愛知県碧南市 徳川家康の歯痛を治したという伝説あり 久沓の神様「白山社」

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白山社 (はくさんしゃ)

碧南市文化財である「奉納絵馬」を覗く 拝殿前の箸は歯痛治癒の祈願

ゲージに覆われた灯籠の後ろに拝殿

<まるでロールプレイングゲームか?辿り着くには少々困難な久沓の「白山社」。ゲージに囲まれた灯籠群と屋根のボールは子供の存在を表す。境内の「神楽殿」と「天照大神」の社は寂しげ> 愛知県中央信用組合・新川支店から始まる幅2メートルほどの狭い道をひたすら北上すると辿り着く。 途中、工場の敷地かと錯覚する区間、歩行者用踏切に遭遇するなど奇妙かつ困難な道程を課す。 辿り着くには相応の智恵と勇気と体力が求められる久沓の氏神「白山社」である。 久沓の歴史は承応2年(1653)に大浜村から13戸が移り住んだことに始まる。白山社は、久安3年(1147)6月12日に平康和が京都より勧請し、慶安5年(1652)に大浜村より移る。 白山社の広い境内、拝殿を凝視すれば屋根に球がいくつか挟まっている。どうやらここは恰好の子供遊び場らしい。 ゲージに囲まれた灯籠群に子供の安全への配慮が伺える。 境内には祭礼時にも閉ざされたままの「神楽殿」、そして物置と化している「天照大神」の社。共に造りが立派なものだけに実に勿体ない。

拝殿扉にハシを入れる木箱

<拝殿前に掲げられた木箱には何故か「箸」が詰め込んである。徳川家康の歯痛に由来するという箸の言い伝え。賽銭箱から覗けば浮かび上がる碧南市文化財の「奉納絵馬」> 白山社の拝殿に奇妙な木箱がぶら下げられている。賽銭箱にしては謙虚だなと注意深く見れば、未使用の箸がいっぱいに詰まっている。 これはどういう事か?箸を奉納し祈願すれば、歯痛が治るという。その霊験あらたかな話は、徳川家康に由来する。 天正16年(1588)6月、大浜港へと着いた徳川家康は歯痛に悩み、白山社に祈願した。たちまち歯痛は治り喜んだ徳川家康は社領を白山社に寄進した。 この話が後々に伝わり、白山社は歯痛を治す神様として有名に。 賽銭箱から拝殿の中を覗き見る。蛍光灯の明かりの照らされた奉納絵馬の数々。 七福神や歌舞伎、千石船などの絵馬は享保9年(1724)から文化11年(1814)にかけて奉納されたもの。 今では碧南市指定有形民俗文化財となっている。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

大きな灯籠の後ろに真っ赤な電車が走る

「心の灯籠そして履成の由来」

北新川駅から坂上橋へ至る途中の畑に「心」と銘打った灯籠がたつ。一見石垣風だが、コンクリートに筋を入れた仕組み。 そのユーモアに脱帽である。時代としてはそう古いものではないらしい。この灯籠の東、碧南工業高校へ差し掛かる辺りに「履成(くつなり)」という旧字名が存在した。 なんでもまだその辺りが海であった時代、そこから靴を脱いで海を渡ったという由来から地名が付いたという。 海というのは北浦と呼ばれた「油が渕」であり、対岸の西端へ渡った事を表す。 靴を脱いで裸足で通るとは、随分浅瀬の海であったことか。それにこの時代に靴を履ける身分の人がいたのだろうか。 だが、高浜には持統天皇が越えたとされる「王越」等、いくつか天皇・皇族が訪れた歴史に由来する地名が残る。 はたしてこの履成もそういった地名の1つなんだろうかと考えてしまうがどうだろうか。

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