銀杏狸

 松山のほど遠いところに、郡中という小さな町がある。その郡中の駅の近くに、一本の大銀杏あった。そしてその木に、古狸がすんでいた。

 狸は化ける、と 昔から言われているが、その化け方も、狸によってちがい、また特徴もあったようである。

 この話の主人公である狸は、珍しいことに、木の枝に化けるのがもっとも得意であった。附近の百姓がべんとうを持って、畑や山へ行く時には、きっとあとからついて行ったそうである。野良へ出ると、百姓のたいていの者は、べんとうを、木の枝へ吊り下げておくもので、それをこの狸は、ちゃんとわきまえていて、吊りそうな木をみて、よいあんばいの枝に化けるのである。

 そんなこととは知るよしもない百姓、手ごろな枝だと思い、そこえ、べんとうをあずけて、仕事に取りかかる。
 「しめた!」
 狸は木からとびおりて、べんとうを人目のつかぬ草の茂みへさげ込んで、そこでそろそろ、そのべんとうを開くらしい。白いおむすび、焼魚、こんなものが出ると、狸は、あの丸い目をぱちくりさせる。
 「やっぱり人間さまのごちそうはうまいわい。こうだからもうやめられん」
 腹一杯になった狸は、晝間は、犬などに用心して、古木の根元や洞穴でぐっすり眠る。
 百姓は、その時になって、からっぽになったべんとう箱を、草むらに発見するということが、たびたびあったようである。

 よいお天氣続きの、ある日。ある百姓が毎日、べんとうがけで畑へでかけた。 よろこんだのは狸、毎日、お供をしたわけである。

 三四日目であった。その日は珍しく、お婆さんと二人ずれで、べんとうも、いつもよりずっと大きな包みであった。
  ―今日という今日こそは、こっちのものだ。
 百姓の肚の底を御存知ない狸公、大きなべんとう包みに見とれながら、いそいそとあとからついてきておった。
 畑へ近ずいた頃、百姓が聞こえよがしに、お婆さんへ言った。
 「あの松の木がよかろう。あそこの枝へ、べんとうをかけるとしよう。」
 狸公は、化ける場所の木を教えてくれたわけですから、もちろんよろこんだ。松の木は丁度つごうのよい枝を生やして、立っていた。
 「なるほどなァ!」
感心したお婆さんである。百姓も、しかつめらしい面持ちで、
 「なんとみごとな木じゃないか。ところで、あの下の枝、あれがどうも氣にくわぬ。あの枝さえなつたら、本当に上々の松じゃに」
 それを耳にした狸は、百姓と婆さんの目の前で、ぱッと手をはなしてしまった。足がすべって、すとんと落ちてしまった。腰骨を打ちつけた。
百姓は、計略上首尾、お婆さんと二人で、わッはッはと笑ったものです。

 失策を見られるということは、じッとしておるにもおれないものだ。べんとうにはありつけず、腰は痛むし、その上、わッはッはと笑われての大失敗の狸である。くやしくてならない。
 くやしいと、そのままでおかぬのが、人間社会でもあたりまえのようである。動物の社会、特に狸にあってはなおそうらしい。

 夕方、家へ帰ってきた百姓が、夕飯前に、佛壇をおがもうと、お燈明をあかした。よく見ると一つの筈のお位牌が、今日は、同じのが二つならんでいる。
 (おや!)
 しかし百姓は、
 (また、やってやがる)
と思ったので、
 「婆さん婆さん、お位牌が二つできるなんて、いかさまふしぎじゃないか。この一つが、もし、わしとこの佛さまならばじゃ、わしがこうおじぎしたら、きっとお位牌もおじぎして下さる筈じゃ、よく見ていておくれ」
 百姓は、わざと丁寧に、おじぎを一つしたから、一つのお位牌がそろってペコリとおじぎした。
 「どうじゃ婆さん、銀杏狸は、わしに教えられたとおりたったぜ」
 こうなってはますます失敗である。銀杏狸はとうとうかぶとを脱いで、逃げ出してしまった。

(合田正良著 伊豫路の傳説 狸の巻 より)

戻る