東海道五十三次 「知立(池鯉鮒) ~ 京都」 を歩く
ちりゅう

40番宿場・知立(池鯉鮒)から京都三条大橋まで

2010年2月4日(木) 立春

東海道五十三次 知立(池鯉鮒)~宮 (19・7km 26400歩)

(40番)知立(池鯉鮒)・首夏馬市 (41番)鳴海・名物有松絞 (42番)宮・熱田神事

この地の知立神社の池に多くの鯉や鮒がいたので、地名となった。毎年初夏に行なわれる馬市は有名で、この馬市の様を描いた絵。

鳴海宿の隣りの有松の有松絞は有名。 今も昔の絞屋の店を偲ばせる家並みが残っている。 宮の宿は熱田神宮の門前町。桑名への七里の渡しの港町。佐屋路や美濃路の分岐点。街道一の宿場町として栄えた。この絵は、熱田神宮の夜の馬追い神事を、描いている。
7時50分 知立駅前出発
8時50分 境川(三河と尾張の境)を渡る
10時   有松
10時40分 鳴海・11時天白川を渡る
11時15分 笠寺(30分休憩)
12時15分 山崎川を渡る
12時35分 裁断橋祉(食事休憩1時間)
14時    宮・七里の渡し到着。
笠寺観音 裁断橋祉・姥堂・どどいつ発祥の地 宮宿・七里の渡し
 これから、街道歩きも始め様と思い立つ。 まずその第1弾として、東海道五十三次の内、知立(我家から一番近い宿場)から京都・三条大橋まで歩く事にする。・・・・・

 今回、第1回目は知立(40番)から宮(42番)まで歩く事にする。 7時50分名鉄知立駅前を出発。池鯉鮒宿本陣跡碑を後に、逢妻橋を渡り一里山・今岡(古い家並み)・今川と進む。境川(三河と尾張の境)を渡る。阿野(阿野一里塚)・前後・新栄(桶狭間古戦場碑)・栄・有松(絞り染商いの古風な家並み)と進み、10時40分鳴海宿本陣跡に到着。天白川を渡ると笠寺(笠寺一里塚・笠寺観音)・呼続。山崎川を渡るとまもなく宮宿(熱田区)。裁断橋祉・姥堂・どどいつ発祥の地や三叉の道標・蓬莱軒本店を通り、14時無事、宮の宿・七里の渡しに到着。・・・・・
 旧東海道だけに、史跡・神社・寺が多く、楽しみながら歩く事が出来た。今回の歩行ペースを参考に、今後の計画を組みたい。

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2月8日(月)

東海道五十三次 桑名~庄野 (24・9km 38700歩) 

(43番)桑名七里渡口 (44番)四日市三重川 (45番)石薬師石薬師寺
桑名湊の渡り口を描いている。木曽三川の河口の重要な港。米市場が開設され非常に賑わった港町。 四日市宿の近くを流れる三重川辺りを描いている。 この地方の風の強さを表している。 奈良時代に建立された石薬師寺を始め、石薬師はヤマトタケル等古代の伝承の地。 石薬師寺の門前町。
 8時30分 桑名七里の渡し出発。
10時00分 朝明川を渡る。
10時30分 JR富田駅
11時30分 笹井屋(日永のなが餅)
12時00分 諏訪神社(食事30分)
13時30分 日永の追分
14時05分 杖衝き坂
15時00分 石薬師寺
15時40分 JR加佐登駅到着。
桑名・七里の渡し 日永の追分(東海道と伊勢参宮道の分岐) 石薬師一里塚跡
 今回は、桑名・七里の渡しから、庄野宿の手前、JR加佐登駅まで歩く事とする。 JRで、8時桑名駅に到着。 桑名・七里の渡しまで歩き、8時30分本日の街道歩きに出発。 9時、桑名宿場の入口・矢田立場跡。 ここからR1号線と平行に西に向う。 朝日町を過ぎ10時、朝明川を渡る。 JR線・近鉄線を潜り、10時30分、富田駅を過ぎる。 11時30分、三滝橋のたもとの笹井屋(日永のなが餅の老舗)。 四日市宿はこの辺から始まり、諏訪神社辺りで終る。 12時諏訪神社到着。 参道商店街で「蛤うどん」を頂く。 美味しい。!! 12時20分出発。 道は近鉄内部線沿いに日永・泊と進み、13時30分日永の追分(東海道と伊勢参宮道の分岐)。 内部川を渡り、「杖衝坂」を上り、R1号線沿いに進む。 14時45分石薬師。 小沢本陣跡・佐々木信綱資料館等を過ぎ、15時石薬師寺。 石薬師一里塚跡を過ぎ、R1号線と合流。国道・加佐登を右折し15時40分、本日の終点、JR加佐登駅に到着する。 ・・・・・
 今回は、かなり長丁場で有ったが、予定通り歩けた。 コースは標識がかなり充実しており、注意さえして行けば迷う事は無い。ただ地図は必需品。  
 
* 今回、鈴鹿峠までは中部建設協会発行の「東海道さんさくマップ」を使用。滋賀県内は近江歴史回廊推進協議会発行の「近江東海道中絵巻」を使用する。

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 2月21日(日) 晴

東海道五十三次 庄野~関 (17・1km 22100歩)

(46番)庄野白雨 (47番)亀山雪晴 (48番)関本陣早立
 「白雨」とは、にわか雨の事。突然の激しい雨に、坂道を行き来する人々を生き生きと描写したこの絵は、広重の最高傑作の一つ。  山の斜面に積もった雪が陽光にキラキラ輝いている中、大名行列が連なって行きます。  大勢の人数を従えた大名行列の移動は大変で、朝暗い内から出立の準備が慌しく始まります。 関は鈴鹿の関と呼ばれ、近江の逢坂の関、美濃の不破の関と共に、三関に数えられる。
 8時55分 JR加佐登駅出発
 9時40分 安楽川(和泉橋)を渡る。
10時30分 和田1里塚(亀山市街に)
11時05分 池の側(亀山城跡)
11時25分 野村一里塚
12時00分 大岡寺畷
12時20分 関宿・東の追分
        関宿・町並み散策
12時50分 JR関駅到着
亀山宿碑 鈴鹿川 @大岡寺畷橋 関宿の町並 @東の追分
 今回は、JR加佐登駅から庄野宿・亀山宿を通り、関宿のJR関駅まで歩く事にする。 8時55分加佐登駅を出発。 庄野の家並みを過ぎ、9時40分安楽川の和泉橋を渡る。亀山市に入ると、まもなく9時55分、JR井田川駅に着く。1時間でJR1駅来た事になる。(ここから、2・5kmの所にヤマトタケル の御陵がある。)10時30分和田1里塚。ここから亀山市街に入る。10時55分、江戸口門跡。亀山城跡・池の側。京口門跡。を過ぎ、11時25分野村1里塚。布気集落でR1号線・JRを越へる。12時大岡寺畷に着く。鈴鹿川と後方の山並みが綺麗だ。12時20分、関宿の東の追分(伊勢別街道の分岐)に着く。ここから、関宿の木崎・中町の町並みを散策し、12時50分JR関駅に無事到着。・・・・・
 今回で、京都まで約半分歩いた事になる。次回は、いよいよ鈴鹿峠越えになる。だんだん街道歩きが楽しくなって来た。

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3月8日(月) 晴
東海道五十三次 
関宿~鈴鹿峠~水口宿(30・1km 41100歩)

(49番)坂之下筆捨嶺 (50番)土山春の雨 (51番)水口名物干瓢
 昔、狩野元信があまりの美しさに、絵も描けないと言って、筆を捨てたと言う岩根山。 鈴鹿川を隔てた、見晴らしのよい茶屋からの風景。  土山は、京に向う最後の難所,鈴鹿峠を越えた所。 しとしとと降る春雨に打たれながら、大名行列が続いて行く様子を描いている。  当時は、どこにでもあった様な風景の中に、名物干瓢を作る人達を描く事によって、水口らしさを表現しています。
 8時10分 JR関駅出発。 
 9時00分 筆捨山集落
10時00分 片山神社
10時20分 鈴鹿峠・万人講常夜燈
11時40分 田村神社
11時45分~12時15分 土山道の駅
12時55分歌声橋(野洲川)を渡る。
14時50分水口宿・東目附跡
15時45分水口城
鈴鹿峠・鏡岩 鈴鹿峠・万人講常夜燈 田村神社
野洲川 @歌声橋より 水口宿・東目附跡 水口城
 今回は、JR関駅(関宿)から鈴鹿峠を越え、水口宿(水口城南駅)まで、歩く事にする。 8時10分、JR関駅を出発。 まず、関宿の町並み・有名な地蔵院を通り、8時30分、関宿・西の追分を後にする。 ここからほぼR1号線沿いに進み、9時、筆捨山集落を過ぎる。 鈴鹿馬子唄会館・自然の家を通り、9時30分、坂下宿。 坂下宿は昔、本陣3軒も有る非常に栄えた宿場であったが、今は,数軒の民家と本陣跡標石等が有るのみ。 ここから、いよいよ鈴鹿峠に向う。10時、片山神社(鈴鹿峠道入口)。 ここから荒れた石畳の急な坂道となる。 しかし10分程度、登り切ると、あっけ無く,鈴鹿峠に着く。 峠は樹木に被われ薄暗く、標識以外に何も無い。100m程離れた鏡岩に立ち寄り、10時20分、鈴鹿峠・万人講常夜燈に着く。 ここには休憩所やトイレが完備されている。 ここでしばし休憩。 ここから田村神社まで,R1号線沿いに長い下りを行く。 11時40分、田村川を渡り、田村神社を参拝。 11時45分から、多くの人で賑っている土山道の駅で食事休憩。 12時15分道の駅を出発。 ここから旧道沿いに2km程土山宿の町並みが残っている。 12時55分、野洲川(歌声橋)を渡る。 13時25分、かって旅人に木陰を与えた,旧東海道松並木。 14時10分、大野西信号で,R1号線と分かれる。 14時50分、ついに水口宿の入口・東目附跡に着く。 ここから水口の街中を東海道は通る。 本陣跡・高札場跡・からくり時計・等を観ながら、今日の最終地点・水口城近くの近江鉄道・水口城南駅に15時45分無事到着する。 ・・・・
 今日はまず鈴鹿峠を越える事が第1目標。 しかし意外に早く、あっけ無く越える事が出来た。 又、今日は良く歩いた。 あと 2回で、京都三条大橋に着く予定。

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3月17日(水) 曇

東海道五十三次 水口宿~石部宿~草津宿~石山 (32・7km 45700歩)

石部目川の里 三上山(432m) 草津名物立場
石部と草津の間にあった目川の里で田楽を売る「いせや」。ご当地の名物を求め、旅人が足をとめ賑わっていた。 近江富士とも呼ばれ、標高の割には良く目立つ山である。俵藤太による大ムカデ退治伝説が残っている。 東海道と中山道との分岐点であり、又琵琶湖の交通の要所であった草津は、有数の宿場として栄えた。
 9時20分 水口城南駅出発
10時10分 横田渡常夜燈
10時45分 大沙川隧道・弘法杉
11時55分 石部宿驛
13時20分 史跡旧和中散本舗
13時50分 稲荷神社・JR手原駅
15時00分 史跡草津宿本陣
15時45分 野路萩の玉川
17時15分 JR石山駅到着
横田渡常夜燈 史跡旧和中散本舗 草津追分(東海道と中山道の分岐点)
  今回は、水口城南駅から草津宿を越え、JR瀬田駅を目標に歩く事にする。 JR貴生川駅で近江鉄道に乗り換へ、水口城南駅に9時16分到着。 9時20分、水口城南駅を出発。 水口城跡・五十鈴神社・水口の町並みを過ぎ、10時10分 「東海道十三渡し」 の1つ、横田渡しに着く。 この辺から、JR三雲駅近くまで野洲川を渡る旧東海道は無くなっており、R1号線沿いの道を歩く。 10時22分、JR三雲駅。 ここから又、静かな旧道を行く。10時45分、大沙川隧道・弘法杉。(天井川になっている大沙川の堤。その上に聳える大杉。)11時30分、家棟川を渡る。 ここから石部宿に入る。 11時55分石部宿驛。 ここで12時30分まで食事休憩。 京都・石部間は36km。 京都を朝早く出発すると、夕方に着く事から 「京立ち石部泊まり」 と言われていた。 石部宿を過ぎ、右手に近江富士を眺めながら、草津宿を目指す。 13時20分、石部と草津宿の中間地点・六地蔵の史跡旧和中散本舗 (和中散と言う薬は、家康の腹痛を治した事から、家康が直々名付けた評判の漢方薬。 旧薬店舗。)に着く。 立派な建物だ。 13時50分JR手原駅。 14時45分、R1号線を越える。 天井川の旧草津川の堤防を越え、堤防沿いの道を、草津追分で90度左折する。(草津追分は東海道と中山道の分岐点)15時、草津本陣に着く。追分から立木神社までの町並みが、昔の賑わいが偲ばれる。 15時45分野路の玉川。 16時10分月輪寺。 この先の一里塚から、JR瀬田駅に向う予定であったが、一里塚を見過ごし、通り過ぎてから気付く。 もどるより、後1時間程でJR石山駅に行けそうなので、目的地をJR石山駅に変更。 建部大社の前を過ぎ、ついに16時55分、瀬田の唐橋を渡る。(壬申の乱以来、しばしば合戦の舞台になり、その度に焼け落ちた橋。) 17時15分、今日の目的地、JR石山駅に無事到着する。・・・・・

 今日も良く歩いた。 次回は余裕で、京都・三条大橋まで楽しんで歩こう。

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3月30日(火) 晴

東海道五十三次 石山~大津宿~京都三条大橋 (17・2km 24800歩)

大津走井茶屋 弥次喜多像 (@三条大橋) 京師三条大橋
 走井の井筒(井戸)は、逢坂の茶屋(現在の月心寺)の軒場にある。この井筒は現在も残っており、名物・走井餅と共に街道の名物であった。  三条大橋の西袂に、十返舎一九の「東海道膝栗毛」の主人公「弥次郎兵衛と喜多八」のコンビのブロンズ像が立っています。  京師とは、都、京都の事。 三条大橋が東海道五十三次の終点。 眼下に鴨川が流れ、遠く、東山が望める。 橋の上を大原女や京女が行き交っています。
 9時00分JR石山駅出発。
10時00分義仲寺
10時25分大津・札の辻
10時55分逢坂山関跡
11時20分追分
11時50分JR山科駅(20分食事休憩)
12時35分御陵(天智天皇陵)
13時10分蹴上(14時45分まで散策)
15時10分三条大橋無事到着。
義仲寺 逢坂山関跡 三条大橋擬宝珠と鴨川
 今回は、石山から三条大橋まで歩き、今回の街道歩き第1弾(東海道五十三次・知立から京都まで)の完歩を目指す。 9時、JR石山駅を出発。 粟津・膳所と進み、9時35分、膳所城跡。 ここは、桜の名所だが、残念ながらまだ蕾。 10時、木曽義仲と松尾芭蕉の墓が並んで立つ義仲寺。 10時25分、大津宿・札の辻。 ここは、大津宿の中心地で、近くに大津宿本陣跡や露国皇太子遭難地碑が立っている。 ここから、蝉丸神社下社・上社を右に見て、ついに、10時55分逢坂山関跡に着く。 ここには、寛政6年の常夜灯と逢坂山関祉碑が立っており、ベンチやトイレも整備されている。 11時20分、奈良街道との分岐・追分。 11時35分、四之宮。 ついに京都市に入る。 11時55分、JR山科駅。 ここで12時15分まで食事休憩。 12時35分、寄り道になるが、天智天皇陵。 ここから上りになり、九条山を越えると、13時10分、蹴上に到着。 桜は五分咲き。 三条大橋まであとわずか。 時間もあるので、ここで花見散策を楽しむ事にする。 疎水のインクライン・南禅寺や疎水桜回廊十石舟めぐり船に乗り、桜を楽しむ。 14時45分、蹴上を出発。 三条通を西へ進み、15時10分、無事三条大橋に到着する。 「ついにヤッター!!」 三条大橋は天正18年秀吉によって完成されたと言れている。 現在の橋はコンクリート製だが、欄干の擬宝珠は往時のままで、池田屋騒動の時についたと言われる刀傷が残っている。・・・・・

 東海道五十三次・知立宿~三条大橋(141・7km)を、6日かけて歩いた。 完歩出来た事の達成感と、準備段階や実際歩いて得る事が出来た情報や知識ついにが非常に多く、充実感を味わえた。 旧東海道は、一部を除き、車の通りも少なく、歩き易い街道だ。 又、懐かしい紅柄格子の家屋や商店。 数多くの名所・旧跡。 今まで、観た事が無い・知らなかった事を、観たい・知りたいと言う、好奇心を掻き立てる、街道歩きであった。

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東海道五十三次 「知立(池鯉鮒) ~ 東京」 を歩く

   
40番宿場・知立(池鯉鮒)から東京日本橋まで

6月17日(木) 晴

東海道東・1回目
東海道五十三次 知立(池鯉鮒)宿~岡崎宿~藤川宿~赤坂宿(29・8km)

39番 岡崎宿 38番 藤川宿 37番 赤坂宿
 岡崎は徳川家康が生れた城で知られているが、以後豊臣秀吉の家臣・田中吉政によって城下町として整備された。 矢作川に橋を架け、東海道を城下に引き入れ、「二十七曲り」を作り上げた。府中・宮と並ぶ繁栄した宿場であった。 広重の「棒鼻」でも知られ、幕府直轄の宿場。紫むぎと藤の花の美しさが、道中記や古歌に多く詠まれている。 「ここもみかわ、むらさき麦の、かきつばた。芭蕉」
 棒鼻・・宿場の境界に立っていた棒机。
御油宿からわずか1・7kmと、東海道五十三次宿間の最短。幕府直轄の宿場であり、本宿峠の麓宿としての機能を持ち、御油宿同様に賑わった。御宿所・大橋屋は昔の趣きのまま、今でも営業している。
 7時15分 知立駅前出発。
 9時55分 八丁味噌
11時00分 二十七曲りの碑
12時00分 乙川を渡る
12時50分 藤川宿脇本陣
14時05分 名電山中駅
14時05分 本宿駅
15時20分 宮地山登山口
15時35分 名電赤坂駅
岡崎二十七曲りの碑@岡崎欠町 松並木@藤川宿手前の岡付近 御宿所・大橋屋(赤坂宿)
 街道歩きの第2弾として、東海道五十三次の内、知立(我家から一番近い宿場)から東京・日本橋まで歩く事にする。・・・

 今回、東海道東・第1回目は知立(40番)から赤坂(37番)まで歩く事にする。今回のコース中5割程度既に歩いてはいるが、コース完歩を目指す。 7時15分、名鉄知立駅前を出発。池鯉鮒宿本陣跡碑を後に、牛田・来迎寺と進み、7時55分沢渡川を渡り安城市に入る。今本・東栄・浜屋(明治用水記念碑・雲竜の松がある。)・宇頭茶屋・尾崎・柿崎と進み、9時05分岡崎市に入る。宇頭・暮戸・矢作と進み、9時40分矢作橋(街道一の大橋と言われた。)を渡る。八帖に入り、八丁味噌倉を過ぎ、10時00分板屋町角から岡崎城下二十七曲り(田中吉政は防衛の必要性から、屈折の多い、長い町並みを作り上げた。)に入る。各角には道標が有り、それに従い歩く。11時00分欠町に有る、岡崎二十七曲りの碑に着き、岡崎宿を出る。11時15分岡崎IC。11時20分から11時50分まで、大平で食事休憩。12時00分乙川を渡り、美合に入る。岡町から吉良道との分岐までの松並木は立派に残っている。12時50分藤川宿本陣跡。ここから、市場・舞木・山綱・本宿と進み14時05分本宿記念碑。ここから豊川市に入る。長沢を過ぎ、15時20分宮地山登山口に着く。ようやく今日の目的地・赤坂宿に到着した。大橋屋(現在も宿として営業している。)・赤坂宿跡等をカメラに納め、15時40分名電赤坂駅に無事到着。・・・・・

 今日は、暑く、日差しの強い中の街道歩きとなったが、松並木の日陰の有難さを実感した街道歩きでもあった。

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10月2日(土) 晴

東海道東・第2回目
東海道五十三次 赤坂宿~御油宿~吉田宿~二川宿~白須賀宿~新居宿
 ( 36・2km )

34番 吉田宿 33番 二川宿 31番 新居宿
 三河随一の城下町として栄え、ことに宿場町の性格をもった札木町には、問屋・本陣・脇本陣等が集中していたが、戦災で往時の町並みは失われている。  東海道33番目の宿場町。現在でも江戸時代の町割りがほぼそのままの状態で残り、東海道筋ではここと草津だけに現存する本陣の遺構がある。  新居宿には、関所が有り、今切の関所ともいわれる。江戸時代は新居と舞阪間は船で往来しており、渡船場は関所構内に有り、数百艘の船を有していた。
 7時45分 名電赤坂駅出発
 9時50分 豊川放水路を渡る。
10時55分 吉田宿東惣門
12時00分 大岩 (30分食事休憩)
12時40分 二川駅
13時00分 二川本陣資料館
14時00分 県境を越え、静岡県に入る。
14時30分 潮見坂展望台
16時00分 JR新居駅到着
御油の松並木 潮見坂より遠州灘を望む 新居関跡・渡船場跡
 今回、東海道東・第2回目は赤坂宿(36番)から新居宿(31番)まで歩く事にする。 今回は、かなりの長距離(約37km)になるが、頑張ってコース完歩を目指す。 7時45分、名電赤坂駅を出発。 赤坂宿を後に、御油の松並木・御油宿・国府・小田渕・伊奈・小坂井と進み、9時50分、豊川放水路を渡る。 魚市場や瓜郷遺跡の有る下地を通り、10時25分、豊川に架かる、豊橋(幕府直轄の五大橋のひとつ。)を渡ると、吉田宿。 吉田宿の東海道は、吉田城跡を迂回するように、西惣門跡・問屋場跡・東惣門跡等と進み、11時00分、瓦町で終る。 ここから、R1号線沿いに進み、飯村一里塚から火打ち坂を上る。 12時00分から30分迄、大岩の蕎麦屋で食事休憩。 12時30分出発。12時40分、二川駅に着く。 ここから、新居駅迄、約16km。 この間、JRの駅は無い。 どうしても新居駅まで歩かねばならない。 頑張って歩き出す。 二川宿・JR東海道線・新幹線ガード下をくぐり、神鋼電機前からR1号線沿いに、キャベツ畑の中を源吾坂・三つ坂・進み、14時県境を越え、静岡県に入る。 ここから白須賀の町並み・潮見坂公園・潮見坂下と進み、14時45分、潮見坂を下る。 ここから、松並木の残る東海道を大倉戸・浜名と進む。 15時45分、ようやく今日の目的地、新居宿の新居関跡に無事到着。 新居関跡・渡船場跡等をカメラに納め、16時00分、JR新居駅に無事到着。・・・・・

