愛知県碧南市 忘れ去られた過去に何かがある? 「6差路」が存在した史実

碧南市中央西部地区へようこそ!

六差路の跡 (ろくさろのあと)

6差路跡に小さな「お地蔵さん」がぽつり 名残となる道には魅力ある店が

六差路に立つスマートなお地蔵さん

<明治39年(1906)に行われた区画整理以前に存在した6差路。その名残か、あるお宅角のお地蔵さんには道を標した案内文字が刻まれる。交通の要所であったかも知れないこの場所、今は閑散として往時の姿を知る人もいない> 碧南市営駐車場料金所前の道、踏切を越え、野田公園に差し掛かる手前の交差点である。 明治39年(1906)に平和用水建設に従う区画整理以前は、方々の道が重なる6差路であった。 極楽寺・法城寺前・大浜上の熊野神社・水門橋・中山・ 現在は普通の交差点となっていて、角に高さ75センチのスマートなお地蔵さんが鎮座している。そのお地蔵さんには「右ニシバタ 東ワシヅカ 左ヘイサカ」と刻まれ道標の役目を負っていたようだ。 今は静かな場所だが、往時は6差路という観点から随分賑やかであったのかも知れない。それとも何か重要な建物があったのだろうか。

かつての道には、飲食店が並ぶ

<お地蔵さんの示した「右ニシバタ」はおそらくこの道。水門橋を通って千福経由、西端へ至るルートである。現在は水門橋まで辿り着く事は不可能。少しばかり残った名残の道には、興味を惹く飲食店が点在している> 前述のお地蔵さんの示した「右ニシバタ」は水門橋を経て西端へ行くルート。 昭和56年(1981)に開業した碧南中央駅に従う周辺整備の為、お地蔵さんの示した西端への道は、僅か80メートルで終わりを告げる。 だがその80メートルには、隠れ家的な飲食店が並んでいるのだ。 お好み焼きと焼きそばの『あさひや』は、世代を越えて碧南市民に愛される歴史ある店。 斜め向かいには、ふぐ割烹料理『富久庄』という店。その高級な佇まいは、いつか一人前の男として訪れてみたいと夢を抱かせる。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

家と家の間の細い道

「海への近道は昔の道?」

碧南市営駐車場で付近の散策を楽しむ父娘のお二方に話を伺う事が出来た。 お父様は碧南国民学校の卒業生で、古くから先祖がこの辺りに住み、ご自分は9代目との事。 娘さんも碧南高校の卒業生で新須磨駅があった頃の事をよく覚えているという。 「実はこの裏に道があって、その道が海へ行く近道だった」と娘さんが教えてくれた。 駐車場の中間地点に、車一台分の幅をした小道が西へ向かっている。一度右左折をするが確かに早く行けそうである。 後で気づいた事だが、この道は前述の6差路、大浜上の熊野神社へ向かう道の一部ではないかと思う。道筋と辿ると一致するのである。

< text • photo by heboto >


Copyright (c) 2002-2007 heboto All Rights Reserved
このページに関する御意見・ご感想は【サイト管理者へメール】までお願い致します。