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ほぼ週刊院長日誌
”MIYAZ@KI STYLE”

2005年10月29日 「PROBLEM IS A PROBLEM IS A PROBLEM IS A PROBLEM ・・・」

 名づけて「秋のプレゼン地獄」。この秋は9月から11月の間に、聴衆を前に講演する機会が合計6回もあって、全部別々のテーマについてお話しなければならないので、ひとつ終わると次の準備という、まさに自転車操業の日々がつづいております。ちなみに、これまでこなしてきた演題を列挙すると、「頭痛のプライマリケア」(9月13日・幡豆郡消防組合救急医療研修会)、「あなたを狙う生活習慣病とその対策(内容はメタボリック・シンドロームの紹介と対策)」(10月3日・幡豆郡保健推進員養成講座)、「糖尿病:はじめの一歩が大切」(10月7日・吉良町保健センター「糖尿病教室」)、「開業医療とプロブレムリスト:ナラティブ・ベイスト・プライマリケア実践のために」(10月22日・内科専門医会東海支部教育セミナー)の4本。残すところ11月中に予定されている2つ(←こちらの中味については、11月のこの日誌に書く予定)だけとなりましたが、医学部の教員をしていたころでも、これだけ短期間に別の内容の講義を連続で行った経験はありません。「開業医になったのに、なんでこんな生活をしなけりゃならないの」なんて悲鳴をあげてますが、あとさきのことを考えずに、飛びこんでくるオファーをみんな受けてしまった自分が悪いのです。

 10月22日の午後は内科専門医会東海支部が企画した「内科専門医による教育セミナー」という会合に呼ばれて、愛知県産業貿易館というところで30分ほどのプレゼンテーションをしてまいりました。「今こそプロブレムリストを見直そう」というテーマのセミナーでしたから、わたしの演題も「開業医療とプロブレムリスト」というものでした。わたし以外にも、東海地方の各地でプロブレムリストを用いた診療や教育に携わっている先生がた3名の講演があり、最後は発表者全員と聴衆による総合討論まであるという盛りだくさんの内容です。わたしの発表は、開業医療において、患者さんの「病いの物語り(ナラティブ)」を重視した医療をすすめていくうえで、プロブレムリストをどのどのように活用するかといった趣旨であり、宮崎医院での実践を中心にお話しました。

 「プロブレムリスト」というのは、患者さんの「問題 problem」を抽出・整理して、リストのかたちに並べたものですが、作りかたには作法があります。プロブレムリストはアメリカのWeedというひとが1960年代に開発した、「問題志向システム(problem-oriented system; POS)」のなかに初めて登場しました。POSとは「患者さんの持っている医療上の問題(problem)に焦点を合わせ、その問題を持つ患者さんのための最高のケアをめざして努力する一連の作業システム」のことです。そのPOSの考えかたに基づいて書かれた診療記録を「問題志向型診療記録(problem-oriented medical record; POMR)」と呼びますが、プロブレムリストはPOMRの重要な一部をしめています。アメリカで産まれたPOS/POMRは、1973年に日野原重明先生により日本に紹介されました。わが国におけるPOSの総本山ともいえる聖路加国際病院で医師としてのスタートを切り、日野原先生のPOS回診で鍛えられたわたしにとって、POSやプロブレムリストは赤ん坊が最初におぼえた言葉のようなものです。

 ところが、今回のセミナーに出席してみて驚いたことは、Weed/日野原によるPOSを基盤としているものの、それを批判的にとらえて独自の形式を構築した「総合プロブレム方式」というシステムが存在するということでした。「総合プロブレム方式」の提唱者である栗本秀彦先生(岐阜大学医学教育開発センター)によるレクチャーを拝聴してわかったことは、Weed/日野原によるPOSとはかなり異なるスタイルであるということです。インドで発生した仏教が中国を経由して日本に輸入された後に、様々な宗派に分かれていったのと同じような現象が、ここでも発生しているわけですね。もっとも、「総合プロブレム方式」は、東海地方の一部の病院(名古屋大学および岐阜大学の関連病院?)でのみ布教されているローカルな宗派でありますが。

