愛知県碧南市 低く垂れた三角屋根の本堂に歴史を見る 「東正寺」を訪ねて

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東正寺 (とうしょうじ)

「お不動さん」に由来する歴史 碧南市内で一番「美しい屋根」を堪能する

山門から覗く松

<深く信仰された「東浦のお不動さん」から始まる東正寺の歴史。文治元年(1186)創建とし、当時は海岸線近くに建てられた寺院であった。隣の霞浦神社とは元はひとつ> 霞浦神社の玉垣を横目に西へ向かえば見えてくる山門、柱には「真言宗・東正寺」の文字。 寿永年間(1182~1184)に棚尾から4軒が移り住んだ事から始まる東浦の歴史、その創成期に創建されたのが今日の「超日山・東正寺」である。 同じぐらいの年代に創建された碧南市内寺院のなかでも、創建時から同じ場所にあるのはこの寺だけ。近くにある霞浦神社と元は一つであり、 出土した不動尊を祀ったことが始まり。不動尊とは碧南の民話にも出てくる「東浦のお不動さん」の事である。 霞浦とあるように矢作川が開削されるまでは、東正寺前がすぐ海岸線だったという。 お寺の方によると今でも門前を掘ると貝殻が出てくると教えてくれた。

美しく傾斜する本堂屋根

<東正寺の見所は、「一本の松」と「本堂」。長い年月と先人の美意識が創り上げた世界は、グローバルの名のもとに自らの文化を駆逐してきた私達を覚醒させる。世界のどこにもない「日本国」の美しさを今、東正寺で味わう> なぜに碧南市行政は、東正寺を大々的に紹介しないのか?実に疑問である。 私は断言する。碧南市でもっとも美しい本堂は、延宝6年(1678)に再建されたという東正寺の本堂である。 三角形の屋根が半分以上を占め、低い軒先が覗くというシルエットは超絶する美しさ。 屋根瓦の隅棟、稚児棟の独特な重なりは東正寺でしか見られない。 さらに美を添える本堂前の一本松の傾き。ただそれだけである。 古来、日本国において育まれてきた「侘びの心」を感じ取る。それが東正寺を訪れるという事である。

二宮金次郎さんの陰歴史に関するミニ知識

東正寺(とうしょうじ) 文治2年(1186)に現在の東正寺の場所から東南の方角にあった竹林から、一体の不動尊が発見される。 東浦の村人達が御堂を建て、その不動尊を祀った。後に源為義に従えた旭三郎が範賢と名を改め、御堂を不動院と名付け天台宗の寺とした。 ある時、石川日向守家成の子孫が訪れ、不動院と坊に分け、不動尊を東浦の氏神、棒を東本願寺の末寺とした。 延宝6年(1678)第11世・円位の時代に現在の「超日山・東正寺」となる。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

山門裏側の彫刻

「ノウゼンカツラ」

7月のある一日、東正寺の山門をくぐり抜けると参道にヒラヒラとオレンジ色の花びらが舞う。 ツル科の植物「ノウゼンカツラ」である。カイヅカイブキに絡みつき、8メートル程の高さまでツルが達している。 ノウゼンカツラの生命力が強いためか、宿主のカイヅカイブキは枯れ果て、鉄骨に支えられる有様。 東正寺の方に話では、約250年の樹齢との事。最近では一般家庭の庭先でも姿が見られるようになったノウゼンカツラ。 しかし、この東正寺のノウゼンカツラほど高い場所にツルを伸ばし、長生きなものもないはず。 世間のノウゼンカツラより早く開花し、高い場所から順に咲き始める姿は実に俳句的な世界だ。

< text • photo by heboto >


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