愛知県碧南市 平成15年(2003)8月17日、午後6時30分に衣浦マンモスプール閉鎖

マンモスプール最後の日

そして扉は閉じられる

整列し訪れた人々を見送るスタッフ 午後6時30分に施錠され歴史は終わる

<午後6時を過ぎてもプールに立ち尽くす人。注意することなく見守る学生アルバイトのスタッフ。管理連出口には、赤パンツに鯨のマーク描かれたTシャツを揃って着込んだスタッフ達。整列して「ありがとうございました」の声で見送る。彼らを輝かせている、あの光の正体は何か?> 閉場時刻の午後6時を過ぎても、別れを惜しんでか、プールにはチラホラと人の影。 普段ならば退場を急かしているはずのスタッフも、今日は最後という特別な日ということで、ただ静かに見守っている。 ひとり、またひとりとプールを背にし、立ち去る。夕闇が迫り、視界が青みがかっていく。 波に揺れたあの日々、端から端まで泳いだあの夏…懐かしの風景は今日で終わりを告げる。 今ある光景を胸に私も管理練へと足を向ける。スタッフの横を通り過ぎると「最後のお客さんが…」と連絡するのが聞こえた。 プールの静寂とは反対に管理練内部はざわめいていた。更衣室から出ていく人のハッと驚く顔が見えた。 出口には赤い短パンに鯨マークというお揃いのTシャツを着たスタッフが整列して「ありがとうございました!」と大声で見送りをしているのだ。 それだけではない、スタッフ達の列が輝いている。部屋の証明とは思えない、あの明かりは何だろう?

<涙見せるスタッフを輝かせる光の正体は、地元ケーブルテレビの照明。最後の客を見届けた後、年輩スタッフの声が響き、ゆっくりと出口扉が施錠される。平成15年(2003)8月17日の午後6時30分、昭和49年(1974)の夏から延べ4,866,300人の入場者を迎えたマンモスプールは閉鎖された> 元気な声で訪れてくれたお客さんを見送るスタッフ。なかには感極まり、うっすらと目に涙が見える人も。 お客さんは、その高揚した雰囲気に少々戸惑いを見せながらも通り過ぎていく。 戸惑いの一因はスタッフ達を輝かす明かりの正体である。地元ケーブルテレビが、この感動的な場面を撮ろうと取材に訪れていた。 マイクを差し出され、インタビューされるお客さん。一挙手一投足が並ぶスタッフと撮影クルー、そしてカメラに凝視されるものだから緊張せずにはいられない。 「お客さんはもういませんッ!」と若いスタッフが駆け込んできた。 責任者と思われる年輩のスタッフが声を掛けると、それまで列を成していたスタッフは円となり、出口の扉に集まる。 途中、白い食品衛生服を着込んだ老齢の男性が訪れ、スタッフ達の歓迎を受ける。長年、場内の売店を営んでいた方らしい。 場を切り直して静まりかえった場内に「それでは…」と年輩のスタッフがゆっくりと扉を閉じる。 カチャリと鍵のかかる音が響く。時刻は午後6時30分。失われた海の代替として開かれたマンモスプールは昭和49年(1974)開場以来、30年目となる夏にその役割を終えた。

ヘボト自画像ヘボトの「忘れないよ、あの夏の日々」

「いつでもあの夏は甦る」

遂に終わった。昭和49年(1974)の夏以来、たくさんの子供達の思い出を作り出してきたマンモスプールは30年の歴史に幕を閉じた。 新聞の地方欄には、マンモスプール閉場の記事が小さく載り、もはや人々のあいだには関心さえないことを伝えていた。あの雨のなか訪れた子供達は、生涯忘れ得ない記憶として語り継いでいくはず。 数年後にはマンモスプール跡地が他の施設・公園へと転用されるだろう。だけど夏の日々の思い出は誰にも消せやしない。 変わり果てようとも目を瞑れば、いつでもプールと夏の日は現れるのだ。かつての海岸線跡に佇む老婆の気持ちが何となく理解出来た。 美しい碧南の海を知らずに育った私達の世代にとっては、マンモスプールこそが海であったのかも知れない。

< text • photo by heboto >


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