 今日は、久し振りの、しかも長距離の街道歩きとなったが、無事、しかも良く歩いた。 心地よい疲れと、達成感に浸りながら帰路に着いた。

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10月27日(水) 曇

東海道東・第3回目
東海道五十三次  舞阪宿~浜松宿~目附宿~袋井宿
 ( 35・8km )

30番 舞阪宿 天竜川 28番 見附宿(磐田市)
 幕領。浜名湖を前面にしたこの地は
早くから交通の要所で、すでに今川氏
時代に宿場の負担が課せられていた。
本陣2軒・脇本陣1軒・旅籠屋28軒。
 諏訪湖に源を発し、遠州灘に注ぐ長さ216kmの大河。あばれ川として知られ
ていた。 もちろん、昔は船渡しで、上・
中・下の三つの渡船場が有った。
 目附は、浜名湖の北を通り、御油宿
に達する姫街道の起点の地。 又、
奈良時代に築かれた遠江国分寺跡
が有り、昔からこの地の中心として栄
えていた。
 7時30分 JR弁天島駅出発。
 9時40分 二つ御堂
10時20分 連尺交差点(大手門跡)
11時35分 国1号バイパスを潜る。
12時00分 天竜川を渡る。
12時20分 長森(食事休憩25分)
14時00分 見附宿・旧見附小学校
15時15分 大田川を渡る。
16時05分 JR袋井駅到着。
北雁木(舞阪宿) 新天竜川橋・広い歩道橋 旧見附小学校(見附宿)
 今回、東海道東・第3回目は、舞阪宿(30番)から袋井宿(27番)まで歩く事にする。 今回も、かなりの長距離(約36km)になるが、頑張ってコース完歩を目指す。 7時30分、JR弁天島駅を出発。 まず舞阪宿の渡船場・北雁木、脇本陣、松並木を通り、8時05分、舞阪駅口を過ぎ、舞阪宿を後にする。 ここから東に、JR東海道線の南側を馬郡、坪井、篠原、高塚、増楽、若林、東若林と進み、9時40分、二つ御堂に到着。 ここから浜松市街地に入る。 新幹線とJR東海道線のガードを潜ると、まもなく浜松宿。 今や、ここは浜松駅やアクトタワーの繁華街に変わり、本陣跡等看板のみで、史跡は殆んど残っていない。 10時20分、連尺交差点に着く。 ここから街道は、90度東に曲がる。 10時30分、浜松宿を後にし、木戸、植松、和田、薬師と進み、11時35分、国1号バイパスのガードを潜ると天竜川の西の中野町だ。 12時、遂に天竜川に着く。 ここには、3本の橋「天竜川橋・新天竜川橋(下り)・新天竜川橋(上り)」が架かっており、その真ん中の新天竜川橋(注1)には広い歩道橋が設置されている。 この歩道橋を歩いたが、渡るのに13分程かかり、天竜川の川幅の広さには驚く。 12時20分、橋を渡り、長森の食堂で昼食。 12時45分出発。 長森、宮之一色、中泉と進み、13時30分見附宿に到着。 遠江国分寺跡、姫街道起点、旧見附小学校、見附天神と霊犬しっぺい太郎(注2)の像を見て、14時15分見附宿を後にする。 岩井で一時道を間違え、何人かに道を聞き、20分程、時間ロス。 15時15分大田川を渡る。 木原に入ると、遂に袋井市。 川合を過ぎ15時45分、袋井宿西本陣跡。 16時05分、JR袋井駅に無事到着する。・・・・・

今回も良く歩いた。予定のコースを無事完歩出来、心地よい疲れと、達成感に浸りながら、16時15分のJRで帰路に着いた。

 注1: 2006年11月新天竜川橋に広い歩道橋が出来た。それまでは歩道部分は無く、トラックがビュンビュン通る欄干沿いを歩いて渡るしかなく、東海道五十三次中、一番危険な場所と言われており、路線バスで渡る人が殆んどだった。

 注2: 見附に人身御供を要求する妖怪がいて、村人は苦しんでいた。 旅の僧から信州・駒ヶ根の光前寺に霊犬・悉平(シッペイ)太郎がいることを聞き、その犬を借受け、妖怪を退治したと言う伝説が残っている。御礼に送られた教本は、光前寺の秘宝として残っている。

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11月2日(火) 晴

東海道東・4回目
東海道五十三次 袋井宿~掛川宿~日坂宿~金谷宿~島田宿
(32・2km)

27番 袋井宿 26番 掛川宿 25番 日坂宿
 江戸と京のちょうど中間の宿場。近くに油山寺・可睡斎・法多山の遠州三山が有る。「東海道どまん中ふくろい」のキャッチフレーズに町づくりを推進している。  山内一豊が掛川城を整備拡大した城下として栄えた。名産は葛布。葛から採った繊維で織り上げる布。現在でも織元が残り、生産されている。  日坂宿は山間の小さい宿場。今も江戸時代の町割がそのまま残っており、宿場の雰囲気をたっぷり残している。扇屋本陣跡は、日坂宿のシンボルとなっている。
 8時05分 JR袋井駅出発。
 8時55分 富士浅間宮赤鳥居
 9時05分 同心橋(掛川市に入る)
 9時30分 掛川バイパスを潜る
10時20分 JR掛川駅口
10時35分 掛川七曲りを抜ける
11時30分 伊達方一里塚
11時50分 事任八幡宮
12時00分 日坂・扇屋本陣跡
ど真中・袋井宿 掛川城 日坂の扇屋本陣跡
小夜の中山峠 24番 金谷宿 23番 島田宿
 小夜の中山峠は、箱根・鈴鹿峠とともに東海道3大難所と言われ、特に東の青木坂と西の沓掛の急勾配に、旅人は泣かされたであろう。小夜の中山公園がある。  西に小夜の中山峠、東に大井川と二つの難所に挟まれ、川越しの宿場として栄え、金谷本宿と河原町の二つの町で構成されていた。  島田宿は、西に大井川の難所を控え、川越を待つ人々で賑わった宿場。大井川近くには、往時を偲ばせる家並みが有る。旅人は博物館辺りから川越えした。
12時20分 小夜の泣き石
12時50分 小夜の中山公園
13時20分 菊川坂・上り石畳口
13時45分 金谷坂・下り石畳口
14時00分 JR金谷駅
14時20分 大井川鉄道線路を渡る
14時30分 大井川を渡る
15時15分 JR島田駅口
15時55分 JR六合駅到着
小夜の中山峠より富士山を望む 金谷坂・石畳上り口 新大井川橋・歩道橋
  今回も、かなりの長距離今回、東海道東・第4回目は、袋井宿(27番)から島田宿(23番)の先・JR六合駅まで歩く事にする。(約33km)になるが、頑張ってコース完歩を目指す。 8時05分、JR袋井駅を出発。 まず「東海道ど真中袋井」のキャチフレーズの目立つ袋井宿を後に、8時30分七ツ森神社。8時55分富士浅見宮赤鳥居と進み、9時05分同心橋を渡り掛川市に入る。東名高速と掛川バイパスを潜り、逆川沿いに進み、9時55分大池橋を渡ると掛川市街地に入る。 10時20分JR掛川駅口。掛川城の大手門や天守閣を左に見ながら、掛川宿を行く。 10時35分外敵攻撃を守る為、街道は右に左にと曲がり、迷路の様な新町七曲りを抜ける。掛川宿を後に、葛川・伊達方とR1号線沿いに進み、11時50分事任(ことのまま)八幡宮。ここでR1号線の陸橋を渡り、日坂宿に向う。12時00分、今は幼稚園になっている日坂宿の扇屋本陣。12時05分日坂バイパスを潜ると道は沓掛と呼ばれる急坂になる。12時20分、急坂を登り切った小夜の泣き石付近で食事休憩。12時30分出発。茶畑の中の道を進む。12時50分小夜の中山公園。展望台から霞んではいるが、頂上が白い帽子を被った富士山が大きく望める。素晴らしい。13時00分中山公園を出発。ここから菊川の里まで青木坂と呼ばれる急坂を下る。菊川の里に入り、13時20分菊川坂の上り入口から、石畳道(丸石を敷き詰めた道)を上る。13時45分今度は金谷坂の下り入口から、石畳道を下る。坂の途中には、すべらず地蔵尊・石畳茶屋等がある。金谷坂・石畳を終え、14時00分JR金谷駅に着く。金谷市街を通り、14時20分大井川鉄道線路を渡る。14時30分大井川橋に到着。大井川はさすがに大河だ。大井川橋には立派な歩道橋が整備されており、長い歩道橋を13分程かけて渡る。14時50分、過っての川越え広場(島田博物館前)。ここから島田宿大井川川越遺跡を通り、15時15分JR島田駅口。15時40分栃山橋を渡ると、まもなくJR六合駅。15時55分、無事本日の予定地・JR六合駅到着。・・・・・

本日も良く歩いた。特に二つの急勾配の上り(沓掛・菊川坂)と下り(青木坂・金谷坂)を越え、予定通り完歩出来た達成感に浸りながら、16時05分のJRで帰路に着いた。

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11月11日(水) 晴

東海道東5回目
東海道五十三次  藤枝宿~岡部宿~丸子宿
(29・4km)

22番 藤枝宿 21番 岡部宿 20番 丸子宿
 田中城の城下町。 田沼街道・高根街道・瀬戸谷街道の交通の要所として栄えた。西木戸から東木戸まで2kmと長い宿場であった。  幕領の小さな宿場。 旅籠の大きな物が少なく、大名行列が宿泊の場合、隣りの宿場から夜具を借りて間に合わせるほどであった。  現在でもとろろ汁が名物。老舗・丁字屋は今でも繁盛している。(この日水曜日は定休日)幕領で安倍川の川越を扱い、川越人足も多くいた。
 8時35分 JR六合駅出発
 9時45分 勝草橋。藤枝宿に入る。
10時15分 藤枝宿の出口、東木戸跡
11時02分 岡部宿に入る。
11時45分 大旅籠・柏屋(食事)
13時00分 道の駅(岡部側)
13時25分 宇津ツ谷峠
14時35分 丸子宿・本陣跡
15時15分 JR安倍川駅到着
大旅籠柏屋 @岡部宿 明治トンネル @宇津ノ谷峠 丸子・丁字屋
 今回、東海道東・第5回目は、JR六合駅から丸子宿(20番)の先・JR安倍川駅まで歩く事にする。 今回も、かなりの長距離(約30km)と宇津ツ谷峠越が有るが、頑張ってコース完歩を目指す。 8時35分、JR六合駅を出発。8時43分藤枝市に入る。藤枝・上青島辺りには、松並木が目立つ。9時30分藤枝駅口。ここでR1号を渡る。9時45分勝草橋を渡ると藤枝宿に入る。藤枝宿は、西木戸から東木戸まで非常に長い宿場で、今では、さわやか通り商店街になっている。10時15分東木戸跡を後にする。10時30分水守交差点を渡り、須賀神社の大楠・法の橋・横内橋と進む。11時03分藤枝バイパスを渡ると、岡部宿に入る。ここから岡部の松並木が続く。11時20分、岡部総合案内所で岡部宿・宇津ツ谷峠散策マップを頂き、丁寧な説明を受ける。「ありがたい。」11時45分岡部宿・大旅籠柏屋。ここの食事処で名物・自然薯とろろそばを頂く。「美味い」・・・ 12時35分、散策マップを手に、宇津ツ峠越えに出発。13時00分岡部側・宇津ツ峠道の駅。ここからR1号バイパスを潜り、つたの細道(*注1)との分岐を左折。砂利道の旧東海道の急坂を上る。峠近くの、坂下(道標)を左折し、ノスタルチックな気分になる峠直下の明治のトンネル(*注2)を通る。国の登録文化財に指定されており、きれいに管理されている史跡だ。宇津ツ谷の家並・十団子の碑等を通り、13時45分静岡側・宇津ツ峠道の駅に到着。ここでつたの細道と合流する。14時30分丸子橋を渡り丸子宿に入る。まずとろろ汁老舗・丁子屋。現在でも営業しているが、残念だが、今日水曜日は定休日。15時東海道から分かれ、JR安倍川駅へ。15時15分、JR安倍川駅に無事到着。・・・・・

 本日も良く歩いた。特に昔の面影を多く残した、岡部宿から宇津ツ谷峠・宇津ツ谷の集落等見所一杯の散策はもう一度、ゆっくり歩きたいコースだ。予定通り完歩出来た達成感に浸りながら、JRで帰路に着いた。

*注1:平安・鎌倉・室町期にかけての主要道路。伊勢物語に出てくる。現在ハイキングコースとして整備されている。旧東海道     の峠道は、豊臣秀吉が小田原攻めの時、多くの兵を通す為、拓いたと言われている。

*注2:明治9年、宇津ツ谷峠に初めて出来たトンネル。日本初の有料トンネルでしたが、失火により岩壁が崩落し、通過出来     なくなった。明治27年、県の事業によりレンガで固められ、現在のトンネルに生まれ変わった。国の登録文化財に指定     されており、ノスタルチックな気分に浸れる史跡。

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1月20日(木) 晴

東海道東6回目
東海道五十三次  府中宿~江尻宿~興津宿~由比宿
(32・4km)

19番 府中宿 18番 江尻宿 17番 興津宿 16番 由比宿
現在の静岡市。昔から駿河の国の政治・経済の中心地で有った。また宿場町・城下町・浅間神社の門前町でもあった。 巴川のほとりに出来た宿場。清水湊に隣接し、川や海の交通が盛んであった。江尻は巴川の尻(下流)が由来。 東の由比宿との間には、難所で知られた薩埵峠があり、旅人にとっては、重要な宿場であった。 由比は、昔製塩等が行われていた、のどかな農漁村であった。往時の建築様式を残す民家も多い。
 8時50分 安倍川駅出発
 9時30分 安倍川を渡る
10時30分 春日駅
11時30分 東名高速潜る
12時07分 草薙神社鳥居
12時40分 清水道追分
13時00分 稚児橋
13時24分 辻町
13時40分 庵原川を渡る
14時00分 清見寺
14時20分 JR興津駅
14時35分 興津川を渡る
15時00分 薩埵峠
15時50分 JR由比駅
16時15分 由比本陣公園
16時40分 JR蒲原駅到着
安倍川橋 清見寺 富士山 @薩埵峠
 今回、東海道東・第6回目は、JR安倍川駅から由比宿(20番)の先・JR蒲原駅まで歩く事にする。 今回も、かなりの長距離(約32km)と薩埵峠越が有るが、頑張ってコース完歩を目指す。 8時50分、JR安倍川駅を出発。 9時13分東海道に入る。 今日は上天気。 正面に富士山が望める。 富士山を眺めながらの街道歩きが出来そう。 楽しみだ。 9時30分安倍川を渡る。 ここから府中宿に入る。 札之辻址・県庁・市役所・新静岡駅前等の静岡市中心街を通り、10時20分春日1丁目交差点で府中宿を出る。 ここから、静岡鉄道沿いに進み、11時15分古庄でJR新幹線・東海道線を地下道で潜る。 旧東海道記念碑・県総合運動公園駅を通り11時30分東名高速道を潜る。 11時33分レストランに入りパスタランチを頂く。 何時も感じる事だが、昼食は街道歩きの大きな楽しみの一つだ。 「美味い。」 12時午後の街道歩きに出発。 12時07分、ヤマトタケルの伝説で有名な草薙神社の鳥居前。 12時35分、JR東海道線を渡る。 ここから清水道との追分道標や名物 「追分羊羹」 老舗を通り、13時、稚児橋を渡ると江尻宿に入る。 JR清水駅前を通り、13時24分、辻町でR1号線と合流し興津へ向う。 13時40分、庵原川・13時50分JR東海道線を渡る。14時05分清見寺(白鳳時代・清見関所が設けられた時の仏堂。五百羅漢・臥龍梅が有名。)。 14時20分JR興津駅前。 14時35分興津川を渡る。 ここから薩埵峠への登りが始まる。 ここはハイキングで人気があるコース。 十数人のハイカーや20人程の2グループとすれちがう。 15時薩埵峠に到着。 お目当ての富士山は、今回もまた雄姿を見せてくれた。 名残惜しいが、富士の雄姿をカメラに納め、みかん畑の峠の坂道を下る。 15時50分、JR由比駅。 16時15分由比本陣公園。 桜えびを土産に購入。 16時40分無事JR蒲原駅に到着。・・・・・

 今日も良く歩いた。 今日は寒い日であったが、風も無く上天気で、時々望める富士山の雄姿に、後押しされての街道歩きを楽しめた。 予定通り完歩出来た達成感に浸りながら、JRで帰路に着いた。

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2月3日(木) 晴

東海道東7回目
東海道五十三次 蒲原宿~吉原宿~原宿~沼津宿
(35km)

15番 蒲原宿 14番 吉原宿 13番 原宿 12番 沼津宿
富士川の船運で、米や塩の輸送基地として栄えた宿場町。町並みは、古い街道の面影を残している。 津波の為、三度も宿場を移転している。低地のヨシの茂った原っぱから、吉原宿と言う。名勝左富士がある。 原と言う地名は、浮島ヶ原から由来する。幕領で、海辺で漁業が盛んな為、将軍家の魚の御納屋御用を務めた地。 沼津藩水野氏の城下町。狩野川沿いの宿場であり、水運が盛ん。古くから港町として栄えた。
 9時30分 JR蒲原駅出発
 9時50分 蒲原宿
10時25分 富士市に入る
11時00分 富士川
11時33分 JR富士駅口
11時55分~12時20分食事
12時40分 志けん橋
13時12分 名勝左富士
13時43分 毘沙門天
14時30分 沼津市に入る
15時20分 JR原駅口
15時53分 JR片名駅口
16時24分 藩領榜示杭
16時40分 浅間神社
16時50分 大手町
17時00分 JR沼津駅到着
富士山 @富士川橋 工場屋根上の富士山 @名勝左富士 富士山 @千本松原
 今回、東海道東・第7回目は、JR蒲原駅から沼津宿(12番)のJR沼津駅まで歩く事にする。 今回も、かなりの長距離(約35km)で有るが、頑張ってコース完歩を目指す。 幸い今日は上天気。 富士山に一番近い所を通るコースの為、富士山を眺めながらの街道歩きが楽しめる。 楽しみだ。 9時30分、JR蒲原駅を出発。 9時50分蒲原宿に入る。 大正時代の洋館や・なまこ壁の家等,古い街道の面影を残す、懐かしい町並みが残っている。 10時25分、蒲原から富士市に入る。 ここから富士山が正面に雄姿を現す。 素晴らしい。 11時富士川橋の歩道橋を渡る。 ここからの富士山は遮るものも無く見事だ。 「私の私見だが、東海道の中で、富士川からの富士山が一番の絶景だと思う。」 11時55分~12時20分、富士市・塔の木で昼食。 12時40分志けん橋。 ここから吉原宿に入る。 13時12分、名勝左富士 (江戸から京都に向う中で、富士山は常に右に見て行く。 ここでは道のひずみから、松並木の左に見え 左富士」 呼ばれ、街道の名勝となった。)。 今では、富士山も工場の屋根の上に、山頂部を見せるだけの風景に変わった。 13時43分毘沙門天妙法寺。 14時12分、JR東田子の浦駅口を過ぎ、14時30分沼津市に入る。 ここから海岸線沿いに千本松街道を行く。 見事な松並木の防風林と駿河湾の海岸線は見事だ。 15時20分JR原駅口。 15時53分片浜駅口。 16時24分、ついに沼津藩領榜示杭を越える。 沼津宿に入り浅間神社、大手町を経て、本日の目的地JR沼津駅に、17時到着。 17時20分のJRで帰路に着いた。 ・・・・・

今日も良く歩いた。 今日は全国的に晴マークの上天気。素晴らしい富士山の雄姿に、後押しされての街道歩きを楽しめた。 予定通り完歩出来た達成感に浸りながら、JRで帰路に着いた。

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3月2日(水)~3日(木)

東海道東8回目
東海道五十三次 沼津宿~三島宿~箱根宿~小田原宿~二宮
(48.3km)

