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 Orange life


素敵なパース

 2006. 4. 2〜 4. 7


キングスパークからパースシティを望む
ときどき旅行のパンフレットをもらってきて見ています。
その中にインド洋に面した美しい街、西オーストラリアの“パース”があり、いつか 行ってみようと思っていました。
この1月にでも予定をい入れようと思ったのですが、現地は真夏であり、あまりにも正反対の 季節になってしまうのもどうかなと考え、秋口に当る4月初めに行くことにしました。

名古屋からの直行便はないので、シンガポール経由でパースへ飛ぶことになります。
4月2日・日曜日の朝は小雨が降っていました。わが町の駅から直行バスでセントレアまで37分。 この時間は出発便が多く空港ロビーは結構混雑していました。
チェックインを済ませてからオーストラリアドルへの両替です。今回は事前に予約をしてあったので 列に並ぶ必要もなく実にスムーズでした。

6時間余りの飛行はやはり長いですが、先日読んだ三島由紀夫原作の「春の雪」の映画を見たりして いるうちにシンガポールに到着。3時間ほど待って乗り継ぎ、また5時間くらいかかってようやく パースに着いたのは夜中の12時になっていました。
すぐホテルに入れると思っていたのが大間違いでした。オーストラリアは検疫が非常に厳しいのです。
お菓子類もふくむすべての食物、医薬品、植物、木製品まで一切持ちこみ禁止なのです。 検疫申告書にちゃんとチェックして出したのに、「あなたはこれを読んで理解した上で書いた のか?」と疑われ、検疫検査場でかなり待たされました。
結局われわれはX線検査だけでOKでしたが、私の前に検査を受けた人はスーツケースを開けて すべてのものを調べられていました。その上木製のステッキはだめだということで没収され罰金 をとられたようです。あとでガイドさんに聞いたところでは割り箸を持ってきた人がやはり 没収されて罰金を払わされたそうです。
そんなわけでホテルにチェックインできたのは1時半ころ。今日は長〜い移動の一日でした。



《パース、モンガー湖、コテスロビーチ、フリーマントル》


ゆうべ遅かったので初日の観光は朝10時の出発となりました。
ガイドさんは昨夜空港に迎えにきてくれた野村さんという女性です。パースに来て13年ほど になるそうで、オーストラリア人のご主人と8歳の子どもさんがいるとのことでした。
最初に行ったのはキングスパークです。どの旅行パンフにも載っている美しい公園で、パースの 高層ビル群とスワン川が一望できるところです。
パースは「世界で一番美しい都市」とか「世界で一番孤立した都市」といわれるそうです。 確かに澄んだ空気と青空の下で、こうして美しい景色を眺めているとそんな気がしてきます。
この公園には戦争記念碑が建っていますが、第一次世界大戦と第二次世界大戦あわせた 記念碑となっているのだそうです。
記念碑の前にウィスパリング・ウォールというのがありました。円弧場になった壁の一方で 話すともう一方の端にいてその声が聞こえるというものです。ちょうど北京・天壇公園にある回音壁 と同じ原理のものでした。
ブラックスワン
次に行ったモンガー湖は町から北西へ車で10分くらいのところにある人工の湖です。
ここには西オーストラリア州の州鳥になっている“ブラック・スワン”をはじめ、ペリカンや カモなどたくさんの種類の鳥が住んでいます。
元来餌付けは禁止されているのですがなかなか守られていないらしく、岸辺に近づくと 鳥たちがいっせいに集まってきます。餌がもらえると思うのでしょうね。
ブラック・スワンは、もともとその名前になったスワン川に生息していたのが、下流にある フリーマントル港拡張で河口を広げたため海水が入るようになり、モンガー湖の方に 移ったのだそうです。近くに寄ってきて突然羽を広げたブラック・スワンは、カラスのように 真っ黒というのではなく、顔が赤く羽の先が白いなかなかきれいな鳥だと思いました。

モンガー湖を後にスワン川沿いを下るかたちでインド洋に面したコテスロビーチへ向かいます。
途中、住宅地の中を走って行きますが、なかなかいい住宅が建ち並んでいます。 日本の住宅よりも敷地も家屋もずっと広くてゆったりしています。しかも 芝生の庭に囲まれた家ばかりです。
「このあたりは高級住宅地ですね」というと、ガイドさんいわく、「このあたりはまだ上級住宅地 ですよ。高級住宅地というのは、スワン川がよく見える場所にある住宅のことで、値段も 全然違いますよ。あとでお見せします」とのこと。
建物はほとんどが平屋です。近年経済が急成長し一種のバブルだというようですが、 それでも土地はたくさんあり、まだまだ日本に比べると安いのだそうです。 ちなみに一般の人たちが購入する住宅は、敷地が200坪、建物が70〜80坪くらいで 3000万円〜4000万円。まだ高騰が続きそうだとのことです。
ただ、このあたりは古い地層のため地震はないので建物自体は非常にきゃしゃな設計に なっています。耐震偽装しても大丈夫のようです。

