想い出〜あの時あった出来事〜
Memory2.ある雪女の想い出“時の彼方のファースト・スノー”
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それは秋から冬へ季節が移りゆき、そろそろ初雪が舞い落ちてくるかという頃のことだった。
その日は一匹の獲物も狩ることができず、猟師は焦っていた。
このまま手ぶらで帰ったのでは家で待つ年老いた父に申し訳がたたない。
その焦りが冷静な判断を鈍らせたのか、猟師はいつもよりも深く山の奥へと入り込んでしまっていた。
山に入ったときは雲一つ無い晴天だったのが、いつしか空は黒い雲に覆われ、
猟師がしまった、と思ったときには辺りは吹雪が吹き荒れていた。
「しまった、無理せずに帰っておけば・・・」
親父、きっと家で心配しているだろうなぁ、と思ったが、引き返そうにもこの吹雪では道も分からない。
途方にくれていた猟師だったが、ふと何かに呼ばれたような気がして視線を上げると、
木々の向こう側にぼんやりとした灯りが燈っているのを見つけた。
「こんなところに誰か住んでいるのか・・・?」
いぶかしがりながらも、このまま雪の中にいたのでは凍死は間違いないと思い、灯りの方へ行ってみることにした。
猟師がたどり着いたのは、みずぼらしい山小屋であった。
どうやら先客がいるらしく、中で焚き火のような光のゆらめきが見える。
「すいません、遭難したようなのですが、一夜の宿を貸していただけませんが?」
助かった、と思った猟師は小屋の入り口をどんどん、と叩いて中に呼びかけた。
「・・・」
やがて小屋の戸が少し開き、中から窺うような様子で一人の男が顔を見せた。
男は猟師の姿をじろじろと品定めをするように見ている。
「あの・・・」
「・・・この吹雪の中、外を歩くのは身体に毒だろう。中に入って火にあたれ」
猟師が何か言おうとするのを遮り、男は戸を開いて猟師を小屋の中へ迎え入れた。
小屋の真中では赤々と囲炉裏の火が燈されており、これまで吹雪の中で凍りつきそうだった猟師の身体を暖かく熔かしていった。
「助かりました。ここはあなたの・・・?」
小屋の入り口で笠と蓑を外し雪を払いながら、猟師は男に尋ねた。
「・・・いや、わしも吹雪にまかれてここに辿り着いたくちだ。・・・主はほら、そこのお人だ」
男の言葉に小屋の奥を見ると、部屋の片隅に静かに座り込んでいる長い黒髪の女性の姿を見つけた。
猟師の視線に気がついたのか、女性が顔を上げる。
「・・・!」
猟師は驚きのあまり息を呑んだ。艶やかな髪からある程度は想像していたのだが、
顔を上げた女性の容姿は、それを超える美しさだったのである。
一方、美女の方も猟師の顔を見て少し驚いたようだったが、それもわずかな間であり、猟師に会釈をすると
「ようこそいらっしゃいました、何も無いところですが、身体を暖めていってください」
とまるで鈴が鳴るような声で告げた。
「それではお言葉に甘えて・・・失礼いたします」
囲炉裏にあたりながら、猟師は美女のことが気になって仕方なかった。
なぜこのようなところに?一人で住んでいるのだろうか?それにしても美しい・・・
「あの、そのようなところでは寒いでしょう。もっと火の側に来ては如何でしょうか?」
猟師は女に声をかけたが、女は「いえ・・・私はここで・・・」と微笑むばかりで動こうとしなかった。
「わしも先ほどそう言ったのだがな、近づこうとしないんじゃ」
「・・・寒いと思ったら無理しないで、こちらに来てくださいね」
男の言葉に、猟師は相手は小屋の主でもあるし、無理に誘うのも良くないと思い、それ以上誘うのをやめた。
その後は気まずい雰囲気の沈黙が小屋を支配していた。小屋の外では相変わらず吹雪の吹き荒れるごうごうとした音が聞こえる。
小屋の主である女は片隅でじっとしたままだし、男はときおり猟師と女の姿をちらちらと窺っている。
なんだか堪らないなぁと思いながらも、一日山を歩きづめだった猟師はやがて睡魔に襲われ、眠りにおちてしまっていた。
・・・
ガタン!
「な、何だ?!」
背後でおきた突然の物音に、眠っていた猟師は飛び起きた。
気が付くと囲炉裏の火は消え、凍りつくような寒気が小屋に満ちている。
「この寒さの中で火を絶やしてしまっては・・・うわあぁぁ!」
それにしてもさっきの物音は一体、と立ち上がって後ろを振り向こうとした猟師だったが、
あまりに衝撃的なものを目にして驚きのあまり腰を抜かし、また座り込んでしまった。
一緒に小屋で暖を取っていたはずの男が、猟師のすぐ後ろで真っ白い霜に覆われて倒れていたのだった。
その真っ白な顔からはすでに生気は感じられない。
男の右手には鉈が握られていたのだが、さっきまで一緒にいた男が死んでいるという驚きが大きく、猟師は気が付かなかった。
「い、いいったい何が・・・」
視線を上げていくと、その男の向こうにゆらりと立つ女の姿があった。
「だ、大丈夫ですか?」
そう尋ねた猟師であったが、女から感じられる異様な気配に後の句を告げる事ができなかった。
女のもともと白かった肌は雪の如くより白さを増し、周囲には煌めく光の粒・・・氷の結晶が舞っていた。
「あ、あなたは・・・」
猟師は小屋に満ちている寒気の源が女であることに気付き、震える声で尋ねた。
「・・・私は雪女・・・雪と氷を司るもの・・・」
このような状況であるにもかかわらず、猟師はその姿と声の美しさにしばし見とれてしまっていた。
雪女・・・猟師もその噂を聞いた事があった。雪山で出会った男を凍らせ、自らのものとする魔性の女。
その姿を見て生きて帰ったものはいないという・・・。
震える猟師の姿を見て、雪女は言葉を紡いだ。
「良いですか、今日、ここで有った事を口外しないと約束できるのであれば、あなたに手は出しません」
「も、もちろん、誰にも言わない!だから命だけは・・・!」
もちろん猟師に異存は無い。寒さと恐怖で上手く動かない口で約束をすると、頭を床にこすりつけて命乞いをした。
「その言葉、忘れないように・・・」
はっ、と猟師が顔を上げると、いつのまにか小屋の中から女の姿は消えていた。
開けられた戸の外ではすでに吹雪はやんでおり、冷たい月の光があたりを照らしている。
「ゆ、夢、でも、見ていた、のか・・・?」
だが夢では無い証拠に、猟師の足元には凍りついた男の遺体が横たわっていた。
【続く→】
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