愛知県碧南市 かつては子ども達の、そして恋人達のためにあった「にじの公園」

臨海工業地帯

にじの公園

荒廃した「衣浦臨海公園」 いつかは綺麗に整備され人は戻ってくる

昔のままの日時計とドーム

<家族連れの賑わい、恋人達の甘いささやき…かつて虹の公園にはたくさんのひとがやって来ていた。荒廃した公園をひとり歩けば、捨てられた猫がどこかで鳴いている> 港本町にある衣浦臨海公園は荒れている。得体の知れないシミは、施設のコンクリを蝕み、不気味に増殖を繰り返す。碧南市民からは”虹の公園”と呼ばれ、80年代ここには、たくさんの人々が訪れていた。 若い家族の愛、孫を連れた老人の微笑み、恋人達の抱擁…この公園には幸せがあった。それが今はどうだ! 捨てられた猫が不安げに鳴く。ただ退廃感だけが漂う地と成り果てた。

荒れ果てた名残、藤棚

<人の手を離れた植物たちは無造作に繁殖する。遺伝子情報を逸脱したかのような醜い姿へ変わる。人類だけが滅亡した地球はおそらくこんな感じになるのだろうか?> 白亜のドームの丘に日時計、芝生の広場には、名だたる海外作家の彫刻。放っておかれた公園も、いつかは清掃されることだろう。 荒れ果てた現在、人の手から離れた植物たちは無造作に繁殖し、もはや「人間と植物の共存」はあり得ないかも知れないと悟らせる。 縦横無尽に葉を伸ばす蘇鉄、その異様な姿は恐怖すら感じてくる。爬虫類のように「とぐろ」を巻き、毒々しさを見せる藤の木に世紀末思想を見た。 たくさんの鯉の泳いでいた池は、水の存在さえ垣間見ることの出来ないほどに枯れ果て、その池跡には得体の知れない草花が咲き誇る。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

展望台のある公園と池

「悲しみの展望台」

この衣浦臨海公園は、東西に貫く道を挟んで2個所にわかれている。南の公園には、360度見渡せるガラス張りの展望台。出来た当初は、家族連れや恋人で賑わうが、今は人影もなく、曇ったままのガラスが寂しさを伝えている。 荒廃した展望台にのぼるには、男子といえども勇気がいる。螺旋階段の先に何が潜んでいるか、わからないからだ。 危険な人がいたらどうしよう…という不安。子供の頃には、喜んで階段を駆けあがったというのに。 もはや廃墟を探索する気分である。展望台から見える風景は、未来を暗示するかのような灰色の世界。何が原因でこんな状態になってしまったのだろう。

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