コテスロビーチの海を見て目をみはりました。こんなに美しい海はこれまで見たことがありま せん。言葉で表現するのは困難だといわざるを得ないものです。
今はもう秋で気温も24〜25℃くらいだと思います。それでも海に入っている人たちが います。パースの町から近いところにあるので、人気のあるビーチの一つだそうです。

インド洋に面したコテスロビーチ ラウンドハウス
《インド洋に面したコテスロビーチと、フリーマントルのラウンドハウス》

スワン川の河口にあるフリーマントルで昼食をとり町を見て歩きました。
フリーマントルは1829年に英国人ジェームス・フリーマントルによって英国の植民地として 宣言されたところだそうです。何もなかったこの地の開発には、はるばる連れてきた囚人を 使って行なわれたといいます。
1800年代に建てられた建物が並び、小さな町全体が古い英国調の雰囲気に満ちていました。
週末には100年の歴史を持つマーケットでにぎわうそうです。この日は平日 でマーケットはお休みだったので土産物店、郵便局や駅など街中を見て歩きました。

海沿いのところにラウンドハウスというのがあります。 西オーストラリア州で最も古い建造物で、最初の刑務所としてつくられたそうです。
下の方に海から続くトンネルがあるのですが、これは鯨を引き上げるのに使ったものだとの ことです。
また、海を行く船に時刻を知らせる大砲を打つということで、行った時刻がちょうどよかった ため午後1時の時報(時砲ですね)を打つところを見ることができました。 観光客に実演して見せるというもので、みんなでカウントダウンをして、小学生くらいの男の子が 大砲のスイッチを押しました。
もちろん空砲ですが、バーンという音とともに、帆柱の上につるされた黒い大きな球が 落下するという仕組みでした。

フリーマントルは、古き良き時代に飛び込んだような感じを味わうことができる町でした。

午後3時頃にはパースの街に戻り、あとは自由散策です。
パースシティは近代的な高層ビルが建ち並ぶ都会です。しかし、古い英国的な建物もかなり あります。内部は改装しても外壁部分は古いものを残すようにしているのでしょう。
最も英国的なところがロンドンコートといわれるところです。1937年に建てられビッグベンに 似せた時計も壁面を飾っています。 ロンドンコートの中にはカフェや寿司屋さん、お土産物店が並んでいて、パースでも人気の観光 スポットとなっているようです。

パースの町の中心部は比較的狭い範囲の中にオフィス街とショッピング街があります。
ショッピング街の方は車の乗り入れが禁止されたモールがいくつかあり、オープンカフェもあって 大勢の人でにぎわっています。毎日好天だというさわやかな空気と青空の下でみんな生活を 楽しんでいるように感じられました。
季節が日本と反対なのでデパートには秋冬物が並び、今年は4月16日だというイースター用の 飾り物・イースターエッグやうさぎのぬいぐるみなどがたくさん売られていました。
スーパーもあったのでのぞいてみましたが、日用品、食料品など売られているものも、値段も 日本と大差ないようでした。ただ、レジがのんびりしているのか、長蛇の列ができていました。 それでも文句もいわずに並んでいるのは、おおざっぱな性格だというお国柄なのでしょうか。

この日は市内のレストラン「ミスモード」でバイキングの夕食をしてホテルに戻ります。
暑くなく寒くなく、からっとした天気のもとでのここパースの観光はとても気に入りました。 明日はピナクルズの観光で遠くまで生きますので早めに休むことにしました。




《ヤンチャップ国立公園、ランセリン砂丘、ピナクルズ》


3日目は朝から快晴でした。 この日は4WDでのピナクルズ・アドベンチャーツアーです。
ピナクルズは荒野の墓標とも呼ばれる奇岩が林立するところでパースの北約250kmの ところにあります。
一行はオーストラリア人の女性4名と日本人6名、それに運転手件ガイドのロブさん、日本人 女性ガイドの山本さんの合計12名でした。
ロブさんは体も大きくタフな方で、1日約600kmの運転とガイド、途中休憩でのお茶や 昼食のバーベキューの用意、砂丘でのサンドボードのティーチングまで一人でこなすのです。
まずロブさんが説明をし、続いて山本さんが日本語で説明するという形で案内をしてくれます。 ロブさんのジョークにオーストラリア人女性たちは笑うのですが、われわれが一緒に笑えないのが 残念です。


