「エルミオーネ」

詳しい粗筋と解説がこちらにあります。2012.02.26に一旦アップした駄文はともかく、その後に1987年のペーザロの舞台録画を見て大いに見直しました。「エジプトのモゼ」と「マオメット2世」の間にあって、「エジプトのモゼ」程の美旋律の垂れ流しは後退し、「マオメット2世」でのドラマ性に接近している作品であるように思われます。

 

手持ち音源

クーン指揮ペーザロ歌劇場(1987)

モンセラ・カバリエ、マリリン・ホーン、クリス・メリット、ロックウェル・ブレイク、という(知らない人は知らないが、分かる人には分かる)物凄いメンバーによる公演です。

カバリエは、決してロッシーニばかり歌っていた人ではありません(私も「ノルマ」のDVDを持っています)が、私にとってカバリエは、ロッシーニ「セミラーミデ」の主役と、ヘンデル「ジュリアス・シーザー」のクレオパトラ役の人、なのです。どちらも常人離れをした妖怪オババとしての存在感が欠かせない役です。決して低音が十分に響く人ではなく、このエルミオーネ役でももっと低音が欲しくなるところが出てくるのですが、そういうことがどうでも良くなる程のこの存在感は一体何処から来るのでしょうか。侍女役も中々の美人なのですが、並んで出て来るだけでも、カバリエの方が高貴でわがままな姫であることが、見た目だけでも誤解の余地無く伝わります。そして歌い始めると、芯の通った高音でますます存在感が大きくなっていきます。この映像で見ていると、「エルミオーネがわがまま過ぎて感情移入できない」という感想にはなりません。嫉妬に狂い、二番手(=オレスト)で妥協することも考え、ぬか喜びし、再び嫉妬に狂い、そして最後に後悔する、その全ての場面でエルミオーネの気持ちについていける、のです。これがカバリエの存在なのか、演出の差なのか、は、私ごときには中々分かりそうに無いところです。
現役の歌手では、メデアを歌ったテオドッシウには、カバリエに感じるのと同じような存在感を感じたのですが、調べてみるとテオドッシウはロッシーニを全くレパートリーに入れていない、のですねぇ。でもアントナッチやガナッシよりずっと適しているように思うのです。

ホーンも私には「セミラーミデ」のアズサーチェなのです。ただし、主役4人の中ではアンドローマカは、得な役とも、差がつきにくいとも、言えるかと思います。それでも他の主役3人が常人離れ感を出しているこの舞台では、負けずに常人離れした存在感を発揮しているホーンでないと釣り合わないかもしれません。

ピッロを歌うメリットは、私には何といっても「マオメット2世」でのエリッソなのです。ここでのピッロは、エリッソにはもしかしたら及ばないかもしれませんが、こちらはブレイクとのテノール対決という見所もあります。この二人には、ロッシーニ再発見を支えた先駆者としてのゆるぎない確信や誇りが歌からも伝わってくる気がするのです。ブレイクとの共演は「湖上の美人」のDVDもありますが、あちらはどうも印象が良くなかったのです・・そのうち見直してみましょうか。

オレストを歌うブレイクは、私にはまずは「エジプトのモゼ」のオジリデ、ついで「悪魔のロベール」の主役、なのです。この2役にはもしかしたら及ばないかもしれませんが、こちらはメリットとのテノール対決・・・(以下同文)。

オケは下手ではないようですが、どうもベタッとした感じが付きまとうのは指揮のせいでしょうか、それでも主役陣の歌唱を引き出したのだから、良しとします。演出は余り広がりの無い舞台に時代考証がまともそうな(古代ギリシャとローマの見分けも私にはつきませんが)衣装で、無難なだけなのですが、傾斜が色々気になる他の2つの舞台と比べるとずっと安心してみていられます。私が手に入れたのは字幕無し映像(operashare#81774)と伊語字幕付き映像(#95084:画質良好なるも時々雑音が入るので先のものを取り直した)で、いずれにしても初めての人にはお勧めしがたいのですが、しかしこの映像を見ずには、このオペラを語れないとも思うのです。
#まあ、私が1990年前後の、メリットやブレイクがガンガン歌うロッシーニが好きなだけ、なのかもしれませんが。

 

ロベルト・アバド指揮ペーザロ歌劇場(2008)

大分前にNHKのBS2(今は無きアナログ放送)で放送されたものを録画しました。日本語字幕つきDVDでも出ていますし、このオペラを見ようとした際に第1選択になるのだろうと思います。ただし、ここで主役を歌うガナッシには考え込んでしまいまい、初回公開のとりとめない駄文を引き起こした次第です。