 「Weed/日野原によるPOS」と「総合プロブレム方式」の根本的なちがいは「問題problem」に関する態度です。POSにおける「問題problem」とは、「患者の健康や生活を妨げる事柄のすべて」と定義されております。したがって、病名や診断名も「問題」に含まれますが、まだ診断が確定していない症状や検査異常のみならず、「高齢独居」といった社会的な問題や、「癌に対する不安感」などの心理的な問題もリストに上がってくるわけです。これに対して、「総合プロブレム方式」における「プロブレム」(提唱者の栗本先生は、POSの"problem"と峻別するために、カタカナで「プロブレム」と表記するように求められているんです!)は、「患者の病気とその呼び名」であると定義されており、心理的・社会的な問題は軽視するわけではないが、プロブレムリストには掲げずに、「別の箱に入れておく」という態度をとるシステムのようです。総合討論の司会をつとめられた丸山文夫先生(藤田保健衛生大学助教授)のまとめを引用すれば、<総合プロブレム方式の根本の設問では「患者の病気は何か?」であるのに対して、Weed流では、「ケアの対象は何か?」であり、医学的診断名に限らず、患者自身の問題をいかに捉えるか/取り上げるかを目標にしていることです。>ということになるでしょう。(「総合プロブレム方式」の詳細につきましては、「内科研鑽会」のHPをご参照ください。)

 今回のセミナーでは、医師と患者の双方にとって「problem-問題-プロブレム」とは何かという、日常診療では真剣に議論されることの少ないテーマについて、「Weed/日野原によるPOS」派(←もちろん、わたしはこちらの陣営)と「総合プロブレム方式」派(名古屋では主流みたい)にわかれて、熱い議論が展開されましたが、宗派のちがいによる溝は深く、話は平行線をたどり時間切れお開きと相成りました。「問題」が問題となる("Problem is a problem")という、おもしろい会合でした。どちらの宗派も、患者さんをきちんと診察して、論理的な思考過程や問題解決のプロセスを、診療記録を記載するなかで展開していこうというところは同じなので、無意味な覇権争いをしているわけではなく、自分たちの診療やケアの姿勢をめぐっての大変まじめな論争であることを書き添えておきたいと思います。わたしはセミナー終了後、その足で新幹線に乗って東京へ。翌13日に新高輪プリンスホテルで開かれた「聖路加・ハーバードメディカルインターナショナル プライマリケアセミナー」に出席し、本邦POSの教祖さまである日野原先生のお元気な姿をしっかりと拝んでまいりました。周囲の人々から「軽躁状態ではないのか」と囁かれながらも、院長のハードな秋はまだまだつづきます・・・



”PROBLEM IS A PROBLEM IS A PROBLEM・・・”
を円還にした図

いま読んでいる「物語としての家族」という本の
訳者あとがきのなかで
この図を偶然発見

今回のセミナーでの議論は
こんな感じ?


2005年10月19日 「日本シリーズの見どころ」

 あれっ?今回のタイトルは変だぞ。あらゆるスポーツ観戦に全く興味がないと広言しており、スポーツ新聞は芸能ゴシップしか読まない院長が、なぜプロ野球ネタを日誌に書くのだ。子どものころからずっと、「野球のうまいヤツ」を憎んでいたはずなのに・・・

 もちろん、それにはちゃんと理由があるの。プレーオフの結果、パリーグの優勝はロッテとなり、阪神を相手に日本シリーズを闘うことになったのはご存じの通りですが、わたしの関心は野球のゲームではなく球場に向いているのです。そう、ロッテの本拠地「千葉マリンスタジアム」。

 上の写真をごらんください。この写真はマリンスタジアムのベンチです。「はしか撲滅」、「ワクチン打って麻疹(はしか)を完封!」という文字が読めますでしょうか。この意見広告は、麻疹(はしか)ワクチンの接種を推進する運動を行っている全国の小児科医有志が、自分たちのポケットマネーを集めて出されたものです。すごいですね。この情報をTFC-MLに流してくださった、千葉市の太田文夫先生(おおた小児科・循環器科)の投稿によると、マリンスタジアムなら200万円弱の費用で、このような広告を出すことができるんだって。マリンスタジアムの広告料金は安いらしい。日本シリーズをテレビで観戦するみなさま、ベンチに書かれた「はしか撲滅」、「ワクチン打って麻疹を完封!」のメッセージにも注目ですぞ。