 3月2日(水) 沼津宿~三島宿~箱根峠・箱根宿~箱根・畑宿
12番 沼津宿 11番 三島宿 10番 箱根宿
 沼津藩水野氏の城下町。狩野川沿いの宿場であり、水運が盛ん。古くから港町として栄えた  この宿の特長は「水」。宿場の山側の小浜池、菰池には、富士山の雪解け水がこんこんと湧き出している。  険しい急坂で街道一の難所であり、「出女」のきびしい取り締りの関所が設置された芦ノ湖畔の宿。
 8時45分 JR沼津駅出発。
 9時25分 黄瀬川を渡る。
10時10分 三島神社。
12時35分 山中城跡。
13時25分 接待茶屋。
14時00分 箱根峠。
14時45分 箱根関所。
15時30分 甘酒茶屋。
16時10分 畑宿本陣跡到着。
三島大社 箱根峠 箱根関所跡
  今回、東海道東・第8回目は、いよいよ箱根峠越えに臨む為、1泊2日の日程で、JR沼津駅からJR二宮駅(小田原と大磯宿の間の宿)まで歩く事にする。 今日は、JR沼津駅から、三島、最大の難所・箱根峠を越え、箱根湯本温泉までのコース完歩を目指す。 天気予報では上天気の予報であったが、沼津に着いた時には、今にも降り出しそうな曇り空。 天気の回復を祈りつつ8時45分JR沼津駅を出発。 狩野川沿いに東に向かい、9時25分、黄瀬川を渡り清水町に入る。 黄瀬川の東の八幡宮に源頼朝・義経の対面石が有る。 10時10分三島大社。 箱根越えの無事を祈る。 10時30分JR東海道線を渡ると、いよいよここから、箱根旧街道の入口に入る。 石畳の急坂が始まる。 今井坂・愛宕坂・臼転坂と進み、11時過ぎから雨が降り出す。 急いで山用の上下雨具を付ける。 雨の坂道歩きは特別問題はないが、ただ石畳は滑らぬ様に注意しながらの歩きになるので歩き辛い。 12時35分山中城跡に到着。 この辺から雪の混じる小雨になる。 気温がかなり下って来たようだ。 防寒具を着込む。 13時25分接待茶屋から最後の甲石坂を上り、13時40分~13時55分、兜石休憩所で小休止。 おにぎりを頂く。 ここはもう箱根峠の一部。 14時15分箱根峠エコパーキング。 ガスがかかって来た。 地図で位置を十分確認しながら、慎重にR1号線沿いに進み、14時30分、道の駅の手前の箱根旧街道入口から石畳の杉並木の急坂を下る。 14時45分、箱根関所跡。 元箱根・賽の河原から、再び箱根旧街道を滑らぬ様注意しながら、小雪がちらつく薄暗い石畳の街道を下る。 昔、箱根の坂道は雨が降るとすねまでつかる泥道となるため、排水を考えた見事な石畳が敷かれた様だ。 15時30分甘茶茶屋。16時10分畑宿本陣跡。 ここから今日の宿泊地湯本温泉まで1時間はかかる。 ちょうど、16時18分湯本温泉駅行きのバスが有るので、バスで湯本温泉へ向う。・・・

 今日の、石畳の箱根峠越え。想像以上に良く歩いた。  又、箱根峠は、「箱根の山は天下の剣。・・・昼なお暗き、杉の並木。・・・」 と歌われている通り街道一の難所で有る事が実感できた、思い出に残る街道歩きになった。

 3月3日(木) 箱根・畑宿~小田原宿~二宮
畑宿・湯本 9番 小田原宿 二宮(間の宿)
 湯本は、箱根七湯の一つで古くから賑わっている代表的な湯治場。畑宿は寄木細工作りで有名。  江戸時代、大久保氏十一万石の城下町。箱根の山越え・関所を控えた宿場として大いに栄えた。  大磯宿と小田原宿の距離が長いことから作られた、間の宿二宮。「梅沢の立場」と呼ばれ、賑わった。
 6時40分 畑宿本陣跡出発。
 7時50分 湯本・早雲寺。
 8時00分 湯本・三枚橋。 
 8時55分 小田原・板橋見附。
 9時10分~30分 小田原城跡
10時15分 酒匂川を渡る。
11時05分 JR国府津駅前
11時10分~35分 食事
12時40分 JR二宮駅到着。
旧街道・石畳 小田原城 酒匂川河口
 朝6時、湯本温泉の宿をチエックアウト。バスで畑宿本陣跡に向い、6時40分、畑宿本陣跡を出発。今日は曇っているが、山の上の方は白くなっている。急坂の石畳の道と旧国道を下り、7時00分女転がし坂、ここを過ぎると、急坂の石畳道は終る。 7時50分湯本温泉・早雲寺。 8時00分湯本・三枚橋でR1号線と合流。 以後小田原までR1号線の路肩歩道を歩く。 8時55分小田原・板橋見附。 9時10分~35分まで小田原城跡を散策。 小田原に入ってから天気も晴れ出し、青空に映える天守閣が見事だ。 10時15分酒匂川を渡る。 11時03分、JR国府津駅口。 11時10分~35分まで、少し早いが食事休憩。 11時54分大山道入口道標。 12時40分、JR二宮駅(間の宿・二宮)に到着。 今日はここまで。 12時51分のJRで帰路に着いた。・・・

 残り日本橋まで74km。いよいよゴールが見えて来た。

 *箱根峠から川崎宿までの地図は神奈川東海道ルネッサンス推進協議会発行の「宿場マップ」を使用する。

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3月9日(水)~10日(木)

東海道東9回目
東海道五十三次 二宮・大磯宿~平塚宿~藤沢宿~戸塚宿~保土ヶ谷宿~神奈川宿~川崎宿
(55km)

 3月9日(水) 二ノ宮~大磯宿~平塚宿~藤沢宿
8番 大磯宿 7番 平塚宿 6番 藤沢宿
 松並木は休息の場として東海道開通と同時に整備された。近年、都市開発で減少。これほどの規模で松並木が見られる宿場は大磯宿周辺のみ。  北条氏が城郭を築いたところから発展した町。相模川を利用した物資の集散地。東海道・中原街道・八王子道の交通の要所として栄えた宿場。  踊念仏で知られる一遍をを開祖とする、時宗の総本山遊行寺の門前町として、又江ノ島に近く、行楽や弁財天参拝でも賑わった宿場。
11時20分 JR二宮駅出発。
12時00分 大磯城山公園
13時00分 花水橋を渡る。
13時28分 JR平塚駅前
13時45分 相模川を渡る。
14時35分 JR茅ヶ崎駅前
15時28分 藤沢市に入る。
15時57分 引地川を渡る。
16時25分 藤沢・遊行寺橋到着。
大磯城山公園 高麗山と花水橋 茅ヶ崎の松並木
 今回、東海道東・第9回目は、JR二宮駅から、いよいよゴール手前のJR川崎駅まで、1泊2日の行程で歩く事にする。 今日は、JR二宮駅から、藤沢宿(6番)までの完歩を目指す。 今日は青春18切符利用の為、二宮駅到着は11時18分と遅くなる。 熱海駅で駅弁を買い、車内で昼食を済ます。 11時20分、JR二宮駅出発。 12時00分、大磯城山公園。 この辺りから、化粧坂公園まで、今も変わらぬ美しい松並木が残っている。 13時、金目川に架かる花水橋を渡る。 後に、広重の絵に出てくる「高麗山」が見える。 ここから平塚宿に入る。 本陣跡・江戸見附跡と過ぎ、13時28分JR平塚駅前。 13時45分相模川を渡り茅ヶ崎に入る。 14時16分、南湖左富士の碑。 ここでは、京に向う時、吉原宿と同様に「左富士」が見える名所。 14時35分茅ヶ崎駅口。 茅ヶ崎ではR1号線沿いの松並木が残る歩道を行く。 15時28分藤沢市に入る。 15時37分四ツ谷分岐でR1号線と分かれる。 15時57分引地橋を渡る。 16時11分、小田急江ノ島線を渡り藤沢宿に入る。 16時25分今日の目的地・遊行寺橋に無事到着する。・・・・・

今日は、出発時間が遅くなったが、天気も良く、快適に予定通り歩けた。 明日は、川崎宿までかなりの長距離、出来るだけ早く出発し、完歩を目指す。
 3月10日(木) 藤沢宿~戸塚宿~保土ヶ谷宿~神奈川宿~川崎宿
5番 戸塚宿 4番 保土ヶ谷宿 3番 神奈川宿
 昔の旅の1日の行程は10里。戸塚は江戸からこの10里の距離にある宿場。又江戸よりの「権太坂」と京よりの「大坂」の二つの難所に挟まれており賑わった。  江戸を出て最初の難所と言われる急坂「権太坂」の手前に有った宿場。 旅人の多くは保土ヶ谷宿で休息し、急坂越えに挑んだ。  海沿いの東海道有数の景勝地「袖ヶ浦」を臨み、行楽地としても栄えた宿場町。 1858年の日米修好通商条約締結後、開港場としても賑わった。
 6時22分 遊行寺橋出発。
 8時00分 富塚八幡宮。
 9時33分 品濃坂。
10時25分 権太坂。
11時30分~12時 浅間(食事)
12時25分 青木橋(JR線)渡る。
13時25分 生麦事件碑。
14時10分 鶴見川を渡る。
15時00分 JR川崎駅到着。
時宗総本山・遊行寺 品濃坂から富士山を望む。 鶴見川橋
 6時00分、ホテルをチエックアウト。 6時20分、遊行寺橋を出発する。 遊行寺・諏訪神社前を通り、道は上りが続く。 6時50分、藤沢バイパスと合流。 さらに7時40分、横浜新道との分岐まで 「大坂」 と呼ばれる上り坂は続く。 8時00分、戸塚・富塚神社。 戸塚の市街地を通り、8時30分、JR戸塚駅地下街を通り抜ける。 8時55分不動坂。 9時17分、東戸塚駅入口まで、ほぼR1号線沿いに進む。 ここから住宅街を品濃坂に向うも、道に迷う。 地元の方に教えて頂き無事、9時45分、環状2号に架かる歩道橋より、品濃坂に入る。 品濃一里塚・焼餅坂・境木地蔵を通り、10時25分、権太坂を下る。 境木地蔵近くに「投込み塚の碑」がある。 旅の半ばにして、行き倒れた人を埋めた碑がある。 昔の旅の厳しさを痛感する。 10時30分元町ガードからJR線沿いに進み、11時58分、保土ヶ谷本陣跡よりJR線を渡り、保土ヶ谷商店街を行く。 保土ヶ谷駅前・帷子橋を通り、11時30分~12時00分まで、浅見神社近くで食事休憩。 12時00分、浅見下。 西口ランプ入口・神奈川関門の碑・青木橋(JR線を渡る。)を通り、12時35分、中央市場入口。 ここからR15号線沿いに進む。 余談だが浦島町・子安一付近はラーメン屋が非常に多い。 「食事をここまで我慢すれば良かった。残念。」 13時25分、キリンビール横浜工場横の生麦事件碑 (1862年、ここ生麦村で薩摩・島津久光の行列に遭遇したイギリス人4名が、無礼のかどで切り付けられた事件。 国際問題に発展。 薩英戦争の原因にもなった。)。 13時56分、東急鶴見駅。 鶴見神社・鶴見川橋と進み、14時27分、川崎市・東急八丁畷駅。 14時45分、今日の目的地・川崎宿・砂子に無事到着する。 (15時00分JR川崎駅到着。15時25分のJRで帰路に着いた。)・・・・・

 今回も予定通り、良く歩けた。 後、日本橋まで20km 4~5時間。 ゴールが楽しみだ。!!

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10月16日(日)晴

東海道東10回目(最終回)
東海道五十三次 川崎宿~品川宿~日本橋(ゴール)
(20km)

2番 川崎宿 1番 品川宿 ゴール 日本橋
 品川宿と神奈川宿の間が長いので、作られた宿場。 多摩川を渡る六郷の渡しを控えた宿場であり、又、川崎大師が近く、昔から参拝客で賑わった宿場。  品川宿は江戸を出て最初の宿場。 江戸の玄関口として何時も賑わっていた宿場。 宿場の中心は今の北品川駅付近で、今も商店街として賑わっている。  東海道五十三次の起点。日本橋のセンターライン上に道路原票が埋め込まれ、東海道(R1号、R15号)、日光・奥州街道(R4号)、水戸街道(R6号)、中山道(R17号)、甲州街道(R20号)の起点である。
 9時00分 川崎・砂子出発。
10時00分 東急鎌田駅
10時55分 平和島競艇場
11時45分 品川寺
12時00分~40分 北品川(食事休憩)
13時15分 泉岳寺
13時50分 芝4丁目
14時40分~15時 銀座8丁目~京橋
15時15分 日本橋到着。
日本橋にて 日本国道路元標 @日本橋中央部 日本橋にて
 今年3月10日に川崎宿まで歩き、ゴール日本橋まで20kmを残すのみとなった。 3月中に東海道ラスト・ウオークを歩く予定であった。 翌日(3月11日)、思いもよらぬ東日本大震災が有り、東海道ラスト・ウオークを延期して来た。 今回、震災後7ヶ月過ぎ、10月16日に東海道ラスト・ウオークを計画した。

10月16日(日) 晴
 今回、東海道東・第10回目は、川崎・砂子1丁目から、いよいよゴールの日本橋まで20kmを歩く事にする。 尚、今日は息子夫妻が同行してくれる事となり、より楽しいラスト・ウオークとなった。 朝9時、川崎・砂子1丁目で集合し、日本橋に向け出発する。 程無く進み、多摩川に架かる新六郷橋を渡ると東京都に入る。 道はほぼR15号線沿いに進み、迷うことは無い。 六郷、雑色、蒲田、大森と進み、10時55分、平和島競艇場。 11時00分、しながわ水族館。 ここから品川区に入る。 鈴ヶ森刑場遺蹟、涙橋、品川寺、品川本陣跡等と進む。 12時00分、北品川駅近くの老舗てんぷら屋(三浦屋)で天丼を頂く。 美味い。 12時40分、北品川を出発。 あとゴールまで8kmだ。 踏切、八ッ山橋を渡り、品川駅前を通り高輪へ。 13時15分、赤穂浪士の墓の有る泉岳寺に参拝。 その後、三田、芝、大門、新橋と進む。 14時40分、銀座8丁目から歩行者天国で賑わっている銀座中央通りを行く。15時00分京橋跡。 八重洲通りを渡り、高島屋を過ぎ、遂に15時15分、東海道のゴール・日本橋に到着。 「ヤッター。!!」 日本橋は、重厚な石橋であり、橋の中央部センターライン上に、日本国道路元票が埋め込まれている。 つまり日本の主要道路の起点となっている、日本を代表する橋である。 実際、橋そのものは堂々たる風格を備えているが、残念な事に、東京オリンピックの年に完成した高架道路で景観は台無しになっている。何とかならないものか。!!・・・・・

 東海道五十三次・知立宿~日本橋(約350km)を、12日かけて歩いた。 完歩出来た事の達成感と、準備段階や、実際歩いて得た情報や知識が非常に多く、充実感を味わえた。 天竜川・大井川・富士川等には立派な歩道橋が架かっており、安全に歩けた。 小夜の中山峠、宇ッ津峠、箱根峠等も、無事予定通り歩けた。 街道歩きも回を重ねるに付け、1日30km近くのペースで歩く事が出来た。 数多くの名所・旧跡。 今まで、観た事が無い・知らなかった事を、観たい・知りたいと言う、好奇心を掻き立てる、街道歩きであった。 今回のラスト・ウオークは、息子夫妻が同行してくれ、最高の思い出深い物ととなった。・・・・・

多摩川 @六郷橋(六郷渡し)より 高輪 泉岳寺 歩行者天国 @銀座にて
 東海道五十三次 (知立~京都三条大橋) (知立~東京日本橋) ウオークの軌跡
 NO    年  月  日       宿場名  ~   宿場名      距 離    出発駅  ~  帰宅駅
   1  2010 02 04    39番 知立宿  ~  41番 宮宿    19・7km   名鉄・知立 ~ JR・熱田
   2  2010 02 08    42番 桑名宿  ~  45番 庄野宿    24・9km   JR・桑名  ~ JR・加佐登
   3  2010 02 21    45番 庄野宿  ~  47番 関宿    17・1km   JR・加佐登 ~ JR・関
   4  2010 03 08    47番 関宿   ~  50番 水口宿    30・1km   JR・関宿 ~ 近江・水口城南
   5  2010 03 17    50番 水口宿  ~   石山    32・7km  近江・水口城南 ~ JR・石山
   6  2010 03 30         石山  ~  京都・三条大橋    17・2km   JR・石山 ~ JR・京都
   7  2010 06 17    39番 知立宿  ~  36番 赤坂宿    29・8km  名鉄・知立 ~ 名鉄・名電赤坂
   8  2010 10 02    36番 赤坂宿  ~  31番 新居宿    36・2km  名鉄・名電赤坂 ~ JR新居町
   9  2010 10 27    30番 舞阪宿  ~  27番 袋井宿    35・8km  JR・弁天島  ~  JR・袋井
  10  2010 11 02    27番 袋井宿  ~  23番 島田宿    32・2km  JR・袋井   ~   JR・六合
  11  2010 11 11    22番 藤枝宿  ~  20番 丸子宿    29・4km   JR・六合  ~  JR・安倍川
  12  2011 01 20    19番 府中宿  ~  16番 由比宿    32・4km   JR・安倍川 ~  JR・蒲原
  13  2011 02 03    15番 蒲原宿  ~  12番 沼津宿    35・0km   JR・蒲原   ~  JR・沼津
  14  2011 03 02    12番 沼津宿  ~  10番 箱根宿             JR・沼津   ~  湯本(泊)
  15  2011 03 03    10番 箱根宿  ~    二宮    48・3km   湯本     ~   JR・二宮
  16  2011 03 09        二宮    ~   6番 藤沢宿             JR・二宮  ~   藤沢(泊)
  17  2011 03 10     6番 藤沢宿  ~   2番 川崎宿    55・0km   藤沢     ~   JR・川崎
  18  2011 10 16     2番 川崎宿  ~   東京・日本橋    20・0km   JR・川崎  ~   JR・東京
        495・8km  
参考資料:東海道五十三次街道歩きマップ
滋賀県・・・・・・・・・・・「近江東海道中絵巻」 近江歴史回廊推進協会発行
鈴鹿峠~箱根峠・・・「東海道さんさくマップ」 中部建設協会発行
神奈川県・・・・・・・・・「宿場マップ 歩く・知る・発見する・東海道」 神奈川東海道ルネッサンス推進協議会発行
東京都・・・・・・・・・・・「東海道」 東京国道事務所発行
 以上マップは、発行元に連絡すれば入手可能。

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姫街道を歩く。

「見付宿~浜名湖北岸~本坂峠~御油宿」

 今切れの渡しと新居関所を嫌って、女が多く利用した、浜名湖
北岸と本坂峠を越える東海道の脇街道(迂回路)を姫街道と
呼ばれている。磐田の見付宿から市野宿~気賀宿~三ケ日宿~嵩山宿を経て、豊川の御油宿に到る約60kmの脇街道。

2012年3月21日(水)晴

姫街道・1回目
見付宿(磐田市)~天竜川(池田渡し)~安間起点~市野宿~遠鉄自動車学校駅(浜松市)

姫街道起点(見付宿) 一言坂の戦跡 天竜川渡船場跡(池田渡し)
 今回、東海道の脇街道である姫街道を完歩する計画を立てる。 今日は、その1回目。 磐田市・見付宿の姫街道起点から、浜松市・遠鉄自動車学校駅迄の約20kmを歩く事にする。 朝7時50分、JR磐田駅着。 駅前を北上。 2010年10月27日、旧東海道を歩いた、懐かしい道を歩き、8時20分、見付宿の姫街道起点に着く。 ここが姫街道の出発点。 早速写真を撮り、姫街道歩きに出発。 かぶと塚公園・磐田警察署等を過ぎ、8時45分、一言坂の戦跡(*1)に着く。 ここからは、天竜川・池田渡船場を目指し、西北西方向に進む。 途中、一言観音(家康が戦勝の一言を願った)、妙法寺(*2)、行興寺(天然記念物熊野の長藤で有名)、等を楽しみながら、10時、天竜川池田渡船場跡に着く。 昔の姫街道は、ここから天竜川を渡船。 西渡船場から北西に進み、浜松・市野宿手前の下石田で東海道・安間からの本坂道・姫街道と合流する経路であった。 しかし現在、その道は消滅している。 現在の姫街道歩きは、池田渡船場から下流へ500m程南下して、天竜川を渡る。 中野町の旧東海道を通り、安間起点(本坂道・姫街道)から北上し、下石田の合流点に到るルートを取る。 11時天竜川を渡る。 懐かしい東海道を歩き、金原明善(*3)屋敷を過ぎると、まもなく安間起点。 11時30分安間起点から、314号線沿いに北上。 道は下石田の合流点から261号線沿いに変わる。 12時を過ぎたが、適当な食堂が見つからず、もう少し歩く事にする。 市野の熊野神社過ぎ、12時40分小池一里塚。 もう少しで、遠鉄自動車学校と聞き、頑張って歩く事にする。 13時、今日の目的地・遠鉄自動車学校駅に到着。 意外に早く着いた。 ここで少し遅い昼食。 13時45分の遠鉄で浜松駅へ。・・・・・

*1 一言坂の戦跡・・・1572年武田信玄が攻め込んで来た。袋井の戦いで敗れた徳川軍は、浜松城を目指し敗走。 一言坂で追いつかれ再び合戦になった。 この時、敗走する徳川軍を救ったのが本田平八郎忠勝。 平八郎は大槍を振り回し、一人奮戦。 枯草に火をかけ、煙の中、見事、見方の軍を撤退させた。 敵の武田軍もこの武勇を称え、 「家康に過ぎたる物が二つ有る。 唐の頭(兜)に本田平八。」 と書いた札を立て称えた。

*2 妙法寺・・・武田軍との戦いで敗走した家康を救って、天竜川を無事渡らせた功で渡船権を与えられた、半場善右衛門の墓がある寺。

*3 金原明善・・・洪水を繰り返し、人々を苦しめていた天竜川の堰堤工事を、私財を投げ打って完成させた偉人。、昔の日本の金持ちには、私財を投げ打って人々の為に尽し、尊敬を集めていた人が、多くいました。 それに比べて、現在の日本では?