カバリエを見てから見直してみると、手短に言ってガナッシが王女に全然見えない、のは分かるのですが、何故そうなるのかは未だに良く分かりません。嫉妬したり、ぬか喜びしたり、の各場面場面の説得力が無いから、トータルとして「こんなわがまま王女さまでは感情移入できない」と思ってしまうような気がします。現代風衣装の分は損をしているとは思いますが、カバリエと同じ衣装だとしても王女に見えるようには思えないのです。低音はカバリエよりは響くものの肝心の高音の迫力が無く、エルミオーネには向いていない、のではないでしょうか。ガナッシはチェネレントラで誠実さを前面に出している方がずっと合っているようです・・・でもチェネレントラ役だとガランチャの方が段違いに華があるのですが。

ピッツォラートのアンドローマカは適役かと最初は思いましたが、この役は基本的には得な役だと分かってから見直すと、この演技はややうっとうしいです。ただ個別の歌手よりは演出全般に文句をいうべきところなのでしょう。

クンデのピッロは概ね気に入った上で、この路線ならメリットだと面白そう、と思ったところで、タイミングよくoperashareに1987年の舞台録画がアップされたので飛びついた、という経緯があります。クンデとメリットの二人は、ロッシーニ・テノールとしては例外的に大柄な偉丈夫で、尊大な王様の貫禄が自然に出てきます。体格が似ているせいか、発声も似たところがあります。声だけで比べるとメリットに分がありますが、その代わり演技はより丁寧入念です。

シラグーザのオレストの方は、ブレイクを連想したりはしなかったのですが、これはこれで中々結構です。ただピッロを暗殺して帰ってきた際のエルミオーネの台詞の字幕に「髪を振り乱して」とあったのが、どうにも失笑物でした・・・現れたシラグーザがつるつるの丸坊主なので。

クラウディオ・アバドの甥による指揮は、多分良いのでしょう。問題はクラウディオ・アバドの息子による演出です。冒頭のトロイア人捕虜の場面は、床をめくり上げて地下牢風に見せています。一見気が利いているようですが、頭上にかぶっている床で音響がどうなっているのだろうか、と気になってしまいます。このめくり上げていた床を下ろすと今度はかなりきつい傾斜の床になります。これはこれで、歌手が気になって歌いにくかろうに、とか思ってしまいます。とにかくどの場面も大地に足をつけた感じがしないのが、私にはどうにも落ち着かないのです。この床と背面の壁以外の大道具は全くなく、また衣装はほぼ現代風、これでも貫禄十分のクンデは王に見えますが、ガナッシは王女には見えない、ピッツォラートも賢母には見えても御妃様には見えない、となってしまいます。
この演出で他と比べていいと思ったのは一点だけ、ぬか喜びしたエルミオーネが、助けるなどとんでもない、とばかりにアスティアナッテにナイフを突きつけるシーンです。この演技があれば、ピッロの「虎のような女め」という台詞、ピラーデの「あの女は狂っている」という台詞が納得できるのです。他の盤のように、この演技も無しで、これほどまで悪し様に言われるのでは、少々納得しがたかいのです。

この盤で、実は一番気に入っているのが、イリーナ・サモイロワ歌うクレオーネ(エルミオーネの侍女)です。ロシア美少女がロシア美人に転じたばかり、ロシア・タイマーはまだ作動せず(=肥大化の気配は全く無し)、という感じで、第2場の登場シーンでの、伸びやかな声と、はつらつとした表情がまず素敵ですし、ガナッシが額に皺寄せて歌っている場面でも背後で見守っているサモイロワの方に目が行ってしまいます。まだレパートリーにしていないようですが、フィガロの結婚のスザンナでも演じたら飛び切り素敵になるのではないでしょうか。(以上2012.03.18)

 

A.デイヴィス指揮グラインドボーン歌劇場

「複製・・は禁じられています」というメッセージだけ日本語で出て、日本語字幕は付いていないDVDを持っています。その昔に一度放り出した際には、英語字幕が分かりにくい、という印象だったのですが、話を理解してから見てみると、英語の難易度は普通くらいです。第1場に端役がぞろぞろ出てくる台本に最初から落ちこぼれていたようですが、字幕の量もやや不足気味かもしれません。

アントナッチという歌手がレパートリー選択を間違っているのではないか、という感想はこのサイトのあちこちに書いています。このエルミオーネ役も、オレストとの二重唱で可愛げを素直に出す場面がある分だけ「カルメン」「メデア」よりはマシでしょうが、やはり肝心要の第2幕で、きつめの顔を更に怖くしながら歌っていても声に迫力が無く不満が残ります。それでも、全体としてガナッシよりは合っているのではないでしょうか。

Montague は、イギリスのレディ然とした雰囲気と安定感のあるメゾの声で、アンドローマカ役にこれも良く合っています。

クンデやメリットと全然違うのが Lopez-Yanez のピッロです。フローレスより更に軽く、ミラノフ程に軽くはない、ロッシーニ・テノールの典型的声は、これはこれで悪くありません。ただ、ブッファのヤサ男役ならともかく、王にして英雄という貫禄は出ません。そういうものを求めると、クンデ、さらにはメリットの声が欲しくなります。

