愛知県碧南市 艶やかな芸者達の舞が毎夜繰り広げられた時代の名残求めて

棚尾のまちへようこそ!

棚尾・花街の話

風情ある棚尾の小径を艶やかな芸者達が歩き 気もそぞろな男たちがいた

料理店の面影が残る建物

<格のある花街として発展した八柱神社界隈。小川の清流のそば、桜見。芸子の舞いを楽しみ、酒を飲む。粋な大人の遊びがあった時代に想いを馳せ、路地を歩く> 花街として賑わいを見せた歴史が棚尾にはある。花街というと、いかがわしい想像をしがちだが、棚尾の花街は違う。 芸者の舞いを楽しみ、美味しい食事に舌鼓、棚尾の良質な地酒に酔いしれる…そんな粋な大人の世界が棚尾にはあった。 今日のどこか紳士的な棚尾の人柄は、この時代に育まれたもの。 もとは棚尾の造り酒屋の旦那衆の社交場として始まった花街。劇場の三栄座とともに大きく発展し、棚尾は一大歓楽街となる。 現在、八柱神社の北にかつて料理旅館であった建物が今でも残っている。お洒落な飾り窓に当時の雰囲気を見出す事が出来る。

かつて料理旅館であった建物

<消失していく宴の跡。新しい世代へと移り変わり、旧来の歴史ある建物が急速な勢いで消えていく現実。次に訪れた時にはもう無くなっているかも知れない。もう一度復活させよう、大人の遊び場> 粋な歓楽街のあった棚尾の町。芸者の活躍したお座敷・料理旅館などがあった地帯は主に棚尾の本通りから南へ一歩入った通りから八柱神社周辺。 道こそ当時のままだが、宴を催し賑わいを見せたお座敷・料理旅館などは、ことごとく近代的な住宅へと変わり、今は数える程しかない。 しかもその一部は空き家状態で今後の動向も不明。この素晴らしい歴史的財産が有りながら、活かせないとは誠に残念である。 往時、大浜の堀川で荷を下ろした船員達は、そのまま船で川上へと向かい、八柱神社西を流れる江川を経て棚尾の花街へ遊びに来たという。今はその江川も埋め立てられ偲ばせるものはない。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

三栄座への道

「三栄座」

棚尾駅跡から西へ向かい、『太郎吉饅頭屋』手前の道を左折する。 道が左へ湾曲する直前の右手、現在は住宅となっている場所が、かつての「三栄座」があった場所である。ちなみに道の斜め向かいには「栄湯」という銭湯、北に一本入った路地には「芸奴組合」があった。 三栄座は明治30年(1897)に株式会社として開館。当初は芝居や芸者の温習会などが開かれ、公館としての働きもしていたが、 昭和12年(1937)頃からオーケストラを揃え、映画専門の劇場となった。映画の全盛期もピークを過ぎようとしていた昭和35年(1960)、創業者であった「斎藤叶」から、西尾の「松栄館」に経営権が移る。 昭和53年(1978)に閉館、81年の歴史に幕を閉じる。この昭和53年(1978)という年には、新川にあった「新川キネマ」も閉館した年でもある。 この2つの映画館が消滅して以降、再び碧南市に映画館が出来ることはなかった。

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