愛知県碧南市 助け合いの精神が遙か明治の時代に生きていた 「協療社」

ありがとう

局処解剖局 (きょくしょかいぼうきょく)

医学研究・貧民の救療を目的に設立された「協療社・局処解剖局」の存在

空き地となっている局処解剖局跡

<医学発展・貧民の救療と熱意ある志を持った医師達が集まり賛同する名士の協力の下、協療社を設立。何もなくなった跡地に助け合いの精神を忘れた現代人の姿を重ねる> 明治5年(1872)に洋々医館の近藤坦平の呼びかけで大浜・棚尾・鷲塚・平七・伏見の医師達が協力して 種痘施術・貧民救療・医学発展を目的に協療社を設立。地元名士・医師の寄付金を元手に金利を運用して 資金を調達した。協療社で奉仕する医師は無償という条件にもかかわらず多くの医師が協力する素晴らしき団体だった。 協療社は旧大浜陣屋の建物を利用して活動していたが手狭となり、局処解剖局を新たに併設して別地へと移転した。 場所は現在の石橋町2丁目。今は空き地になっているが最近まで「石橋町ちびっこ広場」であった所。 周辺には住宅が建ち並び、往時を偲ぶものは何もない。この跡地を前に思いを馳せる。 私たち現代人の生活は豊かになったが、大切なものを失ってきたのでは無かろうかと。

ヘボト自画像ヘボトの「随喜(ずいき)の涙」

古い石垣

「大浜税務署」

農協が合併されるまで碧南市農業協同組合の本店だった建物は現在使用されておらず、ひっそりと佇んでいる。 この建物が建つ以前は、この敷地には大浜税務署があった。大正15年(1926)建造の木造モルタル塗りのモダンな様式を成した立派な建物。 入口上部にはブドウの房を模した紋章が誇らかに飾られていた。海運で栄え関税業務を多数抱える大浜にとって税務署は必然な存在だった。 碧南市誕生以後、税務署は他に移り、この建物は建設省の支所となったりしたが、昭和53年(1978)に取り壊された。 大浜税務署を偲ばせるものはと探すが、西に残る古い石垣が唯一当時のものではないだろうか?

< text • photo by heboto >


Copyright (c) 2002-2007 heboto All Rights Reserved
このページに関する御意見・ご感想は【サイト管理者へメール】までお願い致します。