第47巻:「詩的で宗教的な調べ」の草稿 お勧め度:A

第7巻の「本稿」が一流のお勧め品である以上、普通の人にこちらを特に勧める理由は無いはず、コレクターズアイテムのはず、なのですが、私の趣味でAにしてしまいました。変な具合にではありますが1枚で完結しているのはメリットですし、さほど技術的に難しく無さそうとはいえ、ハワードの出来も比較的いいです。

「詩的で宗教的な調べ」のタイトルを持つ曲群は非常にややこしい成立経過をたどっています。この巻に第4〜第11曲が収録されている、曲集としての「詩的で宗教的な調べ」の”first cycle”のうちの第1〜第3曲は実は第7巻のフィルアップに入ってしまっています。リストの草稿がばらばらになっていて、セットになっていることが分からないまま第1〜第3曲だけが出版されていたので録音しちゃった、というのが第7巻録音時点の実態だったようです。そうでもなければ、いくら何でも”first cylce”を一枚に収録していただろうと思うのです。そのばらばらになった草稿をハワードが修復して録音したのがこの巻、当然全て世界初録音です。

というのを含め、詳しく解説されている、そのややこしい成立過程を、せっかくですから簡単に紹介します。「詩的で宗教的な調べ」の関係曲は大きく3群に分けられます。逆順に説明しますと、

第3群が、第7巻のメインとなった1853年出版の最終形=”second cycle”です。第2群に原形を持たないのが「アヴェマリア」(但し1840年か1842年作曲の古い曲)、「葬送曲」、「愛の賛歌」、の3曲です。
第2群が、第7巻CD1トラック3〜5の3曲=「祈り」の第1稿、「Hymne du matin」、「Hymne de la nuit」、及びこの巻のトラック1〜8の11曲からなる、1847年の”first cycle”です。第2群中、第3群につながらなかったのが、「Hymne du matin」、「Hymne de la nuit」、「Litanies de Marie」、「Hymne」、即ち第2、3、4、10曲です。
第1群は、その一部の曲の原形となった4つの作品(ないし草稿)で、その中で最も早く作曲されたのが、第7巻で出てきた単独曲名として「詩的で宗教的な調べ」を与えられた1834年の曲、残り3曲はこの巻のトラック9〜11、です。


というわけで、このCDは”first cycle”の第4曲から始まるということになってしまいましたが、冒頭を飾るその第4曲は、CDの原題にもなっている「Litanies de Marie」、Litanyというのは「連祷(れんとう)」と辞書にはありますが、これまた私には何のことやら。Marie はマリア様でもあり、マリー・ダグー伯爵夫人でもあり、というあたりが、リストがカロリーネ・フォン・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人に乗り換えた後に完成した最終形からは脱落した原因らしいです。これがかなりいい。途中から「祈り」最終形の後半の音形が出てきますが、ここで聴く方がくどさを感じません。個人的には「祈り」をシンプルに済ませて、「Litanies de Marie」を生かす”first cycle”の方が、こと「祈り」に関しては好きですし、一方では最終形でも「Litanies de Marie」の痕跡を消しきれずに無理矢理「祈り」にくっつけちゃったリストの気持ちも分かるような気がします。第4曲から始まっているはずなのに最終形の第1曲の主題をたっぷり聴けるので、ちゃんと頭から聴いている気になれるという妙なメリットもあります。

第5曲「ミゼレーレ」は最終形では第8曲「パレストリーナによるミゼレーレ」、ところがパレストリーナを持ち出したのはリストの間違い、だそうです。最終形よりシンプルです。第6曲「主の祈り」は最終形では第5曲、余り違いませんがやはりこちらの方がシンプルです。最終形で一番地味なこの2曲が続いて出てくる方が、かえって存在をアピールしているように思います。

第7曲「眠りから覚めた御子への賛歌」は最終形では第6曲、やはり大筋は同じですが、この曲の場合はこちらの方が弾くには多少難しいかもしれません。3バージョンとも個人的には大好きです。第8曲「Prose des morts - De profundis」は最終形では第4曲「死者たちの思い」、原形は単独曲の「詩的で宗教的な調べ」、個人的には好きではない部類ですが、この稿が(というよりこの演奏が、なのかも知れませんが)一番違和感無く聴けます。

第9曲「La lampe du temple」は最終形では第9曲「アンダンテ・ラクリモーソ」、最終形より長くなっています。第10曲「Hymne」は草稿上は無題(あるいは未発見)です。アルペジオの連続するなかなか豪華な曲です。第11曲「Benediction」も草稿では無題、最終形の第3曲「孤独の中の神の祝福」の一部の原形となったので、仮にこの題が与えられました。「孤独の中の神の祝福」は約15分の大曲、この「Benediction」は5分足らず、ですから本当に一部です。

試しに、第7巻の3曲と続けて、”first cycle”を再現させて聞いてみました。最終形での2大看板「孤独の中の神の祝福」「葬送曲」を欠きますが、その代わり、最終形よりシンプルになった個々の曲が集まって出来た曲集=cycle としての緊密なまとまりがあり、見事なものです。むしろ最終形の方が「まとまり」では不思議すぎる曲集というべきなのですが、2大看板が突出して目立つ故という以上に、”first cycle”でうまくつなげていた曲順を作為的に裂いているように思えます。これも「マリー」を引っ込めて、カロリーネへの「愛の賛歌」を加えることになった「乗り換え」の余波のように思えてきました。録音の状態が異なり(個人的には第47巻の方が好き)、続けて聴くと若干の違和感はあります。

残り3曲はさらに早い段階の”第1群”の曲です。「眠りから覚めた御子への賛歌」(1840)は、なかなか印象的なイントロの後に第2,3稿での前半部分だけ、伴奏は何れも異なっていて楽しめます。「Prelude」(1845)も後年の人間がつけた題で、「Benediction」の第1稿です。「Litanies de Marie」(1846-1847)は第2稿より展開がシンプル、結尾が欠落しているのをハワードが第2稿と同じ形にして録音したということです。これら3曲いずれも悪くはありませんが、曲集としての価値観を主張できる”第2群”=”first cycle”と比べると分が悪いと思います。フィルアップと思えば文句なしです。

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