 今日は久し振りの街道歩き。風は強かったが、上天気。 以外に早く目的地に着き、多少もの足りなさが有るが、次の歩きが楽しみだ。

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3月27日(火) 晴

姫街道・2回目
遠鉄自動車学校駅~気賀宿~引佐峠~三ケ日宿

気賀関所 (東海道三大関所) 姫街道一の景勝地 (小引佐) 広南国より献上のゾウ、姫街道を通る
 今回、姫街道2回目は、遠鉄自動車学校駅から、三ケ日宿まで歩く事にする。 今日も上天気。 引佐峠等の山道が有るが、三ケ日までのコース完歩を目指す。 朝7時45分、JR浜松駅。 8時15分、遠鉄自動車学校駅を出発。 まず道は、261号線沿いに進む。 9時05分、元追分。 ここで浜松道と合流。 又この辺から良く保存された松並木が続く。 10時15分、湖東西バス停付近から261号線と分かれ、六地蔵・一里塚等を経て、11時落合橋を渡り気賀宿に入る。 気賀宿には関所が設置されていた。 平成2年に再建され、展示館等も整備されている。 又、ここには獄門畷(ごくもんなわて)供養碑が有る。 案内文によると 「桶狭間の戦いの後、徳川家康の遠州侵攻を防ごうと、気賀の人々は、領主今川氏の為、堀川城を造り、二千人の男女が立てこもり、戦った。 しかし三千人の家康軍に攻められ落城。 男女共、なで斬りされ、捕えられた約七百人の人々も、この付近で首を打たれた。 その首を、この小川沿いの土手にさらしたので、獄門畷と言われている。」 戦国の世の事とは言え、なんとも厭わしい残酷な史実であろうか。・・・胸が痛む。・・・ 12時、気賀宿を出発。 12時20分、二宮神社を過ぎた頃から、丁度死角になっている標識を見落とし、道を間違い、40分程ロスをする。 13時、坂道を上る。 山田の一里塚、ダイダラボッチの足跡 (琵琶湖を掘った土で、富士山を作った伝説の巨人) を過ぎ、奥浜名湖が見えて来ると、小引佐に着く。 ここは、姫街道一の景勝地と言われ、奥浜名湖と東名浜名湖橋が良く見える。 13時30分姫岩。 ここ辺から、石畳の道に変わる。 13時50分、引佐峠 (細江と三ケ日の境の峠。 姫街道では、本坂峠に次ぐ難所。) 峠からの下りは急勾配の坂道で、献上の象が、江戸へ向う途中、引佐峠の急な坂道で悲鳴をあげたので、象鳴き坂と言われている。 14時20分石畳がなくなると峠は終る。 東名高速道を2回潜り、15時、東名高速の歩道橋を渡ると、まもなく三ケ日の市街に入る。 15時35分、天竜浜名湖鉄道・三ケ日駅に到着。 タイミング良く、15時40分発の新所原行きの列車に乗り、帰路に着いた。・・・・・

 今日も、上天気。道を間違うハプニングも有ったが、箱根峠以来の石畳道。 みかん畑と奥浜名湖の展望を楽しみながら、予定通り楽しく街道歩きが出来ました。

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5月4日(金) 曇時々晴

姫街道・3回目(最終回)
三ケ日宿 ~ 本坂峠 ~ 嵩山宿 ~ 御油宿

椿の原生林 @本坂峠付近 本坂峠 姫街道 @本坂峠山道
 今回、姫街道・3回目(最終回)は、天竜浜名湖鉄道・三ケ日駅駅から、ゴールの御油宿(名鉄・国府駅)までを歩く事にする。 今日の天気は曇だが、雨の心配は無さそう。 街道歩きには、丁度良い天気だ。 姫街道最大の難所と言われている本坂峠の山道が有るが、ゴール御油宿までのコース完歩を目指し、 朝8時、天竜浜名湖鉄道・三ヶ日駅を出発する。 まず道は、R362号線沿いに、西に進む。 華蔵寺、本坂一里塚、本坂関所跡、伝橘逸勢墓、等を過ぎ、9時05分、弘法堂に着く。 ここでR362号線と別れ、本坂峠への山道となる。 急坂の山道を上り、鏡岩 (大きな平らな面を持つ岩で、ちょうど鏡の様である事から、お姫様がこの岩に姿を写し、みなりを直したと言われている。) や、椿の原生林 (樹齢二百数十年のヤブツバキが群生しており、姫街道をトンネルの様に覆っている。) を過ぎると、まもなく9時35分、本坂峠に到着。 この本坂峠は、静岡県(遠江国)と愛知県(三河国)の境で、標高325mの峠。 姫街道と豊橋自然歩道との交差点でもある。 ここで、しばし休憩。 9時45分本坂峠を出発。 ここからは下り坂。 弘法水、嵩山(すせ)七曲り、を経て茶旧川橋まで下って来ると、山道から舗装された道に変わる。集落があらわれ、10時27分嵩山(すせ)宿・本陣跡。10時33分、R362号線に合流する。ここから姫街道は、R362号線沿いに西に向う。 11時05分和田辻交差点。11時30分豊川に架かる当古橋を渡り、豊橋市から豊川市に入る。12時15分、JR線・名鉄線の姫街道踏切を渡る。 *このすぐ先の交差点を右折し、北に400mの所に日本三大稲荷の豊川稲荷がある。* 12時20分から12時50分まで食堂に入り食事休憩。 13時佐那川に架かる金屋橋を渡る。本宮山礼拝所碑、豊川体育館、船山古墳等を経て14時名鉄線を渡る陸橋を渡る。14時10分、懐かしい東海道と姫街道の分岐点の追分に到着。交差点の右角に常夜燈と「秋葉山三尺坊大権現道」の碑がある。 これで姫街道の旅は終る。名鉄・国府駅まで戻り名鉄で帰路に着いた。 ・・・・・

今日の街道歩き、予想以上に早く本坂峠に着いた為、2時間ほど早くゴールインする事が出来た。 姫街道完歩の感激と、達成感を感じる街道歩きであった。 

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佐屋街道を歩く。

「宮宿~岩塚宿~万場宿~神守宿~佐屋宿」

 宮宿で東海道と分かれ、岩塚・万場・神守・佐屋の4宿を経て、佐屋川・木曽川を川舟で桑名まで下る脇往還。 宮と桑名を結ぶ七里の渡しの風雨による欠航 や、船酔いを嫌う、多くの旅人で賑った。 この街道は、3代将軍家光によって開かれた。 大名行列・伊勢参り・津島詣の人や、シーボルト・将軍家茂・明治天皇も、この道を通っている。

2013年2月10日(日) 晴

佐屋街道・1回目

宮の渡し~新尾頭(金山)~岩塚宿~万場の渡し(庄内川)~万場宿~七宝焼原産地の道標(七宝町)

新尾頭の道標 万場大橋(庄内川) 七宝焼原産地の道標
 今回、東海道の脇街道である佐屋街道を完歩する計画を立てる。 今日は、その1回目。 熱田・宮の渡しの佐屋街道起点から、七宝町の七宝焼原産地の道標近くの安松バス停迄の約15kmを歩く事にする。 朝8時、宮の渡しを出発。 熱田神宮の西を北上。 誓願寺(源頼朝出生地)・ 断夫山古墳(東海地方最大の前方後円墳。)等の観ながら、9時、金山・新尾頭の道標に着く。 この道標は、ここから、北は名古屋、南は宮、西へ行けば佐屋、の追分である所から 「三所の堺」 とも呼ばれた。 ここから西へ向う。 まず堀川に架かる尾頭橋を渡り、尾頭橋商店街・ 五女子一里塚・ 中川運河・ 近鉄烏森駅等を経て、10時岩塚宿に着く。  万場大橋の手前に、尾張三大奇祭の一つ「きねこさ祭り」で有名な七所神社が有る。 庄内川を渡る万場の渡しは、今は少し上流の万場大橋の歩道を渡る。 橋を渡りきると万場宿に入る。 万場宿の秋葉神社には、万場の渡しの常夜燈が残っている。 新川に架かる砂子橋・東名阪を潜り、さらに福田川に架かる秋竹橋を渡ると、七宝町に入る。 七宝町役場北交差点の北西角に七宝焼原産地の道標が有る。 (この道標は当時の遠島村・林庄五郎らによって広まった七宝焼は、幕末から明治にかけて海外でももてはやされ、外人バイヤーが遠島を訪れるようになった。明治28年建てられた道標は、上部にローマ字で「Shipouyaki Toshima」と記された珍しい道標。) 12時、意外に早く、今日の目的地に着いた。 近くの食堂で昼食を頂き、近くを散策し、安松のバス停より帰路に着いた。・・・・・

 今日は、非常に寒い日であったが、風は無く、街道歩きには、丁度良い天気であった。 今まで、知らなかった尾張地区の一面を垣間見れる街道歩きが出来た。

*七宝焼・・・七宝の創始は梶常吉で、オランダ人より七宝焼の皿を得て、研究し技法を作り上げた。 その技法を七町・ 
                   遠島村の林庄五郎に受け継がれ、この地に七宝焼の基盤が造られた。

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2月25日(月) 晴

佐屋街道・2回目

七宝焼原産地の道標(七宝町)~神守宿~埋田の追分~佐屋三里の渡跡(佐屋宿)

埋田の追分 津島神社一の鳥居跡 芭蕉 水鶏塚(くいなづか) 佐屋三里の渡跡
 今回、佐屋街道・2回目(最終回)は、七宝焼原産地の道標地点から、ゴールの佐屋宿・佐屋三里の渡跡までを歩く事にする。今日は、非常に寒いが、天気は快晴、風も無く、快適な街道歩きが出来る。 名鉄バスセンターから、8時45分、安松バス停に到着。 8時50分、安松バス停を出発。 西に望める冠雪した鈴鹿の山並みが奇麗だ。 東海ラジオの電波塔を右に見て、蟹江川を渡ると、まもなく神守宿。 神守宿も1里塚・宿場跡標識以外、宿場の名残は残っていない。 越津町を過ぎると、9時40分日光川を渡る。 津島に入ると、10時10分埋田の追分に着く。 ここは 「左、さや道。 右、津島天王道。」 の道標がある。 かって、津島神社の一の鳥居が建ち、それを潜って、西に行けば津島。 手前を左に行けば、佐屋であった。 鳥居は伊勢湾台風で流され、根元石だけが現存している。 ここから、南西方向に佐屋を目指す。愛宕神社・西愛宕町交差点・日比野駅等を確認し、11時名鉄尾西線を渡る。11時30分、須依交差点まで来るとゴールは近い。水鶏塚(元禄7年松尾芭蕉が江戸から伊賀へ帰郷の途中、佐屋の門人宅に逗留した折に詠んだ「水鶏鳴くと人の云えばや佐屋泊」の句碑を芭蕉の死後、門人達が建てた。)佐屋舟場道の碑・佐屋代官所祉の碑等を見学し、11時50分ゴールの佐屋三里之渡跡に着く。佐屋の湊から佐屋川を下って桑名までの船旅は三里を数えたので、三里の渡しと呼ばれた。佐屋川は砂の堆積が進み、明治30年廃川となり、農地に開墾された。現在は公園の片隅に佐屋三里之渡跡の碑が建っている。 名鉄・佐屋駅から津島に戻り、津島神社に参拝。名鉄・津島駅から名鉄で帰路に着いた。・・・・・

 佐屋街道歩きは、予定通り2回で完歩する事が出来ました。今回開発が進み、昔の旧道が無くなり、又道標が少ない為、目標となる遺蹟・寺・神社等を確認しながらの街道歩きとなった。 今まであまり知らなかった尾西地区の一面を垣間見る事が出来た、街道歩きとなった。

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伊勢参宮街道を歩く

日永の追分~白子~津~六軒~松阪~斎宮~伊勢神宮

「伊勢に行きたい、伊勢路が見たい。たとえ一生に一度でも。」 と
 伊勢音頭にも歌われ、多くの人々が憧れた、お伊勢さんへの道を歩く。

2013年3月4日(月)晴

伊勢街道・1回目

日永の追分(近鉄・追分駅)~神戸~白子~磯山~中瀬~江戸橋~津(津駅)

日永の追分・伊勢神宮二の鳥居 梯子付き常夜燈@鈴鹿川の堤にて 「さんぐう道」の道標
 今年は、伊勢神宮・式年遷宮の年。 そうだ、伊勢街道を歩こう。 伊勢街道は四日市・日永の追分から、伊勢神宮までの約75kmの街道。 古くから、伊勢参りで、多くの人々で賑い、 「さんぐう道」 と呼ばれていた。 今日は、伊勢街道歩き・1回目。  通勤・通学の時間帯であったが、意外に早く近鉄・追分駅に、8時過ぎに着いた。 2010年2月8日、桑名から東海道を庄野宿まで歩いた時、何時か、ここから伊勢まで歩こうと思った事、やっと今日、その思いが実現し、スタートをきる。 日永の追分は東海道と伊勢街道との分起点。 日永の追分には、「右京大阪道」「左いせ参宮道」と刻まれた大きな道標。 立派な常夜燈。 式年遷宮に合わせて20年毎に建替えられる、伊勢神宮の二の鳥居が有る。(ちなみに、伊勢神宮一の鳥居は、桑名の渡しに有る。) 又、名水が湧き出しており、汲みに来ている人が引きもきらない。 8時15分、日永の追分を出発。 南へ県道の歩道を進み、8時40分、内部川を渡る。 ここから旧道(伊勢街道)に入る。 車もほとんど通らない街道歩きが出来る。 9時、JR関西線を渡る。 さらに鈴鹿川を渡り、堤防を行くと、石の梯子が付いた珍しい常夜燈が有る。 9時30分、神戸に入る。 近鉄鈴鹿線を渡り、札の辻、さらに伊勢鉄道を渡ると10時、肥田町に入る。 R23号のトンネルを潜り、フジクラ鈴鹿工場を左に見ながら、南下。 11時、近鉄・名古屋線を渡り白子に入る。 海岸沿いの町並みの道を行く。 古い商家の黒板塀と 「さんぐう道」 の道標が見事に調和して、伊勢街道の名所になっている道標が、白子に有る。 11時35分、堀切川を渡る。 12時、磯山駅近くのR23号沿いの食堂で食事休憩。 12時50分出発。 13時近鉄・名古屋線を渡ると、巡礼道との追分。 ここで巡礼道と分かれるが、後に江戸橋の手前の追分で合流する。 千里駅で再び近鉄・名古屋線を渡り再び南下する。 13時30分中瀬、14時栗真小川と進み、14時40分巡礼道との追分に着く。 左に三重大学の施設を見ながら、R23号線沿いに進み、15時志登茂川に架かる江戸橋を渡る。(朱色の木造の橋。 津の境、江戸に向う藩主の見送りもここまで、より命名された。) 橋を渡ると、伊勢別街道との追分が有り、「左高田本山道」 の道標 (別街道を少し行くと、真宗高田派本山専修寺が有る。) や常夜燈が建っている。 ここから、いよいよ津宿。 津は平安時代より伊勢の国の政治経済の中心地。 1608年藤堂高虎が藩主となり、津の城下町を整備。 海岸近くを通っていた伊勢街道を、城下に引き込み、伊勢参りの宿場として大いに賑わい、発展させた。 豪商安倍家住宅等、古い商家の家並みを南下して、15時30分、津駅に着く。 今日はここまで。・・・・ 

 今日は、風も無く、温かかく、街道歩きには丁度良い日であった。 予定では近鉄・千里駅までを考えていたが、意外に早く歩け津まで歩いた。歩数38000歩と良く歩いた。

「右いせみち」の道標 巡礼道(右)と伊勢道(左)の追分 志登茂川に架かる江戸橋

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3月12日(火) 晴

伊勢街道・2回目

津(津駅)~津観音~高茶屋~香良洲~六軒~松坂(松坂駅)

四天王寺 @津・栄町 津観音寺(日本三大観音) 雲出橋・常夜燈 @雲出川
 今日は、伊勢街道歩き2回目。 津駅から、松阪駅までの完歩を目指す。 8時20分、津駅を出発。 市街地の伊勢街道を南下。 県庁前の道を横断すると、右手に四天王寺 (聖徳太子の建立の名刹) が有る。 四天王寺を過ぎると、8時35分、安濃川に架かる塔世橋を渡る。 「津の観音さん」 として親しまれている恵日山観音寺に寄る。 真言宗の名刹で、日本三大観音の一つ。 仁王門の先に、大門商店街のアーケードが延び、その中を行く。 9時25分、「閻魔堂」・「市杵島姫神社」から再び南下。 古い町屋の町並みが続く。 街道が右に曲がり、小さな流れの橋(思案橋)を渡る。 ここが、香良洲街道 (ここで伊勢街道と別れ、香良洲神社を経て、月本追分前後で伊勢道のと合流する。) の追分。 香良洲神社は、天照大神の妹姫の稚日女尊を祀り 「香良洲に詣らな片参宮」 らしいが、参らない人は、思案橋から遥拝して、先を急いだ。 9時50分JR線を渡り、南下。10時30分、JR高茶屋駅前を過ぎ、再びJR線を渡る。 11時、雲出川に架かる雲出橋を渡る。 北海道の名付親の松浦武四郎の生家前を通り、南下する。 11時45分、奈良街道と合流する、月本追分に着く。 ここには 「月本おいわけ」 と刻まれた伊勢街道最大の道標や、常夜燈が建っている。 12時、六軒に入る。 昼食を取る食堂やコンビニも無い為、もう少し歩く事にする。 三度橋を渡ると、初瀬街道と合流する追分で道標が建っている。 市場庄から久米へと進む街道沿いには、古い家並み、切妻連子格子の家屋が多く残っている。 また 「屋号」 を掲げた、立派な家が多い。 「天満屋・風呂屋・薬屋、ランプ屋、仙台屋・等」。 久米には、舟木家の武家屋敷が残っている。 舟木家は南北朝時代から続く、藤堂藩の城代家老や御殿医を勤めた家柄だそうだ。 12時50分近鉄山田線を潜る。 ここで、食堂を見付け食事休憩。 13時30分食堂を出発。 松阪迄もう少し。 昔の街道の雰囲気を残す、連子格子の家並が続く。 極めつけは、須川屋金物店の家屋が、見事に昔の面影を残している。 坂内川に架かる松阪大橋を渡ると、松阪宿に入る。 「松阪商人の館」 や 「三井家発祥の地」 (三井創始者・三井高利が1673年に、後の三越の越後屋を江戸に開店。 店頭販売や、現金掛け値なしの商法で大成功を収めた。 三井グループは松阪の豪商から生れた。) や大きな 「和田金」 ビルの前を通り、14時30分、松阪駅前の日野の交差点に着く。 今日の街道歩きは、ここまでにする。 まだ時間があるので、松阪城跡と、本居宣長記念館を見学。 15時50分、松阪駅に着き、帰路に着いた。・・・

 今日は天気が良く、古い切り妻連子格子の家屋や、「屋号」を掲げた家並み、立派な道標や常夜燈・山ノ神・等が多く残っており、街道歩きの楽しみ倍増してくれた。

北海道名付親・松浦武四郎の生家  月本追分(奈良街道との分岐点) 三井家発祥の地

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3月23日(土) 曇後晴れ

伊勢街道 3回目

松阪(松阪駅)~櫛田川~斎宮~相合~桜の渡し~外宮(伊勢市駅)

小津安二郎青春館 注連縄 「蘇民将来子孫家」 立派な倉と連子格子の家屋
 今日は、伊勢街道歩き、3回目。 松阪駅から、伊勢市駅までの完歩を目指す。 9時10分、松阪駅を出発。 駅前の日野交差点 ( ここは、和歌山街道との合流点で、日野の追分と言われている。) が、今日の出発点。 ここから、市街地を南下。しばらく行くと、右側に小津安二郎青春館がある。 「東京物語」、「麦秋」、「長屋紳士録」、「生れてはみたけれど」、「その夜の妻」、の映画看板が掛かっていて、一見、昔の映画館の様な造りである。看板は時々描き返られている様だ。 小津安二郎は、青春時代の十年間を松阪で過ごしたことから、小津の青春時代を偲ばせる物や写真、資料などを展示した施設。 松阪から垣鼻町に入り、9時55分、JR徳和駅でJR線を渡る。 10時40分、櫛田川を渡る。 櫛田川は、渇水期には仮橋が架けられ、増水期には船で旅人を渡し、それぞれ橋銭・船銭を徴収していた様だ。 11時、祓川を渡る。 昔、斎王群行の際、ここで御祓いをして斎王宮に入ったことから名付けられた様だ。 祓川を渡ると「従是外宮三里」と刻まれた道標が有る。 いよいよ伊勢が近付いて来た事を実感する。 11時20分斎宮駅前を通過。 この付近には斎宮歴史博物館、いつきのみや歴史体験館、等の施設がある。 又街道沿いには道標、地蔵、山ノ神、庚申堂が多く残っている。 11時55分、そうめん坂を過ぎる。 ここから明星。 12時、相生のコミニテイセンターのベンチで、オニギリを頂く。(前回、食堂が無く昼食に困ったので、今回は、オニギリを用意していて、良かった。) 12時20分、午後の街道歩きに出発。 街道沿いの家屋は、古い立派な家屋が多く、又、倉が必ず有るのは驚かされる。 又、この地方では玄関の注連飾りを一年中飾っている。それを見ながら歩くのもまた楽しい。 注連飾りに付けられた護符には、幾つかの種類がある。 写真の注連縄は、中央に 『笑門の字を背景にして、右に七難即滅、中央に蘇民将来子孫家、左に七福即生』 と書いた護符を取り付けた注連縄。 ( 旅に出たスサノオ尊が、ある村で宿を請うたところ、富裕な弟の巨旦将来は断ったが,貧しい兄の蘇民将来は家に泊め歓待した。 スサノオは茅の輪の護符を腰に付けるように、蘇民将来に教え、そのお陰で、蘇民将来は疾病を免れたという。 この伝説は、各地に残っており、蘇民将来子孫之門と書かれた護符を、家の戸口にかけることは、厄病よけの役割を果たすと、信じられている。 ) 13時、老舗 「へんばや」 に立寄り、 「へんばもち」 を頂く。 餅2個とお茶が付いて140円也。 美味くて安い。 『昔、参宮街道宮川の畔で、茶店を設け餅を商い始めた。 当時馬で参宮する人達が、この店に憩われて、ここから馬を返し参宮された為、何時しかへんば (返馬)餅と、名付けられた。』 13時50分、 「宮川の堤防」 に突き当たり、T字路を右へ。 JR線を潜り、宮川橋を渡る。 (この橋は歩道も無く、白線すら引いていない。交通量が少ないので助かったが、渡り切るまで、魔の5分間で有った。) 橋を渡り終えると、土手の左手に廣重の 「宮川桜の渡し」 の絵とその解説がある。 『伊勢最大の川、宮川は江戸から来ても大阪から来ても伊勢に行くには必ず渡らなければならない。 春には、桜が美しく咲く堤に沿って茶屋が並び、御師の出迎え看板が林立し、道中歌も賑やかに響いた。 「桜の渡し」 は、明治30年参宮鉄道の開通まで生き続けた。』 とある。 今日の宮川桜は、2分ないし3分咲き。 あと1週間後、満開か。 伊勢に入り、筋向橋、小西萬金丹の前を通り、14時10分、やっと伊勢神宮外宮(豊受大神宮)前に到着。 両宮への参拝は次回にして、今日の街道歩きは、ここで終る。 伊勢市駅から快速みえで帰路に着いた。・・・・・

