愛知県碧南市 海は消えようとも「天王の森」は消えず往時の面影を伝えている

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天王の森 (てんのうのもり)

面影残る松の姿 「海があった時代」の思い出は 決して心から消えず

白壁の料亭

<たとえ海は消えても「天王の森」は消えず。大浜上の熊野神社から碧インターまでの250メートル区間に広がる松の森。織田信長を不意打ちすべく、大浜の長田重元の軍が隠れ潜んだのも天王の森である> 市役所前の通りを西に行った行き止まり。そこには「新須磨海水浴場」を象徴するヴィーナス像が立ち、海へと向かう桟橋があった。 昭和30年代後半から始まった衣浦臨海地域造成の埋め立てにより、全て消えてしまう。 だが、海岸沿いにあった「天王の森」は面積が減少したとはいえ、今も健在である。 古来から存在した松の森で、織田信長を敗走させた長田重元軍は天王の森で待ち伏せしたという。海水浴場時代、松の下は絶好の涼みの場だった。 天王の森東にある「衣浦閣」(大正3年・1913創業)は、新須磨海水浴場が開かれた大正時代から海の家を出店している歴史ある日本料理店である。

旅館街の通り

<「新須磨海水浴場」時代の面影を探して歩く。旅館の続いた通り、今でも頑張る料理店、そしてコンクリート製のベンチ…海が閉ざされて40年近く経ても現代に残っている事は、かつてここに綺麗な海があった事実を決して忘れたくはないという人々の気持ちがあるから> 「新須磨海水浴場」の面影は、海を埋め立ててから40年近く経った現在でも見る事が出来る。 市役所へと向かう道の南側には旅館の面影残す建物がいくつか存在する。大浜上の熊野神社へ至る小道は、どこか潮の匂い残る雰囲気の道で、 道沿いには新須磨海水浴場時代から営業する仕出し・料理店の「だい忠」がある。客を迎える玄関などは懐かしさを憶える匂いとも表現したい。 付近の人々に昔の話を伺った。人々に共通するのは海への想い。たとえ海を失おうとも、海があったという事実は決して忘れない…そんな想いである。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

東を向いて立つ裸婦像

「新須磨海水浴場のヴィーナス像」

新須磨海水浴場桟橋近くに立っていた「ヴィーナス像」はどこへ行ってしまったのか? それは碧南市臨海公園プール(マンモスプール)敷地の片隅である。碧南市臨海体育館とを繋ぐ陸橋の西にある庭園の一画、 桜・松の生い茂る目立たない場所にひっそりと立っている。鎖で囲まれ保護されているが、経年劣化は避けられず、ボロボロの状態。 作者である「加藤潮光」先生も、この姿に悲しみ嘆くだろう。実は、このヴィーナス像は姉妹なのである。もう一体はどこに存在するのか? 答えは玉津浦海水浴場跡である。大浜熊野大神社西の松林に海水浴場当時と変わらない状態で立っている。

< text • photo by heboto >


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