピー、プリムラシッキメンシス

黄龍から九寨溝・黄龍空港へバスは来た時と同じでこぼこ道を2時間かけて戻る。
空港でバスから降ろされたキャリーバッグを見て驚いた。どのバッグもほこりで真っ白になっていたのだ。 このバスはシートベルトやひじ掛けが壊れたりしている古いバスだ。荷物室の扉もすきまだらけで ほこりが入り込むのはやむをえなかろう。
そしてまた飛行機が1時間遅れたので成都のホテルに着いたのは夜11時近くであった。 荷物の整理も必要で、ベッドに入ったのは夜中の12時を回っていた。翌朝7時45分の帰国便に 乗るためにモーニングコールは早朝4時半。ゆっくり寝る時間もない、とんでもない一日であった。
良くも悪くもいろいろな意味で黄龍は特別印象に残る旅行だったかもしれない。


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≪成都 Chengdu≫

中国旅行は上海・西安、そして北京・盧溝橋についで3回目である。 なじみのある隣の国だが、歴史のある大きな国なので、詳しいことはほとんど知らない と言っていいだろう。 今度訪ねた四川省の省都・成都は大きな都市であった。
ガイドの張さんから聞いたのだが、中国の総人口は約13億人。中国で一番大きな都市は人口3500万人 の重慶だそうである。 次が上海、北京で約1500万人、河北省の保定市1300万人で成都は中国5番目の人口約1200万人 の都市だとのことである。

この春に中部国際空港から成都への便が就航した。 実際には上海で入国手続きをしたうえで、同じ飛行機で成都に行くというものである。
約1時間遅れで夜9時半ころに成都空港に到着。都心のホテルまでバスで40分くらいだった。

成都大熊猫繁育研究基地
昨夜寝たのは0時半ころだった。朝の出発は7時半だというのに5時半のモーニングコールにおこされて しまった。ぐっすり眠ったのでいいが睡眠時間としては不足だ。
この日は成都の市内観光で、まず大熊猫繁育研究基地へ行くという。 今さらパンダでもあるまいと思いながら小雨の降るパンダ園に着く。 現在中国全土にいるパンダは1000頭くらいだそうだ。そのうち敷地面積が36万平方メートルあるという このパンダ園には30頭が飼育されているという。
電動カートに乗って奥の赤ちゃんパンダ室へ。その後青年パンダ2頭がいるところへ行く。
取っ組み合いをしたり、木に登って逆立ちしたりと絶えず動き回っていた。パンダとは忙しい動物だ。
子パンダの飼育場では朝の食事中だった。6〜7頭のパンダがいっしょになって笹をむさぼり食う姿に 思わず見入ってしまった。
パンダ 笹を食う
左から:パンダと、朝の食事中の子パンダたち

あまり暑くなると食事にもなかなか出てこないそうだが、この日は雨のおかげで涼しかったので 一度にたくさんのパンダを見ることができたのである。 こんなにたくさんのパンダをなかなか一度に見ることはないと思う。 たかがパンダ、されどパンダということだろうか。

杜甫草堂
次につれて行ってくれたところは杜甫草堂(とほそうどう・ドゥーフーツァオタン)である。
杜甫草堂は、唐の詩人杜甫が安緑山の乱で759年に成都に避難し、4年余りの間に全作1400 のうち247の詩を作ったという。
中心は詩史堂で、現在の建物は1811年に修建されたものだそうだ。
広い園内には竹、椿など木々がうっそうと茂り池や古民家も配されていていかにも 杜甫が詩作に没頭できたであろう雰囲気のところである。
杜甫草堂 少陵草堂
杜甫草堂と、最初に杜甫が建てたところにある少陵草堂

しかし、もともとの草堂は『少陵草堂』という東屋のところにあったという。当時、杜甫が建てたのは 藁葺きの家だったそうで、761年の秋に大風に吹き飛ばされてしまったという。 その時杜甫が有名な『秋の風に破れられた藁葺きの家の歌』の詩が残ったのだそうだ。
杜甫像 杜甫胸像 杜甫石刻
左から、細長い杜甫像と、杜甫の胸像、実物に近いという石刻像

園内で杜甫像を3つ見かけた。胸像やユニークな形をした杜甫像、そして石刻像である。 このうち石刻像が実物に一番近いと聞いた。やせた体に頬骨が突き出ている杜甫が 自分の困窮状態にもかかわらず、国と人民を憂えているというものだそうである。

寛窄巷子
次は寛窄巷子(かんさくこうし・クァンザイハンズ)へ。
寛窄巷子というのは北京などで見られる胡同(フートン)の四合院のように、成都における伝統的建築物で、 古い街並みが補修復元されたところである。
寛窄巷子 スターバックスコーヒー
寛窄巷子の古い建物と、寛窄巷子にあるスターバックスコーヒー

寛窄巷子は寛巷子、窄巷子、井巷子の3つの通りからなり、趣のある建物は大半が飲食店になっていた。
その中にスターバックスコーヒーもあるのに驚いた。外の作りはスタバとは思えないが看板はまさに スタバだ。はたして店内はどんな感じなのだろうか。

