妊娠・出産奮戦記


「赤ちゃんは望んだときにすぐ出来るわけでもないんだからね」という一言には っとして、避妊を止めてすぐに授かったわが子。
「何だ、赤ちゃんって簡単に出来るんだ」などと思ってしまった私。
これが私の悲惨な妊娠生活の始まりだった。

妊娠2ヶ月 妊娠3ヶ月 妊娠4ヶ月 妊娠5ヶ月 妊娠6ヶ月
妊娠7ヶ月 妊娠8ヶ月 妊娠9ヶ月 妊娠10ヶ月 出  産

妊娠2ヶ月

「生理が来ないな」と思って、通勤途中に薬局で妊娠検査薬を買った。帰宅して とりあえず検査してみると「陽性」だった。「わー妊娠したんだ。」うれしさがこみ あげてきた。それと同時に「妊娠って簡単にできるんだ。」と思ってしまった。この 妊娠に対する私の考えの甘さによって後に悲惨な妊娠生活を送ることになろうとは、 このときは知る余地もなかった。そして現在、赤ちゃんが出来ない苦しさを味わって いる。

妊娠検査薬で「陽性」反応が出た翌日、生理のような出血があった。どう考えて もおかしいということで、土曜日の午後だったこともあり急患で産婦人科へ急ぐ。内 診の結果「切迫流産」と診断され、自宅安静を命ぜられる。しかしこの時期の流産は 、受精卵の不良が原因で母体に悪影響はなく、誰の責任でもないと説明された。妊娠 10例に1例はこの流産になる確率があるらしい。仕事を休んで自宅安静の日々が1 週間続く。その間中ずっと胃がムカムカする。何も食べたくない。これが「つわり」 だと実感する。やることがなくて、食べることも出来ないのは本当に退屈である。し かも気晴らしに買い物なんていうわけにもいかない。こたつで猫のように丸くなって いるだけの退屈な日々。しかし無意識におなかに語りかける自分がいた。1週間後、 超音波で赤ちゃんの心臓が動いているのを見たときは涙が出るくらい感動した。

妊娠3ヶ月

おなかの赤ちゃんも落ち着き、予定日が決定する。平成9年9月8日。早速夫に 報告すると「1日遅れれば、平成9年9月9日でぞろ目だ!絶対1日遅れで産むんだ !」と言われる。そんなこといわれても・・・。と思いながらもちょっと挑戦してみ ようかとも思う。

とにかくつわりがひどい。食べると気持ちが悪くて吐いてしまう。無理して食べ なくてもいいから、水分だけはとってねということだったので、ポカリスエットで生 きていた時期。体重は順調に減り、毎日が体調不良。しかし何故か便秘は解消する。 あまりに毎日体調不良で家事が手抜きになり、夫から嫌味を言われ、涙する日が続く 。今考えると軽いマタニティーブルーだったかもしれない。しかし、ワーキングママ を目指す私は、つらい体に鞭打って仕事は頑張って続ける。仕事もつらかったけどこ の時期通勤電車の中もつらい。この時期まだおなかは目立たないので見た目は普通の 人と変わらないから、人はぶつかってくるし、押されるし、気持ち悪いし。時差出勤 が許可されてちょっと楽になる。

胎盤形成のこの時期、あわびを食べると目のいい子が生まれるということで、お 義父さんとお義母さんがあわびの刺身(6千円相当)を持ってきてくれた。高級品な のでつわりを忘れて、とにかく食べた。おかげで「ほのほの」は目がいいみたい。

妊娠4ヶ月

つわりがまだ続く。ほほがこけて、貧血になる。体重は3kg減。周囲からもやつ れたねといわれる。しかも毎年恒例の花粉症まで加わった。妊娠中なので薬も飲めず 、鼻が詰まって、くしゃみがでて、目が痒いのを病院からもらった点鼻薬と大きなマ スクで乗り切る。でもおなかの赤ちゃんのためなので頑張れる。