2005年10月13日 「癒されたいオトコ、癒したいオンナ」

 ついに決定しました。グランプリに選ばれたのは西田有希さん(36歳・未婚)です。おめでとう。パチパチパチ(拍手)。

 何の話かというと、7月27日の「日誌」でご紹介した「ED啓発サポートレディ」のオーディションの結果がレビトラ錠のHPにて公表されたのです。このオーディションは<バイエル薬品がED(勃起機能不全)治療の大切さを広く一般の方に認知していただくためにED治療のイメージアップをサポートする女性を募集。ED治療の院内のポスターやホームページ・イベントなどにご出演、取材協力をいただくほか、俳優の草刈正雄さんとテレビCM・新聞・雑誌等の広告での共演をして頂きます。>というものでしたね。応募資格は「親しみのあるイメージと、健康的でさわやかな容姿を持つ、30才〜50才の女性」というビミョーな設定。さて、どんな選考会になったのやら。

 選考会の様子はHP上にくわしくレポートされているんです。プロ・アマ問わず総勢274名の応募があったそうで、ご同慶の至りであります。8月中旬に書類審査をパスした19名のレディたちが、新高輪プリンスホテルに集合しました。<審査員から、今回のテーマである「セックスレス」、「ED」といった問題についてパートナーとしてどう思うかなど様々な質問が寄せられます。>と記されておりますから、当誌が予想したような選考会風景が展開されたようで、質問にあたるオジさんたち(バイエル薬品の重役にきまってる)のうれしそうな顔が目に浮かぶようですな。最終審査はレビトラのイメージキャラクター(笑)である草刈正雄さんも登場して、実際のCM撮影を行うようなセッティングで、レディたちに演技を披露してもらったんだって。

 厳しい審査の末にみごと「ED啓発レディ グランプリ」に輝いた西田さんのお顔やプロフィールは、バイエル薬品のHP上に公開されておりますので、じっくりとごらんください。傷つきやすいED患者さんのこころを考慮して、審査員たちは意識的に「癒し系」キャラを選んだみたい。ひと目見たときに、あるタイプのナースみたいな雰囲気のひとだと思いました。「職場ではしっかりもののナースとして、みんなに頼りにされています。わたし、ちょっと地味めだけど、内には熱いハートを秘めているのよ」って感じの顔(←どんな感じだ?)。癒し系キャラを見ると、どうしてもナース方面を連想してしまうのは、オトコの悲しい佐賀、じゃなかった性(サガ)でしょうか。EDを啓発する女性として、高飛車な「悪女系」キャラを選んだら逆効果ですしね。グランプリの西田さん以外に、5名の「ED啓発レディース」なるものも発表されています。レディースのみなさまのプロフィールを読むと、「わたしのパートナーがEDです」とか、「わたしたち夫婦にもセックスレスの時期がありました」などなど、30〜40代の熟女たちによる赤裸々な「自分語り」の迫力に圧倒されるのは、わたしだけ?

 「今後1年間、ホームページでもイベントでも彼女たちが女性=パートナーの視点からED治療の啓発をサポートしていく予定」だそうです。欧米諸国と比較して、潜在的な患者数は多いのに、医療機関で治療を受けているかたの数が非常に少ないと言われている日本。はたして、ED啓発サポートレディースの活躍により、オトコたちは医療機関の門をくぐるようになるのか?レビトラの売り上げは、バイアグラに迫るのか?今後も、このネタからは目が離せません。11月末には、別な製薬会社から男性型脱毛症治療薬(飲む「毛生え薬」のことね!)である「プロペシア」が発売される予定なんですが、今度は「薄毛脱毛啓発サポートレディ」なんていうのが現れたりして・・・



