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ほぼ週刊院長日誌
”MIYAZ@KI STYLE”

2006年03月31日 「腕がいい、なんていうのは最低条件」

 「でんぐりがえしプロジェクト」にようこそ! このプロジェクトは、病気を体験した人々が「教師」になり、医療や福祉の専門家を「生徒」として教育する研修システムです。「プロのモノの見方を広げ、意識を変える」ことを目的にして、デンマークで考えられたものだそうです。「教育とは専門家が施すもの」という常識を、まっさかさまにひっくり返すという意味から、「でんぐりがえしプロジェクト」という名前がつけられました。

 「でんぐりがえし」の話は、「患者の声を医療に生かす」(大熊由紀子・開原成允・服部洋一・編著/医学書院・刊)という本のなかで知りました。この本は、2005年4月から7月まで、計13回にわたって国際医療福祉大学東京サテライトキャンパスでおこなわれた、連続講座「患者の声を医療に生かす」の内容を整理・編集したものです。この連続講座は、「患者会」の人たちが講師となり、医療スタッフやそのタマゴたちが聴講するという、「でんぐりがえし」スタイルで行われました。

 「でんぐりがえしプロジェクト」で重要なポイントは、編者の大熊由紀子さんによれば、「病気の体験がありさえすれば誰でも教師役をつとめられるわけではありません。プロを触発する素質や体験を持つ人を選び、知識と表現力に磨きをかける」というところにあります。おや、最近どこかで同じような考えかたに出会った記憶が・・・ そうだ、以前この日誌でご紹介しました、結城富美子さんと桜井隆先生による「コミュニケーション・ワンダーランド」は、まさに「でんぐりがえし」の構図でした。「プロを触発する素質や体験」をお持ちの結城さんという患者さんが、亀井道場に集う若い医学生たちを「教育」していましたね。

 「患者の声を医療に生かす」のページをめくってゆくと、「プロを触発する」言説の数々に遭遇し、何だかクラクラしてしまいます。そこで、印象に残ったフレーズを、いくつかご紹介しましょう。

 <医療者の待遇をよくするために、患者会も考えなきゃと思ってます。患者さんの喜ぶことっていうのが、お医者さんたちの不幸の上に成り立っているならおかしい。先生がゆとりを持っていろいろできるってことは、患者さんにもプラスになるわけですよ。お互いにWin-Winにしなくちゃいけない。> (山崎文昭さん・日本がん患者団体連合会)

 <私たちが講演会にお呼びする先生っていうのは、腕がいい、なんていうは最低条件です。ちゃんと話を聞いてくれて、こちらも話に納得できる、そんな先生じゃなきゃ呼びませんよ。だから会場のみなさん、もし患者団体に講演に呼ばれたら、それもリピーターで呼ばれたりなんかしたら、大いに自信をもってくださいね。>(星川佳さん・ポプラの会)

 <今日のテーマは「患者の声に関心をもってください」です。「患者の声に従いましょう」ではないんです。患者の話には、医療者が受け持つ必要のない問題や、その場での感情的なリクエストがあります。それを、聞いて、受けとめてあげるだけで十分ではないかと思います。ただ患者の声のなかには、実は医療者が楽になるヒントがいっぱいあるような気がします。> (内田スミスあゆみさん・脳腫瘍くも膜下出血体験者)

 編者のひとりである文化人類学者の服部洋一氏は、この連続講座の意義を掘りさげた、<本書の「声」の新しさ>という論文を書いています。そのなかで、「患者の声の三つの相」という概念が提示されております。

 ◆第一の声:「従う声」 患者<医療者 → 患者自身の思いをある程度抑えてでも、医療者の指示に極力従おうとする姿勢。
 ◆第二の声:「求める声」 患者>医療者 → 「医療の主人公は患者である」という正論を、医療者に対してまっすぐにぶつけようとするもの。
 ◆第三の声:「向きあう声」 患者=医療者 → 互いに満足できる答を得るための対話の実現を、患者が医療者に向けて呼びかける声