 今回も、ゆっくり楽しい街道歩き (オニギリ ・ へんば餅美味かった。特徴の有る伊勢地方の古い家屋。玄関の注連縄。・・・) が出来た。次回、両宮への参宮が楽しみだ。

老舗「へんばや」 桜の渡し 小西萬金丹

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4月13日(土) 晴

伊勢街道・4回目(最終回)

伊勢市駅~外宮~倭姫宮~徴古館~猿田彦神社~おかげ横丁~内宮

下宮・御正殿 倭姫宮 徴古館
 今日は、伊勢街道歩きの4回目、(最終回) となる。 JR伊勢市駅から、外宮~内宮までの完歩を目指す。 9時30分、JR快速みえで、伊勢市駅に到着。 駅前は秋の式年遷宮に向けての工事が完成まじか。 早速、外宮に向う。 外宮表参道火除橋(火除けの橋で、御正殿に火が入らない様に守っている。)、一の鳥居、を経て外宮御正殿に参拝。 外宮は、天照大神のお食事を司る豊受大神をお祭りしている。 唯一神明造の建築様式。 萱葺屋根には苔が蒸しているが、秋の遷宮をひかえ、左の新御敷地の囲いの中には、既に新御正殿が出来上っている。 10時過ぎ、外宮を後に、内宮に向う。 今回は昔の参宮道では無く、御幸道路沿いに進み、倭姫宮と神宮徴古館・農業館・神宮美術館を見学する事にする。 10時40分、神宮徴古館に到着。 広い庭園にはシャクナゲが綺麗に咲いている。 ここで、三つの博物館の共通券を買い、徴古館から見学、。 徴古館は、神宮の歴史と文化を伝える総合博物館。 重要文化財が数多く展示されている。 農業館は日本最初の産業博物館。 美術館は文化勲章・文化功労者・芸術院会員といった、わが国を代表する作家から奉納された美術工芸品を展示している。 12時、見学を終え、内宮へ向う。 12時25分、猿田彦神社に到着。 天孫降臨の際に道案内を務めた神(猿田彦命)を祀り、導き(開運)の神社として信仰されている。 少し行くと、おはらい横丁。 今日は天気も良い土曜日。 多くの人で賑やかだ。 おかげ横丁(おかげ横丁は、伊勢名物「赤福」が、おはらい町の中ほどで約300年間変わらず商いを続けて来られたのも、お伊勢さんの「おかげ」。感謝の気持ちで、平成5年に誕生させた町。 江戸末期の風情をテーマに。 伊勢路の代表的な建築物を再現。 特長は「妻入り」 や風雨に強い外壁仕上げの「きざみ囲い」。)で食事をしようとしたが、どこも凄い行列で断念。 12時50分、内宮前の宇治橋に到着。 日永の追分からの伊勢街道歩き、ここがゴールとなる。 まず厳かな気持ちになって、神宮参拝。 宇治橋を渡り、火除け橋、一の鳥居、五十鈴川御手洗場,二の鳥居、神楽殿、と進み内宮御正殿へ。 ここは、天照大神が祀られている。 秋の遷宮をひかえ、既に左の新御敷地には、囲いで見えないが新御正殿が出来上っている様だ。 厳かな気持ちで参拝。・・・・・   伊勢街道歩きを無事終える。・・・・・

 伊勢神宮 : 二つの正宮、14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社の宮社からなる神々の大集落。その歴史は、神代の昔にさかのぼる。 倭姫命に奉蔡され鎮座の地を求めて、この地に着いたのが、垂仁天皇25年(297年)。 その悠久の歴史に思いをはせると、ただただ、その大きさ、偉大さに感銘するばかりである。 

 「なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼれる」 西行

 式年遷宮の年に、伊勢街道を歩き、無事内宮参拝を果たせた達成感。 伊勢の歴史のほんの一部であるが、垣間見られた事、色々な知識を知る事が出来た事、実り多い街道歩きでした。 

シャクナゲ @徴古館庭園 おはらい横丁 内宮・御正殿

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 伊勢別街道を歩く
京都・大阪方面から伊勢参りの旅人が利用した街道。

 
東海道・関宿東追分から津・江戸橋までの街道。 津・江戸橋で伊勢街道と合流する。
伊勢別街道と呼ばれ、総路線はおよそ18km。途中、楠原、椋本、窪田に宿場が設けられ、参拝客で賑わった。

2014年4月1日(火) 晴
伊勢別街道
JR関駅~関宿東追分~楠原~椋本~窪田~津・江戸橋~JR津駅

     
 一の鳥居 @関宿東追分  旧明村役場庁舎  角屋旅館
  昨年、式年遷宮の年に、伊勢街道を歩き、無事、伊勢神宮参拝を果たせました。 この伊勢街道は、主に名古屋・東京方面から伊勢参りの旅人が利用した街道です。 それとは別に、京都・大阪方面から伊勢参りの旅人が利用した街道が伊勢別街道です。 そうだ、伊勢別街道を歩こう。 伊勢別街道は関宿・東の追分から、津・江戸橋までの約18kmの街道であり、古くから、伊勢参りで、多くの人々で賑つた。 今日一日で、伊勢別街道を完歩する予定。 JR関駅に、8時10分過ぎに着いた。 そこから、関宿の家並み楽しみながら、関宿・東追分へ。そこに有る伊勢神宮一の鳥居を潜り、8時30分、伊勢別街道歩きのスタートをきる。 一の鳥居近くの桜は、ほぼ満開。 青空に映え非常に綺麗だ。!!南に県道を進み、R1号線、JR関西線、鈴鹿川に架かる勧進橋を渡る。 さらに名阪国道を渡り、8時55分庚申坂を越える。 楠原の集落に入り、9時20分国指定の有形文化財・旧明村役場庁舎に着く。 さらに南に向かい、人工ため池・横山池の堤を過ぎると9時40分 椋本の集落に入る。 ここには、江戸時代からの続く角屋旅館が有り、軒下に昔の参宮講札掛かっており非常に貴重な物だ。 ここから東そして南東方向に進む。 10時20分、伊勢自動車道を渡る。 南東方向に進み、11時20分窪田宿に入る。 本陣跡や窪田宿常夜燈(高さ8.6m 津市最大 近江商人が寄進)を見て、11時50分、JR紀勢線を渡り、11時55分、JR一身田駅に着く。 駅のベンチで食事休憩。 12時15分食事を終え、一身田に有る 専修寺(浄土真宗高田派本山)に立ち寄る。 山門をくぐって専修寺の境内に入る。 広い境内に巨大な御影堂、如来堂などが並んでいる。 巨大で立派な建物に圧倒される。 専修寺は親鸞上人が関東地方の布教の際、現在の栃木県真岡市高田に、専修念仏の根本道場を建立したのが起源とする。 現在ここにある寺を「本寺」と称する。 専修寺第10代住職、真慧(しんね)上人が東海、北陸の教化の為、15世紀、一身田にその中心寺院として建立されたのが現在の寺で、本寺が戦国時代の戦火で炎上したりした為、しだいにここが本山となった。 12時45分、参拝を終え再び街道歩きに戻る。 伊勢鉄道、五六川、近鉄を渡り近鉄・江戸橋駅が見えて来るとゴールは近い。 13時15分、江戸橋追分(常夜燈や高田本山道の道標が有る)・伊勢別街道の終点であり、伊勢街道と伊勢別街道との追分に無事到着。・・・・・ 

無事完歩出来た事に感謝。!! 今日は天気も良く、桜が各地で見事に咲いていました。 予定より早く着いたので、津城址・津偕楽公園で満開の桜を満喫して、帰路に着きました。
     
JR 一身田駅  専修寺(浄土真宗高田派本山)山門  常夜燈 @津・江戸橋

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中山道を歩く
近江路・美濃路・木曽路・信濃路・上州路・武州路
を歩く

中山道は日本橋を起点に、武蔵(東京・埼玉)、上野(群馬)を経て信濃(長野)に入り、木曽路を経て美濃(岐阜)
に抜け、さらに近江(滋賀)の草津で東海道と合流し、京都三条大橋に至る全長534kmの行程です。
今回は、京都から草津間は東海道で歩いているので、割愛して、草津宿から近江路・美濃路・木曽路・信濃路・
上野路を完歩し、ゴールの日本橋を目指します。

2015年3月28日(土) 晴
中山道(第1回目)
JR草津駅~草津宿~守山宿~銅鐸の郷・野洲~源義経ゆかりの
鏡の里~近江鉄・武佐駅

     
 草津追分道標(中山道はトンネルを潜る)  今宿一里塚  守山宿・本陣跡
  今回、中山道・街道歩きを始める。 まず、中山道の近江路・美濃路 を完歩するのが目標。 今日は、中山道歩き第1回として、草津宿から武佐宿までの約22kmを歩く。 JR草津駅9時出発。 9時15分、起点となる草津宿・草津追分道標( 東海道と中山道の分岐点。「右東海道いせみち」「左中山道みのち”」と刻まれている。 )をスタートする。 商店街・伊砂砂神社過ぎ、9時35分背の低い地下道で、JR東海道線を潜る。 まもなく、大宝神社が有り、芭蕉の句碑がたっている。 10時10分、滋賀県内では唯一残っている今宿一里塚に着く。 日本橋から128番目の塚で、今も盛土された上に榎が植えられている。 まもなく、守山宿に入る。 守山宿は、中山道の亰から東下りでは 「亰立ち守山泊り」 と言われ、最初の宿場として繁盛したらしい。 10時20分~30分、中山道街道文化交流館や守山宿町屋 「うの家」 に立ち寄り情報を仕入れる。10時45分野洲川橋を渡る。 鉄橋の向こうに近江富士(三上山)が、きれいに見える。 橋を渡ると野洲市に入る。 ここは日本一大きな銅鐸が発見された事でも知られている。 11時20分 「脊くらべ地蔵」 と呼ばれ、大切にされているお地蔵さんの前を通る。 11時30分、新幹線を潜る。11時50分、桜生史跡公園に着く。 ここに有る、甲山古墳では、横穴式石室内部の石棺を見る事が出来る。 ここからR8号線沿いに進む。 12時40分、多くの人で賑わっている 「竜王かがみの里」 道の駅に到着。 早速ここで13時30分まで食事休憩。 この鏡の里は中世・東山道の宿場町として栄えた。 江戸時代に中山道が整備されて 「武佐宿」 が出来、宿場指定が外された。 源義経がこの地で元服したと言われ、元服の池や鏡神社が有る。14時日野川を渡る。 14時40分、住友財閥育ての親・伊庭貞剛邸跡の前を通り武佐宿に入る。 14時45分、近江鉄道・武佐駅に無事到着。 JR近江八幡経由で帰路に着いた。・・・・・

 中山道第一回街道歩きは、予定通り無事歩く事が出来ました。 感謝。!!   次回は武佐宿~愛知川宿~高宮宿~鳥居本宿までの約25kmを歩く予定です。
     
 近江富士 @野洲川橋より  脊くらべ地蔵 @野洲市行畑  鏡神社 @源義経元服の地

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2015年4月9日(木)晴
中山道(第2回目)

近江鉄道・武佐駅~武佐宿~愛知川宿~高宮宿~鳥居本宿~近江鉄道・鳥居本駅

     
 武佐宿  清水鼻の名水  老舗料理旅館・竹平楼 @愛知川宿
   今日は、中山道歩き第2回目として、武佐宿から鳥居本宿までの約25kmを歩く。 近江鉄道・武佐駅を9時45分に出発する。 武佐宿は、中山道67番目の宿。 伊勢に向かう 「八風街道」 の起点であり、八幡町へ分岐する交通の要として賑わった。 牟佐神社を過ぎ、老蘇の森にたつ、奥石神社を過ぎ10時35分、西老蘇で、R8号線を潜る。 更に新幹線を潜り、11時、清水鼻の名水で喉をうるおす。 近江商人ゆかりの地である五個荘を通り、11時35分、愛知川を渡る。 祇園神社や竹平楼等がある愛知川宿を行く。 この愛知川宿は中山道66番目の宿。 「びん細工てまり」と言う不思議な工芸品が伝承されており、「びんてまりの館」 で展示されている。 12時45分~13時30分、豊郷の食堂で昼食。 豊郷には、大手商社伊藤忠の創業者・伊藤忠兵衛の屋敷が記念館として開放されている。 しばし見学する。 建築家・メリル・ビォーリスの設計で知られている豊郷小学校舎郡等を通り、14時30分犬上川 「むちんばし」 を渡る。 ここから高宮宿に入る。 彦根藩は近隣の豪商や一般から寄付を募り、犬上川に橋を架けた。 誰もが無料で渡れた事から、「無賃橋」 と親しまれた。 高宮宿は中山道62番目の宿場。 彦根・井伊藩への玄関口として栄え、本庄宿に次ぐ、中山道第二の大宿であった。 また、多賀大社の門前町として賑わい、多賀大社一の鳥居が宿場に建っている。 14時45分高宮神社を過ぎ、鳥居本宿へ向かう。 15時40分新幹線を潜る。 この近くに、小野小町塚が有り、昔、東山道の小野宿が有った様だ。 16時10分、本日の目的地・近江鉄道・鳥居本駅に無事到着。 JR彦根駅経由で帰路に着きました。・・・・・

 今回の中山道歩き・第二回目も予定通り、無事歩く事が出来ました。 感謝!!  
     
 伊藤忠兵衛旧宅 @豊郷(間の宿)  むちん橋 @犬上川  高宮神社

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2015年5月5日(火)晴
中山道(第3回目)
近江鉄道・鳥居本駅~鳥居本宿~摺針峠~番場宿~醒ヶ井宿

     
 近江鉄道・鳥居本駅  赤玉神教丸本舗  摺針峠
  今日は、中山道歩き第3回目として、鳥居本宿から醒ヶ井宿までの約10kmを歩く。 近江鉄道・鳥居本駅を9時45分に出発する。 鳥居本宿は、中山道63番目の宿。 彦根城下とつながる朝鮮人街道と米原方面に向かう北国街道と、2つの街道の分岐点でもある。 脇本陣跡、本陣跡を通り、ここの最大の名物・赤玉神教丸を街道の曲がり角で、今も販売している有川製薬は、昔の姿を残していて趣深い。  10時、摺針峠の入口に着く。ここから、薄暗い山道となる。 最後に急な階段を登りきると、10時15分摺針峠に着く。 摺針峠は、中山道随一の名勝として、知られ、ここからの眺望はすばらしく、多くの絵画の題材になっています。 摺針峠の名前の由来は、「亰で学んでいた若い学生が、学業半ばで帰路に着いている途中、この地を通り、一人の老婆が、一生懸命に斧を研いでいる光景に出合い 『斧を研いで針にする』 と言う言葉を聞いて、自分の志が足りない事を恥じて、再び京都に戻り学業に励んだ。 この学生が後の弘法大師である。」 と言う話に由来すると言われている。 また、大津市出身の日本画家・小倉遊亀氏が、このテーマを題材に大作 「磨針峠」 に仕上げた事で有名。 10時20分、峠を後にする。 峠を下り、道は名神高速と平行に、前方に伊吹山の雄姿を望みながら進む。 10時44分番場宿の石碑から番場宿に入る。 ここには蓮花寺が有る。 この寺は、六波羅探題・北条仲時が430人の部下と共に自刃の悲劇の地であり、又、長谷川伸の戯曲 『瞼の母』 の主人公 「番場忠太郎」 にちなむ御地蔵や石碑が有る。 架空の人物の墓が存在するとは。?。 11時12分、北陸自動車道を潜る。 11時23分、樋口交差点でR21号線を渡る。 さらに道は旧道を進み阿南でR21号線に合流する。 丹生川を渡ると間もなく、11時50分、JR醒ヶ井駅前に無事到着。 醒ヶ井宿散策・昼食を頂き、13時06分のJRで帰路に着いた。・・・・・

 今回は、午後、用事が有ったため、午前中の2時間半(約10km)で切り上げた。 次回は、醒ヶ井宿から関ヶ原宿まで約13kmを歩く予定。
     
前方に 伊吹山 @番場宿へ向う  番場宿・蓮花寺下  醒ヶ井宿・地蔵川

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2015年10月19日(月)晴
中山道(第4回目)
JR醒ヶ井駅~醒ヶ井宿~柏原宿~今須宿~関ヶ原宿~垂井宿~JR垂井

     
 十王水 @醒井三水の一つ  JR柏原駅と伊吹山  楓並木@柏原宿
  今日は、中山道歩き・第4回目として、醒ヶ井宿から、垂井宿までの約20kmを歩く。 JR・醒ヶ井駅を8時45分に出発する。 醒ヶ井宿は、中山道61番目の宿。 加茂神社の前には、醒ヶ井の名の由来になった居醒の清水や、十王水が湧き、道に沿って流れる、地蔵川には、きれいな湧水を好む、小魚ハリオや、バイカモと言う水草が生息している。 きれいな川が流れる、きれいな宿場町である。 9時、醒ヶ井宿を後にして、ほぼR21号線沿いに、松並木等が残る旧道を進む。 10時、柏原の一里塚に着く。 ここから柏原宿に入る。 柏原宿は、中山道60番目の宿。 ここまでが、近江の国(滋賀県)。 近くに聳える伊吹山で採れる良質なヨモギで作ったもぐさは、伊吹もぐさとして街道の名物でした。 現在は、「伊吹堂亀屋」の一軒だけが残っています。 柏原宿を出て、野瀬山から長久寺にかけて、珍しい楓並木が続きます。 10時45分、寝物語の里に着く。 ここは、美濃と近江の国の国境である、細い溝を挟んで、美濃側に「両国屋」、近江側に「かめや」と言う、2つの旅籠が有り、寝ながらにして他国の人と話が出来る事から、こう呼ばれていた。 源義朝を追って近江側に泊まった常盤御膳が、美濃側から聞こえて来る声で、源氏の家来と再会できたという話も、残っている。 ここから美濃路に入る。 車返坂を越えると、今須宿に入る。 今須宿は、美濃最西端の宿場。 今も静かな佇まいの宿場である。 本陣跡、問屋場、常夜燈等が残っている。 今須峠を越え、、常盤御膳の墓、若宮八幡宮(壬申の乱で敗れた大友皇子を祭る)、藤古川(壬申の乱の古戦場)を渡ると、11時40分、不破関跡に着く。 ここで、昼食と休憩。 この不破の関は、越前の愛発、伊勢の鈴鹿と並ぶ、古代三関の一つ。 12時10分不破の関を後にする。 関ヶ原宿は、今も昔も交通の要所で有り、北国街道・伊勢街道を控えて賑わった宿場。 「壬申の乱」や「関ヶ原の合戦」等、日本の歴史の分かれ目となった舞台でもあります。 道は、西首塚から桃配り山(家康最初の陣地)までは、R21号線と合流します。 12時40分、桃配り山から旧道に入ると、立派な松並木が続きます。 13時10分、「垂井の一里塚とお茶所跡」に着く。 ここから、垂井宿。 本龍寺や南宮大社の石鳥居を通り、13時50分、今日の終点、旅籠亀丸屋に到着。 ここは、一部に当時の面影を残しながら、現在も営業している。 14時10分、JR垂井駅に無事到着。 14時30分のJRで、帰路に着いた。・・・・・
 
今日は絶好の好天気。 気持ちの良い街道歩きが出来ました。 何事も無く、完歩できた事に感謝。 感謝。
     
 寝物語の里 @滋賀県と岐阜県の県境  不破の関所 @関ヶ原宿  南宮大社の石鳥居@垂井宿

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2015年11月28日(土) 曇り
中山道(第5回目)揖斐川・長良川を渡る
JR垂井駅~垂井宿~赤坂宿~美江寺宿~河渡宿~加納宿~JR岐阜駅

     
 中山道と美濃路の追分 @垂井宿  赤坂宿・旅籠  赤坂港跡 @赤坂宿
  今日は、中山道歩き・第5回目として、垂井宿から、加納宿までの約26kmを歩く。  JR・垂井駅を7時45分に出発し、前回の終点、垂井宿・旅籠亀丸屋まで移動し、8時00分、旅籠亀丸屋をスタートする。 相川を渡るとすぐ中山道(左)と美濃路(*1)の追分。 左の中山道を行く。 垂井の一里塚の碑や美濃国分寺の道標を過ぎ、8時52分、JR線を越えると、まもなく甲塚 (関ヶ原の戦い前日の杭瀬川の戦いの戦死者を葬った甲塚) が有る。 ここから赤坂宿に入る。 赤坂宿は、旧杭瀬川の水運の要衝 「赤坂港」 や谷汲山の巡礼で大変賑わった宿場です。 9時25分「赤坂港跡」に着く。 きれいに整備されており、ここで休憩。 杭瀬川を渡り、まもなく 「左中山道の道標」 が有るが、これを見落とす、大ミスを犯す。 2。5km程、過ぎてから気づき往復約5km・1時間程ロスした事になる。 10時15分 「左中山道の道標」 の地点に戻る。 気を取り戻して、出発。 10時30分、近鉄養老線を渡る。 道は田圃の中を東に向かい、呂久の集落に入る。 当時の揖斐川は、呂久の西側を流れていたが、大正の河川改修で現在の流れに変わった。 11時40分、揖斐川の鷺田橋を渡る。 11時50分食事休憩の為、食堂に入りランチを注文。 時間のロスを取り戻すべく、12時15分、食堂を出発。 この辺は、富有柿の産地だけに柿畑が多い。 12時45分、美江寺宿に入り、美江神社に着く。 美江寺は昔、兵火で焼け、美江神社内に美江観音堂を残すのみ。 12時55分、樽見鉄道を渡り、美江寺宿を後にする。 道は東に向かい、五六川、糸貫川等を渡り、14時、河渡宿に着く。 河渡宿も昔を偲ぶものは、ほとんど残っていない。 14時10分、長良川に架かる河渡橋を渡る。 渡りきった所が岐阜市鏡島地区。 昔、長良川の鏡島湊で栄えた町。 また鏡島弘法と親しまれている 「乙津寺」 が有る。 15時JR東海道線のガードを潜る。 やっと、加納宿に入り、15時30分、JR岐阜駅南口に無事到着。・・・・・
 
