板倉惠三子オリジナル作品

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1963−ピアフのいた秋


麻創けい子 作

「1963-ピアフのいた秋」        麻創けい子

1963年秋、数万のパリ市民がエディットピアフの棺を囲んだ。
その夜、ピアフの恋人だったという男が酒場のステージに立ち、ポツリと言う。
ピアフは殺されたのだと……。
いったい誰が、なぜピアフを殺したのか、男は愛したピアフの生涯を語る。
 大道芸人を父に持つピアフは、街角で歌って稼ぐ暮らしからシャンソンの女王になった伝説の歌姫。
イブ・モンタンを始めとする恋の遍歴が、彼女を彩るが、
彼女の肉体は麻薬とアルコールに蝕まれていった。

「愛の讃歌」「ばら色の人生」など、シャンソンの名曲をふんだんに織り交ぜながらピアフの生涯を語るドラマティックリサイタル。
手話と歌を一体化させた板倉惠三子の世界が、音を超えてピアフを歌う。
「ピアフ&惠三子」            麻創けい子

 ある秋の夜、手話と歌声がひとつになった未知のコンサートに出会いました。
歌っていたのは、以前私の書いたミュージカルに主演した板倉惠三子さん。
十年ぶりの再会にもまして心を揺さぶられたのは、
聴覚障害者と健聴者が一緒に音楽を楽しめたことでした。
芸術におけるバリアフリーの可能性を感じたのです。
 ピアフの生涯を語りと手話をまじえて描いた「ピアフのいた秋」は
そんな板倉さんのために書いた作品ですが、東京、名古屋と公演を重ねるうち、不思議なことに気がつきました。
映像資料として見た実際のピアフの舞台と、板倉さんの舞台が、とても似ていることです。
ピアフは、歌の心を、その手によって豊かに表現した歌手でした。
黒いドレスを好んで着たのも、手を浮き立たせる効果があったからだとも言われています。
手話に詞の思いをこめる板倉さんが、時としてピアフそのものに見えるのは、
歌を愛する二人の心が、 時空を超えてつながっているからかもしれません。
エディット・ピアフの情熱と板倉惠三子の情熱が一つになった舞台を、どうぞお楽しみ下さい。
 
公演記録
初  演 2000年10月22日東京銀座クロイゾンホール
再演(2) 2000年10月27日名古屋市芸術創造センター
再演(3)2001年7月15日愛知県碧南市文化会館
再演(4)2001年11月22日 愛知県名古屋市民会館(中ホール)
再演(5)2002年10月12日 愛知県碧南市芸術文化ホール(エメラルドホール)
再演(6)2004年10月22日 静岡県グランシップ 中ホール(大地)

  • 企画・制作:板倉惠三子

  • 台本・演出:麻創けい子

  • ピアフ:板倉惠三子

  • ピアノ:伊藤昌司

  • 語 り:石黒 寛

 



ソング・レター 母へ贈る七通の手紙


麻創けい子 作

  「歌って!」          麻創けい子
ベッドに横たわった母親が歌手になった娘に告げた最後の言葉です。
娘はその枕辺で、自作の歌を歌いました。
ドラマのような実話です。
『ソング・レター 母へ贈る七通の手紙』は、そんな母と娘、
板倉恵三子さんとお母さんの生きざまを縦糸に、
さまざまな母と子の物語を織り交ぜたドラマ形式の
リサイタルです。
バリアのない音楽を目指す板倉さんならではのリサイタルで
私は初めて、「ありがとう」という手話を知りました。
不思議なことに、使い慣れた言葉よりもズンと胸に落ち、
心が伝わる気がしました。
母へ贈る歌をちりばめた『ソング・レター』にも、
手話はきっと大きな力を与えてくれるでしょう。
「ありがとう」の言葉にかえて、
『ソング・レター』を、世界中のお母さんに 届けたいと願っています。

  
 
公演記録
初  演 2003年4月26日静岡AOI音楽館
再演(2) 2004年6月26日名古屋市名東文化小劇場
再演(3)2005年5月8日愛知県安城市文化センター

  • 企画・制作:板倉惠三子

  • 台本・演出:麻創けい子

  • ピアフ:板倉惠三子

  • ピアノ:伊藤昌司