さて、四川料理のレストランで本場の味という口の中が焼けそうな麻婆豆腐の昼食をすませたあと 武侯祠へ向かう。

武侯祠
武侯祠(ぶこうし・ウーホゥツー)は三国志で名高い諸葛亮孔明と劉備玄徳を祀るところである。 武侯とは諸葛孔明のことで、現在の建物は清代の1672年に再建されたものだという。
もともと自然に恵まれた四川省・成都は2300年前、周代の末期に蜀(221-263)の都をとして栄え、 三国時代には劉備が蜀漢の国都とし、三顧の礼を尽くして迎えた諸葛亮孔明(181-234)が活躍したそうだ。
諸葛亮孔明像 劉備墓
諸葛亮黄明像と、周囲120mもある劉備墓

その劉備殿には劉備像のほか武将・文臣の像がたくさん祀られていた。
諸葛亮殿は劉備殿の奥にあり、当然ながら諸葛孔明の像が安置されていた。
そして、赤い塀と竹林の小路を行った先にある円形の劉備の墓はさすがに大きい。 高さ12m、周囲は180mあるそうだ。
その前に文物陳列館があり、古い宝物などが展示されていた。説明してくれた学芸員が、突如、宝飾 芸術品の販売をはじめたのには驚いた。さすが中国、誰もが商売熱心だ。

もともと歴史音痴だから仕方ない面もあるが、こうしたところを観光すると、三国志を読んでおけば もっと興味深かったことであろう。





≪旅の雑感≫

◆食べ物
本場の麻婆豆腐 四川料理は辛いと聞いていたが並の辛さではなかった。 伝統的な名物、本場の麻婆豆腐は全体が赤褐色、トウガラシの方が多いのではないかとさえ思える。
元来の好奇心で少し食べてみたが、辛さに耐えられずビールで流しこんだ。 このあと数時間胃の調子がおかしかった。
九寨溝などで食べたチベット料理は辛くはないが中国料理に似た感じだ。食べられないことはなかったが 田舎料理ということもあってか特にうまい料理ではなかった。


◆お酒

今回の旅行は高い山へ行くということで、ガイドからは酒は飲むなと言われた。
いつも海外旅行に行くとその地のビールや独特のお酒にありつくのが楽しみなものである。 しかし今回は基本的にお酒はなし。唯一成都の昼食で出されたビール一回のみのさみしい旅行であった。
◆所かわれば

アカカバの木 九寨溝のハイキングの途中でアカカバ(赤樺)に出会った。標高は3000m近いところなので樺の木 が生育しているのだが、日本ならシラカバ(白樺)やダケカンバなのにこちらではアカカバだった。
ガイドの張さんから教えられて初めてアカカバというのがあることを知った。 高原のシラカバの林というのはロマンチックな感じがするが、このアカカバも緑の林に映えて決して悪くはない と思った。

◆国内線

中国の国内線は1〜3時間遅れるのは普通だと聞いていたがその通りだった。 成都から九寨溝・黄龍空港への便では2時間も待たされた。 九寨溝・黄龍空港は標高3100mくらいのところにあるため天候の変化に影響されやすいそうだ。 欠航も多いそうだから2時間遅れで飛んでくれただけ良かったということもいえる。

◆中国人の商魂

中国人の商売熱心さは相変わらずだ。
観光バスが到着すれば土産物を売りにくるのは当然のことで、ツーガイドもバスの中で月餅などの菓子や 中国茶、ショールなどの注文をとる。 同じツアーで別の日にい行った人の話では買う人が少ないとツアーガイドの女性はあからさまに 嫌な顔をしたそうだ。
お茶屋さんとかラテックスの高反発枕の店では中国人ではなく日本人が説明販売をする。 その方が日本人客に安心感を与えるという商売上手な中国人の考えであろう。
最近は裕福になった中国人が日本に来て家電製品などを大量に買っていくようだ。しかし日本の販売員は 中国人ほどに押し売りはしないと思う。
この旅では至る所で中国人パワーを見てきた感がある。


今回の旅行では、睡眠時間が4日間で20時間弱。1日5時間もないという強行ツアーだった。
いつも思うことだが旅に出るというのはパワーがいるということだ。何といっても気力と体力がないと 世界の旅に出ることはできない。 そうした努力なしには絶景や珍しいものにはお目にかかれないと思う。
これだけきつい旅だと、もうやめようという気にもなるのだが、帰って来るといつしかそれも忘れて また旅に出たくなる。 そんな気持ちが残っている間は、まだ良しとしなければいけないだろうと思っている。


行 程

 〔1日目〕中部空港→上海→成都(泊)
 〔2日目〕成都市内観光→九寨溝・黄龍空港→九寨溝(泊)
 〔3日目〕九寨溝→九寨溝観光→九寨溝(泊)
 〔4日目〕九寨溝→川主寺→黄龍観光→九寨溝・黄龍空港→成都(泊)
 〔5日目〕成都→中部空港



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