当院トイレ内の
「絵はがきギャラリー」を
久々にリニューアル

フィンランドのテキスタイルメーカーmarimekkoで
活躍中の日本人デザイナー
Katsuji Wakisakaさんの作品です

10月〜11月は
院長超多忙につき
「日誌」も小ネタでご勘弁を・・・


2005年10月3日 「増殖するオレ様たち」

 9月23日の朝日新聞1面トップに、「校内暴力、小学生増1890件」という見出しの記事が出ていました。この記事によると、全国の公立小学生が2004年度に学校内で起こした暴力行為は1890件で、前年度比で18%増になっていることがわかったそうです。なかでも教師に対する暴力は、前年度よりも33%と大幅に増えていることが問題となっています。わたし自身も、診察や予防接種の時に接する児童や園児のなかに、「暴力」に近い粗野なふるまいをする子どもたちの数が、はっきりと多くなっているなと感じていたので、この統計の報告はうなずける結果でした。わたしたちが子どものころにも、「悪ガキ」や「不良」は学校で暴れていました。しかし、最近の子どもたちの暴力は、かつての「ツッパリ」(死語!)たちの手による「校内暴力」とは、いささか質がちがうのではないかと想像しておりましたところ、そのあたりの事情を明解に説明してある新書を発見しました。諏訪哲二氏の「オレ様化する子どもたち」(中公新書ラクレ)がその本です。諏訪氏は長年にわたり教員として現場で生徒指導にあたりながら、「プロ教師の会」というグループの代表として、教育問題に対して発言を続けている先生です。

 埼玉県で高校の教壇に立っていた諏訪氏から見ると、1980年代半ば以降から子どものありかたが大きく変わった。どう変わったのか? キーワードは「オレ様化」です。少し長くなりますが、本書の序章「新しい生徒たち」から引用してみます。<子どもが「オレ様化」しはじめたのである。子どもたちが「学ぼうとしなくなり」「自分を変えようとしなくなった」。修業をして一人前のおとなになろうとしなくなった。><彼ら「新しい生徒たち」はすでに完成した人格を有しているかのようにふるまい、四十代半ばの中年教師である私を慌てさせた。知的にも人格的にも学んで自分を変えようとしなかった。だからと言って、とにもかくにも社会を生きぬける「強い自己」になったのではない。かえって、自分ではえらい一人前の存在だと思っている対人関係や社会適応性の脆弱な「弱い自己」になったのである。「オレ様化」するということは、自己をほかの自己と比べて客観化することがむずかしくなり、自己(の感覚)に閉じこもりだしたということであろう。>

 オレ様化した子どもたちは、「客観的」と「主観的」の境界がなくなってしまっているので、「自分がこう思う」ことはみんなも思っているにちがいない(あるいは、思うべきである)と確信しています。だから、授業中に私語を注意しても、生徒からは「横向いてしゃべってたって授業はちゃんと聞いてるよ、これぐらいしゃべったって授業の邪魔にはならねえだろうよ」と居直られたり、「しゃべってねえよ」と私語をしたこと自体を否定されてしまうそうです。諏訪氏の分析によると、80年代以前のワルたちは、自分たちが「勝手なこと」を言ったりやったりしていることを自覚していました。これに対して、オレ様化した子どもたちは、「これぐらいしゃべったって授業の邪魔にはならねえだろう」と自分が思うことが、当然まわりのみんなにも受け入れられるべきことだと確信して主張しているので、昔のワルのように「勝手なこと」を言っているなんて意識は微塵もないところが重要です。単なる「わがまま」や「自己チュー」とはちがう次元だから、百戦錬磨のベテラン教師であっても途方に暮れてしまう。

