愛知県碧南市 新川を大浜より独立させたのは誰か 「岡本八右衛門」である

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新川独立のチカラ

衰退する新川だから 岡本八右衛門の功績を再評価すべき時が来た

岡本八右衛門の蔵・屋敷があった場所

<明治期の豪商として活躍した岡本八右衛門。大浜村からの分離独立に尽力する。大正5年朝鮮にて没す。閉塞感漂う新川町駅界隈。もし彼が生きていたのならば、この現状を見て何と嘆いた事だろう> 新川旧海岸線沿い、ボーイスカウトハウスのある辺りに鬱蒼とした森が今も残る。かつて「かね八の森」と呼ばれていた場所。 明治時代に活躍した貿易商・岡本八右衛門の蔵が軒を連ねていたという。岡本八右衛門は弘化4年(1847)に新川の木綿問屋かね八に6代目として生まれる。 貿易商で財を成し、明治17年(1884)の北大浜村分村運動を積極的に支援した人物。 他にも英語塾・銀行・劇場・郵便局・浅間神社下の埋め立て等、大浜に負けじと尽力した。 しかし大正期の経済恐慌で倒産、朝鮮で没すという末路をたどる。 異郷で迷走する岡本八右衛門に救援の手を差し伸べる者は誰もいなかった。 圧政を敷く大浜へのレジスタンス、強烈な大浜への対抗意識の根底には地元への熱き思い。 今、新川で岡本八右衛門の名を知る人は皆無。衰退の一途をたどる新川は岡本八右衛門の功績を再評価し、北大浜村を誕生させた時代を思い起こすべきだろう。

ヘボト自画像ヘボトの「随喜(ずいき)の涙」

駐車場となった新盛座跡地

「新盛座の跡地」

岡本八右衛門が角谷安兵衛・服部長七らと創設した「新盛座」は当時県下最大規模、木造3階建てという立派なものだった。 伊勢湾台風時、当時浪曲師だった三波春雄が蝋燭だけで公演した逸話も、未だ新川の人々の間に思い出として残る。昭和36年(1961)に惜しまれつつ閉館し、新盛座の建物は取り壊された。 新盛座の跡地は平成17年(2005)4月から碧南市営新川町駅西駐車場に。 24時間年中無休で最初の1時間は無料、以後1時間事に100円、上限500円(2005年現在)という利便性の高い施設として新川の街に貢献。 駐車場問題を解決した今後は新川商店街のより一層の努力が期待される。

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