 これまでの医師=患者関係は、「第一の声」と「第二の声」という両極端の間を、大きく揺れていました。そのため、医療者のなかから、「第二の声」を勘違いして、「患者さんじゃなくて、患者様と呼べばいいんでしょ」といった対応が横行しています。<複数の講師が「患者様」という呼びかけに対する違和感を指摘している。そこで暗に批判されているのは、単に「さん」なのか「様」なのか、という字面の問題ではなく、対話のプロセスを経ないで一方的に物事を決めてきた医療者の姿勢なのである>という耳の痛い指摘を、わたしたちは真摯に受けとめるべきでしょう。

 そこで、従うのでも、ぶつかるのでもない、第三の「向きあう声」というモデルが登場するわけです。この図式では、「対話の実現を、患者が医療者に向かって呼びかける」ことになっておりまして、「未熟な医者と成熟した患者」という関係性が浮き彫りにされています。そのあたりが、<本書の「声」の新しさ>なのでしょう。しかし、このような患者さんの「声」の変化は、臨床に携わるものとして、最近はっきりと実感しております。

 この春から着手した、宮崎医院の「リニューアル・プロジェクト」を進めていくにあたって、患者さんから発せられた、「従う声」でも「求める声」でもない、「向きあう声」という第三のモデルが、大変重要なテーマとなるであろうと感じております。リニューアルするのは、「建物」だけではありませんからね。


2006年03月18日 「いざ、引越し!」

 ブログのほうで実況中継中のリニューアル・プロジェクトですが、仮診療所の改修工事も終了し、いまや引越しを待つばかりの状態となっております。工事がらみで、身辺がドタバタしており、ホームページの「日誌」のほうは、「ほぼ月刊」に近い状態になってしまって、ゴメンナサイ。

 仮診療所として使う建物は、昭和17年にわたしの祖父がつくった、「初代宮崎医院」です。現在の「2代目宮崎医院」が、昭和42年に完成した後からでも、「初代」の建物は、手術室や職員宿舎など、様々な用途に使われてきました。木造の古い建物ですが、必要に応じてメインテナンスが、まめにほどこされてきたために、今回の仮診療所への改修も数日の簡単な工事で完成しました。短い期間とはいえ、初代院長である祖父が苦労して建てた診療所で、わたしも医者として仕事できることを、本当にうれしく思っています。

 4月1日土曜日は、診療をお休みさせていただき、この仮診療所へ引越しします。そして、4月3日月曜日からは、仮診療所での診療と医薬分業が開始します。さらに、同日より現・診療所の取り壊し工事がはじまる予定です。みなさまには、何かとご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

 

上のふたつの写真は、
同じ場所を、同じアングルで撮影したもの

左は「初代・宮崎医院」時代のもの
右は仮診療所用に改修した現在の姿

長い時間を経て
また、この場所に戻ってきたわけですね


2006年02月23日 「どうなる?開業医の禁煙支援外来」

 わたしたち医療機関は、2年に1度のインターバルで、「診療報酬」が改定されます。この4月がその改定時期にあたるのですが、その内容を検討する機関である中医協(中央社会保険医療協議会)の答申のなかで、わたしが特に注目していたのは「ニコチン依存症管理料」です。ついに禁煙支援も健康保険の適応になるものと喜んでおりました。しかし、つい最近になって公表された、「ニコチン依存症」の算定基準をみると、様々な「しばり」がついてしまったようで、ホントに困惑しております。

 問題は「対象患者」、「施設基準」、「算定要件」。これは医療機関において、健康保険を使った禁煙指導をすることが許されるための条件です。

【対象患者】 
以下のすべての要件を満たすものであること
・ニコチン依存症に係るスクリーニングテスト(TDS)でニコチン依存症と診断されたものであること
・ブリンクマン指数が200以上のものであること
・直ちに禁煙することを希望し、「禁煙治療のための標準手順書」(日本循環器学会、日本肺癌学会、日本癌学会により作成)に則った禁煙治療プログラム(12週間にわたり計5回の禁煙治療を行うプログラム)について説明を受け、当該プログラムへの参加について文書により同意しているものであること

【施設基準】
・禁煙治療を行っている旨を医療機関内に掲示していること
・禁煙治療の経験を有する医師が1名以上勤務していること
・禁煙治療に係る専任の看護職員を1名以上配置していること
・呼気中一酸化炭素濃度測定機器を備えていること
・医療機関の構内が禁煙であること