仕事が忙しくなり、残業がPM10:00を過ぎる日もでてくる。会社と客先との頻繁な 移動。倉庫などの悪環境での作業。トラブル対応などのストレス。過酷な労働条件は 日々ひどくなりついに体調を崩し、会社を休みがちになる。こんなことをしても誰も ほめてくれないのに・・・。「赤ちゃんごめんね。」と話し掛ける回数が増える。仕 事との両立に不安を感じ、会社に対する不満が増えてくる。 (詳細は「女性と仕事」のページへ)

赤ちゃんはそろそろ人間の形になってくるころ。人間が40億年かかって行って きた進化を赤ちゃんはおなかの中で、ほんの13,4週で行ってしまう。本当にすご いと思う。自分のおなかの中でこんな神秘的なことが起こっていると思うと不思議だ 。

妊娠5ヶ月

マタニティーウエアや下着類の買い物に行く。初めて目にするものばかりでドキ ドキ。何がいるのか何がいらないのかよく分からないので、店員さんの言うとおりに 買ってしまった。今ならもっと安い店で安いものを買うのに・・・。ちょっともった いなかった。赤ちゃんは順調に育って、胎盤も完成して安定期に入る。母子手帳も交 付され、腹帯(わたしは腹巻タイプのとガードルタイプのを併用して、腹帯はしなか った。めんどくさがりやさんや、お勤めしている人はそのほうがよいかも)をして、 マタニティーを着て外見も妊婦になった。通勤電車で席を譲ってもらったりして周囲 のやさしさに感動する。

仕事が忙しくて体調を崩したので、会社のほうでPM7:00までには返してあげるか らといわれる。PM6:00が定時の会社なのにやっぱり残業はしなくてはいけないらしい 。挙句の果てに休日出勤まで命ぜられる。妊婦が仕事を続ける大変さを身を持って感 じる。ただ、会社からは「出産後も在宅勤務の形でもいいから仕事を続けてほしい」 と言われ、自分の頑張りをある程度評価してくれていると感じる。出産後も仕事を続 けるために、多少無理しても産休まで頑張ろうと決意を新たにする。

妊娠情報雑誌などにそろそろ胎動を感じるころと書いてあり、まだかまだかと思 うがなかなか感じない。もしかしておなかの中で赤ちゃんが死んでるのではないか? と夫を巻き込みパニックになる。しかし、健診のときに先生に「ものすごく良く動く 赤ちゃんだね。」と言われ赤面・・・。ただわたしが鈍いだけだった。

妊娠6ヶ月

「赤ちゃんが動いた!」ついに胎動を感じる。おなかの中で「グニュッ」て感じ がした。動き出すと実によく動く。うれしくてうれしくてひとりでにまにましてしま った。おなかの赤ちゃんは女の子だそうだ。別に男の子でも女の子でもどっちでもよ かった。でも女の子で平成9年9月9日生まれなら名前は「未来(みく)」にしよう と思う。(9が3つでみく。なんてね)

妊娠中最大のピンチが襲う。休日夫とふたりでごろごろしていると、おなかが「 じわーっ」と張る感じがする。気のせいだと思ってみてもどうも気になる。そのうち その張りが定期的(10分間隔ぐらい)に起こるようになり、すごく不安になる。病 院に電話すると「入院の支度をしてすぐに来て下さい。」と言われる。入院はないだ ろうと思って病院にいくとすぐに点滴が開始された。これが終われば帰れると思って いたが、このまま約1ヶ月病院を出ることはできなかった。妊娠21週の出来事であ った。後の夫の話によると、すでに陣痛が始まっている状態で大変危なかったらしい 。先生にも「この病院に現在21週の妊婦さんは100人くらいいるが、こんなこと になってるのはあなただけです。この時期は一番安定している時期で、本当なら旅行 とか行って妊娠生活を一番楽しめる時期なのに、こんなことになるのは全てお母さん のせいです。」と強い口調で言われた。涙が止まらなかった。仕事ですごく疲れてい て、いつもふらふらしていた。それでも頑張ってしまった。赤ちゃんより自分の仕事 が大事だった。こんな私への神様のお仕置きの気がした。「妊娠・出産」というもの を改めて考え直す時間をもらった。追い討ちをかけるように会社から病室へ1本の電 話が入った。社長からだった。「そんな体では正社員は無理なので、今日付けでパー ト社員扱いにする。社会保険は全額自己負担にしてもらう。」ということだった。実 質的の「クビ」宣告である。私の今までの頑張りはなんだったんだろう。会社の私に 対する評価なんてそんなものだったのか。また、涙が止まらなくなった。でもこれを きっかけに「何が何でも私は元気な赤ちゃんを産むんだ!」という気持ちを強くした 。赤ちゃんを産むことに今の私の全てを集中させようと決意をした。

