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小・中・高校時代
この頃、転げ落ちるように悪化していく病状になすすべもなく、
人生を悲観していました。自分が何のために生まれてきたのかと悩んでいました。
考えても答えはでませんでした。しかし、それから起こるいろんな出来事を通して、
その答えと出会っていくこととなる。人生とは生きている答えと出会い、
その答えに戸惑いながら受け入る旅なのかもしれない。
入院生活の中で生きている不思議さを体験した。
かかりつけ医に風邪と診断されたが、実は肺炎で、真夜中に救急車で病院へ運ばれ緊急入院しました。
一命は取り留めたが、呼吸器が外せず、元の生活に復帰することは不可能と思われた。
しかし、あるこの病気に詳しいドクターが、呼吸器を外すように指示を出してくれました。
呼吸器使用中は、水も飲めず声も出せませんでした。
あの時ほど水がのみたいと思ったことはありません。
また、声を出せないことが、どんなにつらいかを知りました。
サイパンの日本兵たちから、「いのちは愛する者のために捨てるためにある」
ことを教えられました。ただし僕の場合は、生き恥をさらさないための自殺ではなく。
積極的に生きるという意味です。あえられたいのちを自分の名誉や誇りなんかの
ために捨てることは僕には出来ません。生きたくても生きることが許されない人たちも
いるのだから。人間としての本当の誇りはいつでもいのちがけで生きることです。」
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