【算定要件】 
・「禁煙治療のための標準手順書」(日本循環器学会、日本肺癌学会、日本癌学会により作成)に則った禁煙治療を行うこと
・本管理料を算定した患者については、禁煙の成功率を地方社会保険事務局長へ報告すること
・初回算定日より1年を超えた日からでなければ、再度算定することはできない

 このような厳しい「しばり」がついてしまった背景としては、今回の診療報酬改定案に対する「パブリック・コメント」を国民から募集したところ、禁煙支援のために健康保険の財源を使うことに対する反対意見(「喫煙は病気ではない」など)が、非常に多く寄せられたからであるとされています。

 開業医・家庭医が行う「禁煙支援」の意義に目ざめ、プリマリケア学会/家庭医療学会でのワークショップなどで高橋裕子先生をはじめとする諸先生がたからご指導を受けて、「禁煙支援外来」を実践してきたわたしにとっては、「せっかく保険適応が認められたのに、何だか窮屈になってしまったな、フツーの開業医では保険適応による禁煙支援はやりにくいな」というイヤな感じを受けました。

 特に、強い違和感を感じたのは・・・

・算定要件の筆頭に記されている、「禁煙治療のための標準手順書」なるものは、まだ出来上がっていない。現在、学会で検討中で、3月中に完成予定、その後に一般公開されるらしい。未だ存在しないマニュアルの使用を前提としているなんて、おかしいと思いませんか?(「手順書」なるものを求めて、必死でネット検索したものの、全くヒットしなかったのでいぶかしく思っていたところ、高橋先生から「いま作っているところ」という情報を教えていただいたのです!)
・なぜ、専任ナースが必要なのか? ナースまかせにしないで、医者が自分でやったほうが早いし、楽しいのに・・・
・なぜ、呼気中一酸化炭素濃度測定機器(スモーカライザー)を備えていなければいけないのか? 禁煙指導をするのに、必須な道具だとは思えません。
・「禁煙成功率」を報告とあるが、どの時点で「成功」と判定するのか? 成功率が低いと何か「おしおき」があるのかしら。
・対象患者を「ブリックマン指数200以上(1日20本のタバコを10年以上吸っている)」と限定しているために、喫煙歴10年以内の若い人たちの禁煙治療は、保険適応にはならない。(ブリックマン指数=(1日の喫煙本数)×(喫煙年数)→この指数が400以上になると肺がん罹患のリスクが高いと言われてます。)

 これでは、ニコチンパッチを武器にして、「禁煙支援」に燃えていた開業医の気持ちが「萎えてしまう」と思うのは、わたしだけでしょうか? 


2006年02月14日 「スパムメール天国」

 近ごろ、スパムメールの数が激増していませんか? スパムメール (spam mail) というのは、主に広告を目的として、勝手に送信されてくる迷惑メールのこと。わたしのところには、1日に30〜40通ものスパムメールが届くようになっています。ホームページ上でメールアドレスを公開しているかたならば、おそらくみなさん同じような状況ではないでしょうか。削除する労力だけでもバカになりません。何とかならんのかね。

 そのメールの中味といえば、昨今は「逆援助交際」、略して「逆援」に関するものばっかり。「援助交際」が男性から女性への金銭的な援助を伴うものならば、「逆援」はその反対。そう、女性から男性への金銭的援助を伴う交際なのであります。「当サイトに登録されている、高額所得の美女とデートしてください。お礼に1回○○万円を報酬として差し上げます」なんてヤツです。もちろん、このようなスパムメールに返信したり、配信停止をクリックするなんてことは金輪際いたしません。すべてはゴミ箱のなかへ放りこむだけ。しかし、もしこれらのメールに対してマジに返信するとどうなるのかしら?