入院生活はとにかく安静である。トイレ以外はベッドの上での生活だ。最初の2 週間は今までの蓄積疲労からかどれだけでも寝れたので、それが苦痛とは思わずに過 ぎた。その後はひたすら読書をした。ジャンルは関係なく手元にある本を読み漁った 。お見舞いは食べ物じゃなく本にしてと言っていた。今までの人生でこんなに何もし なかったことはなかった。先生に「とにかく安静にしてれば赤ちゃんは元気に産まれ てくるから。」と言われ、赤ちゃんのためなら何でも我慢しよう。今までは赤ちゃん が我慢してたんだから、今度は私が我慢する番だと思った。ただ、周りの妊婦さんの ところには、毎日のようにお見舞いの人や旦那さんが来ているのに、私のところには 誰も来ない日が多かったのでそれが寂しかった。ちなみに夫は長期出張で神奈川県に 行っていた。

妊娠7ヶ月

読書漬けの日々が過ぎ、赤ちゃんも安定してきたので点滴が取れた。そして退院 。家にいるより病院の方が安心なので、もう少し入院していたい気もしたがそんなわ けにもいかず、家に帰る。家に帰っても動けるわけでなく自宅安静である。そのうえ 夫は長期出張で不在。ひとりきりで、おなかの張りを心配しながら過ごす夜はとても 不安であった。寝られるわけがない。週に一度買出しのために実家の両親が来てくれ た。嫁に行っても実家の両親には心配の掛けどうしである。赤ちゃんの買い物も全て 両親に託す。本当は自分でわくわくしながら選びたかったのだが、毎日自分が食べる ものさえ買いに出られない身分でそんなことができるわけもない。

世の中には働く妊婦さんもたくさんいるのにどうして私だけはこんなことになっ てしまったのだろう。とマイナス思考の毎日が続く。周りにこんなことになった人が いなかったので、自分がすごく不幸なんじゃないかと思い、働く妊婦さんをすごく羨 ましく思う。でも私には「元気な赤ちゃんを産む」使命があるんだと思い直す。

妊娠8ヶ月

会社からは社会保険料の払い込みの催促の電話が来る(1ヶ月7万円)。収入が ないのに払えるわけがない。退職の決意を固め、会社に連絡を取る。自宅安静でなけ れば、公的な場所に訴えてやりたかったが、そんなことをして赤ちゃんがどうかなる と怖かったので、結局泣き寝入りすることにした。夢にまで見たワーキングママの夢 ここで挫折。それと同時に、「今自分のすべきこと。妊娠・出産が女性にとってどれ だけ大変なことであるかの認識。今までの自分勝手な生き方への反省。」などの事柄 をゆっくり考える時間を得た。それはそれなりに私にとっては意義のある時間となる 。視点を変えれば、自己中心的な子供であった私に、神様が大人になりなさいと与え てくださった試練だった気がする。