*1・・・・中山道・垂井宿と東海道・名古屋宮宿をつなぐ街道。(中山道美濃路踏破の後、歩く予定。)

 今日の街道歩きは、「一言でいえば、疲れた。!!」 分岐点を見落とした為、5km・1時間程のミス。 今、どこを歩いているのか絶えず確認をする。 基本を思い出させる、教訓になりました。
     
 美江寺千手観音像 @美江寺宿  馬頭観音菩薩像 @河渡宿  長良川と金華山 @河渡橋より

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2016年3月12日(土) 晴
中山道(第6回目)
JR岐阜駅~加納宿~各務原市役所~鵜沼宿~うとう峠~大田宿~JR美濃大田駅

     
 加納天満宮  手力雄神社の鳥居と道標  大安寺大橋 @鵜沼宿
  今日は、中山道歩き・第6回目として、加納宿から大田宿までの約27kmを歩く。  JR・岐阜駅を7時20分に出発し、前回の終点、加納宿道標まで移動し、7時30分、加納宿道標をスタートする。 加納宿は、城下町でもあり、また、美濃16宿中最大の宿場であった。 当時を偲ぶ建物はほとんど無いが、古い道標や加納城の石垣が残っている。 8時、名鉄名古屋本線の踏切を渡る。 さらにJR東海道本線を潜り、東に向かう。 8時40分、火祭りで有名な手力雄神社の鳥居。 9時、東海北陸道を潜る。 この辺りから各務ヶ原市に入り、新加納の一里塚、市民公園、市役所前の市街地を通り、10時15分,六軒一里塚跡でR21号と合流する。  航空自衛隊基地と川崎重工の間の陸橋で、名鉄各務ヶ原線を越える。 11時5分、再び陸橋でJR高山線を越え、11時20分、R21号線と右に分かれる。 ここから、いよいよ鵜沼宿に入る。 南に犬山城が望める。11時50分、鵜沼宿脇本陣、大安寺大橋付近の食堂で昼食。12時30分大安寺大橋を出発。赤坂の地蔵堂で左折し、急坂を上る。 登りきると「うぬまの森」があり、石畳等が整備されている。峠を越え、急坂を下り、13時25分、JR高山線を潜り、R21号線に出る。 国道沿いの道を行く。 13時40分階段を登り、崖の上に在る岩屋観音に参る。この辺りは、日本ラインとして親しまれている木曽川が眼前に広がり、素晴らしい眺めが楽しめる。 木曽川の堤防沿いに進み、14時、坂祝駅前を通過。 14時40分大田宿中山道会館に到着。 脇本陣住宅等を見て、15時15分、JR美濃太田駅に、無事到着する。
多治見経由で帰路に着いた。・・・・・


 今日は、絶好の好天気。楽しい街道歩きが出来ました。何事も無く、無事に完歩できた事に感謝。
     
 中山道石畳 @うとう峠  木曽川・日本ライン  うだつの上がる大田宿脇本陣

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2016年4月25日(月)~26日(火)
中山道(第7回目)
太田宿~伏見宿~御嵩宿~細久手宿(宿泊)~琵琶峠~大湫宿~十三峠~大井宿~中津川宿

 4月25日(月)  JR美濃太田駅~太田宿~太田橋~伏見宿~御嵩宿~細久手宿(大黒屋・宿泊)
     
 太田橋 (今渡の渡り)  ボタン @御嵩宿・願興寺  謡坂の石畳
  今回は、中山道歩き・第7回目として1泊2日で、太田宿から中津川宿までの、54・5km完歩を目指す。 今日はその第1日目、太田宿から細久手宿までの24kmを歩き、細久手宿・大黒屋に宿泊予定。 朝6時過ぎのJRで出発。 美濃太田駅に7時56分着。 8時、美濃太田駅を出発。8時15分、太田宿・祐泉寺を今日の起点として出発。 木曽川沿いに進み、8時35分、太田橋を渡る。(昔の今渡の渡りで、木曽川に架かる橋)  9時05分、JR太多線を渡ると、まもなくR21号線と合流。 ここから御嵩宿まで、ほぼR21号線沿いに進む。 9時50分、伏見宿の休憩所。 10時23分比衣の一里塚と進み、11時、名鉄・御嶽駅に着く。 ここで、御嵩宿の案内パンフレットをもらい、御嵩宿を散策。 御嵩は願興寺を中心に栄えた町。願興寺は、蟹薬師とも呼ばれ,平安開創の古刹。 11時30分、食堂に入り、ランチを頂く。。 12時、御嵩宿を出発。 12時25分、R21号線と分かれ、旧道に入る。 ここには、和泉式部の墓が有る。 旅の途中、病気になり、この地で没したと言われている。 12時45分、牛の鼻欠け坂。 ここは、あまりに急な坂の為、牛が鼻をこする程の急坂。 耳神社を過ぎ、謡坂の石畳の上り道が始まる。 十本木の立場跡、唄清水、を経て、物見峠を越え、14時、津橋の集落に入る。 ここから、再び山道に入る。 14時40分、 鴨之巣の一里塚に着く。 ここで休憩。 宿にTEL.。 「あと40分程で着くとの事。」 秋葉坂三尊を過ぎると、間も無く細久手の集落に入る。 細久手の穴観音や日吉・愛宕神社を過ぎると、15時30分、本日の宿泊宿「大黒屋」に到着。 ここは、旅館として営業している旅籠屋。 建物は140年、尾張藩指定の本陣であった。 御嵩宿から大井宿間は、宿泊施設は、ここ1件しかなく、歩く旅人にとっては、実に貴重な存在だ。 今日は、客も少なく、のんびりする事が出来た。 明日に備え、20時消灯。
     
 鴨之巣の一里塚  秋葉坂三尊  大黒屋 @細久手宿
 4月26日(火)  細久手宿(大黒屋)~琵琶峠大湫宿~十三峠~大井宿~中津川宿~JR中津川駅
     
 弁財天の池  琵琶峠頂上の馬頭様  大湫宿・高札場付近
  今日は2日目。中津川宿を目指すが、大井宿に到着時に最終判断する事で出発する。 宿のご主人のご好意で、朝食を6時過ぎに用意して頂き、お蔭で6時30分に宿を出発する事が出来ました。 天気は快晴、気持ち良いウオーキング日和だ。 奥之田の一里塚、弁財天の池、と進み、9時38分琵琶峠西入口を入る。 琵琶峠への石畳の上りにかかる。 琵琶峠頂上は、標高540m中山道美濃路の最高地点です。 下りも、石畳が続き、日本一長い石畳の道である。 8時05分、琵琶峠東上り口に出て、峠を越える。 8時26分、大湫宿・高札。 大湫宿の中心にある神明神社の大杉は樹齢1300年の巨木で、ここに住む人の精神的支えになっている。 8時36分、十三峠入口を入る。 大湫宿から大井宿までの道は、十三峠と呼ばれ、上り下りが3里半も続く長い道。 三十三観音、権現山の一里塚、炭焼き立場、大久後、を経て、10時19分、深萱立場に着く。 ここが、十三峠の中間点。 乱れ坂、紅坂一里塚を経て、11時19分、首なし地蔵に着く。 ここで、11時35分まで食事休憩。 宿で作ってくれたおにぎりを頂く。 槇ヶ根の一里塚、西行塚を過ぎ、石畳の坂を下りきると、12時10分、十三峠をようやく越える。 恵那の市街地に入り、12時50分JR恵那駅前に着く。 ここで、中津川まで歩く事を決断する。 早速、出発。 本陣跡、上宿石仏群、を経て、13時26分、展望が素晴らしい甚平坂に着く。 広久手坂を下り、14時20分、坂本立場。 この辺から恵那山がきれいに見える。 14時55分坂本八幡宮。 15時38分、上宿の休憩所で休憩。 いよいよ中津川はもう少し。 16時20分、JR中津川駅に無事到着する。 16時50分の快速で帰路に着いた。 ・・・・・

 
今日は良く歩いた。 そして疲れた。 しかし、計画通り完歩でき、達成感で大満足の街道歩きであった。
     
 三十三観音  西行塚  恵那山

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2016年5月22日(日) 晴
中山道(第8回目)
JR中津川駅~中津川宿~落合宿~十曲峠~馬篭宿~馬篭峠~妻籠宿~JR南木曽駅
今回、落合宿で中山道・美濃路はおわり、馬篭宿から中山道・木曽路歩きが始まる

     
 中津川市街を望む @茶屋坂より  落合宿 善昌寺の門かぶりの松  落合の石畳
  今回は、中山道歩き・第8回目として、中津川宿から、南木曽まで約22kmを歩く。 落合宿で美濃路は終り、馬篭宿から、木曽路歩きが始まる。 朝6時30分過ぎのJRで出発。 JR中津川駅に8時30分着。 8時40分、駅前・新町を今日の起点として出発。 いきなり、茶屋坂・高札場から階段や、歩道橋等の急坂を上る。 坂上から、中津川の市街地がきれいに見下せる。 子野一里塚、与坂立場跡を過ぎ、8時30分R19号線を潜る。 さらにR19号線を再び渡ると、まもなく落合宿に入る。 落合宿は、中山道美濃路最後の宿。 過去に大火が有り防災の為、町内に手押しポンプや、炊き出し用の大釜が今も大切に保存されている。 9時45分、落合川に架かる、下桁橋を渡ると、十曲峠に入る。 坂を上ると、医王寺に着く。 10時05分、落合の石畳の道に入る。 石畳は、新茶屋まで続いており、途中ナンジャモンジャの杜が有り、花期(5月)には、白い花が見事だ。 10時25分、新茶屋の一里塚に着く。 ここには、「是より北木曽路」の碑、休憩所、芭蕉句碑等がある。 諏訪神社、丸山城址、丸山坂,石屋坂と上り、11時馬篭宿に入る。 大勢の観光客で賑わっていた。 特に外国人観光客が目立って多い。 馬篭高札場の展望台から、今日は恵那山の雄姿が、綺麗に見える。 11時20分高札場で馬篭宿を離れ、峠へと上る。 水車塚、梨乃木坂を過ぎ11時40分、十返舎一九碑の休憩所で昼食休憩とする。 鳥の声しか聞こえない中、心地よい風が気持ち良い。 12時出発。 12時15分馬篭峠(標高801m)に着く。 峠の茶屋は多くの観光客で賑わっていた。 ここからは、妻籠宿まで長い下り。 石畳、大妻籠一里塚、大妻籠、飯田街道追分、と下る。 13時15分、妻籠駐車場。 ここから妻籠宿に入る。 ここでも観光客が多く、賑わっていた。 土産に「オヤキ」を買う。 店で出してくれた冷たいお茶で生き返る。 「うまい。!」 13時40分、妻籠高札場で妻籠街並みと外れ、鯉岩、妻籠城跡、上久保一里塚、と進み、14時10分、かぶと観音に着く。 ここまで来るとJR南木曽駅はもう近い。 坂を下りSL公園を過ぎると、14時30分、無事本日の目的地・JR南木曽駅に到着する。 15時42分のJRで帰路に着いた。・・・・・・・

 今日は、30度近い暑い日であったが、日陰と心地よい風のお蔭で、気持ち良く歩く事が出来ました。 又、中山道・美濃路を踏破し、木曽路歩きの良いスタートを切る事が出来ました。
     
馬篭宿   馬篭峠  妻籠宿
 後記 (8月4日)

 開田高原の帰り道、5月22日に歩いた新茶屋にある
 『是より北、木曽路』 の見落とした石碑を
再度見に訪れました。 
長野と岐阜の県境にある新茶屋。 
いよいよ木曽路です。馬籠峠へ向かって登って行きます。
・・・・・
 藤村68歳の時の直筆です。

 『 是より北 木曽路 』 
@新茶屋にて
 

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2016年9月10日(土) 晴
中山道(第9回目)
JR南木曽駅 ~ 三留野宿 ~ 野尻宿 ~ 須原宿 ~ JR倉本駅

     
 木曽川沿いを行く  飯盛山 @十二兼  道の駅・大桑
  今回は、中山道歩き・第9回目として、JR南木曽駅から、JR倉本駅まで約25kmを歩く。 (当初は、上松駅まで32kmを予定したが、久しぶりの街道歩きで、また残暑厳しい時であり、無理をせず倉本駅までとした。)  朝一番の5時30分のJRで出発。 JR南木曽駅に8時09分着。 8時15分、歩道橋を渡った、駅東・中山道を今日の起点として出発。 集落の間の道を進み2km程で三留野宿に着く。 古い家や本陣跡の標識がある。 8時43分、JR線のガードを潜り、R19号の歩道に合流。 ここから、柿其入口まで、R19号の歩道で歩き易い。 しかし、江戸時代は羅天の桟辺りは、木曽路でも難所として知られていた所であった。 9時20分、柿其入口。 ここから、再び、旧道に入る。 9時40分、JR十二兼駅近くで、JR線・R19号を水路トンネル歩道で潜る。 十二兼の集落に入ると、飯盛山や中央アルプスの山々がきれいに見える。 再び、R19号を渡り、JR線の踏切を何度か渡ると、10時30分、野尻宿着く。 野尻宿は七曲りと言って、外敵を防ぐため街道が曲げてある。 10時57分、R19号に合流。 11時、道の駅大桑に着く。 ここで11時20分迄、休憩。 11時30分大桑郵便局。 11時45分伊奈川を渡る。 12時10分、木曽路の名刹・定勝寺に立ち寄る。 美しい寺で石仏が多くあり、おだやかな表情が、心を和ましてくれる。 ここはもう須原宿。 須原宿は、随所に水船が置かれている。サワラをくり抜いた水船には、湧水が注がれ、旅情を誘う。 大和屋自家製の「さくらの花漬」は昔からの名物。 12時30分、R19号沿いの細い道に入る。雑草が生い茂り、荒れた道を急ぎ足で急ぐ。12時45分、やっと、R19号の歩道に出てホッとする。ここからR19号の歩道を進む。13時22分、桃山発電所のある、池の尻を通過。13時35分大沢橋を渡り、空木岳の案内板から旧道に入る。栃ノ木坂や、倉本の小さい集落を通り、14時、無人のJR倉本駅に無事到着。 14時17分のJRで帰路に着いた。・・・・・

 今日も残暑の厳しい日であったが、さすがは木曽路。 それほど暑さを感じず、快適に歩けました。 今日は、木曽川の左岸(東)をR19号、JR中央線と平行又はクロスしての道が続き、わかりにくい所も有ったが、ほぼ地図通り歩く事が出来ました。 さあ、次回は上松・福島宿、見所いっぱい。楽しみだ。
     
 須原宿の水船  木曽路の名刹・ 定勝寺@須原宿 桃山発電所 @池の尻

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2016年10月10日(月) 晴
中山道(第10回目)
JR倉本駅 ~上松宿 ~福島宿 ~宮ノ越宿 ~JR宮ノ越駅

     
 小野の滝  名所・木曽の桟に架かる赤い橋 蕎麦・くるまや本店@木曽福島
  今回は、中山道歩き・第10回目として、JR倉本駅から、JR宮ノ越駅まで約24kmを歩く。  朝一番の5時30分のJRで出発。 JR倉本駅に8時40分着。 8時41分倉本駅を、今日の起点として直ちに出発。 R19号を1km進み、左に入ると立町集落。 木曽川につり橋が架かっている。 昔、立場が有った所。 再び、R19号に戻る。 神明神社から山道になる。 神社の草刈りをしている人に聞くと、ここからの山道は、手入れがあまりされていないので、クマが出る恐れがある。 小野の滝までは、R19号(歩道が有る)を行った方が良い。 とのアドバイスを受け、R19号を行く。 9時30分、名所・小野の滝に着く。 木曽八景に数えられる、名瀑との事。  ここから、旧道に入る。 坂を上り、滑川橋を渡る。 中山道の頃の立場茶屋や古い家並みが残っている。 10時、中沢橋を渡る。 上松の街並みが見えて来て、寺坂を下ると、上松宿に着く。 10時23分十王橋。 ここから、木曽の桟までは、地図上でも分りずらい。 地元の人に聞き、教えて頂いたように進む。 10時58分、名所・木曽の桟に着く。 (かけはしは、木曽川を渡る橋では無く、岩壁に沿って丸太を組んだ桟(さん)のような道であったという。) 11時10分、歩道橋を渡り、R19号歩道に入る。 かけはし大橋を渡り、11時20分、道の駅・木曽福島に着く。 ここで、11時30分まで休憩。 今日は祝日、道の駅は満車状態で賑わっていた。 再びR19号歩道を進み、元橋を経て、11時51分R19号と分かれ、旧道を木曽福島市街地へと下る。 12時、JAスーパー前を右に入り、細い道を上り、JR木曽福島駅を目指す。 12時20分、JR木曽福島駅に到着。 ここから福島宿の散策。 まず、評判の蕎麦屋・くるまや本店を目指す。 なんと、大行列が出来ているではないか。!! 最短でも1時間以上は覚悟しなければならないとの事。 残念だが、あきらめる。 中八沢橋・大通寺・古い水場・上の段坂・高札場・本陣跡等を散策し、福島関所で休憩。 13時15分、関所門を出発。 関町の信号から上田口まで、R19号と合流したり離れたりを繰り返し、13時52分、上田口に着く。 ここから、R19号と分かれ、旧道を進む。 14時21分、JR原野駅近く、中山道・中間地点に到着。 「遂に、中山道を半分歩いた事になる。!!」 14時55分、宮ノ越宿の樋口一里塚・本陣跡に到着。 木曽義仲館を見て、15時20分、JR宮ノ越駅に到着。 15時37分のJRで帰路に着いた。

 今日は朝から好天気。 それほど暑さを感じず、快適に歩けました。 今日は、前回と同じく、木曽川の左岸(東)をR19号と平行又はクロスしての道が続き、わかりにくい所が多く有った。 何人かの方のアドバイスのお蔭で、ほぼ地図通り歩く事が出来ました。 
さあ、次回は鳥居峠越え。楽しみだ。
     
 関所門@福島関所  中山道・中間地点@JR原野駅の近く  木曽義仲・巴御前@宮ノ越・義仲館

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2016年10月30日(日) 晴
中山道(第11回)

JR宮ノ越駅~宮ノ越宿~藪原宿~鳥居峠~奈良井宿~JR木曽平沢駅

  鳥居峠 
 鳥居峠は、中山道の難所だった。 南に藪原宿、北に奈良井宿をつなぐ標高1197mの峠。 鳥居峠は、分水嶺で、北は奈良井川、
 南は木曽川となる。 奈良井川は犀川、千曲川、信濃川となり日本海へ。 木曽川は太平洋へ注ぐ。
     
 巴渕(木曽川の深い渕)  藪原宿名物・お六くしの店  飛騨街道追分(分岐点)
  今回は、中山道歩き・第11回目として、JR宮ノ越駅から、JR木曽平沢駅まで約13km(鳥居峠・標高1197mへの上り3km、下り2.3kmをっ含む)を歩く。 朝一番の5時30分のJRで出発。 JR宮ノ越駅に9時15分着。 9時20分宮ノ越駅を、今日の起点として直ちに出発。 義仲館、義仲の菩提寺・徳音寺前を通り、9時37分巴渕(木曽川の深い渕で、巴御前はここに住む龍神の化身だった)に着く。 JR線を潜り、R19号に合流し、R19号の歩道を行く。 9時50分、山吹トンネル(長さ334m・ガードレールのある歩道あり。)を速足で抜ける。 10時10分吉田洞門を過ぎる。 10時36分藪原の信号で、R19号と分かれ、藪原宿に入る。 JR藪原駅、高札場跡、藪原神社、を過ぎ10時55分、飛騨街道分岐点に着く。飛騨街道は野麦峠を越えて飛騨に通じる道。昔、飛騨の女工さん達も、この道を利用した。ここから、道は急な上り坂となる。消防署横の鳥居峠への山道に入る。石畳の道を経て、難所と言われたつづら折れの道を上りつめる。この辺りには、森林測候所跡、丸山公園、御嶽神社等の旧跡が沢山ある。中でも御嶽神社は御嶽山遥拝する場所として人々の崇拝を集めた。今日も、白く薄化粧した御嶽山が望めた。12時、鳥居峠・頂上に到着。 峠の茶屋跡には、きれいな新しい休憩所がある。そこで12時30分まで、食事休憩。峠の休憩所を12時30分、出発。奈良井宿まで一気に下る。途中、葬り沢と言う木曽氏・武田氏の古戦場跡の中の茶屋を通る。石畳の道となり、下りきると、13時、鎮神社に着く。ここからは、奈良井宿、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。古い宿場町の家並みがやく1kmほど続く。13時30分、JR奈良井駅に着く。時間が有るので、木曽平沢駅まで歩く事にする。意外に早く、14時05分、JR木曽平沢駅に無事到着。 14時10分のJRで帰路に着いた。・・・・・・

 今日は朝から秋晴れの好天気。 絶好のウオーキング日和、快適に歩けました。 特に、鳥居峠越えは、意外に速く、上り1時間、下り30分、計1時間30分で越える事が出来ました。  
     
