愛知県碧南市 カモの親子が泳ぐ岡田川 小さな人道橋に昔の面影を見るか

第20回 岡田川のちいさな橋

親ガモ小ガモの姿見るちいさな橋 住宅街に突如現れる「ぶいぶい婆」?

旧家を越えて左へ行く街道

<岡田橋に架かる小さな橋はやはり大浜街道。日本美を継承する屋敷前の先、蛇行する道。遠くに見える蓮華経庵の屋根。かつてここには本当にのどかな”村”の景観が存在したと想像出来る景観> 「昔は木造の橋だった…」近所を散歩するお婆ちゃんは、遠き良き時代に思いを馳せる表情で語った。 親ガモが子ガモを連れて泳ぐ穏やかな岡田川。川瀬を伝ってくるそよ風がとても気持ちいい。真っ赤な人道橋は大浜街道の名残という。橋を渡って屋敷前で振り返れば、お婆ちゃんの表情の訳を理解する。 背後の森、草葺きだっただろう法華経庵屋根。西には田園風景が今でも広がり、東はかつて海が臨めたはずだ。 炊煙のぼる村、お婆ちゃんが見たであろう時代の情景を、僕の頭の中で現代にイメージする。 この赤い小さな橋がある場所、少しだけ想像力を働かせば、昔の大浜街道が見えてくる。

ひっそりたつ古い墓

<ぶいぶい婆?住宅街に突如現れる古い墓。辻斬りにあったお侍さんを供養していたのが、ぶいぶい婆さんだったから、ぶいぶい婆の墓と呼ばれるようになった> 北進する大浜街道は緒川から森岡の地へと入る。森岡は戦国時代の合戦場が多く残る集落。 賑わいのあるスーパー裏を通った辺り、町立森岡保育園方向へ向かう脇道に面白い名の墓がある。 「ぶいぶい婆の墓」と呼ばれる森岡で最も古い部類に属する墓だ。一本の古木の傍ら、赤土の土手に一基だけ立っている。 この墓は辻斬りにあった侍を弔うためにぶいぶい婆が建てたと伝えられている。 墓碑銘には寛文9年(1669)とあるから約340年程の年月。 墓は3分の1の所で右斜めに一太刀されたような裂け目があり、亡くなった侍の無念を感じる。 ちなみにぶいぶい婆の「ぶいぶい」とは、糸を紡ぐ時に出る音で、ぶいぶい婆は村娘達に糸紡ぎを教えていた。

ヘボト自画像ヘボトの”ここもぜひ見ておきましょう”コーナー

生い茂る楠 「極楽寺とクスノキ」 スーパーの裏を通る辺りに見えてくる巨木、極楽寺のクスノキだ。樹齢500年といわれ、東浦2番目の大きさを誇っています。 白蛇の伝説も残る不思議な木。クスノキのすぐ側にある曹洞宗・極楽寺は玉海通公を開基として1400年代に創建された寺。 本堂横にある地蔵堂には可愛らしい童地蔵。「おじいちゃん、おばあちゃん、こんにちは」と愛嬌ある顔で出迎えてくれました。 地蔵堂の壁に張られたたくさんの名刺、こちらのお地蔵さんの御利益が伺える。ここの抱き地蔵さんは小さく見えて案外重い。

次回予告です、お楽しみに!

折れ曲がる街道

第21回 「開眼寺と常夜灯」

不思議な伝承の残る「ぶいぶい婆」の墓から再び大浜街道へ戻ると、道が二手に分かれる地点に到達する。土管上の小さな祠は、右の道を示しているようにも見える。自然の神というか、東浦では古来から土地に住む神を祀る風習が今でも残る。ゆえにちょっとした路地などに石仏や祠があるのを目にすることが多い。妖精の住む国「東浦」である。 祠の近くの文具店前で佇む男性に道の詳細を聞く。「さあ、わからんね。右へ行くと大きな道に出るけど。こっち(左)へ行くとお寺に出る」と、どちらが街道であるかの明言を避けているようだった。事前に見ていた明治期の地図では確か寺院の前を通っていたような気がする。それでは辻を左に行くということが正解なのか。 ■ 第21回 「開眼寺と常夜灯」 へ

< text • photo by heboto >


Copyright (c) 2002-2010 heboto All Rights Reserved
このページに関する御意見は【公式ブログ】までお願い致します。