 <おしゃべりをしてしまうのも授業を破壊しようと思ってしてるわけではない。ただ話したいから話しているのである。教師に、「授業に参加する気がないなら出て行け」などと言われれば烈火のごとく怒る。「参加する気」があるから、わざわざ家からやってきた(やってきてやった)のである。><彼らは彼らの考える当然としての授業参加のありようを全うしようとしているのである。したがって、私に向かって「しゃべってねえよ、オカマ。ふざけんじゃあねえよ」とやった生徒にとって、自分がそれまでしゃべっていた「事実」よりも、このオレ様の授業空間、つまり、このオレの内面(授業参加)に勝手に介入されたことのほうが問題だったのであろう。この頃から気易く授業中に私語の注意ができなくなった。私語の注意が彼らの内面を傷つけてトラブルになってしまうからである。> やれやれ、学校の先生という仕事はホントに大変ですね。しかし、この分析を読んで、わたしが医学部の教員をしていたころに、ある時期から若い医学生や研修医と接して感じるようになった、漠然とした「違和感」の正体をつかむことができました。彼らもオレ様化した子ども(医学生/研修医)たちだったんですね。

 「オレ様化」した子どもたちは、フロイト的に解釈すると乳幼児期の全能感が温存されており、自分のことを「特別な私」と思っているので、私語を注意しただけでも全人格が否定されたかのように受け取るわけです。おそらく小学校でも、児童の「個」の意識がものすごく「えらく」なっているのではないでしょうか。中学や高校の生徒ならば、「オレ様化」した内面を教師に傷つけられても、悪態をつくぐらいで暴力の自制は可能かもしれません。しかし、もし「先生と対等な一人前の人格」(!)を持っていると信じる、オレ様化した小学生たちが、先生との間でトラブルになれば短絡的に暴れてしまうのではないかと容易に想像できます。このあたりの事情が、全国の小学校で教師に対する暴力事件が増加している理由のひとつだと推察しております。

 1980年代半ば以降に出現したとされるオレ様化した子どもたちの先頭集団は、今や自分たちが親になったり、会社で第一線の重要な仕事をまかされる時期を迎えています。そうなると学校だけではなく、日本の社会のあちらこちらでオレ様化したひとに遭遇するチャンスが増えているわけですね。オレ様化した親子やカップルも全然珍しくないでしょう。みなさんのまわりにも、きっといるはずです。医療機関にオレ様化したひとが受診するとどうなるかというと、まず待合室で長時間待たされることに我慢ができません。先に来て待っているひとがたくさんいるのに、自分の診察の順番を早くしろと執拗に要求して、窓口のスタッフを困らせることになります。さらにややっこしいことに、診察室のドアの向こうには、「オレ様化」した若いドクターが座っていることだってあるのです。先日の日誌でご紹介した90歳の老婆を手術中に殴った30代の「医者ポカ」ドクターも、「このオレ様のオペ中に、ゴソゴソと動くとは許せん」なんて感じのひとだったのではないでしょうか。こうなると、もうメチャクチャですね。

 日本のあちこちでオレ様化したひとびとが増殖している理由として、諏訪氏は「消費社会」における「商品交換」の理論に基づいて考察されていますが、ご紹介すると長くなるので、興味のあるかたは「オレ様化した子どもたち」をお読みください。1980年半ばすぎにあらわれたオレ様化した子どもたちの親は、いわゆる「団塊の世代」です。つまり日本で最初に「オレ様化」した子どもたちというのは「団塊ジュニア」(これには「真性」とか「ニセ」とかがあるらしい)というわけです。成人した団塊ジュニアの現在の生活ぶりと今後の動向については、最近マスコミの注目を集めている「下流社会」という本のなかにくわしく書かれております。わたしは世代論的な区分では、団塊の世代と団塊ジュニアにはさまれ、バブル全盛期に社会人となった「新人類」世代に相当するので、「消費社会」をめぐる言説に関してもいろいろと書きたいことがあるのですが、それはまた別の機会に。

 