 御嶽遥拝所・石の鳥居 @鳥居峠  鎮神社 @奈良井宿  古い家並み @奈良井宿

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2017年3月19日(日) 晴時々曇
中山道(第12回)
JR木曽平沢駅~平沢~贄川宿~本山宿~洗馬宿~平出遺跡~塩尻宿~JR塩尻駅

今回、贄川宿桜沢(是より南木曽路の碑)で木曽路は終り、本山宿から中山道・信濃路歩きが始まる。

     
 漆器の街 平沢(間の宿)  贄川関所  「是より南 木曽路」の碑 @桜沢
  今回は、中山道歩き・第12回目として、JR木曽平沢駅駅から、JR塩尻駅まで約25kmを歩く。  今回、贄川宿・桜沢で木曽路は終り、本山宿
より中山道・信濃路歩きが始まる。 
朝一番の5時31分のJRで出発。 JR木曽平沢駅に9時30分着。 9時35分、JR木曽平沢駅駅を、今日の起点として出発。 駅前は、きれいな漆器店がずらりと並ぶ家並みが続く。10時道の駅「木曽ならかわ」に立ち寄る。押込の一里塚、贄川の栃の大木と過ぎ、10時40分贄川宿に入る。重文・深澤家や贄川関所等を見学。11時45分、桜沢の「是より南、木曽路」の碑に着く。その横に有る境川がかっての尾張と信濃の境。ここで、木曽路は終り、信濃路が始まる。12時20分、桜の丘公園。ここから本山宿に入る。出梁造りの家並みが続く。また本山宿はそばキリ発祥の地として知られている。12時35分、本山そばの里で、大盛りそばをいただく。多くの人で賑わっていた。13時、そばの里を出発。13時35分、JRガードを潜ると、洗馬宿。ここは、善光寺街道の分岐点。江戸に向かって右:中山道。左:善光寺道。道は、ブドウ畑の中を行く。14時30分、平出遺跡公園に着く。ここでしばし休憩。「平出遺跡は日本3大遺跡に数えられる大きな遺跡。縄文時代から平安時代にかけての大規模な集落跡、遺跡保護の為、公園整備が行われている。」 大門神社を過ぎ、15時、今日の終点、下大門の交差点に無事到着。15時25分、JR塩尻駅。観光案内書で、情報を仕入れ、16時06発のJRで帰路に着いた。・・・・・

 今回で、木曽路は終り、信濃路に入った。信濃路は本山宿から軽井沢宿までの15宿。まだまだゴールは遠い。
     
 そばキリ発祥の地 @本山宿  善光寺街道との分岐点 @洗馬宿  平出遺跡 @平出遺跡公園

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2017年3月25日(土) 晴
中山道(第13回)
JR塩尻駅 ~ 塩尻宿 ~ 塩尻峠 ~ 下諏訪宿 ~ JR下諏訪駅

     
 双体道祖神 @塩尻宿  小野家住宅・旅籠「いてうや」 @塩尻宿 残雪残る 塩尻峠 
  今日は、中山道歩き・第13回目として、塩尻宿から塩尻峠を越えて、下諏訪宿までの約12kmを歩く。 朝一番の5時31分のJRで出発。 JR塩尻駅に9時50分着。 10時、塩尻駅を出発。 10時20分、塩尻宿・下大門を、今日の起点として出発する。 塩尻宿は中山道・松本経由の善光寺街道・岡崎に至る三州街道の三つの街道が交差する,交通の要衝だった。 そのため最盛期には,旅籠が七〇軒以上もあり、大いに栄えた。 昔の建造物は、明治時代の大火で大部分失われたが、小野家住宅や、堀内住宅に往時の繁栄をうかがう事が出来る。 10時55分塩尻宿を離れ、柿沢の集落に入る。 ここには,首塚・胴塚 (1548年・塩尻峠の合戦が有り、武田軍と小笠原軍双方1万の大軍が合戦。 小笠原軍が大敗。 千余人が討ち死。 戦場に残された亡骸を、住人が丁寧に葬った。)  が有り、毎年供養を行っています。 11時10分、長野自動車道を渡る。 11時17分、R20号を潜る。 後ろを振り返ると、白く雪をかぶった北アルプスが綺麗に見える。 かなり上って来たのがわかる。 また、日陰には残雪が残っている。 さらに、坂道が続く。 11時40分、東山一里塚に着く。 もう峠は近い。 12時、無事、塩尻峠に着く。 早速、展望台に上り、展望を楽しむ。 南東側に諏訪湖、その奥に八が岳から南アルプスが綺麗に望める。 さらに、北西側に目を転じると、北アルプスが綺麗に望める。 この塩尻峠は分水嶺になっており、塩尻側は、田川・奈良井川・犀川・千曲川・信濃川となり、日本海へ。 諏訪側は諏訪湖・天竜川となり、太平洋に注いでいる。 12時30分まで景色をおかずに、コンビニ弁当で昼食を頂く。 12時30分塩尻峠を出発。 急坂を一気に下る。 12時45分、R20号バイパスを渡る。 13時25分、平福寺で一休み。 安心童子像が可愛い。 13時50分、春宮大門。 14時下諏訪駅に無事到着。 時間が有るので、諏訪大社秋宮参拝や、観光案内所で情報収集で時間をつぶし、15時19分発のJRで帰路に着いた。・・・・・・

 次回は、中山道最大の難所と言われる和田峠越え。 しかも、アクセスが難しく、長野経由の新幹線か長野鉄道利用となり、今までの様に日帰りは難ししく、連泊での街道歩きが必要となる。 十分な・下調べと・計画を立て、中山道歩きを続けて行くつもりだ。
     
 諏訪湖 @塩尻峠・展望台より   「右 しもすは 中山道 左 しおじり峠」  安心童子像 @平福寺

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2017年10月25日(水)~26日(木)
中山道(14回)
JR上田駅~和田宿~長久保宿~笠取峠~~芦田宿~望月宿~八幡宿~千曲川~塩名田宿~岩村田宿~JR佐久平駅

 10月25日(水)雨後曇り  JR上田駅~バス~和田宿~長久保宿(浜田屋旅館・宿泊)
     
 和田宿本陣跡  和田中学校  長久保宿・浜田屋旅館
  今回は、下諏訪宿から和田峠を越えて和田宿に入る予定であったが、長雨で道が荒れている事や、日が短くなっている事等を考え、和田峠越えは来年5月頃に持ち越す事にする。 今回は、和田宿から長久保宿。 さらに、2日目は長久保宿から岩村田宿まで歩く事とする。 朝7時の特急しなの1号で長野へ。 さらに、しなの鉄道で11時上田に到着。 和田行のバスが12時35分。 1時間30分以上も時間が有る。 往復30分程度で行ける上田城の見学に出かけ、時間をつぶす。 12時35分のバスで長久保経由で和田に向かう。 13時50分和田宿本陣に着く。 14時本陣を出発。 雨はほぼ止み、雨上がりの道を長久保に向けて歩き出す。 八幡神社・昭和の面影を残す和田中学校・小学校と過ぎ、14時30分若宮八幡宮につく。 落合橋を渡り、15時6分、大和橋に着く。 ここから国道沿いを注意しながら歩く。 15時25分長久保宿に入る。 15時40分、今日の宿泊・浜田屋旅館に着く。 今日は、ここで宿泊。 明日は晴れそう。 明日の街道歩きを楽しみに、眠りについた。
 10月26日(木) 晴  長久保宿~笠取峠~芦田宿~望月宿~八幡宿~千曲川~塩名田宿?岩村田宿~JR佐久平駅
     
 笠取峠の松並木  間の宿・茂田井家並  瓜生坂
  今日は、上天気。 しかし高地特有の朝霧で、遠くの山は望めない。 宿にお願いして、早い目に朝食を頂き、7時、宿を出発する。 宿から松尾神社まで、気持ちの良い、直線の上り道が続く。 その後、九十九折りの道に変わり、中山道原道標柱・立場茶屋跡・峠の石碑等を経て、7時50分、笠取峠に着く。 ここからは、下り道。 8時12分、笠取峠・松並木公園に入る。 ここは、1kmに渡り、老赤松の並木が往時の中山道を偲ばせてくれる。 また、ここから見る浅間山を、楽しみにしていたが、朝霧の為、望めず残念。 松並木公園を過ぎると、芦田宿に入る。 8時50分、芦田宿ふるさと交流館で、しばし休憩。 9時30分、いまでも、古い街並みが、そのまま残る茂田井を過ぎる。 10時、望月宿の民俗資料館で、しばし休憩。 望月宿を出ると、瓜生坂の上りが始る。 10時20分瓜生坂 。 坂を下り、10時40分百沢。  ここまで来ると、きれいに化粧した浅間山が姿を現す。  感激!!。 以下、JR佐久駅まで、浅間山を見ながらの街道歩きを、楽しむ事となる。 11時八幡宿に入る。 11時20分八幡本陣跡・八幡神社を過ぎ、11時50分大日如来像に着く。 後方に雄大な浅間山が望める。 この近くの食堂で12時50分まで食事休憩。 13時、千曲川に架かる、中津橋を渡る。 ここから塩名田宿。 塩名田宿は、千曲川の東岸の川沿いの宿場町。 今でも格子戸の街並みには、旧屋号の看板が下げられています。13時20分、駒形神社。 14時、中部横断自動車道を潜る。 14時15分、浅間病院西の信号し到着。 今回はここで終了として、R141号線沿いにJR佐久平駅に向かう。 14時40分佐久平駅に到着。 15時30分の北陸新幹線で長野へ。 長野から特急しなので帰路に着いた。・・・・・・

今回は、和田宿から岩村田宿までの信濃路を歩いた。特に浅間山を眺めながら歩けるのは楽しい。思い出に残る街道歩きが出来ました。
     
 浅間山@八幡  大日如来像と浅間山  千曲川を渡る中津橋

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2018年6月1日(金)~3日(日) 晴
中山道(15回目)
JR下諏訪駅~下諏訪宿~和田峠越越え~男女倉口~和田宿~長久保宿~上田~小諸散策~小諸駅

*昨年、2度挑戦するも、悪天候の為、断念した中山道一番の難所である和田峠越えに挑戦し、無事越える事が出来ました。
6月1日~3日はお蔭様で、すがすがしい好天気に恵まれ、街道歩きの楽しさを満喫して来ました。

 6月1日(金) JR下諏訪~下諏訪散策(諏訪大社下社秋宮・春宮・万治の石仏・木落とし坂等)~下諏訪宿(宿泊)
     
 中山道下諏訪宿  万治の石仏  木落とし坂
  12時29分、JR下諏訪駅に到着。 諏訪大社下社・秋宮、春宮、万治の石仏等を参拝後、時間があり、明日の下見を兼ねて、諏訪大社御柱祭の木落とし坂まで、足を延ばしてきました。 この下見のお蔭で、明日迷う事無く、木落とし坂まで行けます。 また丁度、木落とし坂で和田峠を越えて来た人に出会え、色々情報を得る事が出来ました。 16時、下諏訪宿に戻り、今日の宿(駅前のホテル)にチェックイン。
 6月2日(土下諏訪宿~木落とし坂~浪人塚~西餅屋茶屋跡~和田峠~永代人馬施行所~男女倉口~和田宿~青原・民宿
     
 西餅屋茶屋跡  石小屋跡(和田峠)  和田峠
     
 永代人馬施行所  男女倉口  唐沢の一里塚
  今日は、いよいよ和田峠越えの日。 朝5時に起床。 6時ホテルを出発。 昨日の下見のお蔭で、7時に木落とし坂に到着。 7時44分、樋橋茶屋本陣跡碑。 8時、浪人塚(水戸浪士の墓)。 浪人塚付近からR142号沿いに進むが、歩道が無く、しかも交通量が多い、通行注意。!!    (30分程歩く) 8時30分、R142号と分かれ、山道の入口。 ここで、軽登山靴に履き替える。 8時40分出発。 9時05分、西餅屋一里塚跡。  9時13分、西餅屋茶屋跡。 山道は車道を3回横断し9時36分、峠沢橋に着く。 ここで、今日、最初の男女倉口から峠を越えてきた人と出会う。 挨拶と情報交換。 「峠からは、なだらかな下りで、歩き易いとの事。ありがたい。!!」  この辺から峠まで急坂が続く。 10時05分石小屋跡。   そして、10時20分、ついに和田峠(古峠)に到着。 下諏訪から、4時間20分、意外に楽に登る事が出来た。 和田峠は、標高1600m、中山道最高地点。 中山道最大の難所で旅人が難渋した。 今日は天気が良く下諏訪・御嶽方面の山々を望む事が出来る。 ここで、おにぎりを頂き、小休憩。 10時40分、和田峠を出発。 なだらかな草道を下る。 ビーナスラインを5か所横断する。 東餅屋の一里塚、石畳の道を過ぎ、11時50分、江戸時代の豪商が寄付し、冬場、峠を越える旅人と牛馬の為に、粥と焚火を施工した永代人馬施行所に着く。 今でも国史跡に指定され、保存されている。 三十三観音から観音坂を下ると、12時20分、男女倉口に到着。 「ヤッター・上り4時間20分・下り1時間40分・計6時間」 思っていたより楽に、無事に、和田峠を越える事が出来き、ホットした。 なお今日は、晴れの土曜日。 男女倉口から登って来た人は、15人と多く、同じ思いを持つ人が多いのに感激する。 12時50分~13時10分、唐沢の一里塚で2度目の昼食。 唐沢の一里塚は昔のまま対で残っている、貴重な一里塚。 和田宿を目指し、R142号沿いに進み、14時40分、和田宿・本陣に到着。 ここで、2017年10月25日・中山道(14回)和田宿本陣~長久保宿に繋がった事になる。 16時青原の民宿に到着。 本日、ここで宿泊。 明日は、小諸観光を楽しむ予定。
 6月3日(日) 青原~長久保宿~バス~上田~しなの鉄道~小諸(散策)~小諸駅
     
 小諸城大手門  小諸城址懐古園三の門  島崎藤村記念館
  7時、民宿を出発。 長久保宿まで歩き、7時50分着。長久保宿よりバスと、しなの鉄道を乗り継ぎ、小諸へ、9時30分着。 小諸は初めてなので、小諸城址懐古園を見学・散策する事とする。 懐古園は、明治維新後、廃城処分となり荒廃していたが、旧藩士達が資金を集め小諸城を払い受け、本丸跡に神社を祀り、花木を植え公園にし、懐古園と命名しました。 現在、近代的な市民公園に生まれ変わり、多くの観光客で賑わっています。
駅前の蕎麦屋で、ざるそばを頂き、12時10分のしなの鉄道で長野へ。 長野から特急しなので帰路に着いた。・・・・・・

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2018年7月31日(火)~8月2日(木)晴
中山道(16回目)

7月31日 JR岩村田駅~岩村田宿~小田井宿~追分宿~沓掛宿~中軽井沢駅
8月1日   中軽井沢駅~軽井沢宿~碓氷峠(熊野神社)~坂本宿~JR横川駅
8月2日           JR横川駅 ~ 松井田宿 ~ 安中宿 ~ JR安中駅

 7月31日(火)
  今回の中山道歩きの目的は、中山道最大の難所・碓氷峠を越える事である。 11時19分、JR岩村田駅に到着。 晴てはいるが、浅間山は雲が、かかり姿を見せない。 準備をして11時30分、岩村田の信号を、今日の出発点として出発。 11時50分、食堂に入り、昼食。 12時20分、小田井宿へ出発。 リンゴ畑が多く、青いリンゴが、大きく実っている。 12時53分小田井宿本陣跡。 13時28分、御代田・栄町で、しなの鉄道線路地下道をくぐる。 14時7分、稲作の冷害を改善する為の御影用水温水路に着く。 追分は、もう近い。 14時30分追分の分去れに到着。 ここは、中山道と北国街道の分岐点。道標・常夜燈・馬頭観音等の石造物が現存している。この辺の標高は1000m。岩村田が700m、御代田が800mの標高であり、随分上って来た事になる。 15時、追分郷土館で、休憩。 江戸時代、浅間山の南麓、軽井沢・沓掛・追分宿を「浅間根腰の三宿」と呼び、特に中山道と北国街道の分岐点の追分宿は多くの旅人で大変賑わった。 15時26分R18号バイパスをくぐる。 15時50分、沓掛宿本陣跡。 16時05分、中軽井沢駅に着く。 ここで、本日のゴール。 16時42分のしなの鉄道で、本日の宿の在る御代田駅に向かう。
     
 分去れの碑(北国街道との分岐)  軽井沢追分(標高1000m)  中軽井沢(沓掛宿)
 8月1日(水)
 さあ、今日は、碓氷峠越えの日だ。 朝1番の5時59分のしなの鉄道で中軽井沢へ向かう。 コンビニで朝食をすませ、6時30分、中軽井沢交差点をスタートする。 朝の軽井沢は、涼しい。 ウオーキングには快適だ。 朝霧のせいか、浅間山や離山も姿が見えない。 6時53分、離山でR18号と分かれ、旧道に入る。 7時21分、六本辻。 7時38分、旧軽井沢銀座に残る軽井沢宿・本陣跡。 昔からの老舗旅館つるや。 二手橋等を過ぎ、8時、遊歩道(峠への登山道)入口仁到着。 ここで、軽登山靴に履き替え出発する。 遊歩道は、良く整備された、緩やかな上り道。 意外に早く、9時05分、碓氷峠・見晴らし台に到着。 見晴らし台で、展望を楽しみ、碓氷峠頂上の熊野神社に参拝。 江戸時代、安中藩主が藩士の鍛錬の為、碓氷峠の熊野神社まで、中山道を徒歩競争させた。 これを安政遠足と呼ばれた。 今も、毎年5月第2日曜日に開催され、多くのランナーが健脚を競っています。 又、峠の茶屋で名物・力餅を頂く。 「美味しい。!!」 9時50分、碓氷峠山頂を出発。 これから、長い、歩きにくい下り坂を下る。 ただ、木々の中の木陰道であり、涼しい。 10時30分、陣馬ヶ原。 10時47分、山中茶屋跡。 11時20分、座頭ころがし。 12時碓氷坂関所跡。 12時13分、坂本集落が見下ろせる覗。 この辺りから、刎石坂と呼ばれる、歩きにくい急な下り坂が始まる。 足元に神経を集中して慎重に下る。 12時50分、無事、中山道口に到着。 坂本宿に入ると、今まで木陰の中の道で、暑さを感じなかったが、急に日の照るコンクリート道。 しかも、坂本の標高は500m程。 峠(1200m)より、4・2度は高い。 急に暑さが応える。 今日の予定を、無理せずにJR横川駅までと決断。 14時05分、碓氷関所跡。 近くの店で、冷たいポカリを購入。 一気に飲み干す。「美味い。」 14時20分、JR横川駅に無事到着。 今日は、ここでゴール。 15時10分のJRで、本日の宿・高崎に向かった。
     
 旧軽井沢銀座  碓氷峠遊歩道入口  碓氷峠・熊野神社(安政遠足のゴール)
     
 見事な柱状節理(刎石坂にて)  坂本宿  峠の釜めし(JR横川駅前)
 8月2日(木)
  JRで7時30分横川駅に着く。 7時35分横川駅出発。 今日も暑い日になりそうだ。 無理をせず、早めに切り上げよう。 8時05分碓氷神社。8時33分上信越自動車道を潜り、R18号を横断する。 9時01分JR線を渡る。 9時10分西松井田駅前。 9時31分松井田駅前。 10時12分郷原の妙義常夜燈付近のコンビニで休憩。 10時31分日枝神社。 11時15分原市高札場跡。 11時48分新島襄旧宅。 12時30分碓氷川に架かる久芳橋を渡ると12時40分、JR安中駅に到着。 今日は、無理をせず、今日はここがゴールとする。 高崎・長野経由で帰路に着いた。・・・

 今回で、信濃路を終え、武州路・上州路(群馬・埼玉・東京)に入った。 しかも最大の難関、碓氷峠を踏破する事が出来、中山道の完歩が見えて  来た。 残り15宿・120km。 楽しみだ。
     
 JR横川駅  夜泣き地蔵と茶釜石  安中原市の杉並木

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2018年9月16日(日)~9月18日(火)
中山道(17回目)

9月16日 JR安中駅~板鼻宿~高崎宿~倉賀野宿~新町宿~本庄宿(泊) *33km
9月17日 本庄宿~深谷宿~熊谷宿~JR熊谷駅…深谷(泊) *22.5km
9月18日 深谷・・・JR熊谷~熊谷宿~中宿吹上~鴻巣宿~JR鴻巣駅 *16.3km

  9月16日(日)晴
 前日、孫の幼稚園の祖父母参観に参加。 上尾の息子宅に泊り、朝8時50分、安中駅に着く。 準備をして、9時JR安中駅を出発。 さあ、今日は天気は晴。 30km以上有るが、出来れば本庄宿を目標に歩く事にする。 9時12分、碓氷川に架かる鷹之巣橋を渡る。まもなく板鼻宿に入る。豊富な水量の用水路が印象的だ。 9時32分JR信越線を渡る。 10時18分高崎・上豊岡のダルマ工房を見学。 10時44分,烏川に架かる君が代橋を渡る。 ここから高崎の市街地に入る。 10時59分常盤町交差点を左折。 11時13分本町三の交差点を右折。 11時29分、高崎駅口の新町。 11時45分、新幹線と上信電鉄を潜る。 12時10分、倉賀野駅近くの食堂に入り昼食。 12時40分、食堂を出発。 13時25分JR高崎線を渡る。 13時43分烏川に架かる、柳瀬橋を渡り、土手沿いの歩道を新町に向けて歩く。 河川敷きの運動公園では、運動会や球技を多くの人が楽しんでいた。 14時36分、R17号に合流。 14時43分JR新町駅口。 15時、神流川古戦場跡碑。 .15時15分、神流川を渡ると埼玉県に入る。 (*神流川の合戦~北条軍と信長の家臣で関東管領の滝川一益との戦い。 滝川軍が破れた、戦史に残る激戦。) 16時神保原駅口。 16時27分、泪橋跡碑・浅間山古墳。 ここから本庄市に入る。 17時10分、旧本庄商業銀行。 レンガ造りの明治期を代表する立派な建築物だ。 17時20分、ついにJR本庄駅入口に無事到着。 今日の目標達成。 17時30分、駅前のホテルに無事到着。 今日は良く歩いた。
     
