不連続日記
日記と称しているが、まず毎日の書き込みは不可能だし気が向いたら書き込む程度のページ。それでも市政にかかわる情報をできるだけ織り込みながら綴り、楽しみながらためになるページ・・にするつもり。

平成18年2月〜5月25日はこちらからどうぞ

平成18年6月〜

2006年12月22日(金)
50億円の買い物

 来年4月にオープンする新体育館の内覧会が実施された。新体育館はウィングアリーナと呼ばれ総合運動公園の核となる施設だ。外観全体が羽ばたき飛び出さんとしている翼をイメージしていることから命名された。メインアリーナはバスケなら2面、バレーで3面、バトミントンなら12面とることがで.る。サブアリーナでもバスケ2面、バトミントン8面取ることができる。プールは25メートル6コースあり、空調の余熱を利用して水を温める。4月にオープニングセレモニーが開催される。ヒゲの某有名マラソン監督が来るとか・・、内緒だけど・・。

2006年12月19日(火)
硫黄島からの手紙

 映画『硫黄島からの手紙』を観た。父親たちの星条旗とは違い何が主題か明確ではなかったように思う。日本はこの戦いを聖戦と呼びアメリカでも正義の戦いと称していた。軍国主義や帝国主義と悪のイメージのある日本にあっても、怪我をした米兵を手当てする日本兵や捕虜として投降した日本兵を銃殺する米兵のマイナス部分も描かれている。双方正義の戦いもおびただしい犠牲者を生み何の意味があったのだろうと問い、ジハード(聖戦)のイラクとテロリスト撲滅の正義のアメリカとの戦争は『硫黄島』の戦いにどのような違いがあるのかを語りかけているようだ。ノーモアウォー、目を覚ませ!ブッシュ。ってことかな?考えすぎか・・。

2006年12月17日(日)
おめでとう

 姪っ子の結婚式があった。式から披露宴まで笑いと涙の連続でいい結婚式だった。保育士をしていて、我が家のおばあさんには特に優しい気持ちのあるいい子だ。披露宴では園の子供たちが『てんとう虫のサンバ』を一生懸命歌ってくれた。子供たちのけなげさに泣けた。旦那は『しゃかんになりたいっ』と、見ず知らずの左官屋さんの門を叩き弟子入り、以来6年ほどとか。2人の交際の様子が書かれた新聞に『入江長八にまなぶ』という記事があった。2人で記念館を見に行ったのだろう。入江長八は江戸時代の左官で明治にかけてまで活躍した漆喰による鏝(こて)絵の名工だ。弟がペンキ屋や建築屋でもあり職人の厳しさを感じている兄にとっては、なかなかうんと言えず悩んでいたようだったが、彼のこのまじめさが不安を打ち消していたようだった。子供に接する優しさと努力というタイルを貼り続ける二人の人生に幸あれと祈る。おじさんはうれしい。

2006年11月23日(木)
伝わってきませんでした
 研修に行った16日時間があったので何かと話題の靖国神社遊就館を見学しました。入り口に入るとゼロ戦とタイより帰還した蒸気機関車が展示してあり異彩を放っていました。途中戦車や人間魚雷、戦艦の砲弾などが展示してあり、中国人であろうか通訳の声に盛んに耳を傾けていた光景が印象に残りました。これまで広島の原爆資料館や南京の記念館を見たことがありますが、ここでは戦争の悲惨さや惨めさ苦しみなどは伝わってきませんでした。戦火に散った御霊に深く頭をたれお参りしました。
2006年11月18日(土)
刺激になりました

 18日(土)愛知県青年会館にて一発逆転、ヒラリーマン講座に参加しました。ヒラリーマン講座とは、愛知県青年会館が次期統一地方選に立候補を予定している青年団の現役、OBらに呼びかけ、青年教育に理解と関心のある政治家を育て、青年運動の再生の一助にしようという目的で開催されました。ヒラリーマンがある日代議士になったという出来事があったことから、このタイトルがついたようです。当日は刈谷、一色、豊橋、安城の4名が集まり、互いの目指すものや政策課題などを話し合い、やる気や闘志がわいてくる有意義なものでした。引き続き情報交換、政策勉強などすることを確認しました。