わたしの愛する「オレ様」

ご存じ落語立川流家元
立川談志師匠

その突出した「オレ様」ぶりを、
孤高の話芸に昇華させた人物

近ごろは
談志百席」のCDを聴きながら
愛車を運転している院長です


2005年9月21日 「われら、絶滅危惧種?」

 「絶滅危惧種」とは、乱獲、密漁、環境破壊、異常気象など、さまざまな理由によって絶滅のおそれが高い野性生物のことです。国際自然保護連合(IUCN)や環境省により、絶滅危惧種に指定されると、「レッド・データブック」という本のなかの「レッド・リスト」に載せられます。例えば、イリオモテヤマネコやカンムリワシなんかが、有名な絶滅危惧種ですね。トキは絶滅危惧種ではなく、すでに「野生絶滅」という分類になっています。さて、今回は、わたしたち「血液内科医」という生きものが、「絶滅危惧種」として、医学界の「レッド・リスト」に載せられるかもというお話であります。トホホ・・・

 9月18日、19日の連休を利用して、日本血液学会・日本臨床血液学会合同総会に参加するために横浜へ出かけました。みなとみらい地区にある国内最大のコンベンション・センター「パシフィコ横浜」は、血液学会以外にもいろいろなイベントが開催されていて大混雑。アニメ系の集会に行くとおぼしきコスプレおねえさんや、着物の見本市を見に来た迫力あるオバさまたちの群れのなかに混じると、血液学会ご一行さまは実にジミな集団ですね。学会はそれなりに勉強になりましたが、一番おもしろかったのは「日本の血液内科専門医のいま、そして明日を考える」と題されたパネルディスカッションでした。

 このパネルディスカッションは、「若い医師の血液内科志望が減少し、このままでは中堅の血液専門医が枯渇してしまう」という状況を打開する目的で、特別に企画されたものです。学会員や研修医/医学生を対象にしたアンケート結果と、様々な形態の医療機関に勤務する血液専門医の現状報告をもとに、「研修医に血液診療の面白さを正しく教育し、血液志望の若い医師を増やすにはどうすればよいか」の方策を模索するためのプログラムであると、学会の抄録集には書いてあります。わたしの出身医局でも、若手医師の確保は困難をきわめており、よその施設の状況にも興味があったので、ひやかし半分のつもりで聞きにいったら、これが涙と笑いに満ちたプレゼンテーションの連続であり、結局最後まで席を立つことはできませんでした。

 血液内科という診療科は、急性白血病や悪性リンパ腫などの重症な患者さんが大部分を占めるため、主治医は昼夜や休日を問わず呼び出されることになり、常に時間的な拘束を受けますし、精神的なストレスも大きいところです。そのあたりが、過重労働を嫌う昨今の若いドクターたちから敬遠される最大の理由でしょう。パネラーに選ばれた第一線で活躍中の血液専門医たちからの報告を聞くと、みんな劣悪な労働条件のなかで、最良の医療を提供するために、涙ぐましい努力をかさねているようです。消化器内科から血液内科に転向されたという某先生は、年収の推移を折れ線グラフで提示されましたが、血液内科医になったとたんに、収入は急激なカーブを描いて落ちてゆき、何年たっても消化器内科時代の年収に戻ることはありません。世俗的な意味で「儲からない」からとか、研究者むきではあっても開業医むきの科ではないという理由も、血液志望者が少ない原因なのです。

 血液内科を勉強した医者は、本当に開業医むきではないのでしょうか? パネラーのひとりとして登場された奥富慶子先生は、調布市で内科の診療所を開業されている血液専門医です。奥富先生の報告では、「血液内科医は丁寧に患者さんを診察する習慣がついている」、「血液疾患の患者さんは多彩な臓器の合併症をおこすので、幅広い臨床医学の知識を持っている」、「難病の患者さんやご家族との交流を多く経験しているので、人間的なコミュニケーション能力が高い」、「感染症の知識が豊富」などの理由をあげて、「血液内科医は、むしろ開業医に必要な資質をたくさん持っている」と結論されていました。わたしも血液専門医資格を持つ開業医ですが、奥富先生のご意見にまったく同感です。医師会の会合などで、初対面の先生から「ご専門は?」と質問されて「血液内科です」と答えると、相手はそれこそパンダやジュゴンみたいな珍獣に出会ったような表情を浮かべられるのですが、わたし自身は血液内科を勉強してから開業医になって、本当によかったと思ってます。このあたりの事情を、医学生や研修医のみなさんに上手に伝えて、「将来、開業できないから血液内科は選択しない」という誤解を解いてあげることも必要でしょう。