パースの街、いくつかの住宅地を抜け、潅木が茂る荒野の中の道を走って約1時間、 ヤンチャップ国立公園に着きます。
コアラ バレンシアの花
《ユーカリの木の上にいるコアラと、ワイルドフラワー「バレンシア」》

ここでは野生のカンガルーやコアラなどが見られます。ユーカリの木の上に何匹かコアラを みつけることができましたが、一行の中のオーストラリア人女性たちは見向きもしません。 とくにめずらしさはないようです。
カンガルーも見つけました。カンガルーというと大きな動物だと思っていましたが、 このあたりにいるカンガルーは犬くらいの小さなものでした。ガイドさんに聞くと カンガルーにもたくさん種類があるのだそうです。

再び荒野の中の道に戻り北へと向かいます。この潅木の原生林はところどころで黒く焦げていました。 説明によると山火事のあとだそうです。
最近はしばしば放火もあるようですが、多くは落雷などによる自然発火だそうです。しかし、 山火事になっても住宅地に被害が及ばない範囲では一切消火活動は行わず自然鎮火を待つ のだといいます。
これは、山火事も自然の循環の役割の一つなのだそうです。
例えば「ジャイアント・ブラックボーイズ」という木は オーストラリアにのみ生育する植物で、毎年定期的に花をつけることはなく、山火事の後に花を咲か せる形質をもっているといいます。 山火事で燃えて幹が黒くなることがありますが、死に絶えることはありません。 逆に、その実は非常に固いため、次の山火事で実がはじけて初めて地面に落ち、次世代の芽が出るという わけです。 黒人の男の子が立っているようなこの独特な形の木は、オーストラリアへ移民した人たちが 原住民の戦士と見間違えたことから「ブラック・ボーイ」の名がついたとのことでした。
そのほか「バンクシア」などのワイルドフラワーもあちこちに咲いていました。
やがてランセリン砂丘に到着。インド洋の砂でできた真っ白なこの砂丘はまるで雪山のようです。 強い風で砂が飛び砂山の山頂はまるで吹雪のように砂が舞っていました。
ランセリン砂丘

このツアーはアドヴェンチャーツアーです。したがって山のような砂丘を4WDで 登ったり下りたり、急ハンドルを切ったりと冒険気分を味わわせてもくれます。
そして、スノボーと同じようにサンドボードもみんなにやらせてくれます。 年甲斐もなく私もやらせてもらいました。

大きく真っ白な砂の山頂からふもとまで20mくらいはあるでしょうか、ワックスを 塗ってもらったサンドボードに坐って滑り降ります。
1回目は途中で転んでしまいましたが、2回目は下までうまく滑り降りました。 見ているとそれほどの速さではありませんが、実際に滑っている方はスリルがあります。 童心にかえって楽しませてもらいました。

砂丘を後に、また牧場の中の果てしない道をひたすら走ります。
原野の中のドライブインのようなところでバーベキューの昼食をとり、休憩後いよいよ 今日の目的地ピナクルズへ向かいます。

ピナクルズはインド洋の海岸から5kmほどのところに位置し、ナンブング国立公園の中に あります。
あたりは一面に黄色い砂でおおわれていて、その広い砂漠の中に1mから4mほどの太くて さまざまな形をした柱が一面に立っています。 『荒野の墓標』とは誰が呼んだのかわかりませんが、実にうまく表現したものだと思いました。
ピナクルズ
この一種異様な風景を構成している柱は、自然が実に長い年月をかけてつくりあげたもので、 今もその形を変えていっているようです。
次のような自然の営みでつくられたといわれています。

(1)雨によって砂で濾された石灰が砂丘の最下層に固着しやわらかい石灰岩になる。
(2)草木が酸性の土と腐植土の層を形成する。カルクリートの固い層がやわらかい 石灰岩の上に形成される。
(3)カルクリートのクラックが植物の根によって発達する。
  そしてやわらかな石灰岩が 分解を続ける。そこに石英の砂が水路の形に充たされる
(4)植物が枯れ、風によって覆われていた砂を飛ばし、石灰岩を侵食することによって ピナクルが現れる。

