おしぶ狸

 むかし昔、伊予の丹原、おしぶ山のふもと、生木地蔵の楠の洞穴に、おしぶ狸がすんでいました。
 生木地蔵は、弘法大師が一夜の内に、生木へ彫りつけられたそうですが、もう片耳だけ彫れば仕上る時に、鶏の鳴声におどろかれて、急いで帰られたために、片耳の地蔵さまです。そのためか、耳の病はお願をかけると、必ずなおったといいます。そんな訳で、近在から人がおしよせてきて、おかげをいただいておりました。

 この片耳の生木地蔵とくらしているおしぶ狸は、毎日のあがり物のおさがりをいただいて、よろこんでいました。
 ある日、お婆さんがきて、お地蔵さまに、お願をかけていました。おしぶ狸が、じっと耳をかたむけております。
 そしておごそかな声で、返事しました。
 「おおよしよし。その願いはききとどけてやるから、あすは、おあげをたくさんもってくるがよい」
 翌日、お婆さんが、おあげをたくさんもってきたので、おしぶ狸は満足でした。

 毎日、病人の願かけをきくのがいやになってしまったおしぶ狸は、北条の喜左ェ門狸のところへ、あそびに行きました。そしてその日、化けくらの約束をして帰りました。その化けくらというのは、人間に化けて、北条の川ガニを拾うことなのです。
 約束の日の夕方、喜左ェ門狸は娘に化け、おしぶ狸は年寄りに化け、かごをさげて北条の川へおりました。
 町の人々が、大ぜいきていました。
 二匹の狸は、人々にまじってカニ拾いに、夢中になっています。
 「おい、孫作さんや。知らぬ御隠居がきているが、どこの人や」
 「きれいな娘さんと一緒やないか」
 「カニ拾いの早いこと、人間わざではないような」
 たしかに、狸のことの話です。二匹の狸は皆にうしろを向けておりました。平七という豪の者がいて
 「孫さん、これ見いや」
 むこうむきの娘の裾から少し出ている尻尾をつかんでしまいました。とたん、おしぶ狸は、
 「これはこれは、喜左殿」
 うっかり、口をすべらしてしまいました。さすがの喜左ェ門もすっかりまいってしまって、そこから逃げかえりました。
 化けているときに、おしぶ狸が、喜左ェ門の尻尾につけた木の葉を二三枚はぎ取っておいたのを、喜左ェ門は少しも知らなかったのです。

 完全に負けた、喜左ェ門は、おしぶをたずねて腕前をほめたたえ、どこで修業したかと、ききました。おしぶ狸のおしぶは、昨年、京へのぼり、大先生に教わったことを正直に語り、
 「あんたも是非、京へのぼるとよい」と
 すすめました。

 喜左ェ門が修業に出て、伊予一番の折紙がついたおしぶ狸は、老いて、巣にばかり、ひっこんでおりました。

(合田正良著 伊豫路の傳説 狸の巻 より)

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