ゴルフとの出会いは、友人からの誘いであった。
止まっているボールを打つことは、さほど難しい
ことではないだろうと考えていたが、いざ打つと
思うようには行かない四苦八苦の状態であった。
初ラウンドは、150以上を打ったと記憶しているが
コースに出るなら、ダンプ一杯打て!と言われ、
練習、練習に明け暮れた。
その後のラウンドは、104か5で上がった、.「なんだ〜
ゴルフってこんなものか」と、安易な気持ちであった。
そんなゴルフとの出会当時、スタートホールはドキドキ
していたが、今では心地よいプレッシャーへと変化
している、「もっと上手くなりたい!」情熱を、いつも
アップアップしながら、「山あり谷あり」の中で懸命に
持続させている。
職場では「そんなに上手くなってどうする?」、とても
まともではないとも思われているが、「大したものだ!
そこまでやれば」と、激励?の声も掛けられる
私にとってゴルフは、自分への挑戦と位置づけている
また、沢山の人々との出会いも、大いに楽しみである
ゴルファーにとって、シングルプレーヤーの仲間入りは、
「夢」であろう、まして自分には「夢の夢」であった。
正直言ってここまで到達出来るとは、思いもしなかった。
今振り返れば、何度かゴルフの壁に当りくじけつつも
節々にゴルフの魅力を再認識させてくれた、多くの仲間
との出会いが、今日の自分に成長させてくれたのかも?
ゴルフブームの到来に、自分も多分にもれず始めたが、
職場のコンペ等で優勝しては得意になっていた。
しかし、本当の実力はどれだけのものかは判らず、
所詮は「お山の大将気分」だったのかも知れない、
それから、ハンディーを取り、自分の実力を確認して
見たかった、最初は24からのハンディースタートである、
この時から「自分への挑戦」が始まり、いろいろな競技
にも参加しながら、ゴルフの楽しみを満喫していた、
当然練習もしながら、少しづつハンディーを上げることが
出来、益々ゴルフにはまってしまったのである、
ハンディー11になった時に、シングルになれるかも?と
またまた練習に明け暮れて、苦節10年たって、夢の夢
「シングルプレーヤー」の仲間入りが出来たのであった
1W ミステリー385 9° ブルーパワー52 S
3W バース 13°
5W バース 21° ブルーパワー51 SR
3〜PW 三浦技研 プルーパワー51
AW,SW クリープランド ブルーパワー51
パター
オデッセイ 2ボール(ブレード)
自分の目標となったハンディー、シングルまでに苦節10年である
'85-24 '87-20 '89-14 '91-13 '94-12 '95-11 '95-9 '97-8 '02-7
「ホールインワン」これもゴルファーにとって、夢であろう、
その幸運の奇跡が巡って来たのは、92年3月23日であった。
笹戸CC(愛知)で、ダンロップ主催のプロアマ競技菊一プロと
仲間とのラウンド中でのこと、忘れもしない、7番192Yショート、
2番アイアンで放った、ショットはピンへまっしぐらと向かった。
プロが「入ったぁ〜!」と叫んだ、そして仲間も「入った! 入った!」
と大騒ぎだった。
いつしか自分も「やったぁ〜!」と大喜びで、グリーンへ
ピン手前50センチにディボットが・・・ワンバウンドで入った、
ボールはカップに・間違いなくホールインワンの達成となった
- ゴルフの上達法は、当然ではあるが練習である 「練習に勝る上達法はなし!」私の好きな言葉である、理屈で判っても、体がそんなに簡単には動く筈がなく、筋肉に覚えさせるには、打つことである 上達の近道は、良き指導者に巡り会うこと、それを信じて、ゴルフへの情熱を失なうことなく、自分がどこまで頑張れるか!よく言われるゴルフの壁も、諦めずに練習すれば、必ず突破できる? 練習でのポイントは練習と言えど、集中力を付けることに重点を置いてつもりである。例えば隣打席が飛ばし屋とか、ざわついていても自分のペースを崩すことなく打てるようにと心掛けているつもりである、後は常に目標物を決めてそこに打てるように集中させているが、その日の体調や気持ち次第では、いつも好調とは行かない、むしろ調子の良い日は少ないが、どうすれば調整出来るか?なかなか難しい 練習すればいつか上手くなれる!失敗してもそれは上手くなれる為の道と、常に自分と格闘している、本当は練習をしていないと不安かも?
- ハンディーを取ってからは、コース主催の競技へ参加して17年間の間に、惜しい時は何度かあった、その時に思う事は「あぁ〜あそこで失敗しなければ・・・」「〜たら、〜れば」であった、一打の大切さをまざまざと痛感もし、自分なりに挑戦して来た、他の仲間の何人かは、すでにカップを手に入れており、いつか自分もあのカップを手に入れるぞ!と頑張って来たが、途中で諦めの境地もあり、競技への参加意欲も薄れ掛けていたが、01年からは駄目でもやれるだけはやって見ようと決め、再び競技への意欲を駆り立てて来たのである、02年の3月に本当に信じられないが、自分に転がり込んで来たのであった。スタートホールでバーディーと幸先良いスタートが出来、かなりの強風ではあったが、自分にはあまり気にならなかった、むしろドライバーが当らずに、拾いまくりの連続で気持ちは無欲であった、上がって見れば3アンダーながら、どうせ抜かれてしまうだろうと・・・すべて終了して初めて「まさか?」と感じた優勝であ.る、自分にはとても、とっても「想〜い?カップ」となった
米山プロのサイン入りバッグはお守り代わり
03.7.22撮影