自然の力、自然の営みというのははかりしれないものです。人間がピナクルズのようなものを 造ることはできません。
こうしたものを造ろうとして自然が造ったものではありませんが、そうした自然の力を 見せつけられたような感じです。
「ピナクルには登らないでください」という看板が立っていましたが、こうした自然は 大切にしなければいけません。
ここは世界遺産に登録されてはいませんが、世界にはもっともっとたくさんの特異な自然が 存在します。 世界の自然遺産を大切に!
自然の中に生かされている人間の勤めです。

ピナクルズからパースの町まで約250km。
ロブさんの運転する4WDは時速100kmで飛ばします。疲れたわれわれは時々居眠り ですがロブさんの運転は快調です。
帰り道は行きとは違った道を走ってくれました。それもサービスのようです。
パース北東郊外に位置するスワンバレーも通ってくれました。 このあたりは有名なワイナリーがあるところだそうで、ぶどう畑が一面に広がっていました。
町に近づくにつれて車が多く、交通事故で炎上している車もあったりして時間がかかりました。 それでもわれわれは無事にホテルに到着。この日10時間のアドベンチャーツアーも完結 です。
何から何まで面倒を見てくれたロブさんとガイドの山本さんに感謝の一日でした。




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《ロットネスト島》


4日目はパースの沖合い19kmに浮かぶロットネスト島ツアーです。 「毎日青空がうらめしい」とガイドさんがいっていたように今日も雲一つない快晴。
青空の中に高層ビルがそびえたっていました。
インド洋に面したコテスロビーチ
ホテルから桟橋まで歩いていきました。工事中のところがあって大回りになってしまい ましたが何とか集合時間に間に合いました。
今日のツアーは日本人客6名で、志野さん、佐々木さんという若い女性2人のガイドさんです。 志野さんはパースでイギリス系の男性に見初められて結婚し一女のママさんだそうです。そして 佐々木さんはアシスタント。

船はスワン川を下って先日行ったフリーマントルに立ち寄った後ロットネスト島へ向かいます。
桟橋を離れるとパースシティの高層ビル群が眼前に迫るように見え、やがてに小さくなっていきます。 このスワン川はヘビがたまごを飲みこんだように、広い川幅になったりせまくなったりしています。 川の両側のあちこちにつくられたマリーナや、川に面した高級住宅地の間の流れを船はゆっくりと 進んでいきました。
ガイドの志野さんが私たちのところにやってきて教えてくれました。「もうじき右側に大邸宅が 見えてきますけど、50億円の豪邸ですよ。塀だけで3億円だとか!」。何でも鉱物資源の商売で 当てて大富豪になった人の家だそうです。
やがて見えてきました。毎日美しい川を眺めながら暮らす高級住宅群の中でもひときわ立派な豪邸 でした。

船はスワン川をゆっくりと下りやがて河口に位置するフリーマントルの港に立ち寄ります。
それまではがらがらでしたが、フリーマントルからたくさんの観光客が乗りこんできました。 ほぼ6割くらいの席がうまった感じです。
外海に出ると船はエンジン全開、これまでの速度がうそのように快走を始めました。 島影が大きくなったと思ったらそこがロットネスト島でした。


ロットネスト島での『難破船ツアー』の選択は失敗でした。
“Underwater Explorer”という細身で水面下がガラス張りになった船で、島のまわりに あるサンゴ礁と難破船をみてまわるというものです。
海がきれいなので期待して申しこんだのですが、このあたりのサンゴ礁はきれいではなく、 難破船も想像を超えるほどのものではありませんでした。 ただ、餌付けをしているということで大きな、おいしそうな魚が間近に寄ってくるところが 見どころということでしょう。しかし少し船酔いになりその後の昼食があまり食べられなかった のも残念なことでした。

自然保護のため、ロットネスト島は本土からの車の乗り入れ、草木や砂の持ち出しは禁止されて います。 小さな島をとりまく青い海、純白の砂浜に縁取られた島は美しく、のんびりとした時間が流れています。 「ロットネスト島は何もないところですよ。パースの人たちは、みなさんのんびり過ごす目的で 出かけます」と最初のガイドさんがいっていたのを実感させられました。

島の観光はバスでの島内一周ツアーです。 私たち日本人客6名を含めて約30名を乗せてバスはゆっくりと走ります。
まずこの島の固有種である小型有袋類のクオッカを見るために下車。クオッカは大きなねずみの ようなかわいい動物です。島を発見した人がねずみと間違えたことがロットネスト島の名前の 由来になったとか。

