愛知県碧南市 大浜陣屋の武士達が多く帰依 坐禅の組める寺院「林泉寺」

碧南市大浜北部へようこそ!

林泉寺 (りんせんじ)

禅の世界に触れる「林泉寺」 坐禅堂に漂う独特の雰囲気に背筋を正す

ありがたいお言葉の刻まれた板

<言葉で表せば「清々しい」とでもいうべきか…。気の行き届いた石畳を歩けば、そこは「曹洞宗・林泉寺」。禅宗特有の凛とした佇まいに背筋も伸びる。座禅道場として座禅が行える事でも有名> 整然と敷き詰められた石畳、入り口前には艶のある木板に素朴な文字で由緒書き。凛とした禅宗特有の雰囲気に改めて襟を正す。 ここは座禅の道場としても有名な「華慶山・林泉寺」である。禅宗の教えが武士の生き方に通ずるものがあるのか、大浜陣屋の武士達が多く林泉寺に帰依した。 隣には碧南市の民話に登場する日限地蔵との隔たりには、昭和21年(1946)に築かれた赤煉瓦壁が続き、豊富な緑との美しいコントラストを見せてくれる。 林泉寺の本堂向拝の柱には「許可・参禅道場」の立て札が掲げられている。 本尊さんの裏を抜けて、地下へと降りる階段を行けば、坐蒲の並ぶ坐禅堂が現れる。 林泉寺では時折、坐禅教室が開かれており、普段触れる事のない禅の世界を体験する事が出来る。

おばあさんの石像

<白寿観音さんの両脇に正座をして拝む婆さんたち!ニヤリと口角を上げる表情にこちらもニヤリ…。毎度変わるファッショナブルな姿。なんともユーモラスな姿に林泉寺の意外な一面を見る> 林泉寺の山門を越えると見えてくる「白寿観音」さんの姿。 観音さんの脇侍ともいえる2体の石仏。ほっかむりをして正座、両手を合わせ拝む姿である。 「いったいどの仏さんだろう?」と注意深く拝見する。垂れた目をして、口角をニヤリとさせる表情。 こんな仏さん、存在しただろうか?仏閣巡りを趣味とするマニアにも謎は解けないだろう。 実はお婆さん達である。訪れる度に被り物が変わるお洒落さん達。 座禅道場として名を馳せ、境内には張りつめた空気が漂う林泉寺。 なのに、こんなユーモラスなお婆さん達がいるのは実に面白い。

二宮金次郎さんの陰歴史に関するミニ知識

林泉寺(りんせんじ) もとは天台宗の寺であり、長禄元年(1457)に現在の曹洞宗へと改宗する。その時に儀雲和尚が開基となり、知多郡日長の瑞光寺から伝海和尚を招き、山号を華慶山とした。 浜尾・住吉社は、かつて林泉寺の鎮守であり、元文4年(1739)に勧請させ現在地へと移る。文人画家・富岡鉄斎が明治22年と28年に大浜を訪れた際、 林泉寺の書院を利用した。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

山門横にある壁

「林泉寺に眠る」

林泉寺には、明治4年(1871)3月9日に起こった鷲塚騒動(大浜騒動)の犠牲者、「藤岡薫」の墓がある。 本堂南にある墓地の一角、藤岡家代々の墓の隣に「藤岡薫之墓」とあり、横には”鷲塚・戦死”の文字が刻まれる。 享年20歳。他に鷲塚騒動に関するもので、菊間藩大浜出張所の少参事・服部純が建てた碑がある。 また山門前の無縁仏が並ぶ場所には、本間さんと親しまれ、平七で代々医者であった本間家の「本間杏斉」の墓がある。 本間杏斉は本名を周造といい、篠崎小竹先生に師事し、多くの優れた詩文を残した人物。明治5年(1872)9月6日に亡くなっている。 林泉寺は大浜陣屋の武士達が多く帰依した寺院、無縁仏や墓地を探せば、歴史に名のある人々が見つかるかも知れない。

< text • photo by heboto >


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