2006年11月15日(水)
行ってきました

15日(水)〜16日(木)。我孫子市と習志野市へ会派研修に出かけました。テーマは3つあって、コミュニティビジネス、補助金の公募、市民参加の公募債です。地方債の借り入れに当たり公的資金、政府資金、市中銀行での起債以外に市民からの債券を公募する方式は近年新たな自治体の資金調達方として盛んに取り入れられるようになりました。10万円単位100万円限度が主流のようですが、市民から資金調達することで市の事業に関心が高まり、協働の意識も高揚できます。どのテーマも充実の研修でした。(報告書近日公開)

2006年11月12日(日)
ご利用は計画的に・・
 南口運動広場が10月23日で利用できなくなりました。南口再開発事業が本格的に進みいよいよ着工となるからです。これまで南口運動広場を利用している人たちから代替グランドの整備を強く求められていました。すでに6月議会に体育館西側の河川敷約3haを開発し、野球1面、ソフト1面を整備することが決まりっていて来年4月には利用できる見通しです。この河川敷は2級河川逢妻川を管理する愛知県のもので刈谷市に貸与されるものです。北側はJR線路までの広大な土地とか。CMじゃあないが、借りすぎに注意しましょう、ってことかな。
2006年11月12日(日)
非情召集訓練
 消防団の非常召集訓練が亀城公園の河川敷グランドで実施されました。市内21分団と自衛特設消防隊、婦人消火クラブの皆さん200名ほどが参加しました。訓練では各分団の放水と21分団の一斉放水が行われました。放水が北風にあおられ団員に降りかかる場面もあって、見ている人からねぎらいの拍手が沸き起こりました。昨年は火事が39件3名の方がなくなり、今年はすでに29件発生しているとのこと。一瞬にしてすべてをなくしてしまう火事の恐ろしさを一件でも少なくなればの願いを強くしました。消防団の皆さん、お疲れ様でした。
2006年11月8日(水)
視察に行きました

 11月8日〜10日まで議会運営委員会の行政視察に行ってきました。テーマは本会議における一般質問の一問一答方式と、議会改革全般でした。まっ、行けばそれなりの成果はあるのは理解していますが、私は議会運営委員会の視察の廃止を主張しています。今回のテーマにある一問一答や議会改革も、よその市がやろうがやるまいが私たちの議会は私たちが決めることです。そこには一問一答方式などをやる決意と覚悟があるかどうかが問題だと思います。うまくいかなくてもそれを乗り越える努力する心構えがあるどうかが問題なのです。(視察報告書公開中

2006年11月5日(日)
見ごたえあり
 『映画が好きなんですね』とよく声をかけられます。50歳になったのを契機にシネマイレージに加入しカードを作りました。夫婦2000円で映画が見られるのが魅力。しかも6回行くと1回タダ。ここのところいい映画が続いているので良く行きます。『父親たちの星条旗』を見に行きました。硫黄島が米軍に占領されたとき星条旗を掲げる兵士の写真に見覚えがある人も多いことでしょう。この写真に写った兵士が国の戦争遂行のための国債を売るキャンペーンに利用される物語。12月には日本から見た硫黄島が封切られます。
2006年11月4日(土)
オリンピック精神
 高須町文化展が市民館で開催されました。今年は例年になく出展が多く秀作ぞろいだったように思います。今日は亭茶会も開かれていて午前中は大変な賑わいでした。筆子は昨年同様千なりひょうたんを出品しました。(下に敷いてある布は草木染でたまねぎです。もちろん自作。)今年も3本苗を植えたのですが7個ほどしか生りませんでした。まっ、出品することに意義があるとのオリンピック精神ですが、子供の工作のようでチョッと恥ずかしいのです。写真は自画像を書いたひょうたん。書や写真、陶器、絵、手芸など普段お目にかかる人の意外な一面に触れることができて楽しいひと時でした。
2006年11月4日(土)
変わったね

