愛知県碧南市 新川の辺に新たなベンチ 道場山の新しい名所がまた一つ

碧南市中央西部地区へようこそ!

川辺のベンチと古い道

平成17年(2005)に新しく出来た広場 新川からやって来る風が心地良く

<新川から吹く微風が心地良い広場。明治期の文明開化を感じさせる六角形の外灯。中央には、皆に親しまれた一本の木を偲んだ演出か。2つ用意されたベンチに座り、対岸の風景を楽しむ> 道場山の交差点「道場山町」から北へと向かう急坂を下ると、新川橋手前に広場が見える。 長らく空き地となっていたが、平成17年(2005)初頭に憩いの広場として整備された。 アンティーク風の外灯が2柱そなえられ、幅180センチのベンチが2つ川面をむいて用意されている。 広場の中央には直径354センチの円形構造物。真ん中に一本の木のみが植えられている。 まだ新川橋が木橋だった頃、この場所には地元の人々に愛された一本の木があったという。 アンティーク風の外灯も、明治35年(1902)に新川本町の通りにおいて、ガス燈が数十基建てられた史実に由来か。 ベンチに座れば、白竹木材のお洒落な店舗と元禄橋といった対岸の美しい風景、そして新川からくるそよ風がなんとも心地良いのである。

<明治以前の道を道場山で発見する。先は中畑(西尾市)へ至る旧道の起点は、日時計という喫茶店の裏にあり。建物に囲まれ昼なお暗い小道をタイヤ半分落としながら抜けていく車> 大浜街道が道場山の頂きを通過する地点、「道場山町」角に”日時計”という喫茶店がある。 その日時計の裏に狭い小道が東へと向かっている。この道は道場山町交差点を起点とし、伏見を経て中畑橋へ至る道の旧道である。 「私のおじいさんの話では、江戸時代にはこの道を通っていた」と、通りがけのご老人が教えてくれた。 大正3年(1914)に刈谷新(刈谷市)駅・大浜港(碧南)駅間に三河線が敷設され分断されてしまったが、 約240メートルに渡って道筋は残されている。現代の車では、進入さえ困難な道幅。 おばちゃんの神業を見てしまった。内輪差をものとせず進入、左の前輪・後輪を排水溝に半分落としながらクリアしていく。 涼しい顔で無駄な動作1つない様は、まさに”技”であり、尊敬に値する。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

旧家の蔵

「道場山の由来」

道場山に人が住み始めたのは、万治2年(1659)頃から。 大永元年(1521)、この地の西にある海岸に一体の仏像が流れつき、佐々木源華が道場を開いて仏像を安置した。 当時の道場山は文字通り、山であったので人々は道場のある山、「道場山」と呼ぶようになった。 この道場は大浜称名寺の隠居寺「宝樹山・清海寺」を示しており、貞享3年(1686)に住吉町へ移転した「精界寺」の事である。 それ故、精界寺の山号は「道場山」となっている。清海寺が道場山のどの辺りにあったのか資料は残っていない。だが、現在でも道場山は山の面影を残しており、 屋敷の間の小さな坂道を歩くのも面白い。

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