出張先で仕事を前倒しで終えて、夫が帰ってきてくれる。一安心。

妊娠9ヶ月

赤ちゃんの頭は早々と骨盤の中に入ってしまう。あともう少しの辛抱である。ず っと安静な生活が続き、足などは筋肉が落ちすっかりやせ落ちてしまった。つわりは まだ続いている。自分の体が妊娠向きでないことをしみじみ感じる。おなかの赤ちゃ んは元気で、たまに足が外から分かるくらいである。(産まれてきても足癖の悪い子 であった。)少しくらい動いても大丈夫な気がしたので(医者が知ったら怒られたか も・・・)家の掃除をはじめる。赤ちゃんを少しでもきれいな家に迎え入れたかった から。掃除をすると家の中が明るくなった。うっすらとホコリが積もっていたことを この時初めて知った。夫も「最近家の中が明るくなった気がするんだけど。」と言っ たくらいなのでよほどホコリが溜まっていたのであろう。

実家から母親が来て赤ちゃんの産着やタオル、シーツなどを洗濯してくれる。赤 ちゃんの準備は確実に母親がやってくれる。ちょっと寂しい気がする。しかしここま で頑張ったんだからあともう少しと希望が沸いてくる。友人からは「寝られるのは今 のうちだからゆっくり寝ておいたほうがいいよ!」 (この意味を詳しく知りたい人は「子育て戦争記」へ) と言われるが、このときはその意味がよく分からず「早く無事に赤ちゃんが産まれて 欲しい」と切望していた。

妊娠10ヶ月

どーにかこーにかここまで辿り着いた。産婦人科の先生に「よくここまでもたせ たね。」と言われ、やっぱり危なかったんだと思う。「予定日よりは絶対に早く産ま れるよ。あとあなたは小さいから赤ちゃんはなるべく大きくないように。」と言われ る。すでに9月9日生まれのことは全く考えてなかったし、無事産まれてくれればい つでもいいやと考えていたので、別に予定日より早くても一向に構わなかった。しか し赤ちゃんを大きくするなと言われてもそれは私にはどうすることもできないのでち ょっと困った。ただ、体重を増やさなければ赤ちゃんもそんなに大きくはならないだ ろう。どっちにしてもまだつわりが続いているから、たくさんは食べられないので太 りすぎの心配もなかった。結局、体重は5kg増で済んでしまった。

37週に入り健診のとき、「散歩とかして体を動かしたほうがいいんですよね? 」と先生に聞いたら、「転んで溝に落ちたりしたら大変だから、もうあなたは生まれ るまでうちで静かにしていなさい。」といわれてしまう。先生に私の性格や行動を全 て見抜かれてしまった気がする。37週に入って「動かないで、静かにしていなさい 。」と言われる妊婦はそんなに多くないであろう。

そして、たまたま両親が実家から様子を見にやってきた、夫が休日出勤で朝から いなかった、38週目が終わろうとする日、ついにそのときはやってきた。

出  産

本などで出産の経過は勉強していたが、すごいスピードで経過が進んでしまい、 そのスピードに私がついていけず、パニックに陥ってしまった。なにがなんだか分か らないうちに分娩台に上って、いきみもうまくいかないうちに「赤ちゃんの心音が弱 くなってきたから吸引します。」といわれ吸引して、引きずり出してもらう。しかし 、赤ちゃんは羊水を飲みすぎたらしく全く泣かない状態。体は真っ青。実家の父親は 「駄目なんじゃないか」と思ったらしい。処置してもらったら、真っ赤な怪獣のよう になく赤ちゃんになっていて一安心。親の私の赤ちゃんを見て最初に思ったのは「宇 宙人みたい。」とてもかわいいとは思えなかった。陣痛が10分間隔になってから産 まれるまでの時間は5時間ちょっとだったので、それだけ聞くとすごく安産だったよ うに思われるが、私にとっては実に納得のいかない出産であった。でも無事産まれて きてくれたからいいや!って感じだった。赤ちゃんが出来の悪い母親を救ってくれた 感じがする。出産は母親ひとりが頑張るわけでなく、お腹の赤ちゃんが一番頑張るも のだと実感する。産んだというよりも産まれてくれたという気持ちが強かった。

平成9年8月30日午後8時8分 2732gの女の子誕生。 命名「ほのほの


★ 育て戦争記 ★
トップページへ戻る

ご意見・ご感想