 最近工事中の看板が変わったことに気づきました。以前は道路工事の看板には市道○○線新設改良工事などと役所用語でしたが、最近ではほとんどの工事現場には、側溝の取り付け工事しています、舗装工事をしていますなど具体的な工事名が記載されています。解りやすくていいことだと思います。以前一般質問で看板に工事費の記載を要望しました。工事費を掲載することで市民の関心が高まることを期待してのことだが、残念ながら実現していません。改めて実現したいものだと思う今日この頃です。

2006年10月22日(日)
わっしょい

 お宮さんでの笛、太鼓の音、パンパンとはじける鉄砲の火薬のにおい、風船が発する笛の音、どこか懐かしい思いのあるお祭りが22日、高須町でも行われました。昼から子供神輿とともに町内を練り歩く集団に中にいました。子供の頃熊村に住んでいて、お祭りの夜は青年団の人たちが芝居をしていた記憶があります。『赤木の山も今宵限り・・』といったヤクザもんだったように覚えています。4時からモチ投げが行われ大勢の人たちが歓声を上げていました。デジカメや自転車が当たる豪華番でした。

2006年10月19日(木)
許せない

 朝日新聞社で開催されている『横田めぐみ』さんの家族の写真展に行きました。たまたま名古屋にいたので見ることにしました。生まれたばかりの彼女と家族の写真から、拉致される直前、拉致されてからの写真など数十点が公開されていました。ごく普通の平和な家族に襲った拉致という理不尽な行為に改めて強い憤りと早く平和な家族に戻してほしいとの願いをせずにいられませんでした。家族のほほえましい写真に胸がを締め付けられるような、迫ってくるものがありました。テレビの向こう側の遠い出来事ではなく、身近に起きた現実だと思い知らされました。

2006年10月18日(水)
そういえば・・

 炭田といえば青春の門の筑豊炭田、幸せの黄色手ハンカチは夕張のある石狩炭田だ。閉山前後の常磐炭田を舞台にした映画フラガールを見に行きました。日本のエネルギー政策が石炭から石油に変換される昭和40年頃、炭鉱以外の新たな雇用確保に温泉リゾートの建設とそこで演技されるフラダンスショーを成功させようとする女性たちの涙と汗の物語。家族や地域を必死に守っていこうとする少女たちのけなげな姿に感動しました。プロジェクトXを映画にしたような作品で楽しめます。

2006年10月16日(月)
生まれて初めて

 生まれて始めて文楽、人形浄瑠璃を見る機会に恵まれました。文楽は人形と義太夫と言う語りと三味線で構成されている古典芸能です。ほら、黒子が2,3人で人形を抱えて、三味線や語りに合わせた劇のようなもの、教育テレビなんかで見たことあるでしょ。場違いだし、眠たくなっちゃうよな、と思いながらいきました。でも、最初に文楽の成り立ち、眉毛や目が動く人形の仕組み、三味線や義太夫と言う語りなどの詳しく説明され、また物語のあらすじの説明があったので退屈することなく楽しむことができました。演目は『菅原伝授手習鑑』と『釣女』で、悲劇と喜劇の2本立てでした。タイトルだけではなんのこっちゃと解らないけれど、この世界ではポビュラーな作品のようです。教育テレビや国立劇場しか見ることができないような文楽、地方公演の機会があれば、1回は見ておくのもいいかなと思います。

2006年10月16日(月)
なかなかいいね

 足助の古い町並みを探索しました。足助川に沿った旧宿場町で、ところどころにある旅籠や民家の土蔵など歴史と郷愁を誘ういい雰囲気でした。ところどころにある商店や民家にその家主が所有する逸品が飾ってありました。足助まちじゅう博物館という行事があったようです。中に、昭和30年代であろうか子供の表情がなんともいえない人形を発見しました。懐かしさとできのよさにシャッターを切ってしまいました。個人収集のいわば文化品を展示することと町並みとマッチしていて時間が過ぎるのを忘れていました。

