愛知県碧南市 覚えていますか?あの味を 「懐かしき店」は語りぐさとなり

思い出半ズボン

思い出のレストラン

子供の頃に食べた味は決して忘れない 記憶を頼りに思い出の店を探す

ポートサロンがあったかも知れない場所

<「さあ、今日は外で飯を喰うぞ」と連れて行かれた先は『ポートサロン』。80年代を碧南で過ごした人なら覚えているはず。だが、誰に尋ねてみてもかつてあった場所は明確にならず。みんな覚えているのは、豊富なメニューに楽しい団欒があったという思い出だけである> 微かな記憶を頼りに歩く。まだ碧南市にお洒落な「レストラン」というジャンルが確立されていない時代、『ポートサロン』という店が存在した。 親類縁者、友達から友達へ訪ねるが、皆一様に名前こそ浮かぶものの、どこに所在したか明確に答えられる人は皆無。 碧南市を縦に貫く県道・碧南高浜線の沿道にあったことは確か。さて、『ポートサロン』とはいかなる店か。 「碧南の味めぐり」(1988年・碧南商工会議所)によると、「ステーキ、スパゲッティ、和食定食とメニューは豊富、その上コーヒー、ソフトドリンクは50種類、生ビールなどのハードドリンクは30種類、デザート、ケーキも30種類もあるんだから、衣浦ポートサロンはただもんでないレストランだ。」とある。 この文中から分かるようにメニュー豊富な店であったことは、私も覚えている。家族に連れて行かれ「さあ、今日は好きなもん頼め」との言葉で熱心にメニュー表を見入ったものだ。 聞けば友達みんな体験したようである。『ポートサロン』は、現代でいうファミリーレストランの走りのような存在であったといえる。

今はカルチャークラブへ

<「腹いっぱいになった後は外の電車見て」 私の電車マニアとしての血はここから生まれたのかも知れない。名鉄・新川町駅すぐ近くにあった『山田家』、昭和35年(1960)開業。「味のデパート」に相応しく和洋、中華、寿司まで楽しめた> 新川町の駅前にある黄色い建物。今は習い事を教える教室『カルチャークラブ・ベル』になっているが、昔は『山田家』という飲食店だった。 『山田家』は昭和35年(1960)に開業し、『味のデパート・山田家』として名を馳せ、多くの人々を満足させた店。 この『山田家』を創業した人物は、「碧南人物叢書」(1968年・中村清一郎著・中部新報社)に載るほどの人格者で、苦労しながらもアイデアと気力で成功した女性。 『山田家』は「味のデパート」という言葉に相応しく、和食・洋食・中華、そして寿司に至るまで、一軒で食を満たせる事が出来たという。 しかしながら、私にとって『山田家』といえば、まずは中華である。まだ子供を連れて中華を食べられる店が少なかった時代、『山田家』は快く家族連れを迎えてくれた。 中華という満腹感を味わえる料理に満足した私は、店の外に出て、新川町駅北にある「新須磨2号踏切」の奏でる音に聞き入る。 新川町駅へと入る真っ赤な電車に見入ったものだった。

ヘボト自画像ヘボトの「胡馬北風(こばほくふう)」

夕焼けを望む

「170円のラーメン」

「早く大人になりたかった」。今の時代は、いつまでも若々しい事を良しとし、大人として年をとることを嫌がる風潮がある。 いつからそうなってしまったのだろうか? 私が子供時代には、早く大人になりたいと願ってしたし、そう思わせる格好良い大人達がたくさんいた。 大人になりたいという願いは、何も思春期に始まったことではなく、物心ついた時から存在し、私だけでなく当時の子供達みんなそうだった。 子供達は、ある日大冒険をする。一駅電車に乗り、ユニー最上階にある『スガキヤ』でラーメンを食べてくる計画を実行した。たわいのないことだが、自分たちでお金を払い、食事するという行為に憧れてのことだった。 当時はどの家の親も厳しかったし、まわりの大人もキチンと子供を叱る優しさがあった。 ドキドキして頼んだ一杯170円(当時の価格)のラーメン。窓から見える夕景がとても綺麗だったのを覚えている。

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