インド洋に面したコテスロビーチ
それにしてもこの島の海とビーチはきれいです。バスが海岸線に出るたびに歓声が上がります。
砂浜はあくまで白く、薄緑色から群青色へのグラデーションの海は自然がつくりだす芸術でしょう。

あちこちにある入江にはたくさん白い船が停泊しています。パースには船を持つ人が多く、 船で島までやってきて、数週間船で寝泊まりしながら釣りをしたり泳いだりして、のんびりと休暇を 過ごしているのだそうです。


島の中央部にワジュマップ灯台というのがあります。 灯台は1851年に最初に建てられたといい、現在の半分くらいの大きさだったそうです。 アボリジニの囚人が石を切り出して建てたこの灯台は、その後大きく建てかえられて現在に 至っていますが、灯台の下には、当時の灯台守の小屋がそのまま残されています。
高木ですが野菜のブロッコリーに似た樹形の「ブロッコリー・ツリー」という木が島のいたる ところにあります。この灯台の丘のまわりもブロッコリー・ツリーが一杯です。 そして、遠くパースシティの高層建築を望むことができます。

ロットネスト島の海岸はどこも美しいですが、私が最も気に入ったのは島の最西端に位置する ケープブラミンの岬です。
ゴツゴツした岩に打ち寄せて砕ける波、あくまで青い入江、そして見晴るかす雄大なインド洋。 地球の丸さも感じられ、いつまで眺めていてもあきない景色です。
インド洋に面したコテスロビーチ
写真もたくさん撮りました。しかし、あの雄大な美しさを切りとって持ち帰ることは できませんでした。

帰りのフェリーではワインの試飲もさせてくれました。夕日に輝くパースシティが次第に大きく 見えてくる中を17:40に桟橋へ戻ってきました。
あとは予約されている市内のレストランで夕食ということしたが、このあとハプニングが待って いました。
パースシティにはブルーキャット、イエローキャット、レッドキャットという市内を循環する 無料バスが走っています。 運行時間は夕方6時20分までだと聞いていたので、6時前に乗車すれば目的地まで充分行ける と思っていました。乗ったバスは順調に進みパース駅を過ぎて、あと停留所2つとなった パース美術館前で突然止まってしまったのです。時計を見るとまだ6時10分。まだ10分 早いのではないかと思ったのですが、車内外の電光表示は“Not in service”!!。 お客さんはぞろぞろと降りて行きます。それでも地方からきた人たちでしょうか、いぶかし そうな感じでしばらくバスに残っていましたがやがて降りていき、バスは走り去っていき ました。

しかたなく私たちもレストランまで歩くことになりました。停留所2つですからそれほど遠くはなく、 予約時間には間に合いました。
それにしてもフランス人は働かない人種だと聞いていましたが、オーストラリア人も働き たがらない人たちのようです。 レストランは別ですが、一般のお店は夕方5時半には閉めてしまいます。何でもそれ以上 営業すると余分に税金を払わないといけないそうです。
バスも車庫に戻る時間を考えてお客さんを早めに降ろしてしまったのではないでしょうか。 お国柄とはいえサービス精神よりも自分の生活ということなのでしょうか。
夕食の中華料理はおいしかったのでよしとしましょう。




《パースシティ》


4月6日、パースの旅も今日が最後です。 朝から快晴のこの日は、午後1時にガイドさんが迎えにきてくれるまで自由行動ということに なります。
街のようすもだいぶつかめたので無料バスの“Cat”を利用してパースシティを歩くこと にしました。 行き先の目当てとしては、クイーンズガーデン、スワン川畔、パース造幣局、聖ジョージーズ大聖堂 などです。

市内を循環する無料バスのCatを乗り継いでまずはクイーンズ・ガーデンへ。
ここは芝生の中に 池を配したきれいな公園です。名前から推測するに宗主国イギリスの女王にゆかりがある公園 かも知れません。
スワン川畔へ出てみることにしました。スワン川はこの少し上流からは川幅はせまいのですが、 パース市街地付近の川幅は極端に広くなっていて湖を思わせます。
スワン川とサウスパース スワン川沿いの公園
《湖のようなスワン川と、元は飛行場だったというスワン川沿いの公園》