 そんな疑問に答えてくれる本を見つけました。「ネット限定恋愛革命・スパムメール大賞」(辰巳出版・刊)、著者は歯科医の資格を持つミュージシャン・作詞家として知られるサエキけんぞう氏であります。自分のホームページを持つサエキ氏も、わたしと同様に大量のスパムメールに悩まされていたのですが、ある日「スパムはロック」である(!)ということに気がついて、その収集・研究をはじめちゃったのです。その成果が「スパムメール大賞」という本になったというわけ。

 「人のメール箱をジャックしてしまう大量の迷惑メール=スパムには、どうしようもない勢いがあります。そのハレンチなコミュニケーションの姿勢には、「常識なんかクソくらえ!」という、かつてロックが登場したときのような過剰なエネルギーすら感じられます。」
 「新しい世紀のジャンク感覚! このどうしようもなくいかがわしいメールのなかに、次の時代を担うロケンロール感覚が潜んでいるかもしれません。」
 まえがきに記されたハイ・テンションな文章を読むと、サエキ氏のスパム研究に対する情熱が伝わってきますね。この本の内容は、スパムの歴史からはじまり、サエキ氏のもとに届いたスパムの「鑑賞」、返信するとどうなるかという実験、迷惑メールによる被害をめぐる弁護士との対談など盛りだくさんで、最後にサエキ氏が選んだ最も素敵な「スパムメール大賞2005」が発表されるという趣向になってます。

 わたしは迷惑メールのことを、なぜランチョンミートの缶詰である「スパム」という名前で呼ぶのか、かねがね不思議に思っておりました。サエキ氏の本を読むと、その典拠は「モンティ・パイソン」のネタであることが判明。「スパムの多い大衆食堂」というスケッチのなかで、食堂のメニューをみて客が「スパム、スパム」と連呼するギャグがあり、そのしつこさが迷惑メールを連想させることから、スパムは迷惑メールの代名詞となってしまったという顛末です。缶詰の製造元であるホーメル・フーズ社は、迷惑メールの"spam"と区別するために、食べもののほうのスパムは大文字で"SPAM"と表記してほしいと言っているんだって。

 サエキ氏の実験によれば、スパムメールに返信したり、配信停止をクリックすると、結局はさらに多くの迷惑メールが届く原因になるだけでなく、架空請求業者のリストに登録される危険や、ウイルスの被害にあう可能性が高まるようです。スパムメールの配信元とやりとりをしても、怪しげな出会い系の掲示板に誘導されたり、携帯電話の番号をきかれたりするだけで、相手の意図はみえみえ。当然のことながら、スパムメールは無視するのが一番安全ということが証明されています。

 サエキ氏が選んだスパムメール大賞もスゴイのですが、ここでは、宮崎医院のサイトに送信されてきた栄えある「2005年度スパムメール院長大賞」を発表いたします。パチパチパチ(拍手)。

<某国立大医学部ニ年の秋山都子と申します。あなたにお願いがあってメールしました。私は今、「精嚢分泌液(精液)に含まれるセリンプロテアーゼ(主にPSA [Prostate-specific antigen])の空気接触に伴う状態変化について」という課題についてレポートを書かされているのですが、書物だけで調べてもなかなか進めることができないでいます・・・> 

 この文章のつづきは、みなさまのご想像におまかせいたします。このメールはホントに昨年12月、当院のアドレスにあてて配信されてきたものなのですが、「逆援」の仕掛けに「女子医学生秋山都子」やら、前立腺癌のマーカーであるPSAを持ちだしてくるとは・・・ ここまでシュールな世界が展開されてくるとなると、サエキけんぞう氏ならずとも、スパムの文体から今後も目が離せません。



近所のスーパーの棚を探してみたら
売っていましたSPAMの缶詰

SPAMといえば、
「ポーク卵」って知ってる?

沖縄の家庭料理なんだけど
SPAMの薄切りを焼いて
卵を添えたもののこと

沖縄旅行に出かけたら
街の食堂で
「ポーク卵定食」を!


2006年01月29日 「大切なことはすべてこの時季に学んだ」

 一冊の本が送られてきました。タイトルは「研修医とっておきの話:大切なことはすべてこの時季に学んだ」(三輪書店・刊)。送ってくださったのは、この本を編集された岡田 定先生です。わたしが聖路加国際病院でレジデント(病院住みこみの研修医)として修行したお話は、これまで何度も書きましたが、岡田先生はレジデントの大先輩であり、現在は聖路加の内科医長として診療や教育にご活躍されています。その岡田先生の号令により、聖路加の現役および元レジデント(卒後1〜8年目)38人が、研修中の想い出や、後輩にぜひ伝えたいメッセージなどを綴った、「とっておきの話」60編が収録されているエッセイ集が上梓されたので、それをわたしにプレゼントしてくださったというわけです。