 この特別企画のゲストとして、民主党所属の衆議院議員である岡本みつのり氏のコメントも聞きました。岡本氏は名古屋大学医学部を卒業された34歳の血液専門医であり、民主党のインターネットによる公募をきっかけにして、国会議員に転身されたという大変ユニークな経歴のドクター/政治家です。名古屋大学の医局に在籍中は、研究会などでお顔を拝見したこともあったのですが、代議士に転身されてからの姿を見たのは今回がはじめて。選挙直後ということもあり、まっくろに日焼けして、政治家らしい迫力あるスピーチでした。人間は置かれた環境により、ずいぶんイメージが変わるものですね。何はともあれ、医学界の「絶滅危惧種」集団である血液学会にとっては、岡本氏は大変頼もしい存在であります。

 絶滅寸前のトキの写真や、飼い猫の写真(「猫の手も借りたい」ということ)などが、つぎつぎとスクリーン上に映し出されたパネルディスカッションの結論は、「忙しい、疲れた」というような愚痴や、自らを「マイナー」と卑下するようなネガティブな思考は捨て、「血液を制するものは内科を制する」というポジティブな姿勢で、自らの人間的な魅力と学問としての血液学のすばらしさを、若い医師たちにアピールしていこうということになりました。このまま、血液内科志望者が減りつづけたら、冗談ではなく「絶滅」が危惧される状況を反映してか、パネラーもフロアの聴衆も妙にハイテンションとなり、お堅い血液学会ではめったにない異様な盛り上がりのなかで、このプログラムは終わりました。そこで宣伝。この日誌を読んでいる医学生、研修医のみなさま、ぜひ血液内科の扉をたたいてみてください。ホントにやりがいのある診療科ですよ。(ついでに、わたしの本も買って白血病のことを勉強してね!)



横浜のおみやげとして
今回新たに発見したのが
シウマイまん」!

崎陽軒のシウマイを
ひとくちサイズの中華まんに
くるんだ新製品です

新幹線のなかで
ビールのつまみにしましたが
けっこうなお味でした


2005年9月7日 「医療現場のヴァイオレンス」

 8月31日付けの医療ニュースをみていたら、口があんぐり開いてふさがらないような記事に遭遇。<「動くな」患者の頭ポカリ。手術中、医師を停職3ヶ月> 滋賀県の病院で30代の男性医師が、手術中に「痛い」と言って暴れた90代女性(!)の患者に腹を立てて、頭を殴り5日間のケガをさせたという事件が発生し、この医師は停職3ヶ月の処分を受けたという内容です(共同通信配信)。ふつう、90歳のおばあさんを殴ったりするか? 記事によると、この医師は以前から態度が横暴だと患者からクレームが寄せられていたそうです。ひどい話ですね。これじゃ、「医者ムカ」ではなく「医者ポカ」だ。

 このニュースを知る直前に、偶然にも「医療職のための包括的暴力防止プログラム(DVDブック)」(包括的暴力防止プログラム認定委員会・編)という本を読んでいました。もちろん、この本は暴力医師から善良な患者さんを守るための方法が書かれているわけではありません(←あたりまえですね)。主に精神科の病棟や酔っぱらいを扱う救急外来などで、看護職を中心とする医療スタッフが、患者さんから暴力行為を受けそうになったとき、どのように対処すべきかという、わが国で初めての教育プログラムのテキストとして編集されたもので、「ブレイクアウェイ」、「チームテクニクス」と呼ばれる、相手の攻撃から身を護るためのテクニックについての実技を約1時間にわたって収録したDVDが付属しています。

 このテキストの冒頭に「医療と暴力」という総論が掲載されていますが、そのポイントは以下の2点です。@「医療の現場に暴力が存在するということを正しく認めること。」 A「暴力は治療やケアによって予防や対応が可能な行為であり、適正な暴力コントロール技術によって好ましい治療関係を導くことができると認識すること。」 医療における暴力の問題は、これまで「ないもの」として無視されてきました。暴力に関するエピソードは、個人的な話題として密かに語られることはあっても、医学や看護学の問題として真剣に検討されたことはありません。「暴力」を「感情」という言葉におきかえてみれば、「医者ムカ」のときに議論した、医療と感情労働の問題とまったく同じ図式になってますね。