川畔に立って眺めると、向こう岸にはサウスパースの街並が見え、こちら側は幅が200mほども あろうという芝生の広場がずっと続いています。多目的広場であり公園として開放されて います。
聞くところによると、実はこの広いグリーンベルトは、以前の飛行場の滑走路だった のだそうです。パース空港が現在の場所に移転したため、その跡地をすべて芝生の広場として 残したということです。この開放感は何ともいえません。広大な国土を有する国の余裕でしょう。

今日はその一画でイベントが催されるようですが、その横を通ってパース造幣局へ向かいました。
パース造幣局は1899年に設立されたオーストラリアで最も古い造幣局だそうで現役です。 ところでこの造幣局、“Perth Mint”と呼ばれています。このMintというのは 英語で造幣局のことだったのですね。誠に恥ずかしいことながら、Mintというのは香味料のミント しか知りませんでした。Mintというのか英語で造幣局のことだということを後で調べてようやく 納得がいった次第です。

建物の入口を入るとショップになっています。金の装飾品や記念のコインなどが展示販売されて いて、日本人女性のスタッフにいろいろ説明を受けました。 しかし、いつものことながら見るだけということでした。
奥の方にある展示室には本物の金塊がアクリルの透明な箱の中に置いてあって、片腕を突っ込んで さわれるようにしてありますが重くてとても持ち上げられるものではありませんでした。
また、金を精製溶融して金塊をつくる実演も見せてくれましたが、説明が英語だけだったため 詳しいことはわかりませんでした。これがつらいところです。

このあと気持のよい街歩きを楽しみながら『聖ジョージーズ大聖堂』へ。

パースは教会が多い街ですがその中でも聖ジョージーズ大聖堂は歴史のある教会だそうで、 イギリス・ヴィクトリアゴシック調という外観は威厳を感じさせられました。
この教会のまわりもそうですが、大きな樹木があり緑の芝生に囲まれた空間が空の青さとともに オーストラリアの人たちに一番住みたい街という思いを抱かせるのでしょう。 私自身もぜひ住んでみたい街です。
パースシティの建物
あちこち見て歩いておなかもすいてきたのでシティの中心部へ戻ることにしました。
最後の日ともなると和食が恋しくなります。今では世界の多くの街には日本食のレストランが あります。このパースも日本人がたくさん住んでいますので、あちこちで「すし」などの 看板を見かけます。
現地でもらった、地図がついた日本語のパンフレットで調べて店を選びました。 行ったのはパース駅からもほど近い日本食レストラン『TAKA』です。名前は立派ですが 日本の田舎町にある食堂という感じの店で、日本食のファーストフード店です。
受付けでメニューを見てカツ丼などを頼みました。相手をしてくれたのが若い日本人の女の子 だったので話が通じてよかったですね。小さなお皿くらいの受信機を渡されます。料理が できあがると発信音が鳴るので、それを持ってカツ丼をもらいにいくということでした。
値段は忘れましたがそれほど高くはなく、久しぶりの日本食がおいしかったのを思い出します。

バッグを取りに一旦ホテルまで歩いて戻ります。きれいで安全な街パースもこれで見納めという ことになりました。 あとはシンガポール経由でセントレアまで長〜い飛行機の旅だけです。

今回も素晴らしい天気に恵まれた旅になりました。
入国審査の厳しさにはうんざりしましたが、オーストラリアというのはいい国だと思います。
資源が豊富で経済成長が続き、人々の活気もあるというのが根底にあるのでしょう。 どこへいってもきれいですし、国土の広さがそこに暮らす人々をおおらかにさせているようです。
乗ったバスが運行終了の時間がきたからといって、有無をいわせず途中で乗客を降ろしてしまうよう に、悪くいえばおおざっぱで、あまり働かない人たちかもしれません。しかし、働く時間と自分たちの 生活を楽しむ時間にメリハリをつけるということはいいことだと思いますし、日本も次第に そうしていくのがいいのではないでしょうか。


今回の旅行行程
 〔1日目〕セントレア→シンガポール→パース〔泊〕
 〔2日目〕ホテル→キングスパーク→モンガー湖→コテスロビーチ→フリーマントル →パース市内→パース〔泊〕
 〔3日目〕ホテル→ヤンチェップ国立公園→ランセリン砂丘→ピナクルズ→スワンバレー →パース〔泊〕
 〔4日目〕ホテル→パース桟橋→ロットネスト島→パース桟橋→パースシティのレストラン →ホテル
 〔5日目〕ホテル→クイーンズガーデン→パース造幣局→聖ジョージーズ大聖堂→ホテル →パース空港→シンガポール
 〔6日目〕シンガポール→セントレア


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