 本書を一読してみて驚いたのは、20年前の聖路加でわたしが学んだ「大切なこと」と、現役の若いレジデントたちのそれとが、ほとんど違わないということでした。この20年の間に、病院の建物、指導医、研修体制など、すべての面で大きく変貌した聖路加ですが、そこで研修するレジデントたちの悩みや喜びは、20年前と本質的に同じであるということです。「点滴の失敗」、「末期がんの患者さんとのつらいお別れ」、「自分の医師としての未熟さを恥じたら、患者さんから逆に慰められた話」、「社会人としての礼節を、先輩レジデントに教えられた」、「緻密な診察と思考により、難しい医学的な問題が劇的に解決された経験」など、エッセイに書かれたテーマは、すべてわたしも20年前に経験したことばかり。これらのテーマは、駆けだしの医者なら誰もが通り抜けなければならない、「通過儀礼(イニシエーション)」のようなものなので、20年前と今とを比較してみても、その内容はさして変わりがないのかもしれません。

 それにしても、内科レジデントの伝統というのは、しっかりと受けつがれているようですね。「受け持ちの患者さんのデータは、すべて整理して頭のなかに入れておいて、空で言えるようにする」、「その日にオーダーした検査結果は、必ず自分の目で確認して、チャートに記載してからじゃないと、病棟から帰ってはダメ」、「ケースプレゼンテーション(症例呈示)は、スマートに」などなど、むかしむかし先輩のレジデントや指導医から、口を酸っぱくして叩きこまれたことが、電子チャートとなった最新の病棟でも、同じように教えられている様子が、エッセイのあちこちからうかがえます。

 さらに、「受け持ち患者さんを回診するときは、少しでも長くベッドサイドに座ってお話を聴く」という伝統も、立派に継承されているみたい。ある女性レジデントのエッセイには、明日から産婦人科にローテーション(配置転換)するので、担当からはずれるということを、70代の男性患者さんに告げたら、「本当は性別を変えてでも、先生といっしょに産婦人科に行きたい気分だよ」と言われたというエピソードが書かれていました。このような信頼関係は、レジデントが寝る間を惜しんで、病室を頻繁に訪問することなしに築きあげることはできません。日野原先生の言葉を引用すれば、「必要なのは、頻回の注射ではなく、医師や看護婦が頻回に自分の時間を注射すること、そう、時間を患者に注射することなのです。」(「延命の医学から生命を与えるケアへ」)ということです。端から見れば、ちょっと異様なほどの強い結びつきが、若いレジデントと担当患者さんとの間に生じるのも、聖路加(特に内科)の伝統であり、よその教育病院では、なかなかお目にかかれないものではないかと思っています。

 亀井道場の潜入ルポのなかでもご紹介したように、医学教育の世界では、「何々をしなさい」、「何々をしてはいけません」という約束事(ルール)を教える教育(rule-based professionalism)から、患者さんや指導医のナラティブ(物語り的)な態度に触発されて、職業人としての自己洞察を深めていくような教育(narrative-based professionalism)へと変わっていく気配があるようです。この「研修医とっておきの話」という本は、レジデントたちの成長の「物語り(ナラティブ)」に満ちており、まさに narrative-based professionalism による教育の見本となるものです。それがずっと昔から現在に至るまで実現できているのは、聖路加という教育病院が培ってきた良き伝統の力のためではないでしょうか。わたしも優秀な後輩たちに負けてはいられません。聖路加で学んだ「大切なこと」を忘れてしまわないように、錆びつかせないように、いつも緊張感を持って仕事をつづけていきたいと思っています。



初公開!
レジデントとして採用されたときに
病院の玄関で撮った記念写真です

24才の「初心」を忘れないため
中年のオッサンになった現在でも
いつも目につくところに
ディスプレイしています

「大切なことはすべてこの時季に学んだ」

最近の日誌は
何だか白衣の写真ばっかり・・・


2006年01月21日 「四半世紀ぶりにみた『ヒポクラテスたち』」

 21世紀の世の中に生きていてよかったと思うのは、自宅の6畳間に居ながらにして、銀幕(といっても、60インチですが)にプロジェクターで映写した、いにしえの名画の数々を、高画質・高音質のDVDで楽しめること。今日は「フレッド・アステアのタップダンス」、明日は「笠智衆と原節子」なんて具合に、古い映画を愛するわたしにとっては、まさに天国です。むかし熱中したフィルムをDVDで再見すると、思いがけない発見があったり、ずいぶんと印象が変わっていたりすることも。そのなかで、今回は25年ぶりにみた大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」についてのお話。