 板鼻宿 豊富な水量の水路  八幡大門  上豊岡のダルマ工房(萩原ダルマ)
     
 烏川に架かる柳瀬橋(岩鼻町)  神流川古戦場跡碑  旧本庄商業銀行(明治期を代表する建築物)
  9月17日(月)晴
 今日も天気は晴。 6時10分、ホテルを出発。 6時15分本庄駅口を出発。 6時40分諏訪町交差点。 7時25分小山川に架かる滝岡橋。 岡のバイバス交差点を渡ると百庚申の石仏群。 7時42分、R17号に合流。 R17号の歩道を進む。 8時34分宿根交差点より旧道に入る。 9時深谷宿本陣跡。 9時10分深谷駅口。 9時20分本住町常夜灯。 9時28分R17号の原郷交差点。(深谷第一高校、見返りの松が有る。)今日は、天気が良いが暑い。 もう30度は越えているか。 10時37分新堀北の交差点近くのコンビニで20分休憩。 11時05分R17号に合流。 11時30分新島一里塚跡近くの食堂で昼食。 12時15分、食道を出発。 12時35分、熊谷警察署。 12時50分、中山道が店内を通っている八木橋デパート。 店内の通路が中山道になっている。 店内は13涼しので、置いて有る椅子でしばし休憩。 熊谷市役所、高城神社前を通り、遂に今日の目標の熊谷駅口に13時20分に無事到着。 13時35分JR熊谷駅に到着。 時間的には、まだ歩けるが、気温も高く、疲れているので無理をせず、今日はここまで。今日の宿泊地の深谷駅にJRで向かい、15時、深谷駅前のホテルに、無事チエツクイン。
     
 ネギ畑  小山川に架かる滝岡橋  百庚申の石仏群
     
 見返りの松(原郷交差点)  八木橋デパートの中を中山道が通っている  JR熊谷駅
  9月18日(火)晴
 今日も天気は晴。 ありがたい!! 今日は、まず深谷からJRで熊谷に出て、6時30分熊谷駅前をスタートする。 6時40分、R17の銀座1の交差点を右折。 JR,秩父鉄道、新幹線を潜る。 7時八丁の一里塚跡。 7時50分行田駅口。 8時10分JR線を渡る。 R17号に合流し、8時38分吹上駅口を通過。 8時48分筑波の交差点でR17号と分かれ右折し、JR線を再び渡る。 間の宿吹上の新しい碑が設置されている。 住宅地・水田・畑の中ののどかな道を行く。 9時25分、箕田追分。 9時33分中宿橋を渡る。 10時18分再びJR線を渡る。 10時21分、加美の交差点を右折。 10時30分、コウノトリ伝説を今に伝える鴻神社。 そして、10時45分無事今日の目的地、JR鴻巣駅に到着。 これで、今回の中山道歩きは終り。残り日本橋まで50kmとなった。 JRで東京周りで帰路に着いた。・・・・・・

 今回の中山道歩きは、天気に恵まれ、予定通り安中駅から鴻巣駅までの約70kmを無事・完歩する事が出来ました。 残り50kmとなった中山道、万全の計画を立て「中山道完歩」を目指します
     
 JR深谷駅  R17号熊谷駅前交差点  八丁の一里塚跡
     
 元荒川のさくら(埼玉県自然百選)  中山道・間の宿吹上の碑  鴻神社(鴻巣宿)

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2019年3月8日(金)~3月9日(土)
中山道(18回目・最終回)


3月8日 JR鴻巣駅~鴻巣宿~桶川宿~上尾駅~大宮宿~浦和宿(宿泊) *24・1km
3月9日 浦和宿~蕨宿~戸田橋(荒川)~板橋宿~巣鴨~日本橋(ゴール) *24・6km

3月8日(金) 晴
 いよいよ中山道歩きも、今回の二日間の歩きで、最終回となる。 「まず1日目は、鴻巣宿~浦和宿までの24・1kmを歩く。 2日目は浦和宿~巣鴨までの18kmを歩き、ここで長男家族と合流して、日本橋までの6・6kmを歩く。」 の予定だ。 3月8日(金)、朝10時10分、JR鴻巣駅に着く。 ちょうど6か月ぶりに、鴻巣駅に降り立つ。 10時20分、駅前の交差点をスタートする。 今日は、天気は良いが、風が強い。 鴻巣宿は雛人形制作の歴史と伝統を誇る町。 雛人形を飾っている店が目立つ。 11時30分、手打ちうどんの店に入り、12時15分まで食事休憩。この辺は、製麺が盛んなのか、うどん屋さんが多い。 うどんも美味しかった。 12時45分、桶川宿。 無料休憩所や、昔の旅籠の姿を残し、今も営業している武村旅館がある。 桶川宿は紅花で栄えた町で、立派な蔵造りの商家が残っている。 13時35分、上尾駅前を通過。 近くに、有名な遍照院や、氷川鍬神社がある。 14時30分、宮原駅口を通過。15時05分、中山道と分かれ、氷川神社参道(昔の中山道)へ向かう。15時15分、参道に入り、静かな参道を、一の鳥居に向かって約2kmを歩く。15時45分、一の鳥居に着く。 ここで再び、中山道と合流する。 ここまで来ると、さいたまスタジアムが目に飛び込んで来る。 16時、さいたま新都心駅。 与野駅前、さつまいもの廓信寺など経て、17時、北浦和駅口に到着。 今日は、ここがゴール。

 (鴻巣~浦和 : 24・1km 、実歩き6時間、休憩40分)
     
雛人形の里・鴻巣宿  桶川宿・無料休憩所  氷川鍬神社・上尾宿
     
 氷川神社参道・1の鳥居  さいたまスタジアム@新都心駅より  けや木並木・浦和宿
 3月9日(土) 晴
 今日は、晴。 風も無く、中山道最後の歩きに、ふさわしい天気だ。 ありがたい。 6時、北浦和駅口をスタートする。 新浦和橋、浦和駅口、を経て6時35分、兎の狛犬で有名な調神社。 6時50分、焼米坂を下る。 7時、R17号を渡る。 さらに東京外環自動車道を潜る。 この辺りから、道を迷う。 道を尋ねながら、ようやく8時08分、蕨宿・本陣跡に到着。 (約40分程の時間ロス。)  8時12分、R17号に合流。 錦町、本町、河岸等の交差点を過ぎる。 8時45分、JR埼京線を潜り、そして戸田橋 (荒川) を渡る。 8時50分、遂に東京に入る。 9時3分、志村橋 (新河岸川) 渡る。 9時22分,環状八号を渡る。 9時52分、泉町でR17号と分かれる。 10時、環状七号を潜り、縁切榎、板橋 (石神井川) を渡ると、仲宿商店街、板橋商店街、の中を行く。 10時34分、JR埼京線の踏切を渡る。 さらに、10時50分、都電荒川線の庚申塚駅の踏切を渡ると、巣鴨地蔵通り商店街に入る。 11時、とげぬき地蔵(高岩寺)に着く。 ここで、長男家族と落ち合う。 ここから、日本橋まで約6・6kmを一緒に歩いてくれる。 中山道完歩の最高の思い出となった。 12時、巣鴨駅前を出発。 12時50分東大・農学部正門。 ここから、東大正門まで東大構内を散策する。13時32分、東大赤門。 13時45分、かねやす( 「本郷もかねやすまでは江戸の内」の川柳で有名 ) の在る、本郷3丁目。 さらに、東京医科歯科大学や神田明神の前を通り、昌平坂を下る。 14時25分、JR中央線・総武線のガードを潜る。 14時45分、神田駅のガードを潜る。 さあ、ゴールは近い。15時、遂に中山道のゴール日本橋に到着。 「ヤッター」!!。  2015年3月28日草津宿をスターしてから4年、遂に中山道完歩する事が出来ました。!!。 達成感と、歩いて得た情報や知識が非常に多く、充実感を味わっています。・・・・・

 今回、最終コース (巣鴨~日本橋) を長男家族が同行してくれ、最高の思い出深い物になった。  ありがとう。!!
     
 蕨本陣跡  戸田橋(荒川)を渡ると東京  巣鴨・とげぬき地蔵
     
 東大・赤門 @一緒に歩いた孫と。  神田明神 (江戸総鎮守)  日本橋に無事ゴール。

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中山道六十九次(草津~日本橋)街道歩きの軌跡

 N O  年 ・ 月 ・ 日  出発宿場 ~ 到着宿場  歩行距離  出発駅 ~ 到着駅
 1  2015・3・28(土)  草津宿 ~ 武佐宿  19.7km  JR草津駅 ~ 近江鉄・武佐駅
 2  2015・4・9(木)  武佐宿 ~ 鳥居本宿  23.5km  近江鉄・武佐駅 ~ 近江鉄・鳥居本駅
 3  2015・5・5(火)  鳥居本宿 ~ 醒ヶ井宿  8.9km  近江鉄・鳥居本駅 ~ JR醒ヶ井駅
 4  2015・10・19(月)  醒ヶ井宿 ~ 垂井宿  19.1km  JR醒ヶ井駅 ~ JR垂井駅
 5  2015・11・28(土)  垂井宿 ~ 加納宿  24.5km  JR垂井駅 ~ JR岐阜駅
 6  2016・3・12(土)  加納宿 ~ 太田宿  24.5km  JR岐阜駅 ~ 美濃太田駅
 7  2016・4・25~26  太田宿 ~ 細久手宿 ~ 中津川宿  53.8km  JR美濃太田駅 ~ JR中津川駅
 8  2016・5・22(日  中津川宿 ~ 三留野宿  22.1km  JR中津川駅 ~ JR南木曽駅
 9  2016・9・10(土)  三留野宿 ~ 倉本  23.3km  JR南木曽駅 ~ JR倉本駅
 10  2016・10・10(月)  倉本 ~ 宮ノ越宿  22・7km  JR倉本駅 ~ JR宮ノ越駅
 11  2016・10・30(日)  宮ノ越宿 ~ 平沢宿  12.8km  JR宮ノ越駅 ~ 木曽平沢駅
 12  2017・3・19(日)  平沢宿 ~ 塩尻宿  25.6km  JR木曽平沢駅 ~ JR塩尻駅
 13  2017・3・25(土)  塩尻宿 ~ 下諏訪宿  11.4km  JR塩尻駅 ~ JR下諏訪駅
 14  2017・10・25~26  和田宿 ~ 長久保宿 ~ 岩村田宿  29.8km  JR上田駅 ~ JR佐久平駅
 15  2018・6・1~2  下諏訪宿 ~ 和田宿  21.5km  JR下諏訪駅 ~ JR上田駅
 16  2018・7・31~8・2  岩村田宿 ~ 軽井沢宿 ~ 安中宿  48km  JR岩村田駅 ~ JR安中駅
 17  2018・9・16~18  安中宿~本庄宿~熊谷宿~鴻巣宿  72.2km  JR安中駅 ~ JR鴻巣駅
 18  2019・3・8~9  鴻巣宿 ~ 浦和宿 ~日本橋  47.7km  JR鴻巣駅 ~ JR東京駅

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美濃路を歩く
熱田(宮宿)~名古屋城下~清須~稲葉~萩原~起~墨俣~大垣~垂井宿
 美濃路は、東海道の宮宿と中山道の垂井宿とを結ぶ脇街道で、五街道に準ずる重要な街道として幕府の道中奉行が管理した街道。
道は宮から七宿を経由する約60km。 その内、宮から金山までの3kmは、佐屋街道と共通。
 又、関ヶ原の戦い等の凱旋街道となった事から、「吉例街道」とも呼ばれ、徳川家光の上洛時や朝鮮通信使等の通行にも使われた。

2019年11月4日(月) 晴
美濃路(第1回目)
JR金山駅 ~金山 ~名古屋城下 ~清須 ~JR清州駅

     
金山・佐屋街道分岐点  大須  伝馬町本町 
  東海道と中山道の二大街道を制覇して、街道歩きの楽しさと達成感に浸っていましたが、再度,街道歩きを始めようと思います。 中山道と東海道を結ぶ美濃街道に挑戦しようと思い、今日,スタートを切ります。 熱田・宮から金山までは、既に佐屋街道で歩いているので、割愛。  金山・佐屋街道分岐点をスタート地点とする。 8時5分、金山を出発。 R19号線を北上。 古渡交差点を過ぎ、直ぐR19号と分かれ、橘町を右折。  本町通を進む。 仏壇屋が多くなって来るとまもなく大須交差点。 大須商店街・若宮通本町・広小路本町を過ぎ、9時、伝馬町本町に着く。道はここで直角に左折。 伝馬通りに入る。 堀川に架かる伝馬橋を渡ると、又直角に右折。 堀川沿いに進む。 桜通りを渡ると、四間町に入る。 ここは、堀川の西側に有り 「清須越し」 にともなって造られた商人の街。 防火の目的で、道幅を四間に広げた事から、この名前がついた。 又、堀川に架かる五条橋が有る。 これは、かって清須城下の五条川に架けられていた橋を、「清須越し」 のさい、この地に移設された物。 さらに進み、R22号線を渡ると、名古屋城が見えて来る。 9時45分、大幸橋を直角に左折する。 10時12分榎神社。 10時33分、名鉄を渡る。 さらに10時45分庄内川を渡る。 さらにJRを潜り、10時50分、西枇杷島問屋記念館に着く。 西枇杷島市場は、歴史は古く、徳川家康の命により、開かれた。 江戸の神田、大阪の天満と並び、日本三大市場の一つとして栄えた。 11時20分、新川を渡る。 この新川は、庄内川の度々おこる洪水対策として、尾張藩が大工事で造った人工川。 須ヶ口、名鉄2本渡り、11時48分、清須五条川に架かる五条橋を渡る。 さらに、最初の道を右折。 12時12分、清須宿本陣跡に着く。 12時40分,JR清須駅に無事到着。・・・・・・

 美濃街道歩き第1回目は、予定通り、完歩する事が出来ました。 第2回目は11月16日に行われる、大垣市美濃路ウオーク実行委員会主催の美濃路ウオーク2019に参加して、一宮・越宿~大垣宿まで歩く予定です。
     
五条橋(名古屋・堀川)  名古屋城 庄内川 
     
西枇杷島問屋記念館  五条橋(清州・五条川)  清須・本陣跡 

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2019年11月16日(土) 晴
美濃路(第2回目)
大垣市美濃路ウオーク実行委員会主催 美濃路ウオーク2019に参加
JR一宮駅 ~起宿(尾西歴史民俗記念館) ~墨俣宿 ~大垣宿(結びの地記念館) ~JR大垣駅

     
 スタート地点(尾西歴史民俗資料館)  濃尾大橋  西方寺への道標
    美濃路歩き、第2回目は大垣市美濃路ウオーク実行委員会主催の美濃路ウオーク2019に参加して、一宮・越宿から大垣宿までの18kmを歩いて来ました。 JR一宮駅からバスで越(おこし)へ。 8時45分、今日の集合・出発地点の尾西歴史民俗資料館へ。 受付で、美濃路の地図をもらう。 大垣まで18kmを歩くAコースの参加者は80人程だ。 9時20分、スタート。 9時35分、木曽川に架かる濃尾大橋を渡る。 速足で11分程かかる長い橋だ。 10時23分、名鉄・須賀駅を通過。 10時50分、西方寺への道標。 ここで、境川の堤防の道に出る。 11時15分、境川及び大江川を渡る。 11時30分、長良川に架かる長良橋を渡る。 11時45分、墨俣城に到着。 ゴールの大垣まで残り8kmだ。 休憩もそこそこに、出発する。 12時15分、町屋観音堂に着く。 ここで、昼食休憩。 おにぎりが美味しい。!! 12時30分、町屋観音堂を出発。 12時35分、結神社。 12時45分、揖斐川に架かる新揖斐川橋を渡ると、大垣市に入る。 住宅街の中を西に。 13時40分大垣宿・問屋場跡。 14時、ついにゴールの奥の細道むすびの地記念館に無事到着。 『ヤッター。!!』 、JR大垣駅まで歩き、JRで帰路に着いた。・・・・・・

 起から大垣まで18kmを約4時間30分で歩けました。 これも、実行委員会が道案内の ➡ のおかげで、道を迷わず歩けたお蔭だと思います。又、ご一緒に歩いた、何人かの方々と情報交換等をしながら、楽しく歩けました。 有難うございました。
     
長良大橋  墨俣城  結神社
     
 大垣市に入る(新揖斐川橋を渡ると)  大垣宿問屋場跡  大垣宿 船町港跡と住吉灯台

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2019年11月30日(土) 晴
美濃路(第3回目)
JR清須駅~総見院~四ツ家追分~国府宮一の鳥居~稲葉宿・小沢三丁目~名鉄国府宮駅

     
 清須・総見院  三菱エレベータータワー  国府宮一の鳥居
  今日は、秋晴の土曜日。 午前に、第3回目の美濃路歩きと、午後は、丁度見頃の祖父江の銀杏の黄葉を見に出かける事にする。  8時45分、JR清須駅。 8時55分、信長の菩提寺・総見院に着き、今日の出発点とする。 9時17分、岐阜街道と分かれる、四ツ家追分石碑と、JR線を渡る。
9時45分、長束正家邸跡。稲沢の名所・三菱エレベータータワーが大きく聳えている。 9時55分、左に新しい市民病院が見える。 10時10分、国府宮
一の鳥居。 そして名鉄を渡る。 10時27分、小沢四丁目、小沢一里塚跡。 10時35分、今日のゴール、小沢三丁目西に着く。 今日はここで終り。
 国府宮駅に向かう。11時名鉄・国府宮駅に到着。・・・・・・ 午後の銀杏黄葉散策の為、山崎駅へ移動。
 祖父江の銀杏・黄葉散策
名鉄・山崎駅周辺
     
 銀杏の黄葉@山崎駅付近  銀杏の黄葉@山崎駅付近  銀杏の黄葉@山崎駅付近
  日本一の銀杏の郷・山崎では、黄葉まつりが行われていた。 多くの露天店が並び、多くの人で賑わっていた。 特に、祐専寺会場では、串カツ・ 焼きそば・みたらし団子等、多くの人が楽しんでいた。今日の山崎の銀杏は、まさに晩秋の空に鮮やかに染まる黄葉。 素晴らしい。 山崎の屋敷や畑の銀杏の黄葉のコースを散策。 銀杏の黄葉を満喫して来ました。 ギンナンを土産に帰路に着いた。・・・・・・

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2020年2月1日(土)晴
美濃路(第4回目)

名鉄国府宮駅~稲葉宿・小沢三丁目~萩原宿~起宿~起バス停

     
 稲葉宿問屋場跡  正端寺・萩原宿  地蔵寺・越宿
 今日から2月。 足慣らしに「美濃街道歩き第4回目」に出かける事にする。 今日の予定は、名鉄国府宮駅から前回のゴール地点の小沢3丁目まで移動、小沢3丁目を今日のスタート地点とし、萩原宿を経て濃尾大橋近くの越宿まで歩く予定。 9時40分、名鉄国府宮駅に到着。 9時55分、今日のスタート地点、稲葉宿・小沢3丁目をスタートする。 10時35分、萩原宿の中嶋宮。 10時50分、光堂川を渡る。 11時10分、串作交差点。ここから、正端寺まで商店街が続く。 11時25分、正端寺。11時40分、日光川に架かる、萩原橋を渡る。11時50分名神高速道を潜る。12時
コンビニに入り12時30分まで、食事休憩。 12時30分コンビニを出発。まもなく越宿に入る。13時15分地蔵寺。13時30分、今日のゴール地点、尾張歴史民俗資料館・脇本陣林家(第2回目のスタート地点)に無事到着。 14時のバスでJR一宮駅に向かい、帰路に着いた。・・・・・


 美濃街道歩きも、今回で名古屋・熱田宿~大垣宿まで歩いた事となり、残り後1回(大垣宿~垂井宿まで)で完歩する予定.。

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2020年11月4日(水)小雨後晴れ
美濃路(第5回目・最終回)

奥の細道むすびの地~塩田橋~静里町~綾度口~垂井追分~JR垂井駅

     


 大垣・奥の細道むすびの地  垂井・松並木  垂井・美濃路追分道標
  今年3月末から、中断していた山歩きや街道歩き、レベルは下げるが、歩く事を楽しみながら再開して行こうと思います。 今日はその第一段・   美濃路歩きの最終回を歩きます。 朝8時50分、大垣宿・奥の細道むすびの地に到着。 今日は、上天気を期待してやって来たが、小雨が降っている。 ただ、青空も見え、まもなく晴れて来るようには思われる。 たいした雨でもないので、今日のゴール地点垂井宿・美濃街道追分を目指し、9時スタートする。 9時10分、近鉄養老線を渡り、9時25分塩田橋を渡った頃から、再び雨が降りだす。 9時30分、喫茶店に入り、雨宿りする事にする。10時10分雨も止み、日が差して来た。 街道歩きを再会スタートする。 10時15分、太平洋工業前、10時22分、東海環状線を潜る。10時30分、大垣自動車学校前、10時35分大谷川を渡る。 大きな虹がかかり綺麗だ。 10時55分、R21号線との交差点(綾度口)を渡る。11時15分、JR東海道線踏切を渡る。 11時18分松並木の道を行く。 11時25分、ユニチカ垂井工場前。 流交差点を過ぎ、垂井郵便局を過ぎると、11時38分、今日のゴール地点垂井追分に着く。 ここで中山道と合流する。 2015年11月28日垂井から岐阜加納宿迄歩いた時、この追分で、何時か美濃路を、名古屋・熱田宿に向けて歩きたいと、思ったことを思い出す。 垂井宿を散策と昼食を楽しみ、JR垂井駅から帰路に着いた。・・・・・

 これで、美濃街道は、完歩出来ました。 (東海道・姫街道・伊勢街道・佐屋街道・中山道・美濃街道を完歩しました。)

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