テノールでは、オレスト役のブルース・フォードの方が大物ということになるのでしょう。他2枚の比べるとテノール二人のコントラストは弱くなりますが、こちらも悪くありません。

A.デイヴィス指揮するロンドンフィルは歯切れの良さに欠けますが、これもまずまず良いのでしょう。
舞台は・・・これも傾いています。ペーザロ2008年では床が傾いていたのですが、こちらは建物が傾いています。グラインドボーンの狭い舞台をなんとかしようとした結果なのかな、とも思いますが、DVDで見る限り、別に遠近法で舞台が広く見えるでも無く、グラインドボーンの窮屈な舞台はそのままで、単に何だか傾いているだけ、なのです。傾いたまま回転するのですから、コストは掛かっているのでしょうが、印象はむしろ損ねているようです。この建物が傾いてさえいなければ、ペーザロ1987年程度の印象にはなったと思うのですが。台本が演出家に傾斜をイメージさせる、のでしょうか???
それでも、トータルでは、ペーザロ2008年よりは好きになれました。(以上2012.04.01)

 

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以下は2012.02.26に一旦アップしたものです。

グラインドボーンのDVDを購入したものの1度か2度見ただけでお蔵入りさせた後で、ペーザロの舞台中継を録画していました。このオペラより好きで未だ単独頁を起こしていない作品はいくつもあるのですが、感情移入の出来ないこのオペラは一体何なのだろう、とムキになってペーザロのを繰り返し見て、色々思うことがあったので、そのあたりを書いてみることにしました。

詳しい粗筋と解説がこちらにあります。オレスト→エルミオーネ→ピッロ→アンドローマカ(→亡父と息子)、と恋愛感情が一方方向のみで逆向きは皆無、という設定で、特にエルミオーネのわがままぶりが目立ちます。現代風に見てしまうと、エルミオーネは自分が愛されたいだけで他人を愛する気持ちの分からないとんでもない女、ということになります。

2011年7月に11日間病気入院してしまったのですが、その時に家から病室に持ち込んだDVDの中にペーザロ盤があり、暇に任せて苦手意識のあったこの作品も初めて最後まで通して見たのですが、最初の感想は、「主役がこれでは到底感情移入できない」、というものでした。とはいうものの、なんとなく気になって、退院後再び見ての感想は、「ガナッシが主役だから感情移入できないのかな?」でした。

2005年の「チェネレントラ」で容姿のアンパンマン化が最大限に進行してしまったガナッシですが、この2008年の舞台ではかなりスリムになってオカメくらいにはなっています。ただしアジリダの忙しいところでヒョットコ顔になるのは相変わらずです。これでもチェネレントラのような耐える女性の役だと気にならないのですが、エルミオーネのような我儘女だと合わないのではないのかな、と思ったのです。このオペラであればアンドローマカを歌った方が似合うのかな、とも一旦思ったのですが、この舞台でアンドローマカを歌っているピッツォラートの方がメゾでも一段と低い声で、賢母風の雰囲気もあり、ガナッシ以上に向いている、と思いなおしました。

ピッロにうるさがられると同時にオレストには言い寄られ続けるだけの魅力を視覚的に納得できればよいのかな、とも思いましたが、高めのメゾあるいは低めのソプラノの美人歌手のおもいつくところで、スルグラーゼとかガランチャとかナージャ・ミヒャエルとか思い浮かべてみようとしましたが、なんだかしっくりきません。

そうこうしているうちに、「エジプトのモゼ」と近い時期に作曲されたこの作品も、あちらが旧約聖書に題材を採りながら実は痛快スペクタクル劇だったように、こちらもギリシャ悲劇に題材を採りながらの娯楽大作なのだろう、ということが薄々分かってきました。ポイントは、誰かを好きになるのは、愛の神の仕業なので、たとえ不実なことになってしまっても仕方ない、と登場人物間で了解が取れている、ということをこちらも了解する必要がある、というところのようです。エルミオーネのわがままぶりに腹を立てて、感情移入できない、と文句を言っている間は、この作品は楽しめないようです。

そうなると、粗筋すらうっすらとしか分からないまま見た最初から痛快スペクタクル劇であることを理解できた「エジプトのモゼ」と「エジプトのモゼ」と、何が違うのか、となります。ナポリの「エジプトのモゼ」では演出と、ロックウェル・ブレイクのオジリデがエンターテイメントであることを分かり易く示していたように思います。「エルミオーネ」だと冒頭の地下牢の場面が、床がめくれて地下を見せる演出と、嘆く賢母にぴったりのピッツォラートのお陰で、どうもシリアス過ぎて現代的すぎる開始になっているような気がしてきました・・・ピッツォラートにも合いすぎだから、と八つ当たりを飛ばし始めています・・・。むしろ、ガナッシの主役は戯画的でよろしいような気がしてきました。(ここまで2012.02.26)

 

 

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