愛知県碧南市 天神会商店街で愉しむ買い物風景 「おおはまのとおり」を歩く

大浜南部へようこそ!

おおはまのとおり

軽トラを操るおばちゃんの超絶技巧に魅せられ 「天神会商店街」を愉しむ

酒造所の黒壁

<駆け抜けるおばちゃんの軽トラ。モナコ公国の市街地サーキットを思わせる大浜屈指のテクニカルエリア!? 並ぶ酒造会社の看板は、この地が棚尾・八柱神社の「宮水」と並ぶ良質な地下水の宝庫であったことを伝える> 大浜南部の入口、湊橋から南下する道は大浜警察署を越え、清浄院そして本伝寺まで来ると大きく湾曲を繰り返す。 路側帯が申し訳程度に有るブラインドコーナーを、インぎりぎりにおばちゃん運転の軽トラが抜けていく。 その運転特性には、どこか南欧の雰囲気を漂わせる。その湾曲に「敵の侵入を防ぐ為」という”曲がり”説を唱える先生がいたが、真実は分からない。 郷土史の一部には、天文16年(1547)に大浜を攻めた織田信長の兵は、称名寺まで襲ったとある。 カーブの中程には、懐かしい看板の掲げられた酒造会社の建物がある。碧南市が醸造業の盛んな地となった背景には、良質な硬水が得られたことが大きい。 なかでも棚尾・八柱神社の「宮水」と、この称名寺近辺の地下水は特に良質であり、共に多くの醸造業者が生まれることとなった。<※注意:現在、懐かしい看板の掲げられた酒造会社の建物はありません>

昔のままの金物屋さん

<大浜南部唯一の商店街「天神会商店街」。時代の趨勢を経ても生き残った店々は面白い。キツいと評される大浜南部の人たちは本当にキツい? 旅の思い出としてお店を訪れてみよう> 大浜南部には「天神会商店街」がある。主に湊橋から大浜小学校へ至る通りに店を構える。 この通りは国道247号線であった時代もあり、また大正12年(1923)の大浜案内図によれば、「榮通り」と呼ばれていたようである。 商店街名の「天神」とは、称名寺の「渡宋天満宮」に関係があるのだろうか? 私の子供時分には、この通りはテリトリーであり、ずいぶんとお世話になった。 今や当時の店も少なくなったが、昔と全く変わらない店構えで今でも営業を続けている店もある。 瓦葺き平屋で木枠引き戸と頑なにスタイルを守り続ける『金具屋』。薄暗い店内にズラリと並べられた商品群は圧巻である。 他にも北に上れば、体操着を購入した思い出ある衣料品店『岡田屋』。南には大浜出身者にとって忘れ得ぬ味、海老天丼の『小進庵』。 新たな思い出として、店を訪れてみる価値はある。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

薄暗く続く道

「静かな路地を歩いてみれば」

かつて称名寺の門前地であったともいえる天神商店街の通り。『フーズショップ・ヤオマツ』の向かい、あるいは『寝具センター・いそ忠』の脇と表現した方がよいだろうか、 その場所から妻薬師堂前の広場へ出る路地が西へ向かっている。 この路地、車で通るには少々困難なためか、ずいぶんと静かである。 程よく湾曲して、古くから存在する路地であることを伝えてくる。路地を歩けば、ほんの僅かに感じる潤い。 良質な湧水が称名寺近辺に存在したことは確かなようだ。 称名寺といえば、この路地のどこかに墓地へと通じる道がある。しかし、迷路めいた屈折路のため、間違えば、見知らぬお宅へと訪問してしまう。 密かな楽しみと静かな路地、終点に差し掛かれば、黒板塀の連なりに、遠くには赤灯籠の六地蔵。 旅情を求めてやって来た訪問者に、一時のご褒美ともいえる情景を見せてくれるのである。

< text • photo by heboto >


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