浄願寺の禿狸(じょうがんじのはげだぬき)


 昔、禿さんは浄願寺近くの貧しい老夫婦にお世話になっていた。恩返しに茶釜に化けたが、これを買った隠居が毎日磨いたので、とうとう白く禿上がったという。

 今は一位白禿大明神の灯明が絶えないほどの信仰を集めている。大祭は正月二三日である。

 高松の狸だからうどん好きがいても不思議ではないが、浄願寺の禿さんは、うどんが大好物、時には市内へ出てはうどん屋による。おいしそうに汁まで残さず食べてから、「浄願寺じゃ」といって帰る。月末に掛けを取りに行くと、寺では心当たりがないという。それでも「また禿かいな」と、いって支払をしてくれたそうな。

 今泣いたん、だーれ

 浄願寺のはげ狸

 おかざり三つでだーまった

泣いている子に菓子など持たせてあやすとき、よく歌われていた。

 ある年の暮れ、浄願寺の禿さんは薬缶に化けて売られていった。火に掛けられ、泣いて帰ってきたのをお坊さんが見つけ、お供え餅を三つくれたという。火傷をした禿狸、益々毛が薄くなった。

 情深い禿さんは、困っている人を見ると黙っていられないのだ。豆腐を売りにいったり、風邪薬を買って帰ったり、禿さんにだまされても、あんまり腹をたてず、笑って済ませるところが、ほほえましい。

 こんな美談もある。日露戦争当時、禿狸は小豆一粒兵一人と見せ掛け、出征していったという。白禿大明神、浄願寺の境内は手狭になったが、現在でも禿さんは祀られている。

別説 浄願寺のはげだぬき(『讃岐の民話』未来社刊より)



 むかしむかし。

 高松の浄願寺に古狸がいました。利口者の狸でしたから、おじゅっさん(和尚さん)の名をかたっては、方々へやいと(お灸)の点をおろしにいきました。

 そのやいとがまたよくきくので、村の人はみんな浄願寺のやいとが来るのを待ってました。

 ある日の事、古狸は本山のお寺のそばへやいとをおろしにいきました。ところが行くとちゅうで財田川に大水がでて、橋が流されてしまってました。古狸は、これは困ったことだと思い、川の方をみていました。

 すると一人の男が着物をぬいで、頭にくくりつけて渡ろうとしています。古狸はその人をよびとめて「わたしは実は狸だが、この川を渡ることが出来なくて困っとる。お礼にお金をたくさん差し上げるけに、肩の上にのせて渡らして下され。」といいました。その男は、「お前は狸じゃけに、お礼するいうたって、木の葉のお金をくれるんじゃろ。」といって相手にせず、渡りはじめました。すると狸は、「うそじゃないぞ。お金が木の葉じゃと思うんならわしは金の茶釜になるけに、分限者の家へ持っていて売ったらいいが。」といいます。そこで、その男の人は狸を肩車にして向こう岸へ渡りました。

 向こう岸に着くと、狸は約束のとおり、すぐに金の茶釜になりました。その男は金の茶釜を持って村で一番の分限者の家に行きました。分限者の家では、金の茶釜を百両で買い取りました。男は大金ができたので、ほくほくでわが家へ帰りました。

 分限者の家では、金の茶釜が手に入ったので大喜びです。さっそくお客さんをよんで、金の茶釜で湯をわかしてみました。炭火がカンカンにおこってきますと、金の茶釜に化けた狸はもう熱くて熱くてたまりません。

 はじめはがまんしていましたが、とうとうがまんがし切れず、逃げてしまいました。分限者とお客さんは、茶釜があるいて行ったので、びっくりして目をまわしてしまいました。

 古狸はそのまま高松まで帰って来ましたが、やけどのためいたくていたくてたまりません。泣いているのをおじゅっさんがみつけました。あんまりかわいそうなので仏様の供えてあったお鏡餅を三つやりました。狸はやっと泣きやみましたが、この時いらい、やけどがもとで頭がはげてしまいました。

 そこで、浄願寺のはげ狸と今でもいわれるようになりました。

妖怪愛好会隠れ里(http://www32.ocn.ne.jp/~kakurezato/index.html) より


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