2006年10月8日(日)
爆音

 爆音が遠くから聞こえてきたかと思うと、上空に自衛隊の輸送機が 2機編隊飛行していました。小牧基地に向かうC130と呼ばれる輸送機のようだ。イラク復興支援に参加したことのあるプロペラ機だ。写真は小さいけど肉眼だとかなり大きく見えました。60数年前、空襲や艦載機による銃撃もこんな感じで聞いたり見ていたのかもしれません。平和でよかったと思います。しかし、この2日後、北朝鮮による核実験が行われた。核拡散や軍事拡大の恐怖がまた懸念されます。『将軍様、いい加減にしてよっ』と言いたいです。

2006年10月7日(土)
盛り上がりました

 10月7日(土) 高須地区運動会が盛大に開催されました。当日は台風並みの低気圧の影響で強い風が吹く中で開催されましたが、晴天に恵まれ多くの人たちが運動会を楽しみました。昨年に引き続き今年も中学生ボランティアが運動会のお手伝いにと17名参加し、大会を盛り上げてくれました。圧巻は組別対抗リレーで消防団員がアンカーで、消防服を着て走り大きな拍手を浴びていました。やっぱ、盆踊りや運動会も若い人がいるとホッとするし、何よりうれしい。準備された公民館、地区の皆さんお疲れ様でした。

2006年9月26日(火)
懲りずに行きました

 9月24日、第7回目を迎えた青春グラフティコンサートを見に、栄久屋大通り公園へ行きました。昨年は万博会場での開催でしたので、見ることができませんでした。前日の疲れもあってどうしようかと迷ったのですが、来てしまいました。今年は例年の杉田二郎やばんばひろふみ、ガロの大野真澄らに加え若いアーティストの出演もあって、けっこう楽しめました。夏川りみさんや前日つま恋コンサートに出演した伊勢正三さんも駆けつけました。『戦争を知らない子供たち』『あの素晴らしい愛をもう一度』の大合唱はチョッとだけ、うルルと来てしまいました。2日間遊びほうけました。明日からまた頑張ります。

2006年9月26日(火)
興奮しました
 9月23日、吉田拓郎とかぐや姫のコンサートを見に静岡県のつま恋へ行きました。全国から35000人集い、興奮の連続の8時間でした。31年ぶりの復活コンサートで、当事は『朝までやるよーっ』という勢いだったが、今回は『朝までやるよーっ』の掛け声に『無理すんなーっ』と、叫んでしまいました。還暦でもあり、病を患ったとは思えない歌声は、『中年!頑張ろうぜ』と、言っている様でした。コンサートは翌日の朝刊のトップにも写真が掲載され、大変なイベントの一員であったことをうれしく思いました。ホント、疲れたけれど、おかげでその興奮の余韻を翌日まで味わうことができました。
2006年8月31日(木)
すごいと思う

 昭和53年頃、数人の若者が小垣江青年団が企画する盆踊りを見学に来ました。その数人の若者は翌年活動が途絶え消滅していた野田青年団を復活しました。しばらくして彼らは地区の古老とともに『雨乞いかさ踊り』を復活させました。以来愛知県青年大会、全国青年大会を始め、数々のイベントに出場し、伝統芸能の復活と継承を見事に成し遂げました。以来20有余年、彼らは当時のまま燦然と輝きを放ち、誇らしげに演じている姿に感動しました。一時とはいえ、彼らと共に活動したことは私の誇りでもあります。