 しかし、この流れは変化しており、医療現場で起こる暴力を科学的に研究しようという動きは世界的に高まっているそうです。<それは、「暴力のリスクを評価・予測する、回避する、対応する、ケアする」というプロセスの科学的な理解が、暴力をふるう者に対してのみ必要なのではなく、専門職(看護師や医師など)にとっても必要であるという認識に根ざしている。それはまず第一に専門職が暴力の被害者にならないために、そして第二に、暴力に過剰に反応することによって専門職側も暴力の主体となってしまう危険性があるから必要なのだ。つまり、「被害者」にも「加害者」にもなりうるという危険をいかに回避できるのか−このことを真正面から科学的に取り上げることが求められているのである。>うーん。すばらしい研究ですね。

 DVDにおさめられている実技編には、「ブレイクアウェイ」、「チームテクニクス」について動画で紹介されています。ブレイクアウェイは「護身術や合気道を基礎として、相手から攻撃されたり抑えられたりしたときに、患者さんにダメージを与えることなく逃げる」ための技術であり、ひとりで緊急時に危険から離脱するときに使います。これに対して、チームテクニクスは「チームを組んで手と関節を押さえることによって攻撃者の動きを制限し、かつ安全に移動できる技術」で、通常は3名1組のチームを組んで行います。どちらの技術も、最新の「ボディメカニクス」の理論が随所に応用されており、テコの原理を使って少ない労力で大きな力を出したり、相手の力を呼び込んで利用するなど、力の強くない小柄な女性看護師でも実施可能なものとなっているのには驚きました。このDVDには、「髪や耳をつかまれた場合」、「うしろから抱きつかれた場合」、「咬まれた場合」など、自分の身にふりかかった場面を想像したくないようなチャプターがならんでいますが、実際には武道の演舞に近い華麗な身のこなしが次々に展開されて、「ほう」と感嘆する場面の連続です。でも、高校時代に体育の授業でやった柔道では、硬直したボディから意味不明のぎこちない動作を次々と繰りだすために、「あいつとだけは組みたくない」と同級生に怖れられたわたしですから、DVDで学習しても華麗な身体介入技術の習得はむずしいかも。(なお、これらの身体介入技術ついては独習が禁じられており、必ず専門のインストラクターによる研修を受けてから使用する約束になっております!)

 このプログラムでは、なによりも「患者の尊厳」を保つこと、「プライドを傷つけないこと」が重視されています。<暴力事件を起こした結果、もっとも不利益を被るのは、ほかならぬ患者さんである。その不利益には、外傷を負ったり物を壊すというような物理的・身体的不利益と、暴力をふるった結果、周囲の者の信用を失うといった社会的不利益があるだろう。本プログラムはまず第一に、このような不利益から患者さんを守ることを目的としている。したがって、「単に身体介入技術さえあればよい」というものでは決してないことをまず強調しておきたい。> このあたりが、警察官が暴漢を制圧する場合とは、決定的に異なるところですね。暴れる患者さんを「さすまた」なんぞで押さえつけるわけにはいきませんから。わたしたちには「患者さんが攻撃的ではない手法で現実の問題に対処できるように援助する」という視点や態度が最も必要なわけです。それにつけても、90歳の老婆に殴りかかるような暴力医者をみた場合には、みんなで情け容赦なく制圧しちゃいましょうね。



「チームテクニクス」の基本姿勢を
実演してみました

「体を斜め45度程度にして相手に威圧感を与えない」

「手のひらを開いて自分に攻撃の意志が
ないことを相手にアピールする」

「開いた両手は
相手の攻撃にも対応できるように
腹部の付近に置いておく」

わたしがやると
「押し売りをことわっているときのポーズ」
に見えますね・・・




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