 まずは、DVDのパッケージに書かれている映画のあらすじからお読みください。
<京都にある洛北医科大学。荻野愛作はそこの最終学年である6回生で、おんぼろの学生寮・鴨川寮に住んでいる。医学部の最終学年は”ポリ・クリ”と呼ばれる臨床実習にあてられ、荻野たちもその実習を行うことになった。だが、慣れない実習に医者の卵である彼らは戸惑うことばかり。そんな荻野にある事件が起こる。恋人の順子が妊娠したというのだ。優柔不断な荻野は決断を迫られることになるのだが・・・ 自らも医大生であった大森一樹監督が医大の最終学年の1年間にスポットを当てて、モラトリアムに揺れる青春像をみずみずしく描いた青春グラフティ。>

 映画がはじまり、主人公荻野愛作を演じる古尾谷雅人の長身がスクリーンに映しだされたら、わたしの脳のどこかにしまってあった古い記憶が、一気に蘇ってきました。「ヒポクラテスたち」が公開された1980年、わたしは医学部に入学したばかりの18才。この映画は近い将来の自分の姿と重なるということもあって、当時のわたしを魅了し、封切り時はもちろんのこと、その後も再上映している映画館まで追っかけていって何度もみました。大森一樹監督が京都府立医大を卒業したのは、この映画が公開された年だったはずです。監督自身の医学生としての体験がぎっしりと詰まっている「ヒポクラテスたち」は、25年ぶりに見直しても、まったく色あせていませんでした。

 「近頃、こう見えても俺、自分が医者になりたいと思うことが月に4回あるんだ」という同級生の言葉に、「俺はその逆が月に4回ある」と答える愛作。この映画をはじめてみたころのわたしは、ポリクリはおろか解剖実習もはじまっていなかったのですが、映画に登場する医学生たちが抱えている、「医者になることの不安」という感情に対して共感していたのだと思います。医者という職業の入口に立って、微妙に揺れうごく彼らの感情は、「青くさい」がゆえに純粋。医者になってもうすぐ20年、すれっからしに成り果てたわたしにも、映画のなかの医学生たちと同じような悩みをかかえていた時代があった・・・

 映画のラストは、アメリカン・グラフィティをなぞって、その後の医学生たちの人生を、写真とテロップで紹介していきます。悩める女子医学生木村みどり(伊藤蘭ちゃん好演!)が、卒業を前に自殺したことを告げるテロップが、笑顔の写真とともに流れて、映画は静かに終わります。ここで、主人公を演じた古尾谷雅人が、2003年に謎の首つり自殺をとげて、もうこの世にはいないのだという事実が頭をかすめて、現在のわたしは奇妙な感慨にふけることになりました。1980年代に医学生であったひとはもちろん、医学とは全然関係のないひとでも、十分に楽しめて、胸がキュンとする映画ですから、未見のかたはぜひDVDでごらんください。



映画に出てくる1980年の日本をみて
何だか「古くさい」と感じでしまった・・・

ケータイもインターネットもない
のんびりした時代

わたしたちは
新人類」なんて呼ばれ
バブル前夜のまちで
脳天気な青春をおくっておりました


2006年01月10日 「ニセ医者・白衣・ユニクロ」

 みなさま、明けましておめでとうございます。新春からはじめたブログの書きこみに熱中して、本家の更新をさぼっておりましたが、今年も医学・医療・身辺雑記ネタはこちらです。ホームページの「院長日誌」も、これまで同様ご贔屓(ひいき)に!