2006年8月25日(金)
楽しかったです

 わんさか祭りの最終日20日、初めて盆踊りに参加しました。しかも舞台に上がってしまいました。全く予想していませんでしたので、浴衣を着ているわけでもなく、短パンTシャツという、どっから見てもおっさんスタイルでしたが、結構楽しめました。地区の婦人会の人たちや公民館役員と一緒で気持ちは結構盛り上がっていました。青年団の若い衆も太鼓や踊りに頑張っていたし、若いころの懐かしい光景を見ているようで余計にうれしかったです。花火の日はいつも築地町在住の友人宅でいっぱい呼ばれ、みんなで花火を見ることを恒例としていたので、盆踊りには参加していませんでした。来年はできればゆかた着て踊ろうと思います。

2006年8月19日(土)
ポンプ場完成

 8月16日、猿渡川左岸に神明排水機場が完成し、その内覧会が開催されました。内覧会には地元役員をはじめ近所の住民が招かれ、市役所職員の説明に耳を傾けていました。この事業はこれまで左岸側の雨水は地下サイホンを通って右岸側に流れていましたが、猿渡川湖拡幅や浚渫に支障が出るためポンプが設置されることになりました。ポンプは全自動で制御装置は2階に設置されていて、停電時でも12時間鉢殿する発電機が設置されています。かつて高須排水機場でポンプが水に浸かり大きな被害を被った経験によるものです。

2006年8月13日(日)
この年になると・・

 お盆でもあり、逝った家族のお迎えやおまいり、その準備など結構あわただしく過ぎていきます。遠く近くせみの鳴き声を聞きながら、静かに手を合わせ、亡くなっているにもかかわらず『そちらでは元気にしているか?』と心でつぶやいてしまいます。お盆あたりから、昼間の暑さには閉口ですが夕方から風も出てきて過ごしやすくなります。やがてアブラゼミ、クマゼミからニイニイゼミ、ツクツクホウシと続いていきます。『靖国参拝は心の問題』とのたまう御仁がいます。『戦争迷惑かけてゴメンネ』と、言っておきながらその戦争を起こした人たちに手を合わせれば『ゴメンネ』がウソに聞こえるのは当たり前の話です。あれだけ国民を熱狂させた首相の『最後っ屁』8月15日靖国神社参拝で終わりを告げます。戦争被害を受けた人たちや改革と称した痛みを受けている人々の心の痛みが最後までわからない人だったようです。今日8月13日は53回目の誕生日。まっ、どーでもいい話ですけど・・。終戦記念日を間近に控え。

2006年8月13日(日)
がんばりました

 8月5日、刈谷市体育館で、子ども会ドッチボール大会が開催されました。外は猛烈な暑さでしたが、観客席のクーラー吹き出し口は鳥肌が立つほど涼しいものでした。残念ながらわが町内の2チームはいずれも予選リーグで敗退でした。でも中には野球をやっている子だろうか、いい球を投げる子がいて随所でプレーが光っていました。ルールがよく飲み込めないが試合中断が多すぎる気がする。友達とのチームプレーは夏休みのいい思い出になったに違いない。大会を支える大人も出場した子供たちも、頑張りました。

2006年7月22日(土)
再開2
 7月19日〜21日。同僚、岡本守二議員と視察に行きました。視察先は、志木市長を1期でやめ地方自立研究所を開設した保坂邦夫さんの事務所訪問、ふじみ野市の公設民営のドッグラン、全国に先駆けて子供権利条例制定の川崎市、横浜市民防災センターの4つのテーマで出かけました。どのテーマも刈谷市政に欠かせないものばかりです。川崎市の子供権利条例は相次ぐ子供にまつわる事件事故を見るとき、子供の権利が守られていないという切り口は説得力のある条例であり説明に感銘しました。(報告書近日公開)
2006年7月22日(土)
再開
 6月10日(土)高須市民館において、毎年恒例の星野雅春後援会総会と市政報告会を開催しました。忙しい中、町内外から75人ほどの方に参加いただきました。星野雅春後援会は会長だけはいるのだけれど、副会長などの役職はありませんでした。アバウトというか緩やかな連帯というか、良くやってこられたなという組織でした。今年の総会では男性6名、女性2名の副会長と新たに青年部を設置することが決まりました。気持ちはすでに来年の市議選に向け動き出したという雰囲気でした。