 それにしても、昨年末のニュースで驚いたのは、医師免許がないのに、あちこちの病院で夜間のバイト医師として営業して、年収2000万円(!)を稼いでいた「ニセ医者事件」。犯人は偽造した医師免許のコピーを使って、都内の複数の病院で診察や投薬などの医療行為をしていた罪に問われています。確かにわたしの勤務医時代をふりかえってみても、大学の医局から関連する医療機関へ夜間の当直医として派遣されたとき、「医師免許証を見せてください」なんて言われた経験はありません。聞かれるのは、氏名、生年月日、住所だけです。夜の当直医が必要な病院側は、派遣元の医局を全面的に信用しているわけですが、今回の事件は、このあたりの盲点をつかれたというわけですね。

 医者の身分証明はむずかしい。日本の医師免許証というのは、表彰状のような大きさの「お免状」なので、銀行の貸金庫なんぞに大事にしまっておくものであり、常時携帯することは不可能なシロモノ。もちろん、写真なんてついてません。例えば、飛行機や新幹線のなかで、急病人が発生した場合に、「医師のかたはいませんか」というアナウンスが入ることがありますよね。呼びかけに応じて、「わたし、医者です」と名のり出たとしても、医師免許証をその場で提示することは無理ですから、そのひとがホンモノか、ニセモノかを、第三者が判別することはできないのであります。せいぜい、名刺を見せてもらうとか、所属する病院が発行するIDカードを確認するぐらいでしょうか。

 しかし、さすがに訴訟社会のアメリカでは、そんないい加減な状況ではないようです。アメリカの航空会社の機内では、ドクター・コールに応じて名のり出ても、正式なIDを提示できない医師は、急病人を診察することができないという問題が、昨年のTFC-MLで話題になっておりました。アメリカの州によっては、財布に入るサイズの医師免許証を発行しているみたい。日本の厚労省も、運転免許証なみの大きさの写真付き医師用IDカードでも発行してくれないかしら。(フライト中のドクター・コールってやつは、いろいろな問題点があるようです。詳しくは、こちらのサイトをお読みください。)

 ニセ医者の必須アイテムは白衣。白衣を上手に着こなせないヒトは、患者さんや病院のスタッフをだますことはできません。そのあたりの心理について、最近になっておもしろい研究が発表されています。「グリーン・ジャーナル」の愛称で親しまれている、アメリカの一流内科臨床雑誌「The American Journal of Medicine」の2005年11月号に発表された論文です。タイトルは「What to wear today? Effect of doctor's attire on the trust and confidence of patients (「今日は何を着て診察する?:医師の服装が患者の信頼や信用に及ぼす効果」)」。

 この研究はサウスカロナイナ州チャールストンの病院の内科外来で、4つの異なるスタイルの服装をした医師の写真を、患者さんと訪問者400名に見てもらって、どの医者が最も信頼できそうか、デリケートな情報を共有できそうか、また再診の診察を受けにきたいか尋ねたものです。その4つの服装とは、@白衣+フォーマルな服装(わたしの定番スタイル)、A手術着(ドラマのERに出てくる救急医が着ているような服装ね)、Bビジネスウェア(三つ揃いのスーツ姿?)、Cカジュアルウェア(スポーツシャツにジーンズ?)。回答者が好ましいと感じたのは、白衣(76%)、手術着(10%)、ビジネスウェア(9%)、カジュアルウエア(5%)の順でした。うーん、白衣の一人勝ちですね。やっぱり、ニセ医者として営業するなら「白衣にネクタイ」か・・・

 ところで、この冬の異常な寒さに耐えかねて、フリースの防寒具でも調達しようと、ユニクロの通販サイトを覗いておりましたら、メンズのコーナーの最後に「白衣」という文字を発見。クリックしてみると、なんと医師用の白衣ではありませんか。ユニクロでありながら、通常の白衣の相場より高めの価格。「いったい誰が買うのだ?何か特別なのか?」と好奇心に駆られて注文しちゃったのが、下の写真の白衣であります。既存の白衣メーカーが作ったものと比べると、なかなかユニークなデザインでおもしろいね。ありふれた白衣に飽きたドクター諸氏、ユニクロもあなどれませんぞ。

  

これがユニクロで買った白衣、6990円也

生地はポリエステル100%、
ストレッチ素材でゆったりとできてます

シングルですが、ボタンは茶色で凝ったデザイン

後ろはマジックテープ付きのベルトで
ウエストが絞れるようになっています
(ここは前面と同じデザインのボタンを使って
調節できるようにして欲しかったな)

後裾のセンターベンツは好き

さて、日常の診察で着るかどうかは
もう少し考えてからにしようっと・・・




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